卒論 ビットコインを擁護し、未来の貨幣を想像する 4 ビットコインの社会に与える影響

4 ビットコインの社会に与える影響

これまでに考察してきた通りビットコインは貨幣の要件を満たしていることがわかった。まとめでは今後ビットコインが普及するなかで社会にどのような影響があるか想像する。まずビットコインそれ自体の将来を考え、次にビットコイン含む暗号通貨と法定通貨の関係について問を深める。ビットコインは生まれながらにしてグローバルで電子的なものだ。国家とビットコインの関係においては徴税の問題がより正面から研究する必要がある。財政学も新しい段階へ移行する。

 まずビットコインの将来について考える。ビットコイン創成期においてビットコインのマイニングは誰もが持つごく普通のパソコンが用いられてきた。しかしビットコインの発行枚数が増えマイニングの難度も上がり、マイニングの競争者が増えるとマイナーの報酬が減り、ビットコインのマイニングはすでに普通のPCでは困難(電気代をペイできない)で一般人の参入は難しくなった。またマイニングで問われるハッシュ関数もCPUのハードで最適化され。このような専門的になりすぎた暗号通貨はマイニングが半ば寡占状態であり、多くのビットコイン需要者はマイニング(生産)ではなく為替によってしかビットコインを手にすることができない。この状態は通貨の民主化とは言いがたいだろう。
 しかしビットコインとしてはより多くのビットコインを持つものはビットコインを攻撃したりはしないという前提でデザインしている。従ってマイニングの寡占化は大きな問題ではない。ハイエク的貨幣民主化論は採掘者の民主化というより個々人がそれぞれ通貨を発行するということなので、ビットコインそれ自身ではなく暗号通貨という仕組み全体と
して捉えるべきであろう。

 新たな暗号通貨を想像するなら、暗号をハード面での対策をこんなにするよう耐性とつけたり、ハッシュ関数など解いてもなんの役にも立たない暗号にエネルギーを費やすよりゲノムの解析にエネルギーを注がせたり様々な可能性はある。
 以上のように様々な暗号通貨の可能性があるなか、先駆者であるビットコインは投機的価値が注目されがちである。それは流動性の罠に陥った金融当局が通貨の切り下げ戦争に突入したからかも知れないが。ビットコインが真に蓄財のみに用いられると流動性がなくなり、信頼性が低下する。信頼性の低下を嫌った利用者はゆるやかに他の暗号通貨へゆるやかに移行するだろう。あるいは複数の暗号通貨をSDRのようなポートフォリオとして請求権を行使することが可能となるだろう。今までは技術的に困難だと思われ思考実験の域を出ないものだったがIT化によって夢物語ではなくなった。

 このようにビットコインの将来は他の暗号通貨としばらく共存してゆくだろう。その時代の流れのなかでビットコインが死んでも、ビットコインの遺伝子は受け継がれるだろう。
 次にビットコイン含む暗号通貨と法定通貨の関係性について考える。ビットコインの供給計画は権力の介入するすべがなく、貨幣発行益はビットコインを成り立たせるビットコインという事業そのものに参加するものに分配される。一方法定通貨はえてして権力の介入を招く、或いは権力そのものだったりする。暗号通貨は法定通貨と共存可能だがインターネットが世界中に張り巡らされた今、悪貨は暗号通貨によってこれまでないほど速やかに退出を迫られる事になる。

 「悪貨は良貨を駆逐する」という言い回しがある。これは瑕疵のある貨幣とそうでない貨幣が同じ額面で取引されている売位の起こる現象である(この同じ額面で、というところが肝だ。)マテリアルな貨幣(金貨銀貨など)は普通に流通しているだけで摩耗するが取引上の価値は変わらない。これが悪用され意図的な削り取りが起き瑕疵が生まれる。厳密にマテリアルの量によって取引する経済であれば問題はないのかもしれないが取引コストがかかりすぎるし用いられる度量衡が国家の権威下のものである以上。国家が悪貨を生産したりするのでやはり悪貨が生まれる。しかし他国との貿易の場合、度量衡が違うので素直にマテリアルの価値を問われる。この時人々は瑕疵のない良貨を貯蔵し瑕疵のある悪貨を取引に用いるようになる。流通しているのが悪貨だらけになるのであたかも良貨が駆逐されたように見える。人々は悪貨が流通する市場では取引をやめたり少なくしたりするので一般的に悪貨が存在するのはよろしくない。

 しかし「悪貨は良貨を駆逐する」は真実だろうか、上の前提は全くの逆から見ることができる。確かに貨幣を取引に用いることと捉えると悪貨は良貨を駆逐するように見える。しかし貨幣を蓄財するためのものとして考えるとむしろ望まれているのは良貨である。悪貨は蓄財に用いられずに市場に還流する。やがて悪貨はその額面の価値を証明できなくなり市場から駆逐される。市場から悪貨が退散すれば安心して良貨を使うことができる。ハイエクは「為替レートが変動する場合、より劣った室の貨幣はより低いレートで評価されるであろうし、特にその価値がさらに下落するおそれがある場合、人びとはそれを出来る限り早く処分しようとするであろう。(中略)実際インフレーションが急速に進むときはつねに、価値がより安定しているものが貨幣としてますます使われるようになったからである。(中略)そのため、ドイツのハイパーインフレーションが終わる頃には、グレシャムの法則は間違いであり、その反対が正しいと主張されたのである。グレシャムの法則は誤りではなく、たださまざまな形態の貨幣のあいだで固定的な為替レートが強制されている場合にのみ当てはまるのである。」(ハイエク『ハイエク全集Ⅱ-2 貨幣論集』p.72)³と分析している。

 この話は金貨や銀貨などのマテリアルな貨幣が流通していた時代の話のように思えるが現代においてもこの理屈は通用する。端的に示すと外国為替取引がそうである。個々人の取引では意識することはできないが、大きな貿易はこの理屈で動いている。この時の悪貨とはインフレーションのことを指す。ドイツマルクやジンバブエドルは取引から駆逐された。
 ドイツマルクやジンバブエドルは貿易においてはその価値を急速に貶めたが個々人の取引にでは駆逐されるまでしばらくかかっただろう、しかし現代ではビットコインによってより露骨に駆逐されるだろう。
 欧州危機の際キプロスやギリシャ市民は貯蓄をビットコインに変えた、これは預金封鎖を予期しての行動であるが、政府の放漫財政がユーロの信頼を毀損していると考えられたからであろう。取引に使う通貨を法律で規制することができても、蓄財に使う通貨を規制することはできない。このラインが現在の法定通貨の限界である。将来的には(既に)取引に用いる通貨も規制することはできない。法定通貨は受け取りを拒否できないが、その強制力に根拠があるわけではない。法定通貨は、それを受け取ってもらえるようにより魅力的な貨幣として努力する必要がある。

 3つめに国家による徴税とビットコインについての問題だ。だがこの問題は国家と資本主義の対立だろう。ビットコインは問題をより明確化したにすぎない。以前までの国際資本と徴税権の戦いはオフショア投資や法人の租税回避などタックスヘイブンに関するものだった。しかしビットコインを用いるならば、これらの間接的な手法なしに租税回避が可能となる。ビットコインは最もコスモポリタンでグローバルな租税回避手段として、新たな通貨圏という形で旧来の国土というフレームから逸脱したものである。タックスヘイブンに対抗して考えだされたトービン税もビットコインの前では意味を成さない。トービン税とは経済学者ジェームズ・トービンの提唱した税制度。金融取引や通貨取引に対して課税することで投機的マネーゲームを抑止する。もし企業がビットコインで株式を発行しそれらを取引する市場があるならトービン税の徴税も困難である。真にコスモポリタンな貨幣は万国の投資家を団結させる。このような世界で徴税とは一体何だろうか。
 多民族国家というものがある、このような国家では言語、文化、宗教など複数のものが一つの国家内に共存している。ビットコイン後の世界で国家は多民族国家のように多通貨国家となって国家運営しなければならない。その時どのような問題が起きるかここで考えてみたい。

 ビットコイン後の世界を現在の物差しを当てて眺めると、最も顕著に浮かび上がってくる問題が徴税だ。取引がビットコインで行われるとき、そのフローに関所を設計して徴収する消費税、所得税、法人税、相続税、贈与税など現在日本の歳入の多くを占める税は徴収不能である。それはビットコインが人格にひも付けされないからだ。ビットコインを個人が管理するのはウォレット(財布)と呼ばれるもので、それはアカウントIDとパスワードによって管理される。ビットコインを送金するということは自身のウォレットから相手のウォレットにビットコインを送るという操作である。これらの取引は全て公開されて入るが、そこに人格として現れるものはなく、もちろんウォレットを無数に作ることができ、これらをシャッフルして運用することで足取りを蔵ことができる。ビットコインと法定通貨の大規模な取引は規制をかけて監視することはできるだろう、しかしビットコイン同士の取引やほかの暗号通貨との取引は国家権力が追うことは不可能だ。暗号通貨のフローに課税するのは実質的に不可能であることがわかる。よって国家が管理できるのは自国の法定通貨だけだからである。この事実から徴収されうる税金はストックなものに課せられるものに集中する。つまり資産税だ。しかし当の本人である資本家はその資産をすでにビットコインに換えているだろう、よって不動産が、日本の場合固定資産税が国家の重要な財源になりうる。古典派経済学者のヘンリー・ジョージは土地こそが国家の財産であるとの考えに基づき、租税は土地税のみで他の諸税を廃止する土地単税を唱えた。ビットコインは古典派経済に再び光を当てた。もう一つ可能な徴税は人頭税だ、これは逆進性が極めて高いがビットコインの所得が追えない以上累進課税は不可能だ。すでに社会保険料の名目でこれは実質的に徴収されているといえる。

 もし租税がストックな資産に課せられる静的なものになるならば、人々は自身の納める貨幣を自由に選べるようになるだろう。政府もそれを拒否することは難しい。なぜなら人々が納めるのは貨幣ではなく生み出した富のもたらす諸価値であり。国家の再分配機能で分配するのは貨幣ではなく富のもたらす諸価値なのだからだ。

 このことはハイエクも「政府はどの通貨で税金が支払われるか自由に決定し、自ら選ぶ任意の通貨で自由に契約できるはずである(このようにして政府は自ら発行する通貨やひいきにしたい通貨を支持することができる)。しかし、政府が課税評価の基礎として他の計算単位を受けいれるべきではないという理由は存在しない。損害賠償や不法行為にたいする補償金のような契約によらない支払いにおいては、裁判所はどの通貨でそれが支払われねばならないかを決定しなければならないだろうし、この目的のために、新たなルールを発展させなければならないかもしれない。しかしながら、そのために特別な立法はまったく必要ないはずである。」(ハイエク『ハイエク全集Ⅱ-2 貨幣論集』pp68-69)³と述べている。

 徴税が人頭税の逆進性を鑑みて不動産に大きく依存することになると、より柔軟な形での徴収を考えなければならないだろう。例えばその土地の面積ではなく空間に対して課税する(4階以上の床面積に課税等)ことで実質的に高層ビル規制になる。他にも歴史的回帰を起こして窓税などと徴税当局は様々な工夫をしてくるだろう。機械化可能な産業は最適な環境をもとめて海外移転し土地のオリジナリティに根ざした観光業だけが人の仕事である。

 これらの税金を増税したとしても大して集まらないだろう、行政サービスの削減は避けられない、存続するものも極力料金をとって行われるようになるだろう。望むと望まざるとに関わらず小さな政府、ネオリベ的経済体制になる。

 現在日本はアベノミクスという経済政策で金融緩和を行い、景気を浮揚させようとしているがビットコインの存在が政策の効果を薄めている。円が減価していくことを知っていたとしてもそれが消費に向かわずビットコインの形で貯蓄されるからだ。アベノミクス批判論者の中では金融緩和と放漫財政がハイパーインフレを起こすと考えているが、果たしてそこまで問題だろうか?資産をビットコインで防衛すれば負債が減価するだけで個人にダメージはない。ベストな想定はインフレ前に借金をしてビットコインを買うことだろう。最近の若者は非正規労働や格差の固定化などでハイパーインフレによるリセット願望がありがちだが残念ながらリセットされるのは円資産のみだ。ビットコインによって資産は保護されるのでハイパーインフレによるリセットはもはや不可能だ。むしろ国家の統治能力が下がりセーフティーネットの毀損によって経済弱者の被る不利益のほうが大きいだろう。

 生産手段から自由な経済弱者にとって政府の裁量で供給できる法定通貨(管理通貨)は最後のセーフティーネットになる可能性がある。生活保護が法定通貨でなされるならばそれによる決済がスティグマとして認識されるかもしれない。社会福祉の場で、スティグマとは他者との違いを、ことさら貶めつつ、指をさす行為として存在し、それは他者や社会集団によって個人に押し付けられた負の表象であり烙印と呼ばれることもある。法定通貨そのものが福祉クーポンとして認識されることも遠い未来ではないかもしれない。

 見てきたようにビットコインの登場は、徴税及び国家について我々に改めて考えさせる。これは通貨共同体という社会の先験的な体制が、もはや自明ではないことをあからさまに見せつけてくるからだ。グローバルな資本主義は全ての境界を無化して、国家を解体してゆくように見える。資本主義は国家を解体するだろうか、おそらくそれはない。なぜなら、資本主義の根幹は私有制にあるからだ。私有物の不可侵性を擁護するのは神ではなく国家だ。おおよそ国家が私有制を守るほうが他の共同体体制よりも公平であり低コストだろう、他の共同体体制とは企業や血族、地縁、ギルド、宗教共同体などだ。ビットコインのコスモポリタニズムも万国の資本家を団結させることはないだろう。多くの資本は固定資本によって生産されており固定資本へのインフラは国家の援助によって整備されている。このことからどんな企業であっても国土から離れられず、どんなグローバル資本も多国籍企業であり無国籍企業というのは存在しない。また資本主義自身が生産できない、環境や消費者の生産は国家や民族などが担っている。これらは相互補完的な関係であり、片方が片方を解体することはない。ウイルスがキャリアを乗りかえても、種としての全体を殺すことがないように。

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