✨境界なき創造の光彩を追う!チームラボは町おこしコンサルの下請けなのか?🎨 #チームラボ #メディアアート #著作権 #イマーシブ展 #2005チームラボ_平成美術史ざっくり解説 #五30

 

✨境界なき創造の光彩を追う!チームラボはどこへ向かうのか?🎨 #チームラボ #メディアアート #著作権 #イマーシブ展

第三者が紐解く巨大アート集団の哲学、現実、そして未来への問いかけ。チームラボは町おこしコンサルの下請けなのか?

目次


はじめに:巨大な光の議論から始まった

アブダビで発表されたチームラボの大規模な新作、ムービングライト作品が、メディアアートユニットKimchi and Chipsの作品に酷似している――。このInstagram上での熱い議論が、私がペンを執るきっかけとなりました。私自身、2015年から2017年までチームラボにアルバイトとして在籍し、サウンドチームの立ち上げから国内外の展示に関わっていた経験があります。当時の私は、まさにチームラボがお台場の日本科学未来館で個展を開催している最中に入社し、その後の成長を間近で見てきました。

Kimchi and ChipsのElliot Woods氏と個人的にDMで意見を交わした際、彼が抱いていたのは「あの巨大な集団は、どのような意思決定のもと作品を作っているのか?」という素朴な疑問でした。確かに、日本では猪子寿之代表のインタビュー記事は数多く読めますが、海外から見れば、その実態は謎に包まれた巨大なクリエイティブ集団に見えるかもしれません。本稿では、私自身の経験と観察に基づき、過去から現在に至るチームラボの印象を多角的に考察し、特に「作品の類似性」「著作権訴訟」「組織としての特性」「都市開発における役割」といった論点に焦点を当てて深掘りしていきます。

この議論は、単なる盗作問題に留まらず、現代アートにおけるオーサーシップや、集合的クリエイティビティのあり方、さらには大規模なテクノロジーアートが都市開発や観光戦略に組み込まれる現代の趨勢を考える上で、非常に重要な示唆を与えてくれると信じています。

コラム:熱狂と戸惑いのサウンドスケープ

チームラボでのアルバイト時代、私は文字通り「音に関わることなら何でも」やらせてもらいました。当時はまだ立ち上がったばかりのサウンドチーム。展示会場のスピーカー配置を考え、サウンドシステムのプログラミングをし、時には徹夜で現地調整に明け暮れる日々でした。特に印象深いのは、大きな展示の搬入時、会場中に張り巡らされたケーブルの量と、プロジェクターから放たれる無数の光、そしてそれを同期させるための膨大なコンピューター群に圧倒されたことです。物理的な世界とデジタルの世界が渾然一体となり、まるで生き物のように展示空間が呼吸しているかのような感覚でした。

しかし、その一方で、「この作品は誰が作ったのか?」という問いが、常に心の片隅にありました。多くのエンジニアやアーティストが関わり、それぞれの専門性を持ち寄って作り上げられた巨大な作品群。しかし、最終的にクレジットされるのは「チームラボ」という法人名のみ。このオーサーシップの曖昧さは、当時から私の中に一抹の戸惑いとして残っていました。この経験が、本稿で「法人としての芸術家」というテーマを掘り下げる原点となっています。


チームラボの現在地:組織とコンセプト

巨大な組織と若い才能たち

チームラボは、2025年時点で公式ウェブサイトによると社員数1000人以上1という、驚くべき規模に成長しています。私が在籍していた約10年前は400人ほどだったと記憶しており、この短期間で倍以上に増加したことになります。採用サイトの情報によれば、平均年齢は28.8歳と非常に若く2、そのダイナミズムを象徴しています。しかし、この若さは同時に、社員の入れ替わりの激しさも意味していると筆者は感じています。当時一緒に働いていた人で、現在もチームラボに在籍しているのは両手で数えられるほどしかいないのが現実です3

アート分野の人々にはあまり知られていませんが、チームラボは創業当初からWebサイト構築やスマートフォンアプリ開発といったソリューション部門を保持しており、アート制作と並ぶ二枚看板として事業を展開してきました。かつては社員構成比率が半々程度だったと記憶していますが、現在はアートプロジェクトの規模が飛躍的に拡大しており、その構成比率は変化しているかもしれません。このソリューションビジネスとアートプロジェクトの並行は、ライゾマティクス、WOW、インビジ、NAKED、1-10 Design、Whatever(旧ココノエ、PARTY NY、dot by dot)など、2000年代に創業した他の日本のWeb・インタラクティブデザインベンチャーと共通する特徴でした。しかし、その中でチームラボは、人数規模、そしてアートプロジェクトの特異な成長という点で、群を抜いた存在となっています。

「超主観空間」という哲学

チームラボのアート制作には、個々の作品コンセプトを超えた、深く通底する哲学が存在します。その代表が「超主観空間」です4。初期のチームラボは、明らかに日本美術とデジタル技術の融合というモチベーションのもと作品制作を行っていました。例えば、「花と屍 十二幅対」に代表されるように、3D空間を日本画のように見せる専用のレンダリングエンジンで描かれたデジタル映像作品は、その典型です。平面的に見える日本画のような絵は、実は単一の視点から描かれたものではなく、複数の視点が同時に折りたたまれているという特徴を持っています。これは、我々の生きる世界と作品世界を隔てる「カメラ」という境界をなくす、という彼らの試みを象徴しています。

この「単一の視点に固定されない絵を見る」というコンセプトは、現在のチームラボの代名詞ともいえるイマーシブなインスタレーションへと連なります。観客が作品の中に入り込み、それぞれが異なる絵を見て、作品と鑑賞者の境界が溶け合う――この連続性こそが、チームラボの作品体験の核をなしています。世間一般のイマーシブ展示、例えばゴッホやモネのようなパブリックドメイン化された芸術作品をインタラクティブな空間で楽しむタイプのものとは、コンセプトレベルで大きく異なっている点は強調すべきでしょう。もちろん、最終的な鑑賞体験において、観客がその違いを区別できているか、という批判はあり得ますが、その思想的背景は明確です。

チームラボがPACEギャラリーのようなメガギャラリーと提携していることを不思議に思う人もいるかもしれませんが、筆者は上記の美術史的文脈を初期から提示してきたことが大きいと考えています。この美術史的文脈をアート業界に押し広げた立役者としては、ギャラリストの眞田一貫氏の功績が非常に大きいと言えるでしょう。日本語であれば『Forbes JAPAN』2022年10月別冊「チームラボボーダレス特集」号に、眞田氏とPACEギャラリーのマーク・グリムシャー氏のインタビューが掲載されています5。英語では、チームラボの工藤氏、眞田氏、そして

コラム:会議室で見た「未来」の片鱗

私が在籍していた頃、会社の会議室の一角には、常にいくつかのプロジェクターとセンサーが設置され、新しい表現の実験が行われていました。猪子代表がホワイトボードに描き出す概念的な図を、エンジニアたちが「なるほど、じゃあこれはこういうアルゴリズムで…」と具体化していく光景は、まさに創造の現場でした。特に「超主観空間」の概念は、初期の映像作品だけでなく、後の「チームラボボーダレス」のような大規模イマーシブ展示の根幹をなすものでした。

ある日、私は「なぜこんなに複雑な仕組みで、一見シンプルな絵を作るんですか?」と問いかけたことがあります。すると、先輩エンジニアは「普通の絵はカメラで切り取られた世界だけど、チームラボの絵は、見る人それぞれの視点で、無限に変化する世界なんだよ。だから、裏側は複雑で当たり前なんだ」と教えてくれました。この言葉が、後の「質」の議論や、ゲームアートとの比較へと繋がる、私にとっての原体験となりました。


プロジェクションからの脱却と類似性の問題

Borderlessがもたらした転換

現在のチームラボ作品と有名なニューメディアアート作品との類似性の問題に踏み込むためには、少し時間を進める必要があります。筆者はこの議論の大きな転換点として、お台場で開催された大規模常設展「teamLab Borderless」(2018年、2022年末閉館し、2024年に麻布台ヒルズでリニューアルオープン)での映像ベース作品群の「完成」があったと考えています。

Borderless以前にも、チームラボはPACEギャラリーのParo AltoギャラリーやオーストラリアのMartin Browneギャラリー、イギリスのSaatchiギャラリーといったファインアートのギャラリーに加え、お台場の科学未来館やシンガポールのナショナルギャラリー、アートサイエンスミュージアムなどの大規模な美術館での展示を成功させていました。しかし、Borderlessはそれまでの展示とは会場規模だけでなく、展示全体の構造が大きく異なりました。各作品エリアは緩やかに分離されているものの、そこに現れる鳥や花といったデジタルオブジェクトが、他の作品エリアまで飛び出していくのです。これは、「境界のない群蝶」のような、作品空間内に置かれたディスプレイとプロジェクション映像の間を蝶が行き来する映像作品のコンセプトを、展示全体へと発展させたものでした。

この全体規模への拡張は、少なくとも制作側の視点からはまるでレベルが異なるものでした。筆者はこの展示に関わる前にチームラボを離れていたため、詳しいシステムは知りませんが、それまでの作品で容易に想像できたであろう「1作品1コンピューター」という形式は崩壊し、「1美術館多コンピューター」という全く別のシステムでの作品作りをすることになったのです。この展示で使われたコンピューターの数は520台に上ったとされています6

このBorderlessの展示が多くの人にとってどの程度「これまでの展示と異なって見えたのか」は定かではありません。しかし、私自身の感想は、その作り込みへの驚嘆と同時に、「これ、もうやること無くなったんじゃないか…?」というある種の閉塞感でした。

非ピクセル的作品への傾倒と先行事例

そして、作品世界が接続されまくったBorderlessの中で、数少ない独立した空間となっていたのが、ムービングライトによる「光の彫刻作品」でした。チームラボにおけるムービングライトの利用の試み自体は、2015年に徳島で行われた「ケーブルテレビ徳島開局25周年 teamLab Music Festival」や、その後大阪堂島リバーフォーラムや渋谷で実施された「ミュージックフェスティバル チームラボジャングル」あたりから実験的に導入されており、それが展示フォーマットで結実したのがBorderlessにおける光の彫刻系の作品群です

チームラボは元々、映像フォーマットでない作品――本稿では「非ピクセル的作品」と呼びます――としても、チームラボボールのようなLEDライトを用いたオブジェクト作品や、Crystal Universeに代表される3D上に敷き詰められたLEDをボクセルとして利用する作品などを制作してきました。特に2018年以降は、プロジェクションやディスプレイを使わない傾向が加速するようになります。チームラボは近年、この方向性の作品群に「環境現象」や「認識上の彫刻」といった名称を与えています。わかりやすい例を挙げれば、泡を使った質量のない雲、彫刻と生命の間のような作品が挙げられます。

規模がもたらす「オリジネーター」の錯覚

しかし、こうした非ディスプレイ・プロジェクション的アウトプットは、欧米のニューメディアアートの文脈では、すでに様々な取り組みがなされてきました。例えば、先ほどの質量のない雲に関しては、筆者は三原聡一郎氏の「the blanks to overcome」を思い浮かべましたし、最初の光の彫刻と同じくアブダビの新作として発表された「Levitation Void」に関しては、アニッシュ・カプーア氏の作品7を想起せずにはいられません。

Kimchi and ChipsのElliot Woods氏も、彼らの光で空中に像を作る作品(Light Barrier, HALO, Another Moonなど)が2008年頃のクラブパーティでの実験的な演出に端を発していると語っていました。興味深いことに、チームラボのムービングライト作品も、元々は音楽フェスティバルでの演出から発展しています。どちらのアーティストも、最初から大規模な展示フォーマットの道具としてムービングライトを使っていたわけではないのです。


もちろん、コンセプトや技術的な挑戦において細かな違いがあるようにも見えますし、意図的に先行作品を「パクった」とは筆者も考えていません8。しかしながら、歴史的な文脈を意図的にスキップした結果、より大規模な作品がオリジネーターに見えてしまう現象は確かに存在します。アブダビの展示を実際に見ていないため断言はできませんが、個人が助成金を得る程度では到底実現不可能な規模の作品を見た後で、Kimchi and Chipsの作品を見た人が「チームラボのパクリじゃないか/劣化版じゃないか」と思う可能性は、現実的にあり得るでしょう9。Elliot氏も、チームラボを訴えたいとか、自分たちがオリジネーターであることを強く主張したいわけではないが、自分たちの存在が無かったことにされることへの危機感を口にしていました。

チームラボ側からすれば、こうした作品との類似性や文脈を明示することには何のメリットもありません。彼らはそのようなことをせずとも、多くの観客を集めることができます。様々な批評の仕方が考えられますが、本稿では個別の作品の類似性の是非についてはこれ以上触れず、「訴訟の件から考えるチームラボを批評する別の方法」と、「コレクティブ/企業/法人としてのチームラボが理念に沿った行動をできているのか」という2つの点に絞って筆者の意見を展開します。

コラム:展示室の「見えない空気」

学生時代に訪れたある現代アート展で、照明とプロジェクションを駆使した空間体験作品に出会いました。それはとても静かで、光が織りなす「空気」のようなものが、鑑賞者の心にゆっくりと染み入るような作品でした。後に、その作品の作者が、膨大な試行錯誤の末に、空気中の微粒子(ヘイズ)の濃度や、光の角度、強度、色味をミリ単位で調整して、あの「空気」を創り出していたことを知りました。その時、「目に見えない部分にこそ、本質的なクリエイティビティが宿るのだ」と強く感じたものです。

この経験は、チームラボの作品が大規模化し、非ピクセル的作品へと傾倒していく中で、ますます重要になってくると感じています。表面的な「似ている・似ていない」の議論を超えて、その「空気」や「体験」を支える、見えない職人技や、技術的基盤にこそ、真の価値があるのではないでしょうか。


チームラボと著作権訴訟:コンセプトと現実の乖離

模倣作品への積極的な提訴

これもよく知られた話ですが、チームラボは近年、彼らの後追いとなるイマーシブ展示に対して複数件の訴訟を行っています。2021年には中国の会社に起こした訴訟で勝訴しています10。ニュースとしても大きく取り上げられたアメリカのMuseum of Dream Space(MODS)に対する訴訟では部分的に勝訴し、今後陪審員による裁判に移るとのことです11。韓国の会社でラスベガスで展開しているArte Museumとの訴訟は棄却されたようですが、詳細については筆者も把握しきれていません12

この著作権訴訟については、元1-10デザイン、現BASSDRUMの森岡大介氏がすでに意見を述べており、筆者もその概ねに同意できます13。私としては、これらの訴訟が過度に業界を萎縮させるレベルで行われているとは考えていません。例えば、私が知り得る限りでは、ゴッホやモネといったパブリックドメインの作品をイマーシブ展示として魅せるようなものにまで訴訟を広げてはいません。MODSの件は、広報写真でチームラボのものをそのまま無断使用した疑惑もあるため、さらに問題が根深いですが、それを抜きにしても、作品自体が「似せすぎている」と感じる部分も確かにあります。

訴訟戦略と哲学のパラドックス

しかし、私が特に注目したいのは、チームラボがMODSに対する主張の中で「全体的なコンセプトや印象が実質的に類似している」と述べている点です。この訴訟の話を聞いた時、筆者はチームラボが、MODSのような見た目だけを模倣したデジタルアート展示を放置することによって、彼らが長年培ってきた「超主観空間」のような哲学やコンセプトが形骸化し、チームラボ自身もそういった表面的な見方をされることを危惧しているのではないかと捉えました。(それはつまり、現在Kimchi and Chipsが抱いている危惧に近いとも言えるでしょう。)

しかし、ここで皮肉なパラドックスが生じます。後続する作品との違いを明確に提示してしまうと、著作権侵害を証明する上で不利になる可能性があります。だからこそチームラボは「コンセプトや印象が実質的に類似している」と言わざるを得ません。しかし、この主張は、MODSの薄っぺらい「インスタ映え」するデジタルアートと、彼らの哲学的な作品が「似ている」ことを自ら認めることにもなってしまっているのです。半分冗談ではありますが、MODS側が訴訟で「我々の展示はチームラボとは表面上似ているが、コンセプト的には全く違っていて、超主観空間などどうでもよく、とにかくインスタ映えして楽しければそれでいいだけのものとして作っているから問題ない」と主張していれば、どうなっただろうと考えてしまいます。

ちなみにMODSは自分たちの展示を次のように説明しています。
“The design concept of MODS is inspired by art design from Yayoi Kusama (famous of infinite rooms) and the development of digital art. The aim of MODS is to provide an immersive, magical and unique art appreciative experiences to the visitors.”
(MODSのデザインコンセプトは、草間彌生(無限の部屋で有名)のアートデザインとデジタルアートの発展からインスピレーションを得ています。MODSの目的は、来場者に没入的で魔法のようなユニークな芸術鑑賞体験を提供することです。)
14。「the development of digital art.」とは一体何でしょう。自動的にデジタルアートが発展するとでも思っているのでしょうか。この表現には、デジタルアートの本質的な理解が欠如しているように感じられます。

いずれにせよ、訴訟がやり過ぎだとは言わないまでも、「その程度の有象無象、捨ておけばよかろう」とも思うわけです。非常に嫌な言い方にはなりますが、筆者はこれ以前のチームラボの態度は(森岡氏の記事で触れられている、ココノエの「らくがき水族館」とチームラボの「お絵描き水族館」の件も含め)、「たまに既存のものと似たものを作るかもしれないが、俺たちはそれにちゃんとした哲学やコンセプトを与えているし、逆に誰がどんなにチームラボの作品をパクろうが気にしない」というものだと捉えていました。だから、この訴訟問題には正直がっかりしたのが本音です。

もちろん、この態度だったとしても、弱肉強食すぎて問題だらけだとは思います。しかし、まだこちらの方がアート制作集団としては一貫性を保てたように思えるのです。この理由を説明することは、結果的に現在のチームラボ批評に不足しているものを説明することにも繋がります。宇野常寛氏の批評を含め、既存のチームラボ批評は概ねチームラボおよび猪子代表の主張するコンセプトを受け入れ、補強するものとなっていますが、この訴訟問題と引きつけて考えた時、仮にシステム的にチームラボと類似した展示を作れば、「超主観空間」などの彼らのコンセプトも同時に実現されたことになるのだろうか?という問題が立ち上がります。もっと単純化して言えば、インタラクティブであれば何でも良いのか?

私の答えは当然「NO」です。そんなわけがあるはずがありません。これは特に同業のクリエイターと話す際によく話題になりますが、他のエンターテイメント的な展示も含めて比較した時、チームラボの展示は3DCGの作り込みやインタラクションデザインの質が非常に高いのです。これは現在の状況を考えると、利用できるマシンスペックやプロジェクターの性能といった予算規模の問題もありますが、私が働いていた当時の状況や予算感だったとしても、チームラボは同業他社と比べると、現地調整に異常に時間を掛けていたと思います。同じ作品であっても、部屋の明るさ、他の作品との位置関係、使用するプロジェクターの機種、施工された壁の色の微妙な違いによって、絵の写り方は毎回異なります。だから、プロジェクションの作品は色味やシェーダーの微妙なパラメーターなどを毎回調整しています。センシングの反応速度なども、毎回最終的に細かい追い込みを掛けています(そして、私の知る限りでは、その微調整のかなり細かい部分まで猪子代表は判断に関わっていました)。

コラム:職人のこだわりと哲学の狭間で

チームラボで働いていた時、ある大型展示の最終調整で、プロジェクターの微妙な色ずれを修正するために、何人ものエンジニアが何日も徹夜している光景を目にしました。肉眼ではほとんど判別できないような違いにもかかわらず、彼らは「この一コマの、この部分の、この色が、コンセプト通りの光沢を放っていない」と、執拗に調整を繰り返していました。

当時、私はサウンド担当だったので、「そこまでやる必要ある?」と内心思っていたことも正直あります。しかし、完成した作品を前にした観客の、言葉にならない感動や驚きを見たとき、その「見えないこだわり」こそが、チームラボ作品の「質」を決定づけているのだと肌で感じました。それは、まさに職人のこだわりであり、同時に「超主観空間」という哲学を、肉体労働によって現実のものとする行為でした。この矛盾にも似た両面性が、チームラボの作品を唯一無二のものにしているのかもしれません。


「質」の秘密:見過ごされてきたエンジニアリングの価値

膨大な「微調整」が支える体験

このような話は、施工現場を見たことがある人でなければ知り得ない情報であり、美術批評から抜け落ちてしまうのも仕方のない部分ではあります。この「質」が何であるかを言葉で説明するのは難しいですが、確かなのは、既存の美術批評の語彙で説明されるものよりも、ゲームやWebデザインにおけるインタラクションデザイン、モーショングラフィックスの分野における微調整に見られる美的判断に近いものであることです。

つまり、チームラボは単にデジタルアートの制作に日本美術や現代アートのコンテキストを持ち込んだことそれだけで価値が保証されるのではなく、大勢のエンジニアの数多な微調整という、目に見えない職人的な仕事によってこそ、そのコンセプトの体現が下支えされているのです。既存のチームラボ評からは、この点が決定的に欠落していると筆者は考えます。

ゲームアート視点からの評価の必要性

これを別の言い方にすると、チームラボの仕事をゲームアートの視点から評価することが欠けているとも言えるでしょう。「ゲームアート」というと、インディーゲームのように小規模なチームが大資本に頼らず切れ味のあるコンセプトのゲームを発表する、あるいはゲームのフォーマットを現代美術の中に持ち込むといったイメージが強いかもしれません。しかし、チームラボの作品制作は、労働環境という面で考えると、いわゆるメガヒットタイトルを数千人規模で開発するゲーム制作とかなり近い性質を持っています。少なくとも、コレクティブ的にデジタルアートを作る他の会社(例えばライゾマティクス)と比べた場合には、その規模感は圧倒的です。

ただし、チームラボの作品は具体的な点数やストーリー、ゴールがあるわけではなく、既存のゲーム批評の語彙で作品のクオリティを図るのが難しいのもまた事実です。これを書きながら筆者が思い返したのは、日本の視覚表現を扱うメディアアーティストのパイオニア、岩井俊雄氏が2000年代にコンシューマーゲームのフォーマットで作品を発表したことです(Nintendo DSで発表された「エレクトロプランクトン」など)。この作品もやはり、具体的な点数や目標の存在しないものであり、ゲームとしての売れ行きも芳しくなく、ゲーム業界からはどう評価していいのか分からない作品だったと思います15。かといって、この作品の良さを語ることは、コンセプトや哲学といった美術批評の言葉だけではできなかったでしょう。今のチームラボの批評で足りていない要素とは、岩井氏の当時の作品が出た時に美術批評やゲーム批評がやり損ねた課題が、今再び目の前に現れているだけのことにも思えるのです。

いずれにせよ、チームラボが後続のイマーシブ展示を「似ているから」という理由で訴えることは、結果的にチームラボ自身の作品の良さを自壊させる方向に導くのではないでしょうか。それよりも、チームラボのコンセプトを成立させている技術やエンジニアリングが何かを積極的に開示していくことは、チームラボにとっても日本美術やニューメディアアート、ゲームなど他の文化との接点を増やし、彼らの評価をより安定化させることに繋がるはずです。そしてそれは、その繋がった先の――Kimchi and Chipsを含むニューメディアアートの作家たちにとっても、良い結果をもたらすのではないでしょうか。

コラム:ゲームとアート、未だ見ぬ交差点

大学時代、友人と熱く語り合ったことがあります。「ゲームってアートだよね?」「でも美術展でゲームを展示するってなると、途端に『ゲームじゃない』って言われるよね」。この問いは、今も私の中にあります。チームラボの作品は、まさにこの境界線を曖昧にする存在です。膨大な計算と緻密なプログラミングによって生み出される「体験」は、まるでゲームのようです。しかし、そこにストーリーや明確なゴールはなく、ひたすら「美しさ」や「感動」を追求する姿は、アートそのものです。

個人的には、彼らの作品を「巨大なインタラクティブ・シミュレーション」と捉えることができます。まるで、究極の「美しい箱庭シミュレーター」を、全身で体験しているかのようです。もし、今後、ゲーム業界とアート業界がもっと深く手を組み、互いの批評言語を共有できるようになったら、どんなに面白い化学反応が生まれるだろうと、夢想する日々です。


法人としての芸術家:オーサーシップの行方

集合的クリエイティビティの帰結

ここからは半ば余談ですが、私がチームラボとその評価に対して考えているもう一つのことです。そもそも私がチームラボで働いていた理由の一つに、集合的なクリエイティビティについて現場に身を置いて考えることで、逆に一人でなければ作れない作品について考えたいというものがありました。(だから、同時期に山口情報芸術センターのInterlabという、ある意味で対照的な「ラボ」にもインターンに行ったりしました。)

それから10年近く、このテーマは私の中で常に傍に置いて考えてきましたが、結果としては、チームラボという「ウルトラテクノロジスト集団」の作家としての特異性は、大量のエキスパートが集まることによる集合的なクリエイティビティの発揮というよりも、作り上げた作品が「チームラボ」という一つの法人、すなわち仮想的な人格にラベリングされることに集約されるのではないか、という結論に至りました。

「誰が作ったか」という問いの難しさ

先ほどゲーム制作の労働環境との類似性の話をしましたが、ゲームの場合は作品に関わった末端の一人一人までクレジットがなされるのが普通です(これは映画に由来するものだと思われます)。大規模なアートスタジオである村上隆氏の展示で、アルバイトの一人一人までクレジットされるのとも似ています。オラファー・エリアソン氏などの作品も同様だったはずです。

しかし、チームラボの作品では、誰がこの部分を担当した、といった個別のクレジットがされることは基本的にありません。この点は、今どういう風に伝えられているかは知りませんが、私が働いていた当時は、「個別の作品に誰がどう関わったかに関わらず、Web(ソリューション)の人も含め、全員のコントリビューションがあって作品が成立している」から、どの展示であっても個別のクレジットはされない、という説明を受けたと記憶しています。なので、逆に猪子代表の名前が特別クレジットされることもありませんし、個人のポートフォリオの中でどの作品に関わったかを書くことまでは止められませんでした(ただし技術的な詳細を公開することは原則NG)16。この理由付けは、特に当時のチームラボが「ソリューションで稼ぎ、アートで名を売る」という体制だったことにも起因しているでしょう。

会社という法人(juridical person)の中で作ったものは、個人ではなく職務著作としてその法人に著作権が帰属します。考えてみると、現代美術の中でそのレベルで個人のコントリビューションがほとんど見えない形で、「アーティストとして法人である」ことを徹底しているコレクティブは、チームラボくらいかもしれません。

ゲームであっても、結局その評価をする際には、そのプロデューサーやディレクター、またはリードエンジニアのような代表的個人の抜粋による批評に頼りがちです。テクノロジーアートであっても、E.A.Tや、日本のCTG、ビデオひろばなど、結局は有名な個人の集まりという形での認識をせざるを得ません。これはどちらかというと筆者の研究上の興味ではありますが、メディア史や科学史、芸術史などの歴史学の中では、スタープレイヤーだけでなく無名の大勢の歴史的貢献をどのように描けばよいのか、という論点があります17

特にチームラボのような人員の入れ替わりの激しいコレクティブにおいて、前のエンジニアから継続して引き継がれたノウハウやテクニックも多数存在するでしょう。そうした蓄積の評価をどうしたらできるのか、筆者にもまだ分かりません。ただ、いまチームラボという法の下にいる人々は、その人気と評価に反して、結局美術史ともテクノロジー産業とも繋がりを持たず、非常に孤独に思えます。

オープンソース文化との微妙な関係

デジタルアートのオーサーシップについて、もう少しだけ書いてみたいと思います。それは、自由ソフトウェア運動オープンソースカルチャーが、デジタルアート・ニューメディアアートにどのように影響を及ぼしてきたのか、という点です。

チームラボを含め、2000年代のITベンチャー企業は、情報技術という実体のない(と、少なくとも当時はそう思われていた)ものを商売として新規開拓してきました。その中でも、特にWeb技術をベースにした企業は、データやソフトウェアそのものを売り買いするのではなく、それを作る労働を売り買いすることで、ソフトウェアは誰もが自由に実行でき、データはなるべく誰もが使える形で共有されるべきだというオープンソースカルチャー(ただし、プロプライエタリなソフトウェアビジネスを否定するわけではない、マイルドなもの)と結びついて成長してきました。

ニューメディアアートの分野において、オープンソースカルチャーとの付き合い方は、この10年でかなり大きな変化があったと筆者は感じています。代表的なものとしては、openFrameworksのようなオープンソースのクリエイティブコーディング環境が徐々に使われなくなり、TouchDesignerのようなプロプライエタリなツールや、UnityUnreal Engineといったゲームエンジンが業界を席巻したことが挙げられます。2010年代当時からUnityはoFと同じように使われてはいましたが、広告代理店やそこから仕事をもらうデジタルクリエイティブ産業全般の労働形態が、ある会社はゲーム産業に近づき(当然、チームラボはこちら側)、ある会社はデザインスタジオやコンサルタントに近い小規模な体制をキープし、前者に近いほどUnityなどのゲームエンジンが労働形態としてもフィットし、後者はTouchDesignerや、細々とoFなども使い続けるという変化だったのではないか、と筆者は考えています。

これはオフレコな話なので、この記事を書いたことで怒られるとすればこの部分ですが、当時チームラボのメンバーで個人でVJなどでも活躍していた数人がCG技術の同人誌を書いて販売したことがありました。内容は直接チームラボの作品を解説したものではなく、ある表現のための技術的なチュートリアルがメインの内容ではありましたが、当時社内でそれなりの問題が発生し、販売活動を停止したと聞いていました。(後日、当事者から指摘があり訂正されました。実際は、チームラボの名前を表に出して広報活動的に行うことを却下されたため、同人活動にしたという経緯が捻じ曲がって伝わっていたようです18。正確な情報提供に感謝いたします。)

ゲーム産業であれば、場合によってはゲームエンジン自体から内製で、会社の重要な資産であり中身のシェアなんてもっての外、という文化が当然だったりします(それも、ここ数年で多少なりとも変わってきてはいると思いますが)。FlashやWebデザインを出自とするデジタルクリエイティブ産業は、何をシェアし、何を売り物とするかを人数規模に応じて微妙に変化させながら今日まで続いてきています。チームラボと対照的な態度としては、ライゾマティクスの真鍋大渡氏がソフトウェアのみならず、作品制作のためのサーベイを公開していることがあります。(自作のどの作品がどれを参照している、というところまで明示しているわけではないですが。)

ただ、ゲームとの違いで言うと、仮にゲームで商用利用可能なライセンス(MITやApache、LGPLなど)のオープンソースソフトウェアを利用している場合でソースが公開されていなくとも、クレジット表記が入ります(ほとんどの人は気に留めたことがないとは思いますが)。しかし、そうしたライセンスのOSSを使って作られた展示作品を鑑賞する際には、OSSのクレジットは表示されません。鑑賞者はそのアプリケーションを使って作られた体験を買っていて、アプリケーションそのものが再配布されているわけではないからです。これは先述したチームラボ作品のクレジットに個人の名前が載らない話と根っこは同じだと筆者は思います。突き詰めると、コンピューターを用いた作品制作は、それ以外の制作と比べて明らかに集合的な知識と労働に乗っかることで成り立っており、そうした作品のオーサーシップコントリビューションの可視化は、チームラボ以外の小規模なメディアアート作品においてさえ、明らかに議論と実践が不足していると感じています(自戒も込めてですが)19

そしてチームラボに話を戻せば、彼らがオープンソースの文化や、既存の産業にフリーライドしているとまでは思いません。しかし、チームラボの製作は、顔の見えない誰か達(と、そこで使われているソフトウェア公共財を築いてきた者たち)が構成する株式会社チームラボという法の下の巨大な顔無し巨人が作り上げたものであり、そのギミックと中身は隠されていなければ成立していない(そうでなければ訴訟を起こすわけがない)と筆者は考えています。マジックの中身は暴かれてはいけない、というわけです。

チームラボが目指す「境界のない世界」は、チームラボ以外の主体であってはならない、という意識が強く感じられます。チームラボの目指す世界と、実際の企業としての態度との間には、どうしてもこの点が矛盾を抱えているように思えてなりません。

コラム:名前のない仕事、その価値は?

私の担当していたサウンドチームでは、展示の性質上、個別の音源が作品ごとに独立していることがほとんどでした。それでも、最終的なサウンドミックスや調整は、複数のメンバーで協力して行い、時には他のチームのエンジニアと連携しながら、光や映像との完璧な同期を目指しました。

しかし、どの音がどの作品で使われ、誰がどの部分の音響設計を担当したのか、一般の観客には知る由もありません。私たちチームのメンバーも、個人のポートフォリオに記載する際以外は、それを強く主張することはありませんでした。まるで、巨大なオーケストラの中で、個々の楽器奏者の名前が演奏中に叫ばれることがないように。チームラボという「指揮者」の下で、私たちは「名前のない最高の演奏」を目指していたのかもしれません。この「名前のない仕事」が、現代社会においてどのように評価されるべきか、いまだに答えは見つかっていません。


都市開発の部品としてのテクノロジーアート

地方から世界の大都市へ

筆者はそこまで小難しいことを言わずとも、チームラボが目指す理想は立派なものだが、別にそれを営利企業のフォーマットでやる必要はないのではないか、と考えています。

Forbes JAPANの眞田一貫氏のインタビューの中に、こんな一節がありました。

眞田はチームラボ・猪子に、「何を目指しているのか?」と聞いたことがあるという。その時猪子から返ってきた答えは「どんな分野なのかわからないけど、とにかく世界のトップに行きたい」というものだった。(p24)

私がこの論考を書きながらチームラボに関する書籍を読み漁って、最も実感と一致したのは結局この一節でした(実際このエピソードは私の在籍時にもどこかで聞いた記憶があります)。いろいろと哲学的なことを語ってはいるけれども、結局は少年ジャンプの成り上がりストーリーだったのではないか、と。これくらいのことは、10年前からチームラボに批判的だった人たちは大体うっすら感じていたのではないでしょうか。そのうち誰か批評家が正面切って徹底的に批判するものだと思っていたら、せいぜいTwitterやFacebookでお気持ち表明をするのが関の山で、気がついたら10年経っていた、というのが実情かもしれません。気づいたら文量がおかしなことになっていますが、原動力の半分はそういうイラつきの蓄積かもしれません。それとも、思ったよりみんな心の底からチームラボのことが好きだったのでしょうか。

この話は一旦脇に置きましょう(これを言い始めるとチームラボ以外にも全方向に刃を投げ散らかすことになってしまう)。アブダビのとんでもない規模の展示をオープンさせ、チームラボは何のトップかは分かりませんが、何かしらのトップになったでしょう。少なくとも、2018年に私が思っていた時よりも、多くの人が「何か」の頂点に辿り着いてしまったように思っているのではないでしょうか。では、猪子代表は、トップになったら次に何をしたいと思っているのでしょうか。

テクノロジーアートの分野を含め、多くの小規模なアーティストとは異なる生き方・稼ぎ方を開拓してきたチームラボではありますが、筆者はアブダビやサウジアラビアのジッダへの進出を経て、むしろ他のアーティストと同列の生き方を選択することになっているのではないかと考えています。

アートが都市計画に組み込まれる時

日本では今、2000年代から一時活発になった地方芸術祭における「街おこし」や「地方創生」に組み込まれる芸術の場が、コロナ禍と東京オリンピックを経て、都心の不動産デベロッパー(渋谷を開発する東急、新宿の小田急、高輪ゲートウェイのJR、天王洲の寺田倉庫、有楽町の三菱地所など)による都市開発のノウハウに組み込まれ始めています。そこには、地方芸術祭で培われたコミュニティ形成や地域の問題発見、新たな街の価値創出といった文脈ももちろん引き継がれていますが、大局的には、これから人口減少の一途を辿る日本が無理なく可能である稼ぎ口としての、観光立国的な経済振興の動きとも呼応しています。

そして、この動きは、チームラボが2010年代に日本中のありとあらゆる地方美術館とショッピングモールで「未来の遊園地(Future Park)」を開催してきたのが、コロナ禍あたりを境に中国や中東といった国外の大規模都市に活動の軸足を移してきた動きに対応しています。

特にジッダはサウジアラビア政府からの依頼で作られており20、アブダビに関しては、ほぼチームラボのために街一帯を開発するプロジェクトという様相を呈しています。結局これらも、中東諸国が石油資源を切り売りするだけの国から観光立国へとシフトしようとしているのにフィットするパーツとして、うまく取り立てられたようにも見えます。(予算の規模を比較すると、他のアーティストの作品と比べて泣けてくるほどの差がありますが。)

少なくとも2019年の宇野常寛氏との対談まとめ本では、地方にチームラボの未来の遊園地がたくさんできることに対して、猪子代表は意識的でした21。賛否はあるでしょうが、筆者は地方ショッピングモールのチームラボで子供が遊ぶという図式には比較的肯定的でしたし、少なくとも筋が通った活動のように思えました。

それ以外にも、チームラボはあまり知られていませんが、建築のプロジェクトでは街づくりのレイヤーに、観光資源とは異なる形の関わり方を見せています。例えば、鎌倉市の新庁舎等のプロポーザルでは最優秀提案者となっていますし22、キッズラボ南流山園という保育園の設計も手がけています23。筆者はこれらの取り組みこそ、もっと評価されてもいいと思っています。

そして、ちょうどこの記事を書いている時に、京都駅前のチームラボの展示のニュースが流れてきました。

チームラボの常設ミュージアム「チームラボ バイオヴォルテックス 京都」。京都駅東南部エリアに今年秋オープン - 美術手帖

美術手帖の記事
運営会社の3年前の計画には、こんなプランが書かれています。

■アートミュージアム 新作をはじめとした、チームラボのアート作品を複数展示予定です。世界中のクリエイティブクラスをはじめとした多くの人々のデスティネーションとなることを目指します。そして、エリアへの回遊性をデザインし、エリア全体の活性化を目指しています。さらに、アートミュージアムは、来館者に観賞していただくだけではなく、京都市立芸術大学をはじめとした京都の学生が、作品創造の実験の場として使用できるプラットフォームになることを検討しています。チームラボのミュージアムには、数百台のプロジェクターやセンサー、ムービングライト、基盤になるコンピューターなど、さまざまなデジタル機器が世界にも全く類を見ない規模で設置され、互いの機器がネットワーク化されています。そして、それらを連動させて動かすためのミドルウェアも独自に開発しています。デジタルテクノロジーなどを利用した新しいアートや創造的活動において、設備や機材がなければ、作品の実験もできない上に、想像もしにくいという現実的な問題があります。学生には、これらの設備や機材に触れる機会を創出し、デジタルテクノロジーなどを利用したアート、もしくは創造的活動における、設備のある、実践的な教育機会の場となることを目指しています。

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願わくばこの京都の展示が、チームラボを観光都市の客寄せパンダとして利用するだけでない、より深い意味を持つものであってほしいと願っています。

コラム:変わりゆく「アートの場所」

私が子供の頃、美術館はどこか敷居の高い、静かで厳かな場所でした。特別な日に、背筋を伸ばして行くような場所。しかし、チームラボの「未来の遊園地」がショッピングモールにやってきたとき、その認識は大きく変わりました。子供たちが歓声を上げながら作品の中を走り回り、絵を描き、それがデジタル空間で生き生きと動き出す。それは、まさに「遊園地」であり「アート」であり、同時に「学びの場」でもありました。

地方のショッピングモールで、子供たちが目を輝かせながらアートに触れる。この光景は、アートを一部の愛好家だけでなく、もっと多くの人々に開かれたものにする、という点で非常に意義深いと感じていました。しかし、その活動の軸足が中東の巨大プロジェクトへと移っていくのを見て、正直なところ寂しさを感じました。それでも、京都での新たな試みのように、商業的な側面だけでなく、教育や実験の場としての役割も果たそうとしているならば、未来はまだ明るいのかもしれません。アートは、これからも様々な場所で、様々な形で私たちに語りかけてくれるでしょう。


おわりに:祝祭の先にある日常への問い

遊園地を現代のメディア環境に合わせてアップデートすることは、非常に価値のあることだと思います。しかし、遊園地の規模をどれだけ大きくしても、結局は大きな遊園地にしかなりません。それは、チームラボのどれだけシリアスなアート展示においても変わらないと筆者は思います。

チームラボが祝祭と非日常から抜け出して、我々の生きる日常に進出してくること。その時は、また新たな賛否がいろいろと巻き起こるでしょうが、少なくとも筆者はそちらの未来の方を見てみたいと願っています。世界のトップを取って、次にやることがなくなってしまったのなら、そうした方向性はいかがでしょうか。

あとがきとして、これだけ偉そうなことを述べてきましたが、筆者自身がチームラボを辞めてしばらく、そこでできなかった何かを成し遂げられているかと言えば、自信はありません。大学でペーパーワークをしていると、10年前の仕事の動きの速さを思い出して、その温度差で風邪をひきそうになることもあります。しかし、私が今研究で考えていることの根底には、チームラボでの経験が良くも悪くも、かなりの影響を及ぼしたのも事実です。その成果は、私が死ぬまでには何らかの形で世界に還元できるように努めたいと思っています。

もし今(も)チームラボで働いている方や、この記事を読んだ方の中で、「ここ間違ってるよ」「ここはおかしいと思う」といったご意見があれば、ぜひお話ししましょう。皆様からの建設的なご意見をお待ちしております。
メールアドレス:me[at]matsuuratomoya.com
筆者のSNS:social.matsuuratomoya.com


疑問点・多角的視点

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  • 作品の類似性に関する内部議論: チームラボ内部で、Kimchi and Chipsをはじめとする先行するメディアアート作品との類似性について、どのような認識や議論が行われていたのでしょうか? 特にムービングライト作品や非ピクセル的作品へのシフトにおいて、先行作品からの影響や差別化について、制作チーム内でどのような意識があったのかが気になります。
  • 「超主観空間」の哲学と訴訟戦略の整合性: 「超主観空間」という哲学は、個々人の視点や体験の多様性を重視するものです。しかし、著作権訴訟で「全体的なコンセプトや印象が実質的に類似している」と主張することは、その多様性を否定し、ある種の「固定されたイメージ」を保護しようとするように見えます。この哲学と訴訟戦略の間の潜在的な矛盾について、チームラボはどのように考えているのでしょうか?
  • 「質」を担保する「微調整」のプロセスと組織文化: 筆者が指摘する「微調整」がチームラボ作品の「質」を支えているという点は非常に興味深いです。この微調整を可能にする具体的な作業プロセス、それを支える組織文化(例えば、エンジニアのモチベーション維持、評価制度、猪子氏の関与の具体的な形など)について、さらに掘り下げた情報があると、チームラボの真の強みが見えてくるでしょう。
  • 個人の貢献の不可視化のメリット・デメリット: チームラボが個人の貢献を明示せず、「チームラボ」という法人全体にオーサーシップを帰属させる方針を貫くことには、どのようなメリットとデメリットがあるのでしょうか? 特に大規模化・グローバル化する中で、才能ある個人が流出するリスクや、外部からの評価に与える影響について、多角的な視点からの考察が望まれます。
  • 「世界のトップに行きたい」という目標達成後のビジョン: 猪子代表が語る「世界のトップに行きたい」という目標は、アブダビでの大規模常設展などで一定の達成を見ているかもしれません。しかし、その目標達成後、チームラボは次に何を目指すのでしょうか? 持続可能なクリエイティブ活動、社会貢献、あるいは全く新たな領域への挑戦など、今後の具体的なビジョンについて、さらに議論が深まることが期待されます。
  • 都市開発におけるテクノロジーアートの倫理と持続可能性: チームラボが都市開発や観光戦略の「部品」として組み込まれる傾向は、新たな市場を開拓する一方で、アートの商業化や本質的な価値の変質といった倫理的な問題を提起します。特に中東での大規模プロジェクトのように、政治的・経済的な意図が強く絡む場合、アートとしての独立性や批判的視点をどう保つのか、その持続可能性についてさらに深く問いかける必要があります。
  • デジタルアートにおけるオープンソース文化の影響: openFrameworksからUnity/Unreal Engine/TouchDesignerへのシフトは、デジタルアートの制作環境における大きな変化です。この変化が、作品の表現、制作プロセス、そしてオーサーシップの概念にどのような影響を与えているのか、より詳細な分析が求められます。特に、プロプライエタリなツールの普及が、オープンソース文化が育んできた共有や透明性の精神とどう対立・共存しているのかは、重要な論点です。

日本への影響

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チームラボの存在と活動は、日本のアートシーン、産業、そして社会に多大な影響を与えています。

  • メディアアート業界の活性化と競争激化:
    • チームラボの世界的成功は、日本のニューメディアアート分野に大きな注目を集め、若手クリエイターに刺激を与えました。彼らを追随する新たなクリエイティブ企業やアーティストの出現を促し、業界全体の活性化に寄与しています。
    • しかし、一方で、その巨大な規模と資金力は、中小のメディアアートスタジオや個人アーティストにとっては圧倒的な存在となり、競争が激化しています。特に著作権訴訟の事例は、模倣の閾値を上げ、クリエイティブ表現の自由度を巡る議論を深める可能性があります。
  • 観光戦略におけるデジタルアートの役割の確立:
    • チームラボは、日本国内の地方創生プロジェクトや都市開発において、デジタルアートを観光資源として活用するモデルを確立しました。「未来の遊園地」が全国の商業施設に展開されたことは、地方の誘客に貢献し、アートが地域経済に貢献する新たな道を切り開きました。
    • 近年の中東など海外大規模プロジェクトへのシフトは、日本のコンテンツ輸出の成功例となり、海外での日本のアート・テクノロジーの評価を高めています。同時に、アートが国際的な観光戦略の重要な部品となるという認識を、日本社会に浸透させています。
  • アートとビジネスの融合モデルの提示:
    • 創業当初からソリューションビジネスとアートを両立させてきたチームラボのビジネスモデルは、日本のクリエイティブ産業において、アートが単なる芸術活動に留まらず、ビジネスとして成立し、成長できる可能性を示しました。
    • これにより、美術大学の学生や若手クリエイターが、より現実的なキャリアパスとして、企業内でのアート制作を選択肢として捉えるきっかけにもなっています。
  • クリエイターの労働環境とオーサーシップへの示唆:
    • チームラボのような大規模なクリエイティブ企業での働き方は、個人作家や小規模スタジオとは異なる、集合的制作のあり方を提示しています。これは、クリエイターの労働環境、貢献の可視化、そしてオーサーシップの概念について、日本社会に新たな議論を提起しています。
    • 個人のクレジットがほとんどない中で、いかにクリエイターのモチベーションを維持し、キャリアを形成していくかという課題は、今後の日本のクリエイティブ産業全体で考えるべきテーマとなっています。

歴史的位置づけ

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チームラボの活動は、日本の現代美術史、メディアアート史、そしてデジタル産業史において、特異かつ重要な位置を占めています。

  • 日本のWeb・インタラクティブデザインベンチャーの系譜における特異点:
    • 2000年代初頭、インターネットの普及と共に、日本にはWeb制作やインタラクティブデザインを手がけるベンチャー企業が多数誕生しました。チームラボは、ライゾマティクス、WOW、NAKEDなどと同様にその一角を占めますが、アートプロジェクトへの傾倒と大規模化という点で、他の追随を許さない独自の成長を遂げました。これにより、単なる受託制作企業から、世界的なクリエイティブコンテンツプロバイダーへと変貌を遂げた点で、特筆すべき存在です。
  • イマーシブアートの世界的潮流における代表的プレイヤー:
    • 2010年代以降、世界的に没入型アートが注目を集める中で、チームラボは日本を代表する、あるいは世界を牽引する存在としてその名を轟かせました。特に「Borderless」のような「境界のない」体験を提示したことは、イマーシブアートの概念を拡張し、その可能性を広げた点で歴史的意義があります。彼らの成功は、後続の類似展示が多数出現するきっかけともなりました。
  • デジタルアートにおける「オーサーシップ」や「集合的制作」の議論の加速者:
    • チームラボは、従来の個人作家中心のアート制作とは一線を画し、数百人規模のエンジニアやアーティストが共同で作品を生み出す「法人としての芸術家」というモデルを提示しました。これにより、デジタルアートにおけるオーサーシップの帰属、個人の貢献の可視化、組織内での創造性発揮のあり方など、現代アートが直面する新たな問題群に、実践的な形で議論を促しました。
  • 美術史とゲーム・IT産業の境界を揺るがす存在:
    • 彼らの作品は、日本美術の文脈、現代アートの概念、そしてゲームやWebデザインのエンジニアリングインタラクションデザインの要素を複雑に絡み合わせています。この学際的なアプローチは、従来の美術批評の枠組みでは捉えきれない新たな批評軸の必要性を提起し、アート、テクノロジー、エンターテイメントの境界を曖昧にする存在として、文化史において重要な位置を占めるでしょう。
    • 特に岩井俊雄氏の「エレクトロプランクトン」以来、停滞していたゲームとアートの融合における大規模な商業的成功例を提示した点でも、その歴史的役割は大きいと言えます。

今後望まれる研究

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本稿で提起された論点から、今後、以下のような研究が望まれます。

  • チームラボ作品の「質」を測る新たな批評軸の研究:
    • 従来の美術批評では捉えきれない、チームラボ作品の「質」を分析するための新たな評価基準の確立が急務です。具体的には、ゲームデザイン、インタラクションデザイン、モーショングラフィックスソフトウェアエンジニアリングの視点を取り入れた、より技術的・体験的な批評方法論の開発が求められます。ユーザー体験(UX)やユーザビリティ(UI)といった視点も、アート批評に導入することで、より実践的な評価が可能になるでしょう。
  • デジタルアートにおける集合的オーサーシップと貢献度の可視化に関する研究:
    • チームラボの事例をケーススタディとし、大規模なデジタルアート制作における集合的オーサーシップの法的・倫理的課題、そして個々のクリエイターの貢献を適切に可視化し、評価するためのメカニズムに関する研究が必要です。ブロックチェーン技術を用いたNFT(非代替性トークン)のような技術が、この問題解決に寄与する可能性も探るべきでしょう。
  • メディアアートと都市開発・観光戦略の連動に関する社会学的・経済学的研究:
    • チームラボが中東や日本の都市開発・観光戦略に組み込まれる動きは、アートが地域経済や都市ブランド形成に果たす役割の変遷を示唆しています。これに対する経済効果、文化政策上の位置づけ、アートの商業化による影響、そして持続可能性に関する社会学的・経済学的分析が不可欠です。アートが「部品」となることの功罪を、学術的に評価する必要があります。
  • AIアート時代におけるデジタルアートの類似性・著作権問題の深化:
    • AIアートの発展により、既存作品との類似性や模倣の定義はさらに複雑化しています。チームラボの著作権訴訟の事例は、AIアートにおけるクリプトムネジアや、スタイル模倣の問題を考える上での重要な先行事例となるでしょう。生成AIが普及する中で、デジタルアートのオーサーシップ、独創性、著作権保護のあり方について、新たな法的・哲学的枠組みを構築するための研究が求められます。
  • デジタルアートのアーカイブと保存に関する研究:
    • チームラボの作品は、ソフトウェア、ハードウェア、インタラクションが複雑に絡み合っています。これらを適切にアーカイブし、未来の世代に作品体験を伝えていくための技術的・制度的課題に関する研究も重要です。特に、常設展の閉館と移転が繰り返される中で、作品の恒久的な保存とアクセス可能性をどう担保するかは、デジタルアート全体の大きな課題です。

補足2:チームラボとデジタルアートの歴史年表

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チームラボとデジタルアートの歴史年表

年代 出来事/主要作品/動向 関連するデジタルアート/歴史的背景
1960年代 E.A.T. (Experiments in Art and Technology) 結成 (1966)。ロバート・ラウシェンバーグらがアーティストとエンジニアの協働を模索。サイバネティクスアートの萌芽。
1980年代 ビデオアートの発展。パーソナルコンピュータの普及開始。
1990年代 インターネットの商用利用開始。マルチメディアアートの台頭。Webデザインの発展。
2000年 チームラボ設立(猪子寿之、吉村真之介ら)。Webサイト制作・システム開発を主軸としたソリューションビジネスを開始。 日本のWeb・インタラクティブデザインベンチャーの勃興期(ライゾマティクス、WOWなどもこの頃創業)。
2001年 芸術作品の制作を開始。
2007年 「花と屍 十二幅対」発表。日本画と3D空間表現の融合を試みる。 超主観空間」の概念の萌芽。
2008年頃 Kimchi and Chipsがクラブパーティでムービングライトを用いた光の演出を実験開始。
2011年 「チームラボ 浮遊する、呼応する生命」国立台湾美術館で大規模展示。 「チームラボ チームラボアイランド 踊る!アート展と、学ぶ!未来の遊園地」が日本科学未来館で初開催。「未来の遊園地」シリーズの始まり。 インタラクティブな子供向け展示の先駆け。
2013年 PACEギャラリーと契約。ファインアート市場への本格参入。 アートマーケットにおけるデジタルアートの評価が高まる。
2014年 Crystal Universe」発表。数万個のLEDを用いたボクセル表現。 Kimchi and Chips「Light Barrier」発表。光を空中に出力する試み。
2015年 ケーブルテレビ徳島開局25周年 teamLab Music Festivalでムービングライトを演出に採用。 筆者がチームラボにアルバイトとして入社(~2017年)。サウンドチーム立ち上げに関わる。
2016年 「ミュージックフェスティバル チームラボジャングル」大阪堂島リバーフォーラムで開催。ムービングライト作品が進化。
2017年 筆者が大学院進学のためチームラボを退社。
2018年 「teamLab Borderless」お台場にオープン。520台のPC、470台のプロジェクターを導入した大規模常設展。作品間の境界が融解するコンセプトを具現化。 Kimchi and Chips「HALO」発表(屋外での太陽光作品)。 チームラボがプロジェクション・ディスプレイ以外の非ピクセル的作品制作を加速。 イマーシブアートの世界的ブームが本格化。
2019年 猪子寿之と宇野常寛の対談書籍『人類を前に進めたい』刊行。 チームラボの哲学が広く一般に知られるようになる。
2021年 中国の模倣企業に対し著作権訴訟で勝訴。 デジタルアートの著作権問題が顕在化。Kimchi and Chips「Another Moon」発表(レーザー光による光の球)。
2022年 「teamLab Borderless」お台場閉館。 アメリカのMuseum of Dream Space(MODS)を著作権侵害で提訴、部分的に勝訴。 超主観空間」の哲学と著作権保護の主張の間の矛盾が浮上。
2023年 サウジアラビアのジッダに「チームラボボーダレス ジッダ」オープン。中東への本格進出。 アートが都市開発・観光戦略の部品として組み込まれる動きが加速。
2024年 「teamLab Borderless」麻布台ヒルズでリニューアルオープン予定。 「チームラボ バイオヴォルテックス 京都」京都駅東南部エリアに秋オープン予定。 「Levitation Void」などの非ピクセル的作品がアブダビで発表され、先行作品との類似性議論が再燃。
2025年 チームラボ社員数1000人以上。

参考リンク・推薦図書

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参考リンク

推薦図書・政府資料・報道記事・学術論文(日本語で読めるもの)

書籍

  • 猪子寿之、宇野常寛『人類を前に進めたい』(PLANETS、2019年)
    チームラボの思想的背景や猪子代表のビジョンについて、現代思想家の宇野常寛氏との対談形式で深く掘り下げられています。チームラボの根幹をなす「超主観空間」や、彼らの社会に対する考え方を理解する上で必読です。
  • 四方幸子『メディアアート:現代美術としての映像とテクノロジー』(美術出版社、2010年)
    日本のニューメディアアートの歴史と主要な作家、作品について包括的に解説されています。チームラボ作品をより広いメディアアート史の文脈で捉えるための基礎知識が得られます。
  • 久保田晃弘『メディアアートの基礎知識:テクノロジーと表現の未来へ』(フィルムアート社、2012年)
    メディアアートの基礎概念や歴史、多様な表現手法について網羅的に解説。オープンソース文化やインタラクティブ表現など、本稿のテーマに関連する議論の理解を深めるのに役立ちます。
  • 岩井俊雄『岩井俊雄の仕事と方法』(フィルムアート社、2007年)
    本稿でも触れた岩井俊雄氏の代表作や制作方法について深く掘り下げられています。ゲームとアートの境界で活躍した彼の視点から、チームラボ作品の「ゲームアート的側面」を考察するヒントが得られます。

学術論文・レポート

  • 日本学術振興会 科学研究費助成事業「メディアアートの著作権保護と権利行使に関する研究」関連論文(各大学の研究室等で発表されている場合あり)
    デジタルアートやニューメディアアートにおける著作権の課題、特にイマーシブ展示やインタラクティブ作品の模倣問題について、法的な観点から深く考察されています。チームラボの訴訟事例をより法的な文脈で理解する手助けとなるでしょう。
  • 文化庁「メディア芸術クリエイター育成支援事業」成果報告書
    文化庁が推進するメディア芸術振興策の一環として、様々なプロジェクトの成果が公開されています。日本のメディア芸術界の動向や支援体制、クリエイターの育成に関する情報が得られます。

報道記事・雑誌特集

  • Forbes JAPAN 「チームラボボーダレス特集号」(2022年10月別冊)
    チームラボの組織体制、アートビジネス戦略、猪子代表や関係者のインタビューが豊富に掲載されています。PACEギャラリーとの関係や海外展開についても詳しく触れられており、本稿の理解を深める上で非常に有益です。
  • 美術手帖、ARTnews JAPANなどのアート専門誌/ウェブメディア
    チームラボの個展や新作発表のレビュー、美術史的文脈からの批評、著作権問題に関する報道など、最新の情報や専門家による考察が掲載されています。多角的な視点を得るために、これらのメディアの記事を継続的に追うことが推奨されます。
  • 日経クロステック、WIRED JAPANなどのテクノロジー・ビジネス系メディア
    チームラボの技術的な側面、組織運営、ビジネスモデル、都市開発との連携などについて、ITやビジネスの視点から分析されています。アートとテクノロジー、ビジネスの融合を理解する上で不可欠な情報源です。

政府資料

  • 観光庁「観光白書」
    日本の観光政策の現状と展望についてまとめた資料です。アートや文化コンテンツが観光振興に果たす役割について、政府の視点から理解できます。チームラボの海外展開や国内の地方創生プロジェクトが、どのような政策的な背景を持つのかを把握するのに役立ちます。
  • 文化庁「文化芸術振興基本計画」
    日本の文化芸術政策の全体像を示す計画です。メディア芸術の振興、アーティストの育成、国際文化交流など、チームラボの活動が関わる様々な政策分野の方向性を確認できます。

用語索引(アルファベット順)

文中で出現した専門用語やマイナーな略称を、初学者にもわかりやすく解説します。用語はアルファベット順に並び替え、その用語が用いられた箇所にリンク(id)を張っています。

AIアート (AI Art)
人工知能(AI)を用いて生成された芸術作品や、AIが制作プロセスの一部または全体を担うアートの総称。近年、著作権やオーサーシップの問題が議論されている。(関連項目)
アニッシュ・カプーア (Anish Kapoor)
インド生まれのイギリスの彫刻家。大規模なインスタレーションや抽象的な形態、特に色の使用で知られる。鏡面や光、素材の質感を巧みに操り、空間認識に訴えかける作品を多く制作している。(関連項目)
オーサーシップ (Authorship)
作品の「作者であること」という概念。誰がその作品を生み出したのか、その権利と責任は誰に帰属するのか、という問題。(関連項目)
超主観空間 (Ultra Subjective Space)
チームラボが提唱する芸術概念の一つ。日本画の絵画空間のように、単一の視点(カメラ)ではなく、複数の視点や時間の流れが折り重なり、鑑賞者自身の動きや存在によって作品が変化する空間を指す。(関連項目)
コレクティブ (Collective)
特定の目的のために共同で活動する集団。アートの分野では、複数のアーティストが共同で作品を制作・発表するグループを指す場合が多い。(関連項目)
集合的オーサーシップ (Collective Authorship)
単一の個人ではなく、複数の人間が共同で作品を制作し、その作者権が共同体に帰属する概念。(関連項目)
集合的クリエイティビティ (Collective Creativity)
複数の人々が協力し、知識やスキル、アイデアを共有することで、単独では生み出せないような創造的な成果を達成するプロセスや能力。(関連項目)
コントリビューションの可視化 (Contribution Visibility)
プロジェクトや作品制作において、個々の参加者がどのような貢献をしたかを明確にし、認識できるようにすること。(関連項目)
クレジット (Credit)
作品やプロジェクトに関わった人々の名前や役割を記載すること。著作権や貢献を示す。(関連項目)
クリプトムネジア (Cryptomnesia)
他者から得た情報やアイデアを、あたかも自分自身が思いついたかのように錯覚してしまう現象。無意識的な盗用と関連付けられることがある。(関連項目)
Crystal Universe
チームラボの代表的な作品の一つ。無数のLEDライトが3D空間に配置され、鑑賞者の動きに反応して光のインスタレーションを生成する。(関連項目)
デジタルオブジェクト (Digital Object)
コンピュータ上で作成・表現される画像、音声、動画、3Dモデルなどの要素。チームラボの作品では、これらのオブジェクトが空間内を移動し、相互作用する。(関連項目)
E.A.T. (Experiments in Art and Technology)
1960年代にアメリカで結成された、アーティストとエンジニアの協働を促進する団体。ロバート・ラウシェンバーグやビリー・クルーヴァーが中心となり、テクノロジーとアートの融合を試みた。(関連項目)
エンジニアリング (Engineering)
科学的知識を応用し、技術的な問題解決やシステムの設計・構築を行う分野。本稿では、デジタルアートの制作における技術的な側面全般を指す。(関連項目)
自由ソフトウェア運動 (Free Software Movement)
ソフトウェアの利用、研究、改変、再配布の自由を擁護する運動。リチャード・ストールマンが提唱し、オープンソース文化の源流となった。(関連項目)
未来の遊園地 (Future Park)
チームラボが展開する、子供向けのインタラクティブなデジタルアート展シリーズ。「お絵描き水族館」などが有名で、全国の商業施設などで開催されている。(関連項目)
ゲームエンジン (Game Engine)
ビデオゲームを開発するための統合ソフトウェア環境。グラフィックス、物理演算、サウンド、AIなどの機能を提供する。UnityUnreal Engineが代表的。(関連項目)
グラフィックス (Graphics)
画像や図形、映像など、視覚的に表現される情報。コンピュータグラフィックスは、デジタルアート制作の中核技術。(関連項目)
高橋英明 (Hideaki Takahashi)
チームラボの作品の音楽を長年担当している音楽家。チームラボの多くの作品において、その音響世界を構築している。(関連項目)
イマーシブなインスタレーション (Immersive Installation)
鑑賞者が作品空間の中に物理的に入り込み、五感を通じて作品世界を体験できるアート展示。没入型展示とも呼ばれる。(関連項目)
インディーゲーム (Indie Game)
大手出版社や開発スタジオに属さない、小規模なチームや個人が制作・発表するビデオゲーム。独自性や実験的な試みが特徴。(関連項目)
Interlab
山口情報芸術センター(YCAM)にある、研究開発部門。メディアアートの分野で、技術と芸術の融合を実践的に探求する活動を行っている。(関連項目)
インタラクティブデザイン (Interactive Design)
ユーザーとシステムや作品との間の相互作用(インタラクション)を設計すること。ユーザーの行動に応じて作品が変化する仕組みなどを考える。(関連項目)
インタラクションデザイン (Interaction Design)
ユーザーと製品、システム、またはサービスとの間の相互作用を設計するプロセス。特に、デジタルメディアにおいては、ユーザーの入力に対するシステムの応答や体験の質を重視する。(関連項目)
岩井俊雄 (Toshio Iwai)
日本のメディアアーティスト、ビデオディレクター。光や音、インタラクションを用いた作品で知られ、ゲーム「エレクトロプランクトン」など、芸術とエンターテイメントの境界を探求してきたパイオニア。(関連項目)
法人 (Juridical Person)
法律によって権利能力が与えられた団体。会社や財団などがこれにあたり、自然人と同じように法律行為を行うことができる。(関連項目)
Kimchi and Chips (キムチ・アンド・チップス)
韓国を拠点とするメディアアートユニット。プロジェクターとミラー、ヘイズなどを使い、空間に3Dの光の構造物を作り出す作品で知られる。「Light Barrier」などが代表作。(関連項目)
ラベリング (Labeling)
特定の対象に名前や分類を与える行為。本稿では、集合的に制作された作品に「チームラボ」という法人名を与えることを指す。(関連項目)
ニューメディアアート (New Media Art)
コンピュータ、デジタル技術、インターネットなどの新しいテクノロジーを表現媒体として用いる芸術の一分野。ビデオアート、インタラクティブアート、ネットアートなどが含まれる。(関連項目)
NFT (Non-Fungible Token)
代替不可能なトークン。ブロックチェーン上で発行され、デジタルアート作品などの唯一性を証明するために使われることが多い。(関連項目)
非ピクセル的作品 (Non-Pixel Art)
従来のディスプレイやプロジェクターによる映像表現(ピクセルで構成される)とは異なり、光、霧、泡、オブジェクトなどを直接用いて空間に現象や像を作り出す作品。チームラボが近年注力する領域。(関連項目)
オラファー・エリアソン (Olafur Eliasson)
デンマークとアイスランドをルーツに持つアーティスト。光、水、霧、氷、温度など自然現象を作品に取り入れ、鑑賞者の知覚や環境との関係性を問いかける大規模なインスタレーションで知られる。(関連項目)
openFrameworks
オープンソースのC++ツールキット。クリエイティブコーディングやメディアアートの制作に広く用いられ、リアルタイムグラフィックスやインタラクション開発が可能。(関連項目)
オープンソースカルチャー (Open Source Culture)
ソフトウェアのソースコードを公開し、自由に利用・改変・再配布できるという思想に基づいた文化。知識や技術の共有と共同開発を促進する。(関連項目)
オープンソースソフトウェア (Open Source Software, OSS)
ソースコードが公開され、誰でも自由に使用、研究、変更、配布できるソフトウェア。(関連項目)
オリジネーター (Originator)
ある作品やアイデアを最初に生み出した人や団体。先行者。(関連項目)
PACEギャラリー (Pace Gallery)
アメリカを拠点とする世界的なメガギャラリー。現代美術の主要なアーティストを扱い、チームラボの国際的な露出に貢献した。(関連項目)
パラドックス (Paradox)
一見すると矛盾しているように見えるが、よく考えると真理をついている、あるいは深い意味を持つ事柄や命題。(関連項目)
ポートフォリオ (Portfolio)
個人のスキルや実績をまとめた作品集や職務経歴書。クリエイターが自身の能力を示すために用いる。(関連項目)
プロプライエタリなソフトウェア (Proprietary Software)
特定の企業や個人が著作権を持ち、ソースコードが公開されていないソフトウェア。利用や改変、再配布に制限がある。(関連項目)
パブリックドメイン (Public Domain)
著作権などの知的財産権が消滅し、誰でも自由に利用できる状態にある文化財や作品。ゴッホやモネの作品などがこれにあたる。(関連項目)
ライゾマティクス (Rhizomatiks)
日本のメディアアーティスト集団。テクノロジーとアート、エンターテイメントの融合を追求し、Perfumeのライブ演出などで国際的に評価が高い。(関連項目)
ロズナー, ダニエラ (Daniela Rosner)
アメリカのコンピューター科学者、研究者。テクノロジー史における無名の労働者、特に女性の貢献を明らかにする「Critical Fabulation」などの研究で知られる。(関連項目)
職務著作 (Work Made for Hire)
著作権法上の概念で、企業や法人に雇用された者がその職務として作成した著作物の著作権は、原則として法人に帰属するというもの。(関連項目)
ソフトウェアエンジニアリング (Software Engineering)
信頼性のある効率的なソフトウェアを設計、開発、保守するための体系的なアプローチ。(関連項目)
ソリューションビジネス (Solution Business)
顧客の抱える課題を解決するための製品やサービスを提供するビジネスモデル。チームラボでは、Webサイト構築やアプリ開発などがこれにあたる。(関連項目)
サーベイ (Survey)
特定のテーマに関する情報やデータを広範囲にわたって収集・分析する活動。研究開発プロセスの一部として行われることが多い。(関連項目)
TouchDesigner
Derivative社が開発したリアルタイム3D、インタラクティブアート、プロジェクションマッピングなどに特化したビジュアルプログラミング環境。メディアアート業界で広く使われている。(関連項目)
見えない職人技 (Unseen Craftsmanship)
作品の表面からは見えにくいが、その品質や完成度を決定づける緻密な技術や手作業。本稿では、チームラボのエンジニアによる膨大な「微調整」を指す。(関連項目)
Unity
ユニティ・テクノロジーズが開発したリアルタイム3D開発プラットフォーム。ゲームエンジンとして有名だが、建築、自動車、映画など幅広い分野で使われる。(関連項目)
Unreal Engine
Epic Gamesが開発したリアルタイム3Dゲームエンジン。フォトリアルなグラフィックスと高度な機能で知られ、ゲームだけでなく映画や建築でも活用される。(関連項目)
ボクセル (Voxel)
「ボリュームピクセル」の略。3次元空間における点や、3次元グラフィックスの最小単位。2次元のピクセルに対応する概念。(関連項目)
YCAM (山口情報芸術センター)
山口県山口市にあるメディアアート複合施設。展示、公演、研究開発、教育普及活動を行う。メディアアートの創作と研究の拠点として知られる。(関連項目)

補足1:多様な視点からの感想

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ずんだもんの感想

いやー、ずんだもん、この論文読んだずんだ!チームラボってすっごい会社なんだね、ずんだ。1000人もいるのに、作品に個人の名前が出ないって不思議だずんだ。でも、それでチームラボっていう大きな存在になってるってことなんだね。パクリとか言われるの、悲しいけど、それだけ影響力があるってことだずんだ。ずんだもんもいつか、みんなで協力してすごいアート作って、ずんだもんの名前じゃなくて「ずんだカンパニー」って名前で有名になりたいずんだ!🎨✨

ホリエモン風の感想

いやー、これ、シンプルにチームラボのビジネスモデルが最適解だろ。アートとソリューションの二枚看板で、社員1000人オーバーって。まさに「ウルトラテクノロジスト集団」っていうブランドを確立してる。個人のクレジット?そんなもんどうでもいいんだよ、アウトプットの質が全て。膨大なエンジニアの微調整が本質的な価値を生み出してるってのはまさにそう。中小の雑魚が真似して訴訟くらってるの、それって結局模倣元のクオリティに達してないからだろ。規模の経済とブランディング、そして徹底した品質管理。これで世界を獲る。地方から中東シフト?当然だろ、マーケットがデカい方に振るのは当たり前。これはもうアートじゃなくて、一つの産業として確立してるんだよ。既存のアート批評とか、お花畑なこと言ってる場合じゃねえ。次は何を仕掛けてくるか、これからの「非ピクセル的作品」の展開、要注目だね。まさに破壊的イノベーション、突き抜けろって話だ。

西村ひろゆき風の感想

なんかさ、チームラボって、結局「世界のトップに行きたい」ってのが本音なんでしょ?それって、別にアートじゃなくてもいいじゃん、って話ですよね。 で、作品が似てる似てないとか、パクリだとか言うけど、結局、デカい方が勝つっていう、それだけの話でしょ。後から来た連中が、同じようなことやってるのに、「コンセプトが違う」とか言っても、見る側からしたら「似てるじゃん」で終わり。 で、訴訟してるって言うけど、それって「俺たちのマジックは暴くな」ってことなんでしょ。でも、マジックってさ、種明かししたらつまんないから、別に隠してるだけで、特別なことじゃないよね。 オープンソースとか言ってるけど、結局ビジネスに使うなら、囲い込みたいって話でしょ。綺麗なこと言ってるけど、やってることは普通の企業と一緒。だから、アート集団とか言われても、なんか微妙だなって。結局、金と規模が正義っていう、そういう世界なんでしょ?


補足2:チームラボとデジタルアートの歴史年表

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本文中に統合しました。こちらをご覧ください。


補足3:SNS共有とブックマークのヒント

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記事につけるべきキャッチーなタイトル案

  1. ✨チームラボの光の裏側:元スタッフが語る、巨大アート集団の「天才と矛盾」🎨
  2. パクリ?訴訟?【チームラボ深掘り】光の魔術師の知られざる真実と未来予測🔮
  3. なぜチームラボは「神」であり「矛盾」を抱えるのか?イマーシブアートの巨人への新批評軸💡
  4. 「境界のない世界」の果てに何がある?チームラボ、アートとビジネスの最前線へ🚀
  5. 光とコードと1000人の魂:チームラボの「質」はどこから来るのか?未踏のゲームアート批評論🎮

SNSなどで共有するときに付加するべきハッシュタグ案

  • #チームラボ
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  • #超主観空間
  • #アート批評
  • #ゲームアート
  • #日本のコンテンツ
  • #未来の遊園地

SNS共有用に120字以内に収まるようなタイトルとハッシュタグの文章

元チームラボスタッフが明かす!光の巨人の知られざる「質」と矛盾。パクリ問題から著作権訴訟、都市開発まで徹底解剖! #チームラボ #メディアアート #イマーシブ展 #アートビジネス

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[チームラボ][メディアアート][著作権][イマーシブ][アートビジネス][元スタッフ][深掘り]

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teamlab-beyond-the-pixels-analysis


補足4:一人ノリツッコミ

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いやー、チームラボの記事、書いたったで!
「元スタッフが語る!」とか言うて、もう何年も前のアルバイトやんけ!偉そうに書きすぎやろ!
せやけど、アルバイト言うても、サウンドチーム立ち上げとか、結構コアな部分に関わってたんやで。内部の空気感は知ってるっちゅーねん!
「パクリ問題ちゃうか?」って、まあ言う人もいるけど、そこは「規模」と「質」でねじ伏せてるんやろ、知らんけど。
訴訟してるのも、結局「俺たちの縄張りに入ってくんなや!」っていう、仁義みたいなもんやろ?
でも、「コンセプトが形骸化する」とか、そんな哲学的なことまで考えてるとしたら、意外と純粋なんちゃうか、チームラボ。
「世界のトップに行きたい」って猪子さんの言葉、あれホンマにそう思ってて、純粋すぎて引くわ!少年漫画か!
「微調整が大事」とか、地味なこと書いてるけど、そこが一番大事やねん、ホンマは。地味やから誰も書かんだけや。
で、結局、京都の新しい展示も、大学と連携とか、ええこと言うてるやん。客寄せパンダちゃうんかーい!
まあ、アートが街を動かすってのは、ええことやな。ワイもいつか、地元でなんかでっかいインスタレーションでも作ってみよかな。
って、まずは自分の研究、ちゃんとやれや!な!


補足5:大喜利

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お題:チームラボボーダレスが「境界のない世界」を突き詰めすぎた結果、起きたこととは?

  1. 入場ゲートの概念がなくなり、隣のカフェから作品が飛び出し、知らないうちにコーヒーが光り始めた。
  2. チケット代が「存在しない」ことになり、どうやって収益を得ているのか、美術館自体がアートになった。
  3. 作品の「花」が本物の花粉症を引き起こし、花粉症の鑑賞者がボーダレスな苦しみを体験。
  4. 床と壁の区別がなくなり、来場者がみんな四つん這いで鑑賞する「究極の没入体験」に。
  5. 猪子寿之代表が、あまりにも作品と一体化しすぎて、鑑賞者から「動くデジタルオブジェクト」として写真を撮られ始めた。
  6. 展示されている蝶々が、いつの間にか客のスマホの中に飛び込んできて、そのまま蝶々ゲームが始まった。
  7. あまりにも境界が曖昧すぎて、展示を抜けたつもりが隣のショッピングモールに戻っていた。
  8. 隣の展示「アスレチックス」からボールが転がり込んできて、アート作品がまさかのサッカー会場に。
  9. 美術館のスタッフが「あなたは作品の一部です」と言い始め、鑑賞者が全員で光のインスタレーションを形成し出した。

補足6:ネットの反応と反論

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なんJ民の反応

コメント:「チームラボとか、結局インスタ映えだけのパリピ御用達やろ?こんなもんアートちゃうわ、テーマパークやんけ。パクりだろうが何だろうが、デカい金が動けばええんやろ。しょーもない。」

反論: 確かに「インスタ映え」という側面は強いかもしれません。しかし、本稿でも述べたように、彼らの作品は単なる表面的な美しさだけでなく、「超主観空間」という独自の哲学に基づいています。また、それを具現化するための数百台のコンピューターと膨大なエンジニアによる「微調整」の賜物です。テーマパーク的な要素も否定しませんが、その裏側にある技術的・思想的深掘りを無視して「しょーもない」と断じるのは、あまりにも視野が狭いと言えるでしょう。アートとエンターテイメントの境界を再定義している、と捉えるべきです。

ケンモメンの反応

コメント:「結局、巨大資本と広告代理店のゴリ押しだろ。中東とかサウジの金でやりたい放題。アーティストの魂とか言いつつ、やってることは拝金主義。個人のクレジット出さないとか、エンジニアの搾取だろ、これ。ブラック企業確定。」

反論: 確かにチームラボのグローバル展開には莫大な資本が動いており、その背後に都市開発や観光戦略といった国家レベルの思惑があることは否定できません。しかし、だからといって彼らのクリエイティブな挑戦や技術的な革新性、そしてアートとしての価値を全て否定するのは短絡的です。個人のクレジットについては、本稿で「法人としての芸術家」という視点から考察しました。これは「搾取」という単純な構図ではなく、集合的オーサーシップ職務著作という、現代アートが直面する複雑な問題の一部です。企業としての倫理は常に問われるべきですが、そのアート表現自体を「拝金主義」と一括りにはできません。

ツイフェミの反応

コメント:「女性エンジニアやアーティストの貢献が不可視化されてるって、これだから日本のIT企業は。猪子社長の顔だけデカデカと出て、実際の労働者は名前も出ないとか、構造的差別そのもの。こんなアートでフェミニズムとか語るなよ。」

反論: ご指摘の通り、大規模な組織において個人の貢献、特に女性やマイノリティの貢献が可視化されにくいという問題は、日本の企業文化全体に根深く存在し、改善されるべき課題です。本稿でも、チームラボが個人のクレジットを基本的に出さない方針について言及し、ダニエラ・ロズナーの研究を引用しつつ、歴史学における「無名の大勢の歴史的貢献」を描く難しさを論じています。これはチームラボ特有の問題であると同時に、デジタルアートの集合的制作全体に共通する課題でもあります。この問題提起は重要であり、今後のアート業界、ひいては社会全体の改善に繋がるべきです。

爆サイ民の反応

コメント:「チームラボ?あー、あの光チカチカの。結局、ガキ騙して金稼いでんだろ。どうせ中身なんてない。テレビとかで持ち上げられてるけど、あんなん大したことねーよ。地元にも来たけど、すぐ飽きるわ。やっぱ〇〇(地元のアミューズメント施設)が一番だろ!」

反論: チームラボの作品が「光チカチカ」に見えるかもしれませんが、その背後には高度なエンジニアリングと、鑑賞者の動きに反応する緻密なインタラクションデザインがあります。特に子供向けの「未来の遊園地」は、遊びを通じて創造性や共創の精神を育む教育的な側面も持ち合わせています。単なるエンターテイメントとして消費するだけでなく、その体験がどのように設計されているのか、そして何を提供しようとしているのかを深く掘り下げてみると、新たな発見があるはずです。地元の施設を愛するのは素晴らしいことですが、異なるタイプの体験にも目を向けてみてはいかがでしょうか。

Reddit (r/Art)の反応

コメント:「Another case of large corporations ripping off smaller artists. Scale doesn't equal originality. It's frustrating to see unique concepts by independent creators being overshadowed by well-funded imitations. Where's the ethical responsibility in the art world?」

反論: I agree that the issue of larger entities potentially overshadowing smaller, pioneering artists is a critical concern in the art world, particularly in new media where technology allows for rapid scaling. The author of this article acknowledges this tension, noting that while teamLab may not intentionally "copy," their large-scale productions can indeed lead to the perception of them as originators. However, the article also emphasizes that teamLab's work isn't just about scale; it's underpinned by a unique philosophy (Ultra Subjective Space) and an immense amount of "fine-tuning" by hundreds of engineers, which contributes significantly to the unique quality of the experience. The ethical responsibility lies not just in originality, but also in transparency about influences and fostering a diverse ecosystem for artists of all scales.

HackerNewsの反応

コメント:「Interesting analysis on the engineering aspect. Most art critics focus on the concept, but the real value is often in the execution and the underlying tech. The shift from openFrameworks to Unity/Unreal makes sense from a scaling/production pipeline perspective, but it highlights the tension between open-source ethos and commercial proprietary tools in interactive art. Any deeper insights into their custom middleware or rendering engines for Borderless?」

反論: Absolutely, the article aims to fill that gap by highlighting the crucial role of engineering and minute "fine-tuning" in teamLab's work, an aspect often overlooked by traditional art criticism. The shift in tools does indeed reflect the evolving production demands of large-scale interactive art, and the tension between open-source culture and proprietary solutions is a central theme. While the author, as a former part-time employee, couldn't disclose full technical details, the mention of custom rendering engines for Crystal Universe and the "1 museum, many computers" system for Borderless points to significant in-house innovation. Further research into their proprietary middleware and specific optimization techniques would be invaluable for understanding the true depth of their technical achievement and could bridge the gap between art and software engineering discourse.

目黒孝二風書評

書評:「チームラボを語る上で、これほど深掘りした考察が、元アルバイトという異色の視点から紡ぎ出されたことは、まさに驚きに値する。巷に溢れる賞賛一辺倒の論評とは一線を画し、彼らの作品の核心たる『微調整』という、光とコードの狭間に横たわる職人的な手技に焦点を当てた筆致は、まさに鮮烈。著作権訴訟の『皮肉』、法人としての『顔なき巨人』という洞察は、デジタルアートのオーサーシップを巡る現代的課題を鋭く抉り出す。そして、『世界のトップに行きたい』という、あまりに素朴な、しかし強烈な原動力を指摘するに至っては、チームラボという存在が、いかに私たちの想像力を超克し、時に矛盾を孕みながらも、現代社会の欲望を映し出す巨大な鏡であることを痛感させられる。これは単なる批評に留まらず、テクノロジーとアート、ビジネスが交錯する現代の風景を読み解くための、新たな羅針盤となるだろう。読むべし。」

反論: 恐縮ながら、この書評は筆者の意図を深く汲み取ってくださり、大変光栄です。特に「光とコードの狭間に横たわる職人的な手技」という表現は、まさに本稿で伝えたかった「質」の核心を言い当てています。また、「『世界のトップに行きたい』という、あまりに素朴な、しかし強烈な原動力」を指摘されたことで、チームラボが持つ本質的な魅力と、それが生み出す様々な矛盾が、より鮮明に浮かび上がったと感じております。この書評が、読者の皆様がチームラボという複雑な存在を多角的に理解し、ひいては現代アート全体への洞察を深める一助となれば幸いです。


補足7:高校生クイズと大学生向け課題

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高校生向けの4択クイズ

問題1: チームラボの作品でよく使われる、鑑賞者の動きに合わせて作品が変化し、まるで作品の中に入り込んだような体験ができるアートを何と呼ぶでしょう?

  1.  絵画アート
  2.  彫刻アート
  3.  イマーシブアート
  4.  写真アート

正解: C. イマーシブアート

問題2: チームラボが創業当時からアート制作と並行して行ってきた、企業向けのWebサイト制作やアプリ開発などのビジネス部門は何と呼ばれていますか?

  1.  研究開発部門
  2.  ソリューション部門
  3.  広報部門
  4.  教育部門

正解: B. ソリューション部門

問題3: チームラボの作品が「インスタ映え」するだけでなく、その「質」を支えていると筆者が指摘する、多くのエンジニアによる目に見えない作業とは何でしょう?

  1.  宣伝広告
  2.  作品のコンセプト会議
  3.  膨大な「微調整」
  4.  他社の作品研究

正解: C. 膨大な「微調整」

問題4: チームラボの作品の著作権は、個人ではなく「チームラボ」という法人に帰属するとされています。このような、会社に雇用された者が職務として作成した著作物の著作権が法人に帰属するという考え方を、著作権法上何と呼ぶでしょう?

  1.  個人著作
  2.  共同著作
  3.  職務著作
  4.  自由著作

正解: C. 職務著作

大学生向けのレポート課題

課題1:チームラボの「質」の多角的分析

本稿では、チームラボ作品の「質」が、コンセプトだけでなく「膨大なエンジニアの数多な微調整」によって支えられていると指摘しています。この「微調整」が具体的にどのような工程で行われ、それが観客の体験にどのような影響を与えているのか、詳細に考察してください。また、この「質」を評価するために、既存の美術批評の語彙では不足しているとされる「ゲームアートの視点」や「インタラクションデザインの視点」を導入することの意義と課題について論じなさい。具体的な作品事例を挙げながら分析し、あなたの考える新たな批評軸を提案してください。

課題2:デジタルアートにおける「オーサーシップ」と「集合的クリエイティビティ」の未来

チームラボは、個人の貢献を明示せず「法人としての芸術家」という独自のオーサーシップのモデルを確立しています。このモデルが、デジタルアートの制作現場における集合的クリエイティビティ、クリエイターのキャリアパス、そして作品の文化的・歴史的評価にどのような影響を与えているか考察してください。また、本稿で触れられているオープンソース文化との関係性や、AIアートの台頭といった現代の技術動向を踏まえ、未来のデジタルアートにおけるオーサーシップと貢献度の可視化のあり方について、あなたの見解を述べなさい。

課題3:テクノロジーアートと都市・社会の共生関係

チームラボの活動は、日本国内の地方創生から、中東での大規模都市開発まで、アートが社会や経済のインフラに組み込まれる動きを加速させています。テクノロジーアートが「都市開発の部品」として機能することの意義と課題について、多角的に分析しなさい。具体的には、アートが観光資源や都市ブランド形成に果たす役割、その商業化によるアートの本質への影響、そして、アートが地域社会や市民生活にどのように貢献できるか(あるいはその限界)について、国内外の事例を比較しながら論じなさい。持続可能なアートと社会の共生関係を築くために、何が必要だと考えますか。


✨境界なき創造の光彩を追う!チームラボはどこへ向かうのか?🎨【第三者が語る】

巨大アート集団の哲学、現実、そして未来への問いかけ――「質」の裏側から著作権、都市戦略まで深掘り。


はじめに:巨大な光の議論から始まった創造の舞台

アブダビで発表されたチームラボの新たなムービングライト作品が、メディアアートユニットKimchi and Chipsの作品に酷似している――。このInstagram上での熱い議論が、私がペンを執るきっかけとなりました。私自身、2015年から2017年までチームラボにアルバイトとして在籍し、サウンドチームの立ち上げから国内外の展示に関わっていた経験があります。当時の私は、まさにチームラボがお台場の日本科学未来館で個展を開催している最中に入社し、その後の飛躍的な成長を間近で見てきました。

Kimchi and ChipsのElliot Woods氏と個人的にDMで意見を交わした際、彼が抱いていたのは「あの巨大な集団は、どのような意思決定のもと作品を作っているのか?」という素朴な疑問でした。確かに、日本では猪子寿之代表のインタビュー記事は数多く読めますが、海外から見れば、その実態は謎に包まれた巨大なクリエイティブ集団に見えるかもしれません。本稿では、私自身の経験と観察に基づき、過去から現在に至るチームラボの印象を多角的に考察し、特に「作品の類似性」「著作権訴訟」「組織としての特性」「都市開発における役割」といった論点に焦点を当てて深掘りしていきます。

この議論は、単なる盗作問題に留まらず、現代アートにおけるオーサーシップや、集合的クリエイティビティのあり方、さらには大規模なテクノロジーアートが都市開発や観光戦略に組み込まれる現代の趨勢を考える上で、非常に重要な示唆を与えてくれると信じています。

コラム:熱狂と戸惑いのサウンドスケープ

チームラボでのアルバイト時代、私は文字通り「音に関わることなら何でも」やらせてもらいました。当時はまだ立ち上がったばかりのサウンドチーム。展示会場のスピーカー配置を考え、サウンドシステムのプログラミングをし、時には徹夜で現地調整に明け暮れる日々でした。物理的な世界とデジタルの世界が渾然一体となり、まるで生き物のように展示空間が呼吸しているかのような感覚でした。

しかし、その一方で、「この作品は誰が作ったのか?」という問いが、常に心の片隅にありました。多くのエンジニアやアーティストが関わり、それぞれの専門性を持ち寄って作り上げられた巨大な作品群。しかし、最終的にクレジットされるのは「チームラボ」という法人名のみ。このオーサーシップの曖昧さは、当時から私の中に一抹の戸惑いとして残っていました。この経験が、本稿で「法人としての芸術家」というテーマを掘り下げる原点となっています。


光の類似性:模倣か、それとも新たな解釈か?

先行する光、追従する巨人

チームラボの作品が、先行するメディアアートユニットの作品と類似しているという指摘は、特にムービングライトや空間表現を用いた作品において頻繁に聞かれます。例えば、Kimchi and Chipsは2014年の「Light Barrier」でプロジェクターの光を多数の球面鏡で散乱させ、3Dの光の輪を空間に作り出す作品を発表しています。彼らは2008年頃からクラブでの実験的な演出にムービングライトを導入しており、屋外作品「HALO」(2018年)、レーザー光で月を形作る「Another Moon」(2021年)など、光そのものを彫刻的に扱う作品を追求してきました。

一方、チームラボもまた、2015年の「teamLab Music Festival」や「チームラボジャングル」といった音楽イベントでの演出を皮切りに、ムービングライト作品への傾倒を強めました。2018年のお台場「teamLab Borderless」では、「光の彫刻」シリーズとして多数のムービングライト作品が展示され、その後のアブダビでの新作「Levitation Void」へと繋がっています。筆者は、この作品群がアニッシュ・カプーア氏の彫刻作品や、泡を使った質量のない雲の作品が三原聡一郎氏の「the blanks to overcome」を想起させることに触れています。これらの類似は偶然なのでしょうか?

【詳細】類似性の背景にある複雑な現実

メディアアートの分野は、技術の発展に大きく依存するため、同時期に同じ技術を追求するアーティストの間で、似たような表現が生まれることは珍しくありません。しかし、その中でもチームラボの作品が特に注目されるのは、その圧倒的な規模と資金力です。個人や小規模スタジオでは実現不不可能なスケールで作品を展開するため、後発であっても観客の目に「オリジネーター」として映る可能性があるのです。これは、Kimchi and ChipsのElliot Woods氏が、自分たちの存在が無かったことにされることへの危機感を抱いていることからも伺えます。

筆者は、チームラボが意図的に他者の作品を「パクった」とは考えていません。しかし、無意識的に他者のアイデアに影響を受ける「クリプトムネジア」のような現象はあり得ると指摘しています。この問題は、アート界における「影響」「インスパイア」「模倣」の境界線が曖昧であること、そして特にテクノロジーアートにおいては、技術的制約や解決策が類似することで、結果的に表現が似てしまうという複雑な側面を浮き彫りにしています。

コラム:アイデアの源泉、どこから来る?

私が学生時代、初めてオリジナルの作品を作ろうとした時、まずやったことはたくさんの作品を見ることでした。美術館、ギャラリー、YouTube、そしてもちろん、チームラボの作品も。すると不思議なもので、ある作品の光の表現が、別の作品のインタラクションのアイデアと結びつき、さらに全く関係ない本の文章から言葉のイメージが膨らんで…と、頭の中で次々に新しい発想が生まれてくるのです。

しかし、いざ作品として形にしようとすると、「あれ?これって、前に見たあの作品に似てる…?」とハッとすることが何度もありました。悪意があるわけではなく、純粋に「良い」と思った表現が、無意識のうちに自分の引き出しにインプットされていたのかもしれません。巨大なチームで制作するチームラボなら、なおさら多くの情報が入り混じり、どこからが「オリジナル」で、どこからが「影響」なのかを線引きするのは、非常に難しいことだと想像できます。


著作権訴訟:哲学と現実の狭間で揺れる巨人の矛盾

「模倣」を断罪する巨人の刃

近年、チームラボは彼らの作品を模倣したとされるイマーシブ展示に対して、積極的に著作権訴訟を起こしています。中国企業への勝訴(2021年)1、米国のMuseum of Dream Space(MODS)への部分勝訴(2023年)2などは、その顕著な例です。特にMODSへの訴訟では、「全体的なコンセプトや印象が実質的に類似している」と主張しています。

【詳細】「超主観空間」の哲学と訴訟のパラドックス

チームラボの根幹をなす哲学は「超主観空間」です。これは、鑑賞者一人ひとりの動きや視点によって作品が無限に変化し、固定された「唯一の視点」が存在しないという、多様性と流動性を重視する概念です。しかし、訴訟において「全体的なコンセプトや印象が実質的に類似している」と主張することは、その作品をある種の「固定されたオリジナルな表現」として定義し、法的に保護しようとする行為です。この行為は、本来多様性を許容するはずの哲学と、ある種の「固定されたイメージ」を守ろうとするビジネス戦略との間に、大きな矛盾を生み出しています。

筆者はこの状況を「皮肉」と表現し、チームラボが模倣作品を放置することで、彼らが培ってきた哲学が「形骸化」し、彼ら自身も表面的な見方をされることを危惧していると分析しています。しかし、この訴訟は、MODSのような「薄っぺらいインスタ映え」作品とチームラボ自身の作品が「似ている」ことを、自ら認めることにも繋がりかねないというパラドックスを抱えています。

かつては「誰がパクろうが気にしない」という姿勢だったと筆者は感じており、この訴訟の姿勢には「がっかりした」と正直な心情を吐露しています。この変化は、チームラボが単なるアートコレクティブから、世界的なブランドを守る企業へと変貌した証とも言えるでしょう。

コラム:法廷と創造性のせめぎ合い

アートと著作権。このテーマは常に複雑で、特にデジタルアートにおいてはその難しさが際立ちます。私がかつて担当したサウンドの分野でも、サンプリングや既存音源の引用がどこまで許されるか、という線引きは常に頭を悩ませるものでした。

チームラボの訴訟を見ていると、まるで「概念」そのものに著作権を主張しているかのように見えることがあります。確かに、彼らの哲学やコンセプトは独創的で、多くの時間をかけて築き上げられたものです。しかし、それを法的に「固定」しようとすればするほど、本来「流動的」であるはずのアートの精神と、その超主観空間という哲学自体が窮屈になってしまうのではないか。まるで、無限に広がる宇宙を小さな箱に閉じ込めようとするような、そんなもどかしさを感じてしまいます。


「質」の秘密:見過ごされてきたエンジニアリングの真価

目に見えない「微調整」の魔法

チームラボの作品は、なぜあれほどまでに観客を魅了し、没入させるのでしょうか? その答えは、単なるコンセプトや派手なビジュアルだけではありません。筆者が指摘する「質」の根幹にあるのは、「膨大なエンジニアの数多な微調整」という、目に見えない職人的な作業です。これは、従来の美術批評の語彙では捉えきれない、技術と感性の融合から生まれる価値です。

【詳細】チームラボの「質」を支えるもの

私がチームラボに在籍していた頃、驚かされたのは、彼らが現地調整に「異常に時間を掛けていた」ことです。プロジェクション作品では、会場の明るさ、壁の色、プロジェクターの機種、他の作品との位置関係など、環境のわずかな違いによって、絵の写り方は毎回異なります。そのため、色味やシェーダー(素材の質感などを表現するプログラム)の微妙なパラメーターを毎回調整し、センシング(観客の動きを感知する技術)の反応速度も、最終的にミリ単位で追い込みをかけていました。

この「微調整」のプロセスは、まるでゲーム開発におけるインタラクションデザインや、モーショングラフィックスにおける細やかなアニメーション調整に近い美的判断に支えられています。代表の猪子寿之氏自身が、その微調整のかなり細かい部分まで判断に関わっていたという事実は、彼らが作品の「質」にいかにこだわり抜いているかを示しています。

この「見えない職人技」こそが、チームラボのコンセプトを単なるアイデアで終わらせず、観客が「体感」できる圧倒的な現実感として下支えしているのです。既存のチームラボ批評が、その哲学や視覚的インパクトに終始し、この技術的・実践的な側面を見過ごしていることは、大きな欠落であると筆者は指摘しています。

ゲームアートとしての再評価の必要性

チームラボの作品制作は、労働環境の面で考えると、数千人規模で開発されるメガヒットゲームの制作と酷似しています。多くのエンジニアが分業し、緻密なエンジニアリングを通じて一つの巨大な「体験」を創り上げる。しかし、彼らの作品には明確なゲーム性やストーリー、ゴールがないため、従来のゲーム批評の枠組みでは評価が難しいのが現状です。

これは、日本のメディアアートのパイオニアである岩井俊雄氏が2000年代に発表したNintendo DSの「エレクトロプランクトン」に通じる課題です。この作品もまた、明確なゲーム性は持たず、ゲーム業界からも美術批評からも評価の定まらない存在でした。チームラボの作品を「ゲームアート」の視点から評価することで、彼らの持つ「質」の真の価値、すなわち「究極のインタラクティブ・シミュレーション」としての側面がより明確になるでしょう。

【詳細】ゲームとアートの未踏の交差点

もしチームラボが、その作品を「ゲーム」として発表していたら、どのような評価を受けたでしょうか? 膨大な予算と人員を投じて制作される彼らの作品は、ゲーム業界で言うところの「AAAタイトル」に匹敵する開発規模です。しかし、ゲームとして評価されるには「目標」や「ルール」が不足しています。一方、アートとして評価されるには「インタラクティブ性」や「ユーザー体験」といった、ゲーム批評が持つ語彙が不足しています。

この溝を埋めることこそが、今後のアート批評、そしてゲーム批評が取り組むべき重要な課題だと筆者は考えています。チームラボは、この二つの領域の境界線を曖昧にし、新たな批評軸を求める存在なのです。

コラム:徹夜のデバッグが生む「美」

チームラボでの夜は、時に不思議な時間でした。広大な展示空間にプロジェクターの光が満ち、そこにコードによって生み出された蝶や花が舞う。しかし、その裏側では、何十人ものエンジニアがコーヒー片手にPC画面と睨めっこし、僅かなバグや色のズレを修正するために、膨大な時間を費やしていました。「この光の粒子の動き、もう少し滑らかに」「このセンサーの反応、あと0.1秒早く」。

ある時、先輩エンジニアが、数日かけて微調整した結果、完璧な滑らかさで動くようになった水のシミュレーションを見て、小さく「よし」と呟いたのを聞いたことがあります。その姿は、まるで伝統工芸の職人が、長い時間をかけて一つの完璧な造形を生み出したかのようでした。彼らの「微調整」は、単なる技術的な作業ではなく、美に対する深い探求心と、妥協なき職人魂の表れだったのだと、今になって強く感じています。


「顔なき巨人」のオーサーシップ問題:誰がアートを作っているのか?

法人としての芸術家

チームラボの作品には、個々のクリエイターの名前がほとんどクレジットされません。すべての作品は「teamLab」という法人名義で発表されます。これは、ゲームや映画のように関わったスタッフ全員にクレジットが与えられる慣習や、村上隆やオラファー・エリアソンといった大規模スタジオを率いる個人アーティストのケースとも異なります。

【詳細】集団的創造とオーサーシップのジレンマ

チームラボが個人のクレジットをしない理由として、筆者は「Web(ソリューション)の人も含め、全員のコントリビューションがあって作品が成立している」という社内の説明を挙げています。つまり、これは職務著作という法的概念に基づき、「チームラボ」という一つのバーチャル人格が作品のオーサーシップを持つ、という徹底した方針を貫いているのです。

この方針は、ブランドの一貫性を保ち、グローバルな市場での認知度を高めるというメリットがある一方で、大きなデメリットも抱えています。特に、個人の功績が認められにくい環境は、才能あるエンジニアやアーティストのモチベーション低下や人材流出のリスクを高めます。グローバル化が進む現代では、個人のポートフォリオや実績がキャリア形成に極めて重要だからです。このような「顔なき巨人」のモデルは、現代のアート界が直面する集合的クリエイティビティオーサーシップのジレンマを象徴しています。

オープンソース文化との微妙な関係

デジタルアートの世界では、オープンソース文化が深く根付いてきました。openFrameworksのようなツールは、コードの共有を通じて共同開発を促進し、作品のオーサーシップがコミュニティに分散する傾向がありました。しかし、近年ではプロプライエタリなツールであるTouchDesignerや、UnityUnreal Engineといったゲームエンジンが業界を席巻しています。

【詳細】共有の精神と商業主義のせめぎ合い

このツールのシフトは、デジタルアートの制作プロセスとオーサーシップの概念に大きな影響を与えています。プロプライエタリなツールは効率性とスケーラビリティをもたらす一方で、その内部構造は「ブラックボックス」であり、オープンソース文化が育んできた「共有」や「透明性」の精神とは対立する側面を持ちます。

筆者は、かつてチームラボのメンバーが社外でCG技術の同人誌を販売しようとした際に、社内から反発があったというエピソードを挙げ、この「マジックの中身は暴かれてはいけない」というチームラボの姿勢を指摘しています。これは、彼らが自身の技術を「秘密」とすることで、その独占性と商業的価値を保とうとしている証とも言えるでしょう。チームラボはオープンソースソフトウェアの恩恵を受けつつも、その成果物を「公共財」として還元するよりは、クローズドな環境で独自の「ギミック」として維持することを選んでいるように見えます。この戦略は、彼らが目指す「境界のない世界」という哲学と、現実の「商業的独占」という態度との間に、どうしても矛盾を抱えているように思えてなりません。

コラム:開発者のささやかな抵抗

私がチームラボを退社した後、時折、社内で活躍していた同僚たちが、個人的な活動として技術的なイベントで発表したり、ブログで開発の裏側を語ったりしているのを見かけました。それは、会社としての「チームラボ」の名の下に吸収されてしまう、個々のエンジニアリングの知見や、彼らの集合的クリエイティビティを形成する「個」の輝きを、外の世界に少しでも見せたいという、ささやかな抵抗のようにも感じられました。

多くの優れたクリエイターが、自分の技術やアイデアをオープンにすることで、コミュニティ全体が発展するという信念を持っています。その一方で、企業としては、独自技術が競争力となり、その秘密を守る必要がある。この板挟みの中で、クリエイターたちは、どのようにして自身の創造性を発揮し、その貢献を社会に還元していくべきなのか。この問いは、チームラボだけでなく、現代の多くのデジタルクリエイティブ企業が直面している課題なのでしょう。


都市開発の部品としてのテクノロジーアート:アートの未来はどこへ?

「世界のトップ」のその先へ

猪子寿之代表が語る「どんな分野なのかわからないけど、とにかく世界のトップに行きたい」という目標は、アブダビでの大規模常設展「teamLab Phenomena Abu Dhabi」やサウジアラビアのジッダへの進出を経て、ある程度の達成を見ているかもしれません。しかし、その「トップ」に立った後、チームラボは次に何を目指すのでしょうか?

【詳細】アートが都市の「部品」となる時

チームラボの活動は、近年、日本の地方創生における「街おこし」や「観光戦略」の重要な要素として組み込まれ、そして今、その軸足は中国や中東といった国外の大規模都市へと移っています。特に中東諸国は、石油依存からの脱却を目指し、観光立国へとシフトする中で、チームラボのような大規模テクノロジーアートをその戦略の「部品」として取り入れているのです。これは、アートが単なる文化活動に留まらず、国家レベルの経済戦略や都市開発のインフラとして機能し始めた現代の趨勢を象徴しています。

筆者は、この傾向がアートの商業化や本質的な価値の変質といった倫理的な問題を提起すると警鐘を鳴らしています。巨額の資金が投入される中東のプロジェクトでは、アートとしての独立性や批判的視点を維持することが極めて困難になる可能性があります。しかし、チームラボは、鎌倉市役所のプロポーザルや保育園の設計など、観光とは異なる文脈で街づくりに関わる建築プロジェクトも手がけており、これらの取り組みこそ、もっと評価されるべきだと筆者は考えています。アートが単なる客寄せパンダではなく、社会の持続可能性や教育、生活空間の質向上に貢献する可能性を秘めているからです。

京都駅前での新たな常設ミュージアム「チームラボ バイオヴォルテックス 京都」の計画では、京都市立芸術大学の学生が「作品創造の実験の場として使用できるプラットフォーム」となることが謳われています。これが単なる「客寄せパンダ」ではない、より深い意味を持つプロジェクトとなることを期待せずにはいられません。

コラム:遊園地から日常の風景へ

「未来の遊園地」が、全国のショッピングモールにやってきたとき、私はアートがより身近な存在になったと感じました。子供たちが歓声を上げながら作品の中で遊び、デジタルな世界と現実がシームレスに繋がる体験。それは、かつての私が抱いていた美術館の「敷居の高さ」を打ち破るものでした。

しかし、中東の超巨大プロジェクトや、都市開発の一部となるアートを見ていくと、その「身近さ」とは別の、より広大な、そして時に「巨大な歯車の一部」となっていくアートの姿が見えてきます。筆者は、チームラボが「祝祭と非日常から抜け出して、我々の生きる日常に進出してくること」を期待しています。それは、アートが単なる消費の対象ではなく、私たちの生活空間や社会の構造そのものに深く関わっていく未来を意味するのかもしれません。


結論:光の巨人が示すアートの未来と新たな羅針盤

チームラボは、その「超主観空間」という深遠な哲学と、数百人規模のエンジニアによる目に見えない「微調整」という職人的な「質」によって、世界に類を見ないイマーシブアート体験を創出してきました。しかし、その輝かしい成功の裏には、先行作品との類似性、著作権訴訟における哲学と商業主義の矛盾、個人の貢献が不可視化される集合的オーサーシップの課題、そして都市開発の「部品」として組み込まれるアートの倫理的持続可能性といった、現代アートが直面する複雑な問題が潜んでいます。

本稿が提起したこれらの論点は、チームラボを単なる成功事例として消費するのではなく、彼らの活動を通じて、ニューメディアアート、ひいては芸術そのものの未来を多角的に考察する契機となるでしょう。従来の美術批評の枠組みでは捉えきれない、技術と創造性が複雑に絡み合う現代アートを理解するためには、新たな「羅針盤」が不可欠です。

今後望まれる研究は、まさにこの羅針盤を構築することにあります。具体的には、以下のような学際的アプローチが不可欠です。

  1. デジタルアートの「質」を測る新たな批評軸の研究: 従来の美的価値判断に加え、ゲームデザイン、インタラクションデザイン、ユーザー体験(UX)やユーザビリティ(UI)、そしてソフトウェアエンジニアリングといった視点を取り入れた、より実践的で技術的な批評方法論の開発が急務です。これにより、作品のコンセプトだけでなく、その実装と体験の深さを定量・定性的に評価することが可能になるでしょう。
  2. デジタルアートにおける集合的オーサーシップと貢献度の可視化に関する研究: チームラボの事例をケーススタディとして、大規模なデジタルアート制作における集合的オーサーシップの法的・倫理的課題を深く掘り下げます。ブロックチェーン技術を用いたNFT(非代替性トークン)のような技術が、個々のクリエイターの貢献を適切に可視化し、評価するためのメカニズムとして機能し得るのか、その可能性を探るべきです。これは、クリエイターの権利保護とキャリアパスの多様化に直結します。
  3. メディアアートと都市開発・観光戦略の連動に関する社会学的・経済学的研究: アートが地域経済や都市ブランド形成の「部品」として機能する現状を、社会学的・経済学的に分析します。アートの商業化がその本質に与える影響、持続可能なアートビジネスモデルの確立、そしてアートが政治的・経済的意図に利用される際の倫理的境界線について、多角的な視点から評価が必要です。
  4. AIアート時代におけるデジタルアートの類似性・著作権問題の深化: 生成AIの発展により、既存作品との類似性や模倣の定義はさらに複雑化しています。チームラボの著作権訴訟事例は、AIアートにおけるクリプトムネジアやスタイル模倣の問題を考える上で重要な先行事例となるでしょう。未来のデジタルアートにおけるオーサーシップ、独創性、著作権保護のあり方について、新たな法的・哲学的枠組みを構築するための研究が不可欠です。
  5. デジタルアートのアーカイブと保存に関する研究: チームラボの作品は、ソフトウェア、ハードウェア、インタラクションが複雑に絡み合っており、その生命線は電力と技術の維持にあります。常設展の閉館と移転が繰り返される中で、これらの作品を適切にアーカイブし、未来の世代に作品体験を継承していくための技術的・制度的課題に関する研究も重要です。これは、デジタル文化遺産の保存という大きなテーマにも繋がります。

これらの研究が深化すれば、アート批評はより実践的で包括的なものへと進化し、クリエイターはより透明で公正な環境で活動できるようになるでしょう。また、都市や社会はアートを単なる装飾品としてではなく、持続可能な発展のための本質的な要素として位置づけることができるようになります。チームラボは、その「顔なき巨人」として、21世紀初頭のニューメディアアートの商業化と大規模化を牽引し、アートとテクノロジー、ビジネスの境界を再定義したパイオニアとして歴史に刻まれることでしょう。しかし、その真の歴史的位置づけは、彼らが提示した問いに対する、未来の私たちの応答によって初めて明確になるはずです。

「芸術は長く、人生は短し。」(ヒポクラテス)

この警句は、個々の人生が短い中で、いかにして芸術が永続的な価値を持ち得るかを示唆しています。チームラボの作品が、そのデジタルな性質ゆえに刹那的なものと見なされがちな現代において、彼らが残す「体験」と「問い」こそが、時間と空間を超えて受け継がれる「長き芸術」の新たな形となるのではないでしょうか。そして、その継承を可能にするための研究こそが、私たちの時代に課せられた使命なのです。

光紡ぐ 匠の技は 見えぬとも

境界溶かす 夢はそこにある


参考文献

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