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卒論 ビットコインを擁護し、未来の貨幣を想像する 11 おわりに

おわりに 私はこの論文で、効用価値説に疑問符をつけてきた。労働価値説、効率的市場仮説、トリクルダウンが否定されるなかで効用価値説が疑問視されることはあまりない。現代経済学でこの事について考えることはタブーなのかもしれない。  効用価値説の発想から出た学問に行動経済学や神経経済学がある。これらは脳科学から効用や幸福さを割り出そうという試みだ。GDPに代わる新たな指数として編み出されたGNHも心理学や社会学から持ち込まれた概念だ。この分野からは幸福さは相対的なものである、という提言がよくなされる。「集団の不合理は、仮に人々が最上位をめざすことが合理的であだとしても、地位競争の論理からすれば全員が最上位にはなれない点にある。いやむしろ地位競争自体が不快だとすれば、総和は減ることになる」(ロバート・スキデルスキー&エドワードスキデルスキー『じゅうぶん豊かで、貧しい社会』p.154)⁶確かに格差の少な社会のほうが幸福度は高い。しかし格差の少ない社会とはなにも北欧や資源国だけではない。北朝鮮やキューバですら幸福度は高いだろう。極論を言ってしまえば映画『マトリックス』よろしく人をカプセルに漬け込んで、頭に刺さったチューブから延々快楽物質を投下するところまで行くだろう。しかし大事なのはよき暮らし、よき人生なのであって、幸福さは幸福さに任せておけばよい。幸福さは個人のものであり、社会がそれがなんであるかは考えなくてよいと私は考える。しかし個人のものとしてもこれを効用価値で思考すると困難さが登場する。ダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーによって展開されたプロスペクト理論では人々は富そのものではなく、富の変化量で効用を得る。また損失回避的であり、これは利益による幸福さより損失による不幸さをより大きく見積もるということである。人々がこのような関数を持つとき、人生にランダムに利益と損失が発生すると人生の平均的幸福決算は負債のほうが大きくなる。この議論を突き詰めると反出生主義に陥る。反出生主義はショーペンハウアーやエミール・シオランが積極的に擁護する思想、人生においては最終的に不幸さのほうが多く、生まれてこなかった者が最も幸福であるとする思想である。人口論から考えても人口が増大すると一人あたりの使用可能な資源が減ることは明らかであり。合理的に考えると出生するという現象そ

卒論 ビットコインを擁護し、未来の貨幣を想像する 10 未来の貨幣の形

4 未来の貨幣の形 未来の貨幣に求められる機能は、以下の3つであることがわかった。  ①労働価値=使用価値を代表すること。  ②価値は厳密に計量可能な尺度でなければならない。  ③価値は文化や時間の境界を超克した普遍的なもの、普遍的等価物であること。  では一体それは何か。  それはエネルギーだ。エネルギーは抽象的な概念に聞こえるかもしれないが、アインシュタインがE=mc^2で表したように実体のあるものだ。エネルギーが貨幣形態Xに合致しているか検証する。  エネルギーは自然科学的に仕事量として計量される労働価値でありながら、そのまま人々が利用できる使用価値である。これは①を満たしている。  またそれは自然科学的に厳密な計量可能な尺度である。よって②に合致する。  かつ世界のどの国であろうと、過去であろうと未来であろうと、エネルギーは普遍的な概念であり、普遍的な価値を持つ。このことから③に当てはまる。  貨幣形態Xの要件を満たしているのでエネルギーは貨幣形態Xと証明できる。  このことからあらゆる生産物はエネルギーの結晶体であることがわかる。例えば農作物は太陽の熱エネルギーや光エネルギー、土壌にある栄養素を綜合し最後に人や機械の労働エネルギーが投下されて完成する。  そしてその農作物は他の生命にたべられ、内包されたエネルギーを回収して新たな生産へ投下する。  全ての商品をそれに投下されたエネルギーとして値付けすることは近未来では不可能かもしれない。しかしそれがどんなにSF的であっても市場を完全情報ゲーム化するにはこの概念しかないことはわかるはずだ。今ビットコインが提唱され、これから様々な貨幣の形が想像されるだろう。しかしそれらの目指すところを先取りすると、やはり最終的な貨幣の形はエネルギーに行き着く。この概念は普遍的なものであり宇宙人にも通用すると私は考える。どんな芸術品も資源もそれが等しく原子で構成されているという事実によって厳密な価値の計算できるだろう。  完全情報ゲーム=効率的市場仮説は資源の最適配分を実現する。この資源とはエネルギーのことであり、資本であり、同時に厳密な意味で労働力なのだ。技術の発展により最大化し市場によって最適配分されるのはエネルギーなのだ。  エネルギーが貨幣としてどのような形で現れてく

卒論 ビットコインを擁護し、未来の貨幣を想像する 9 貨幣形態Xの要件

3 貨幣形態Xの要件 この章では効用価値説の批判し、これまでの議論をふまえ未来の貨幣、貨幣形態Xの要件を抽出する。貨幣形態Xは効率的市場仮説に合致するものである。  貨幣形態Xは効用に対して重要視すべきでない。経済は消費だけでは成り立たない。生産と消費の両輪によって成り立っている。このことから未来の通貨は「労働=効用(使用価値)」の完全情報ゲームを満たすべきである。ならばこの貨幣そのものが労働価値を表しつつ、同時に使用価値(交換価値は無視する)を表現しなければならない、つまり一物一価の法則そのものである。よって貨幣形態Xの要件として①貨幣形態Xは労働価値=使用価値を代表する。が見いだせる。  労働価値を貨幣化すると聞くと、プルードンの労働証票が思いつく人もいるだろう。しかしこれは妥協的なものである。なぜならプルードンは労働価値をその労働時間で示したからである。労働時間では=使用価値となるような厳密さがない。サボタージュしたとしても同じ労働量に計量してしまうからだ。未来の貨幣では労働時間のような曖昧性のある概念ではなく。厳密に計量可能な労働量を表現できる尺度の概念でなければならない。ここから②貨幣形態Xは労働価値の厳密な尺度。を回収する。  ここまでで①労働価値であること②労働価値の尺度であること。がわかった。しかしこれだけでは貨幣形態Xにはならないそれは、貨幣経済が市場の失敗を繰り返す中での主犯、交換価値の肥大化から生まれる希少性を超越しなければならない。③は貨幣形態Xに最も重要なことである。希少性を超越するとはどういうことか。  過去に貨幣は限られた通貨圏内で短期的に流通してきた。その価値は限られた圏内では良好に通用したが、空間的時間的圏外に達すると流通不全を起こし、その価値を変化させ多くは失われ、再び新たな貨幣が生まれる。生成変化の差異に人々は希少性などを見出し交換価値として肥大化させる。この希少性が権力となって人々を誘引することは既に述べた。これは貨幣が一般的等価物として受け入れられているからだ。貨幣形態Xは一般性を超える。空間や時間的な境界を、つまり希少性を超克した価値、普遍的価値、普遍的等価物として現れる。ここから③普遍的等価物である、が抽出される。

卒論 ビットコインを擁護し、未来の貨幣を想像する 8 古典派の経済体制

2 古典派の経済体制 前章で、貨幣経済は貨幣の価値を安定化しなければ、市場の失敗を起こしてしまうことがわかった。ここで貨幣論・価値論を考えなおし。効率的市場を成り立たせるためになにが必要か考える。  この章では、古典派の貨幣論及び価値論を紹介する。はじめに古典派の貨幣論を説明する。次に古典派の価値説である労働価値説を説明する。  「貨幣とはなにか?」この問はあまりにも基本的すぎるあまり論じられることは少ないかもしれない。もちろん経済学でも貨幣の3機能や信用創造、貨幣数量説など間接的に貨幣に触れることはある。  ここで経済学の父であるアダム・スミスの『諸国民の富』を紐解くとまさに「通貨の期限と利用」という章がある。スミスはこの章で酒屋とパン屋を引き合いに出し、それぞれ分業状態にあり自分の生産物以外の商品を得たいとき、「賢明な人はみな自分の生産財以外に、他人が各自の生産物と交換するのを断らないと思える商品をある程度持っておくだろう。この目的には様々な商品が使われてきた。家畜や塩、貝殻などである。しかしどの国でもやがて金属が選ばれる様になった。それは腐敗しないので保存によって摩耗しない、分割しても価値が下がらず、また溶解して一つにまとめることができるからである。」(アダム・スミス『諸国民の富』pp.135-136)⁴  この教科書的な説明を続けると。いわくこの金属交換経済の金属を古代帝国が度量衡として量とその価値の定める、そのコインには神や皇帝の名や肖像が刻まれた。これが法定通貨の奔りだ。その金属兌換紙幣によって置き換え(銀行券)、やがて金属とのつながりを断った法と信用に基づく紙幣に、そして銀行券は帳簿決済→電子決済へ。  この議論はあくまで商品のやりとりを仲介するとき取引コストを下げるためという見方だ。そうだとすると貨幣自体には価値がなく、その商品の価値を表示しているだけなので取引されたものに価値あるという認識になる。これを貨幣の中立性という。貨幣が中立的だからこそ人々は社会の分業化や産業の効率化を進めることができるのだ。  ここで古典派の価値論にも触れる。古典派の価値論は労働価値説だ。労働価値説では、その生産物の価値が生産のために投下された労働量によって決まるとする説である。古典派は分業によって人々が効率的な生産をおこない、その生産物を交換する

卒論 ビットコインを擁護し、未来の貨幣を想像する 7 貨幣における市場の失敗

1 貨幣における市場の失敗 恐慌やハイパーインフレーションがなぜ貨幣的な市場の失敗であるのだろうか?これらの問題は貨幣がその持つ機能を失っているからである。  まず恐慌においては、貨幣機能①の価値尺度が大きく崩れる。それは貨幣が価値を失うのではなく、むしろ価値を大きく引き上げるのである。価値が大きく引き上げられた貨幣は流通現場から一時的に退出する、すると市場においては貨幣需要が高騰する。これに対抗するためケインズは財政出動などで有効需要の創出を提唱したのだ。貨幣を市場から引き上げればその貨幣の価値も伴って上がるとき、貨幣を引き上げれば引き上げるほど貨幣退蔵者は資産を増すことになる。しかし本来人々に効用をもたらすのは、貨幣ではなく商品なはずだ。であるならば退蔵された貨幣もいずれ放出されることが予想できる。この回答はあまりにも貨幣が死蔵されると③の交換の手段としての機能も失ってしまいその財がうち捨てられる危険性もあるため、貨幣退蔵のチキンレースは突っ切らないことが支配戦略になる、ということが前提となっている。このように考えると事後的にはいずれ恐慌は収束するだろう。  私が考えたいのは、なぜ始まりに貨幣の退蔵が起こるのかという点で、私はそれが貨幣という商品そのものに効用が内在しているからと考える。  貨幣とは本来、商品の取引のためにある。と考えられてきた。ここで経済学の父であるアダム・スミスの『諸国民の富』を紐解くとまさに「通貨の期限と利用」という章がある。スミスはこの章で酒屋とパン屋を引き合いに出し、それぞれ分業状態にあり自分の生産物以外の商品を得たいとき、「賢明な人はみな自分の生産財以外に、他人が各自の生産物と交換するのを断らないと思える商品をある程度持っておくだろう。この目的には様々な商品が使われてきた。家畜や塩、貝殻などである。しかしどの国でもやがて金属が選ばれる様になった。それは腐敗しないので保存によって摩耗しない、分割しても価値が下がらず、また溶解して一つにまとめることができるからである。」(アダム・スミス『諸国民の富』pp.135-136)⁴  しかし、そうではなく貨幣そのもの価値を見出すようになってしまった。それは貨幣が長期的な蓄財を可能にしたからである。  古代、狩猟採集民や遊牧民などの遊動民の社会では蓄財は不可能だった。そもそも手に

卒論 ビットコインを擁護し、未来の貨幣を想像する 6 第二部のはじめに 未来に望まれる貨幣の形

第二部のはじめに 未来に望まれる貨幣の形 貨幣史を俯瞰すると様々な貨幣が生まれては消えている。暗号通貨も多くが生まれ、そして消えるだろう。それで良い、と考える事もできる。貨幣は常に過渡的な事業であり、その場その場で通用する暫定的なもので良いとする考えだ。確かにこれまでの貨幣はそのような現象であった。しかし過去そうであったからといって即ちそれが真理である。ということにはならない。  ここでは、未来に望まれる未来の貨幣の形について想像する。なぜそのようなことを想像するのかというと、もちろん現在の貨幣制度(暗号通貨含む)に不満があるからである。それは貨幣における市場の失敗、恐慌とハイパーインフレーション、を現在の貨幣経済、それには暗号通貨も含まれる、のなかで避けられない問題が、貨幣経済自身に内包されていると私は考えているからである。そこで市場の失敗を起こさない完全な貨幣、つまり貨幣の信任を失うことなく、かつそれは過渡的な現象ではない貨幣として、最終的な貨幣の形、つまり効率的市場を成り立たせる貨幣を想像する。  それのためにまず第1に貨幣が市場の失敗を引き起こす原因を内包しているものであることを解説する。  第2に古典派経済学者の想像した、神の見えざる手によって、市場が均衡するとはどのような状態か考える。これは現在、経済学のなかで主流派とみなされている新古典派はとは大きく違う点があるのだ。今効率的市場仮説は否定されているといっていいだろう、しかし経済学の理想として効率的市場仮説は捨ててはならないと私は考える。それは市場の失敗を起こさないシステムであり、目指すべき目標だ。私は古典派の理想を復古することで効率的市場仮説への可能性を見出す事ができた。  第3に、第1第2で述べた議論を踏まえて新たな貨幣に望まれる貨幣の要件を明かす。  最後に、第3で明かした要件に合致したそれが、どのような言葉、概念で表せるか想像する。私は未だ現れないこの未来の貨幣を「貨幣形態X」と呼ぶ。

卒論 ビットコインを擁護し、未来の貨幣を想像する 5 第一部のおわりに

第一部のおわりに 既にビットコインが採掘されて6年ほど経つ。我々が経済問題を考えるときにビットコインなしの世界を考えるのは不可能である。我々はビットコインとどのように付き合っていったらよいだろうか。  少し前まで貨幣市場は国家独占であったと言える、今様々な暗号通貨が参入し法定通貨も競争を強いられている。その競争は貨幣の利便性や受容性、投資的価値、文化的価値などが比較される。これらの価値を発行体は証明しなければならないが、どうやら政府のお偉方の管理している法定通貨よりも理系オタクの作ったコンピュータプログラムのほうが信用できる、と考える人びとが一定数いるようである。確かに暗号通貨は人類の創りだした貨幣システムのなかで最新のものだ、その利便性は他のどの貨幣より高い、受容性、投資的価値もそれにともなって増してゆくだろう。しかしそれだけでここまで急速に求められる程のものだろうか、否。暗号通貨が信任されているというよりは法定通貨があまりにも不甲斐ない様を晒しているからではないか。暗号通貨はその貨幣市場の中で相当のシェアを占めると思われるが、急速な貨幣の転換は経済に無用な混乱をもたらす、そのために暗号通貨手の転換のスピードを緩める必要がある。通貨当局はもっと法定通貨の信用を高め経済の安定に寄与すべきだ。  金融危機に株式が脆弱であるように、通貨危機に貨幣は脆弱さを抱えている。ビットコインもまた万能ではない。ビットコインを用いるための最低要件はデバイスとインターネット及びエネルギーである。先進国においてこれらが使用不能になるということはまず無いように思われる。しかし有事の際ネット遮断されることはある。アラブの春のときエジプトでは政府がインターネットを遮断した。中国や北朝鮮では実質的にサイバー空間は国家の支配下にある。他にもコンピュータ・ウィルスやサイバーテロ、量子コンピュータによる技術特異点などでビットコインは価値を失う可能性がある。また電源の喪失などでインターネットにアクセスできなければビットコインで決済することはできない。  我々は、暗号通貨の利便性にもかかわらず、それでも、法定通貨を廃棄すべきでない。通貨には多様性が求められる。我々は決済のポートフォリオをリバランスすべきである。

卒論 ビットコインを擁護し、未来の貨幣を想像する 4 ビットコインの社会に与える影響

4 ビットコインの社会に与える影響 これまでに考察してきた通りビットコインは貨幣の要件を満たしていることがわかった。まとめでは今後ビットコインが普及するなかで社会にどのような影響があるか想像する。まずビットコインそれ自体の将来を考え、次にビットコイン含む暗号通貨と法定通貨の関係について問を深める。ビットコインは生まれながらにしてグローバルで電子的なものだ。国家とビットコインの関係においては徴税の問題がより正面から研究する必要がある。財政学も新しい段階へ移行する。  まずビットコインの将来について考える。ビットコイン創成期においてビットコインのマイニングは誰もが持つごく普通のパソコンが用いられてきた。しかしビットコインの発行枚数が増えマイニングの難度も上がり、マイニングの競争者が増えるとマイナーの報酬が減り、ビットコインのマイニングはすでに普通のPCでは困難(電気代をペイできない)で一般人の参入は難しくなった。またマイニングで問われるハッシュ関数もCPUのハードで最適化され。このような専門的になりすぎた暗号通貨はマイニングが半ば寡占状態であり、多くのビットコイン需要者はマイニング(生産)ではなく為替によってしかビットコインを手にすることができない。この状態は通貨の民主化とは言いがたいだろう。  しかしビットコインとしてはより多くのビットコインを持つものはビットコインを攻撃したりはしないという前提でデザインしている。従ってマイニングの寡占化は大きな問題ではない。ハイエク的貨幣民主化論は採掘者の民主化というより個々人がそれぞれ通貨を発行するということなので、ビットコインそれ自身ではなく暗号通貨という仕組み全体と して捉えるべきであろう。  新たな暗号通貨を想像するなら、暗号をハード面での対策をこんなにするよう耐性とつけたり、ハッシュ関数など解いてもなんの役にも立たない暗号にエネルギーを費やすよりゲノムの解析にエネルギーを注がせたり様々な可能性はある。  以上のように様々な暗号通貨の可能性があるなか、先駆者であるビットコインは投機的価値が注目されがちである。それは流動性の罠に陥った金融当局が通貨の切り下げ戦争に突入したからかも知れないが。ビットコインが真に蓄財のみに用いられると流動性がなくなり、信頼性が低下する。信頼性の低下を嫌った利用者はゆるやかに他の暗

卒論 ビットコインを擁護し、未来の貨幣を想像する  3 ビットコインは貨幣か

3 ビットコインは貨幣か  まず①価値の尺度について検証する。ビットコインは2009年に創世記ブロックが作られてから相場価格は微増していたが、ユーロ危機や中国のビットコインの規制などでその価値は大きく変動した。この変動幅は一時的なものか、それとも本質的なものだろうか?  為替相場はそこで取引される通貨がどのように供給されるかによって均衡点が移動する。現在取引される法定通貨は多くは通貨当局が管理する管理通貨である。当局は自国の経済規模や金融政策として通貨供給の指針を策定する。尺度としての通貨はこのような政策によって管理されている。ではビットコインはいかなる指針でもって通貨供給しているのだろうか。  ビットコインを新たな通貨として考えるとき、マクロ経済学的には新たな通貨供給として認められる。法定通貨との交換レートが存在している以上ビットコインの流通は、そのまま新たなマネーサプライと考えられる。  ビットコインは発行枚数の上限が決まっており、その発行枚数は最終的に2100万枚となる設計で、暗号解読によりブロックを生成する報酬は21万ブロックごとに半減していき(1ブロックあたり50枚、25枚、12,5枚…)、現在の発行枚数は14924050枚(「Crypto-Currency Market Capitalizations」 http://coinmarketcap.com  2015年12月6日アクセス)ほどだ。  供給枚数には上限がある。1ブロックは10分ほどで生成される。初めてビットコインが採掘されたのは2009年でその時の報酬は50枚(BTC)である、創生期において採掘は低調であったが近年は最大限に採掘されるので10分に1ブロック、つまり現状で21万ブロックの生成に要される時間は約4年間だ。2017年までは1ブロックあたりに報酬は25BTCだ。その後4年毎に半減していき、2140年に全2100万枚が採掘される。  その上限に至るのは遠い未来であって今を生きる人々にとっては、実感としてビットコインは常に増えていると感じられる。10分間に1ブロック=25BTCとおくと1年間に131万4千BTCだ。ここ4年間の増加率は約12%であり、これはインフレ率として考えられる。今後順調に採掘が進めばストックが増え供給フローが減っていくため。このレートは漸減してゆく

卒論 ビットコインを擁護し、未来の貨幣を想像する  2 貨幣の要件

 2 貨幣の要件 貨幣の機能には3つある。これらの機能が備わっていれば貨幣と呼ぶことができるだろう。 ①価値の尺度 ②価値の保存 ③交換の手段  この内①と②は価値についての記述である。現代経済学では価値は効用価値説をとる。価値論においては効用価値説のほかに労働価値説もあるが、ここでは効用価値説に基づいて分析を続ける。効用とはその商品が人々にもたらす満足感のことである。例えば、喉が渇いた時に飲むビールは1000円ほどの効用がある。一方満腹時にはそれほど欲してはいないので100円程度の効用があるといえる。効用は結果として事後的に現れる観念であり、効用価値説とはこの効用こそが市場で最大化されるべき価値だという学説だ。効用価値はさらに使用価値と交換価値にわけられる。使用価値はその生産物を使用することで使用者自身にもたらされる効用だ。交換価値は、その財を所有者自身は使用するつもりはないが他者と交換する際に価値があるだろうと想定される価値だ。つまり他者が使用することによって認められると想定する価値のことだ。  このことから①②は、貨幣は効用を計る尺度と考えられ、また効用を減じることなく保存しなければならない、ということを述べている。価値尺度は市場に様々な商品があるとき、その価値を値段という形で表すことであり、これによって商品の価値を客観的に判断ができるようになり、物々交換よりも取引の成立が容易である。  価値の保存とは、多くの財が時間経過とともに腐敗や摩耗、風化してしまうなかで何時の時点においてもその価値を大きく変動させないということである。  ③は流動性について述べている。①②を満たしていたとしても交換相手がその貨幣を受容してもらえなのであればそれは貨幣として成り立っているとはいえない。人々の効用の総体は社会的効用として考えられ、この効用をもたらす諸商品の価値を量として抽象して代表するものが等価物であり、等価物が一般的に価値を認証され流通すると一般的等価物になる。この一般的等価物が貨幣である。  貨幣の要件として上記の3機能を備えていることが求められていることがわかった。次にビットコインがこれらの3機能を備えているか検証する。  プレイリストは、おまけです。

卒論 ビットコインを擁護し、未来の貨幣を想像する 1ビットコインの仕組み

1 ビットコインの仕組み ビットコインはサトシナカモトという謎の人物が2008年に発表した"Bitcoin:A Peer-to-peer Electoronic Cash System."という論文を発表したことによって始まった。  ビットコインは政府や中有銀行などある一つの組織が発刊しているものではない。使用方法は旧来の電子マネーと近いが電子マネーもひとつの組織が最終的に管理しているという点でビットコインとは違っている。イメージとしてはゲーム内通貨と近い、ただし運営者のいないゲームなのだ。  このビットコインを成り立たせている大きな仕組みは3つに分けられる。 ①電子署名を用いてビットコインと送ること。 ②取引記録をP2Pネットワークで維持するブロックチェーンに記録すること。 ③ブロックチェーン改竄防止の為、プルーフ・オブ・ワーク(Proof of Work:POW)の計算を課すこと。  ①の電子署名とは、例えばA→Bへデータの送信があるときはたして本当にAが送ったものなのか?Aの送ったデータが改竄されていないか?などの問題(作成者の保証と内容の同一性)が発生する。この問題を公開鍵暗号とハッシュ関数という技術で解決したのが電子署名である。ビットコインに拘らず電子取引においては。送金した者がたしかに署名者であって、他者でないこと。通信途中で額面などが傍受者など第三者らによって改竄されないこと。送金者が送金の事実を後になって否認されないことが電子署名で保証される。  ②のP2Pとは多数の端末間で通信を行う際のアーキテクチャだ、中央管理するサーバーは存在せずプロトコルに則って個々のPCが直接インターネットで接続しデータをやりとりするネットワークである。つまり取引記録を送信相手ではなくビットコインを構成するネットワークに対して送信するということである。ブロックチェーンはその取引記録の連なりと考えてもらっていい。喩えるならば、A→Bへ送金するときその取引を広場で叫ぶ、すると広場にいる者達(P2Pの参加者)がそれを承認する。広場に積み重なってゆく一定時間の取引記録の塊は「ブロック」としてまとめられるその連なりがブロックチェーンである。このブロックをチェーンに連ねる際にハッシュ関数の計算が求められ最も早く計算した者に報酬が支払われる(ビットコインで)この

卒論 ビットコインを擁護し、未来の貨幣を想像する はじめに

 学生時代に書いた卒論があったのでここに置いておこうと思います。私は16年度卒なので、当時手に入る範囲の資料を用いて書かれました。プレイリストはおまけです。 卒論 ビットコインを擁護し、未来の貨幣を想像する はじめに 2014年2月28日ビットコインと他の通貨との取引を行っていた取引所マウントゴックス社が東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請した。このニュースはメディアの大きく報じられ、多くの人々がビットコインの存在を知るとともにそれが何やら怪しげな詐欺のように見られるようになった。  麻生財務・金融相も「(ビットコインは)長続きせず、どこかで破綻すると思っていたが、意外に早かった」(読売新聞東京夕刊3面 2014年2月28日)¹と発言したがビットコインそのものと取引所を混合しているようにも捉えられる。このことからも我が国ではビットコインがなんであるか正しく認識されていない。しかしビットコインが経済にどのような影響を与えるか、ビットコインは未来の貨幣の形なのか、今後の経済を考える上で重要な議論だと私は考える。  第一部ではビットコイン含む暗号通貨(ブロックチェーンによって成り立つ仮想通貨)が経済にどのような影響を与えるか考える。  その為にまずビットコインの機能を明かす。次に現在流通している貨幣の要件を挙げる。私はビットコインが貨幣として通用するという仮説を提示し。貨幣の要件にビットコインが当てはまることで仮設の正しさを検証する。  またビットコインが貨幣として流通するとき、経済にどのような影響を与えるか考える。  第二部ではビットコイン含む現行の貨幣の価値が実体のない観念的な根拠によって成り立っていることを暴き、それが効率的市場仮説を脅かしている事実を確認する。  そこから現行の貨幣が古典派経済学の認識からかけ離れたものになっている事実をあげ、古典派の認識に則った新たな通貨を想像する