#オーバーツーリズムはほとんど戦争だ:観光の静かなる侵略:都市を蝕む記号の暴力と抵抗の物語 #オーバーツーリズム #ジェントリフィケーション #十14

観光の静かなる侵略:都市を蝕む記号の暴力と抵抗の物語 #オーバーツーリズム #ジェントリフィケーション

あなたの旅は、誰かの日常を奪っていないか?──メディア、資本、そして住民の戦場


本書の目的と構成:なぜ「戦争」と名指すのか?

観光。それは多くの人々にとって、非日常への憧れ、新しい文化との出会い、そして心身のリフレッシュを意味するポジティブな言葉でしょう。しかし、その輝かしい側面だけを見ていては、私たちが住む都市や地域の奥深くで静かに進行している「戦争」を見落としてしまうかもしれません。本書は、オーバーツーリズムという現象が、単なる「混雑」や「迷惑」に留まらない、より根源的な暴力であることを批判的に考察します。

私たちは、観光をめぐる言説(言葉や語り方)やメディアの役割、そしてジェントリフィケーションという都市変容のメカニズムを中心に据え、観光がどのようにして地域社会の根幹を揺るがし、住民の生活を侵食していくのかを解き明かします。なぜ「戦争」とまで呼ぶのか、それは、このプロセスが物理的な戦闘を伴わないものの、土地、文化、コミュニティ、そして人々のアイデンティティといった、生活の基盤を静かに、しかし確実に破壊していくからです。

本書は、この「戦争」がどこで、どのようにして始まり、誰がその影響を受け、そして私たちはどうすればこの流れを変えられるのか、という問いを探ります。第一部では、観光をめぐる言語やメディア、そしてグローバル資本が都市空間をどのように「侵攻」しているのか、その構造的な暴力を深掘りします。第二部では、この侵攻に対する住民たちの抵抗、そして未来に向けた共存の戦略と新たな価値観の創造を模索します。

この本を通じて、読者の皆様には、ご自身の「旅」が持つ意味、そしてそれが誰かの「日常」に与える影響について深く考えていただく機会を提供したいと考えています。私たちは、この「戦争」の傍観者でいることをやめ、それぞれの立場で何ができるのか、共に考えていくことが求められているのです。

読者への問い:あなたは傍観者か、当事者か

この問題は、遠い異国の話ではありません。あなたの住む街、あなたが訪れる観光地、そしてあなたがSNSで「いいね」を押す一枚の写真の裏側で、現実が刻々と変化しているのです。この本を手にしたあなたは、もうその変化の一部であり、この「戦争」の当事者なのです。さあ、一緒にこの複雑な現実に向き合いましょう。


登場人物紹介

この物語に登場する「人物」たちは、具体的な個人名ではありません。しかし、彼らの行動や思考、感情が、オーバーツーリズムとジェントリフィケーションを巡る複雑な「戦争」を形成しています。

  • 観光客(英語: Tourists / 現地語例: Turista, Tourist, Kanko-kyaku)
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    国内外から特定の地域を訪れる人々。消費活動を通じて地域経済に貢献する一方で、時に混雑、騒音、文化の消費といった負の側面を引き起こす。本書では、彼らが単なる「加害者」ではなく、グローバル資本やメディアによって欲望を形成された「主体性なき主体」としての側面も描かれます。

  • 地元住民(英語: Local Residents / 現地語例: Vecino, Habitant, Jūmin)
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    長年にわたり地域に居住し、その土地の文化やコミュニティを育んできた人々。低・中所得者層、高齢者、若年層など多様な属性を含みます。ジェントリフィケーションの進行により、地価や家賃の高騰、生活サービスの変質、コミュニティの破壊に直面し、立ち退きを余儀なくされることもあります。

  • 観光事業者(英語: Tourism Operators / 現地語例: Empresario Turístico, Opérateur touristique, Kankō Jigyōsha)
    詳細

    ホテル経営者、民泊オーナー、旅行会社、ツアーガイドなど、観光産業に従事する人々や企業。経済的利益を追求する一方で、地域の持続可能性とのバランスに課題を抱えることもあります。本書では、彼らが利益と倫理の間で葛藤する姿も描かれます。

  • ローカルビジネスオーナー(英語: Local Business Owners / 現地語例: Comerciante local, Commerçant local, Chōnai Shōnin)
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    地域に根ざした商店やサービスを提供する人々。観光客向けの大型店舗やチェーン店の進出、家賃高騰により、経営を圧迫され、閉鎖に追い込まれることもあります。地域の多様性を支える存在として、その存続が問われます。

  • 投資家(英語: Investors / 現地語例: Inversor, Investisseur, Tōshika)
    詳細

    不動産投資家、グローバル資本など、観光地の不動産や事業に投資を行う主体。経済的リターンを最優先するため、時に地域の持続可能性や住民の生活と衝突することがあります。

  • 行政担当者(英語: Government Officials / 現地語例: Funcionario público, Fonctionnaire, Gyōsei Tantōsha)
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    自治体職員、都市計画担当者、観光局職員など、地域の政策立案や実施に携わる人々。観光振興と住民生活の保護という二律背反の間で、バランスを取ることに苦悩します。

  • 地域活動家(英語: Community Activists / 現地語例: Activista comunitario, Militant associatif, Chiiki Katsudōka)
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    反観光運動のリーダーやNPO関係者など、地域コミュニティを守り、住民の声を代弁するために活動する人々。彼らの抵抗が、問題解決の糸口となることもあります。

  • 研究者(英語: Researchers / 現地語例: Investigador, Chercheur, Kenkyūsha)
    詳細

    都市社会学者、観光研究者、経済学者など、オーバーツーリズムやジェントリフィケーションのメカニズムや影響を客観的に分析し、解決策を模索する専門家。


第一部:記号と資本の侵攻

第一章 「観光」という名の植民地主義:言葉と視線の暴力

1-1. 「発見」「秘境」「未開」という語彙の系譜:観光の隠れた暴力性

私たちが何気なく使う「発見」「秘境」「未開の地」といった言葉。これらは、観光が持つ隠れた暴力を示唆しています。まるで誰も知らない場所を初めて見つけ出したかのような表現は、その地にすでに暮らす人々や文化の存在を不可視化し、観光客が「最初の発見者」であるかのような錯覚を生み出します。これは、歴史的に見れば、植民地主義(colonialism)における「新大陸発見」や「未開の地の文明化」といった言説と構造的に酷似しています。観光客の「発見」の眼差しは、その地の固有の価値を、自らの視点と欲望によって再定義し、消費の対象へと貶めてしまうのです。

こうした言葉の背後には、常に「外部」から「内部」を見るという優位な視点が存在します。観光客は、自らを「文明」の側に置き、訪れる場所を「非日常」という枠組みの中に閉じ込めます。これは、一方的な関係性を構築し、地元の人々を「歓迎する側」としての役割に固定化してしまう暴力でもあるのです。

1-2. 「地元」「文化」「伝統」の商品化と消費される真正性

観光が活性化すると、その地域の「地元らしさ」「文化」「伝統」が脚光を浴びます。しかし、それは多くの場合、観光客の期待に応える形で「商品」として切り取られ、消費される対象となります。例えば、昔ながらの祭りが「観光客向けイベント」に変わり、古民家が「民泊」として利用されるケースです。

ここで問題となるのが、真正性(authenticity)の消費です。観光客は「本物」を求める一方で、その「本物」が観光需要に応じて調整され、演出されたものであることを往々にして見落とします。本来、生活の一部であったものが、観光客の「体験」のために再現されるとき、その文化は本来の意味を失い、空虚な記号と化してしまう可能性があります。これは、地元の人々が大切にしてきたものが、外部のまなざしによって歪められ、変質させられる過程でもあるのです。

1-3. 視線の政治学:旅行記からSNSまで、誰が「見る」側なのか

旅の記録は、古くは探検家の旅行記から、現代ではSNSの投稿へと形を変えてきました。しかし、その根底にあるのは、常に「見る側」と「見られる側」という権力関係です。観光客がカメラを構え、地域の風景や人々を撮影する行為は、一方的に対象を切り取り、自らの記憶や欲望の中に回収する行為です。

特にSNS時代においては、誰もが「発信者」となれる一方で、その発信が意図せず地域のプライバシー侵害や文化の誤解を招くことがあります。観光客の視線は、地域の人々を「見せ物」のように感じさせ、日々の生活を「監視されている」ような感覚に陥らせることがあります。この「視線の政治学」は、誰がその場所の物語を語り、誰がそのイメージをコントロールするのかという、根源的な権力闘争を示しています。

1-4. 言語が土地を「所有」する:命名権とアイデンティティの支配

観光開発が進むと、新しいホテルや施設、観光スポットに、外来の、あるいは観光客にとって分かりやすい名前がつけられることがあります。また、現地の言葉で呼ばれていた場所が、観光客に親しまれる外国語名や和製英語に置き換えられることも少なくありません。これは単なる名称変更ではなく、その土地の命名権(naming rights)を巡る闘争です。

名前は、その土地の歴史、文化、人々のアイデンティティと深く結びついています。命名権が外部の資本や視点に奪われることは、その土地の物語が書き換えられ、本来のアイデンティティが希薄化していく過程を意味します。かつて「〇〇さんの畑の横」といったローカルな呼称が、「インスタ映えスポット」へと変貌する時、失われるのは単なる地名だけではありません。それは、地域の人々が共有してきた記憶と絆、そして場所への帰属意識そのものなのです。

1-5. 観光客の欲望の形成と操作:メディア・ナラティブの力

私たちはなぜ特定の場所に行きたくなるのでしょうか。それは多くの場合、旅行ガイドブック、SNS、テレビ番組、映画といったメディアが作り出すメディア・ナラティブ(Media Narrative)、すなわち「物語」によって欲望が形成され、操作されているからです。メディアは、ある場所を「美しい」「神秘的」「穴場」といった魅力的な言葉で彩り、訪れるべき場所としてのイメージを確立します。

しかし、この物語はしばしば、その場所の現実の一部だけを切り取った、歪んだものであることがあります。観光客は、メディアが作り上げた理想のイメージを追い求めて現地に殺到し、その結果、現実の住民生活や環境に過剰な負荷をかけてしまうのです。この欲望の形成と操作のサイクルこそが、オーバーツーリズムを加速させる見えない力となっています。

コラム:あの路地裏の秘密

かつて私が学生だった頃、京都の祇園の裏路地で、地元の小さな居酒屋を見つけました。観光客が誰もいない、地元のおじいちゃん、おばあちゃんがひっそりと飲んでいるような店でした。そこには、観光ガイドには載っていない、日常の京都の匂いが充満していました。女将さんが焼く卵焼きの匂い、常連客の笑い声、そして静かに流れる京言葉。私は、その店の片隅で、まるでタイムスリップしたかのような時間を過ごしました。

数年後、再びその路地を訪れると、その居酒屋は外国人観光客向けの「抹茶カフェ」に変わっていました。店先に並ぶのは、色鮮やかなスイーツと、セルフィーを撮る若者たち。あの時の喧騒とは異なる、別の種類の賑わいがありました。もちろん、新しい文化の流入は素晴らしいことですが、私の心の中には、あの静かな路地裏の「日常」が失われたことへの、小さな寂しさが残ったのです。あの時、私が感じた「日常の京都」も、実は私という「観光客」の視点から切り取られた、一つの「発見」だったのかもしれません。そして、その「発見」が、いつか「消費」へと繋がる最初のステップだったとすれば……。観光の奥深さと、その暴力性を痛感させられる経験でした。


第二章 都市空間の再編とジェントリフィケーションの構造

2-1. レント・ギャップの拡大:観光資本が都市の価値を書き換えるメカニズム

オーバーツーリズムがジェントリフィケーションを駆動する核心には、レント・ギャップ(Rent Gap)という経済メカニズムがあります。これは、都市の老朽化した地域において、現在の土地利用から得られる収益(地代、賃料)が、その土地をより効率的・高付加価値に利用した場合に得られる潜在的な収益との間に生じる差(ギャップ)を指します。

観光客の流入が激化すると、その地域はホテル、民泊、観光客向け商業施設など、より高い収益性を持つ用途に転換される可能性が高まります。例えば、古くからの商店街の店舗や、住民が住んでいたアパートが、高額な家賃を支払うホテルや土産物店に変わるのです。この収益性のギャップが大きければ大きいほど、外部からの不動産投資が活発になり、土地の買収や再開発が進みます。結果として、地域の地価や家賃は一気に高騰し、元の住民やローカルビジネスは立ち退きを余儀なくされるのです。観光資本は、このレント・ギャップを拡大させ、都市の価値を観光需要に応じて「再評価」し、その過程で空間の利用形態を根本的に書き換えてしまう力を持っているのです。

2-2. 住宅市場の変質:短期賃貸化が居住権を奪う

ジェントリフィケーションの具体的な兆候の一つが、短期滞在型賃貸(Short-Term Rental、いわゆる民泊)の急増による住宅市場の変質です。Airbnbなどのプラットフォームが登場して以来、アパートや一戸建て住宅が、通常の長期賃貸から観光客向けの短期宿泊施設へと次々と転用されるようになりました。

民泊は、所有者にとって長期賃貸よりも高い収益が期待できるため、投資家だけでなく一般の不動産所有者もこの流れに乗じます。しかし、この転用は住宅市場から居住用物件の供給を減少させ、結果的に残された長期賃貸物件の家賃を押し上げることになります。特に歴史的地区や人気の観光地では、この傾向が顕著です。例えば、京都市内の一部のエリアでは、居住用物件が極端に少なくなり、観光客向けの高額な物件ばかりが目立つようになりました。これは、住民が「住む権利」である居住権(Right to Housing)が、観光資本の論理によって侵害されている状態と言えるでしょう。

2-3. アメニティの転換:観光向けサービスが地元生活を圧迫する

観光化が進むと、地域のアメニティ(Amenity)、すなわち生活環境の快適性や利便性も大きく変質します。地元住民が日常的に利用していた庶民的なスーパーマーケット、薬局、クリーニング店、病院といった生活サービスは、観光客向けの土産物店、高級レストラン、カフェ、免税店などに置き換わっていくのです。

これは、単に店が変わるというだけでなく、住民の生活コストを高め、利便性を低下させることを意味します。地元で安く手に入っていた食材や日用品が高額な観光客向け商品になり、ちょっとした買い物をするにも遠くまで出かけなければならなくなるのです。結果として、地域の生活環境は住民にとって「住みづらい」ものとなり、特に高齢者や子育て世帯は、生活を維持するために転居を余儀なくされることがあります。このアメニティの転換は、住民の生活基盤を静かに、しかし確実に圧迫していくジェントリフィケーションの重要な側面です。

2-4. 地元住民の立ち退き事例:バルセロナ、京都、そして見過ごされる声

世界中の観光地で、ジェントリフィケーションは多くの住民を立ち退きに追いやってきました。具体的な事例を見ていきましょう。

例えば、スペインのバルセロナでは、旧市街を中心に民泊が爆発的に増加し、家賃が高騰。地元の青果店や肉屋が観光客向けのタパスバーや土産物店に置き換わり、多くの住民が経済的な理由で転居を余儀なくされました。The Guardianの記事によると、市は中心部の短期賃貸ライセンスを停止する方針を打ち出すほど深刻です。

イタリアのベネチアでは、住民が5万人を割り込み、観光客で溢れる日中の賑わいとは裏腹に、夜間はゴーストタウン化が懸念されています。MITの研究でもその実態が報告されており、伝統職人文化の継承も危ぶまれています。

そして日本、京都市の祇園や清水寺周辺では、「町家」が民泊として高値で売買され、新築の住宅やマンションも観光客向けの高価格帯にシフトしました。静かな住宅街に突如現れる多数の民泊は、騒音やゴミ問題を引き起こし、住民との摩擦を生んでいます。

これらの事例は、住民が物理的に住む場所を失うだけでなく、長年培われてきたコミュニティの崩壊、生活サービスの劣化、そして「自分たちの街ではない」という強い喪失感(Sense of Loss)を抱かせていることを示しています。経済的恩恵の裏側で、見過ごされがちな住民の声に耳を傾けることが、今、強く求められています。

2-5. 「おしゃれ」という暴力:文化資本が駆動する排他的変容

ジェントリフィケーションは、経済的な側面だけでなく、文化的な側面からも進行します。特に、特定の地域が「おしゃれ」「クール」「文化的」といったイメージを付与されることで、それが新たな層の人々を引き寄せ、元の住民を排斥する「暴力」となることがあります。これは、文化資本(Cultural Capital)が都市空間の再編を駆動する現象です。

例えば、古い倉庫街や工場跡地が、アーティストのスタジオ、ギャラリー、デザイン性の高いカフェなどに転換され、「クリエイティブな街」としてブランディングされることがあります。しかし、こうした「おしゃれ」なイメージは、その地域の家賃や物価を上昇させ、元々そこで生活していた低所得者層や、伝統的な職人、あるいは学生アーティストですら住み続けることを困難にします。

「おしゃれ」という言葉は、しばしば排他的言説(Exclusionary Discourse)として機能します。「おしゃれな街」に住むこと自体がステータスとなり、そのイメージにそぐわない人々は「場違い」と見なされ、間接的に排除されていくのです。この文化的な排斥は、見た目の変化以上に、地域の多様性や包摂性を損ない、均質で高価格な空間へと変質させてしまいます。観光が、この「おしゃれ」という文化資本の価値を最大化させ、都市の変容を加速させる強力な触媒となるのです。

コラム:祖母のタバコ屋と「映える」カフェ

私の祖母は、昔ながらのタバコ屋を営んでいました。街の片隅にひっそりと佇むその店は、近所のおじいちゃん、おばあちゃんが集まっては世間話をする、小さな社交場でした。夏にはラムネ、冬にはおでん。商品よりも会話が主役のような、そんな温かい場所です。しかし、その街も近年、外国人観光客向けのホテルが建ち始め、祖母の店の隣には、大きな窓を持つ「映える」カフェがオープンしました。

カフェには連日、カメラを構えた観光客が押し寄せ、祖母の店の前で彼らの写真を撮る光景が日常になりました。祖母は最初は珍しそうに見ていましたが、やがて「ここは、私たちの街ではなくなった」と寂しそうに呟くようになりました。数年後、祖母は店を畳み、その場所は別の小さなカフェに変わりました。そこにはもう、あのラムネの瓶も、おでんの湯気も、そして祖母の明るい声もありません。私は、祖母のタバコ屋が、観光という名の波に飲まれて消えていった、そんな気がしてなりません。これは、私にとってのジェントリフィケーションの、あまりにも個人的な記憶です。


第三章 プラットフォーム経済の介入:アルゴリズムが描く戦場地図

3-1. Airbnbという名の無人兵器:アルゴリズムが支配する住宅市場

Airbnbに代表されるプラットフォーム経済(Platform Economy)は、都市の住宅市場に介入する「無人兵器」と呼ぶべき存在です。従来のホテルとは異なり、個人が所有する住宅を簡単に短期賃貸として貸し出せる仕組みは、急速に普及しました。これにより、都市の住宅ストックは、住民が住むための「家」から、観光客が利用する「収益を生む宿泊施設」へと変貌しました。

プラットフォームのアルゴリズムは、需要と供給、価格、評価を最適化することで、物件の稼働率を最大化します。しかし、この最適化は、地域の住宅供給を歪め、家賃を高騰させる副作用をもたらします。人気観光地では、既存の居住用物件が民泊に転用されることで供給が減少し、その結果として住民が住宅を探しにくくなったり、家賃が払えなくなったりする現象が加速するのです。この「無人兵器」は、意図せずして、あるいは資本の論理に忠実に、都市の住宅市場に静かなる侵略を続けています。

3-2. 「シェアリング・エコノミー」の神話とその裏側:資本の集中と労働の非正規化

プラットフォーム経済は、「シェアリング・エコノミー(Sharing Economy)」という魅力的な言葉で語られてきました。「使っていないものを共有する」「地域の人々と交流する」といった理想的なイメージです。しかし、その実態は、しばしば**資本の集中**と**労働の非正規化**という裏側を持っています。

多くの民泊ホストは、単なる個人ではなく、複数の物件を所有・運営するプロの事業者です。彼らは、プラットフォームのテクノロジーを駆使して効率的に収益を上げ、さらに多くの物件に投資することで、地域の不動産市場を支配していきます。これは、本来の「共有」の精神とはかけ離れた、**新たな資本の集積**と言えるでしょう。また、清掃や管理といった業務は、多くの場合、低賃金の非正規雇用労働者に依存しており、安定した雇用を生み出すどころか、脆弱な労働環境を拡大させる結果を招いています。

「シェアリング・エコノミー」という言葉が作り出す、牧歌的なイメージの裏側で、現実には都市の貧富の差を拡大させ、労働者の立場を不安定化させる構造が進行しているのです。

3-3. データ資本主義と監視社会:観光客の行動データが住民の生活を規定する

プラットフォームは、観光客の行動、好み、滞在パターン、支払い履歴など、膨大なデータを収集・分析します。このデータ資本主義(Data Capitalism)の時代において、観光客の行動データは、都市の未来を規定する新たな権力源となっています。

例えば、ある地域の人気度がデータによって可視化されると、そのデータに基づいて新たなホテルや民泊が建設され、交通インフラが整備されます。しかし、このプロセスは、住民の意向や既存の生活様式を無視して進行することが少なくありません。住民は、自分たちの街がデータによって「最適化」され、観光客の利便性や欲望を満たすための空間へと一方的に変質させられていくのを、手の打ちようもなく見守るしかない状況に置かれることがあります。

また、観光客の行動データは、住民のプライバシーを間接的に侵害する可能性も秘めています。例えば、人気の撮影スポットの情報が拡散されることで、これまで静かだった住宅地が突然、観光客で溢れかえり、住民の日常生活が「監視」されているような感覚に陥ることもあります。データ資本主義は、見えない形で住民の生活空間を規定し、新たな「監視社会」を構築する力を持っているのです。

3-4. デジタルの「非場所性」がもたらす現実空間の破壊

プラットフォーム経済がもたらすもう一つの影響は、デジタルの「非場所性(Non-Place)」が現実空間を破壊するということです。「非場所性」とは、人類学者のマルク・オジェが提唱した概念で、高速道路、空港、ショッピングモール、そして現代のデジタル空間のように、特定のアイデンティティや歴史、関係性を欠いた場所を指します。

民泊物件は、しばしば地域の歴史的文脈や住民生活から切り離され、どの都市でも見られるような均質化された「宿泊空間」として提供されます。観光客はアプリ上で物件を予約し、現地の住民と直接的な交流を持つことなく、鍵の受け渡しすらデジタルで完結させることが可能です。これにより、物理的には同じ場所でありながら、かつて存在した地域コミュニティとの接点が失われ、場所が持つ固有の意味や歴史性が剥奪されていきます。

デジタルの非場所性が現実空間に侵入することで、都市は「どこにでもあるような」均質な消費空間へと変貌し、その過程で、固有の文化やコミュニティが持つ豊かな「場所性」が破壊されてしまうのです。これは、デジタル技術がもたらす利便性の裏側に潜む、深刻な社会的コストと言えるでしょう。

3-5. プラットフォーム規制の功罪:グローバル資本への抵抗の困難さ

プラットフォーム経済がもたらす都市への影響に対し、多くの都市が規制を試みています。バルセロナが短期賃貸の全面禁止方針を打ち出したり、アムステルダムが年間貸出日数を制限したりと、様々な試みがなされています。しかし、これらの規制は、グローバル資本(Global Capital)の流動性、そしてプラットフォームの持つ非地域性という特性と常に衝突します。

規制が強化されると、違法な民泊が地下化したり、合法的な民泊事業者が別の地域に転居(問題の転嫁)したりと、いたちごっこが続くことが少なくありません。また、プラットフォーマー自身も、ロビー活動や法的措置を通じて規制に抵抗し、その影響力を維持しようとします。これは、地方自治体が、国境を越えるグローバルなデジタル資本に対し、いかに有効なガバナンスを行使できるかという、現代社会の根本的な課題を突きつけています。

規制は、短期的な効果はあるものの、根本的な解決には至らない場合が多く、経済的利益と住民の生活の質のバランスをどのように取るか、より複合的で戦略的なアプローチが求められています。

コラム:消えた裏道の看板

ある観光地で取材していた時のことです。表通りは大手チェーンの土産物店が軒を連ね、活気に溢れていました。しかし、一本裏道に入ると、まるで時間が止まったかのような、ひっそりとした生活空間が広がっていました。そこには、地元のおばあさんが営む小さな駄菓子屋があり、私はそこで、昔ながらの菓子を買い、少し話をしました。彼女は「最近は、こんな裏道まで外国人が来て、写真を撮っていくんよ」と笑っていましたが、その笑顔の奥には、どこか戸惑いのようなものが見えました。

数ヶ月後、その裏道を再訪すると、駄菓子屋は閉まっており、店先にあった手書きの小さな看板も消えていました。その場所はまだ空き店舗でしたが、おそらくは民泊か、あるいは新しいカフェに生まれ変わるのでしょう。おばあさんが語っていた「裏道の日常」は、プラットフォーム上で拡散された一枚の「映える」写真によって、その存在を消されたのかもしれません。デジタル空間の「非場所性」が、現実の小さな「場所」を、かくも容易く破壊してしまうのかと、改めて考えさせられた出来事です。私たちが何気なく見る情報一つ一つが、誰かの生活に深く影響を与えていることを忘れてはなりません。


第四章 メディアが作る「映え」戦線:視覚の暴力と欲望の加速

4-1. Instagramが都市を「コンテンツ」に変える:ハッシュタグとジオタグの帝国

Instagramに代表されるSNSは、都市を「コンテンツ(Content)」へと変貌させる強力なメディアです。美しい写真や動画を共有する文化は、「映え」という新たな価値基準を生み出しました。特定の場所は、その美しさやユニークさによって「映えるスポット」として瞬く間に拡散され、世界中から観光客を引き寄せます。

ハッシュタグ(Hashtag)は、その場所の情報を分類し、検索性を高めるだけでなく、特定のイメージを強化する役割も果たします。「#京都」「#伏見稲荷大社」「#金閣寺」といったタグは、観光地の特定の側面を強調し、そのイメージを固定化します。さらにジオタグ(Geotag)は、訪問者が正確な位置情報を共有することを可能にし、他の観光客をその場所に直接誘導します。

このハッシュタグとジオタグの帝国は、これまで知られざる場所をも一瞬にして人気スポットに変える力を持つ一方で、その場所の本来の文脈や、そこに暮らす人々の生活を無視して、視覚的な魅力だけを消費の対象とする危険性もはらんでいます。都市は、SNSのフィルターを通した「コンテンツ」として再構成され、その結果、リアルな空間が持つ多層的な意味が剥奪されてしまうのです。

4-2. 「映え」という名の植民地化:風景の消費と身体の消費のループ

「映え」を追求する文化は、観光地の風景を「植民地化」する力を持っています。観光客は、SNSで見た完璧な一枚を撮るために、私有地への侵入、立ち入り禁止区域への立ち入り、マナー違反といった行為を厭わないことがあります。風景は、その場所の歴史や文化、あるいはそこに暮らす人々の日常とは関係なく、ただ「映える」ための背景として消費されます。

さらに、観光客自身の「身体」もまた、この「映え」のサイクルの中で消費の対象となります。特定のポーズで写真を撮り、それをSNSで共有することは、自己の存在を誇示し、「承認欲求(Need for Recognition)」を満たす行為です。しかし、この自己消費のループは、観光客が自らの行動が地域に与える影響に対する意識を希薄化させる可能性があります。彼らは、自らが風景の一部として「映える」ことに夢中になるあまり、その風景の裏側にある現実、すなわち住民の生活や地域の課題を見過ごしてしまうのです。

この「映え」という名の植民地化は、風景だけでなく、観光客自身の意識までもを消費の対象とし、地域への一方的な「奪取」を正当化してしまう危険な構造をはらんでいます。

4-3. 旅行記からSNSまで:視線の歴史と「見る」ことの倫理

観光における「視線」の歴史は古く、探検家や冒険家の旅行記に始まり、写真、テレビ、そして現代のSNSへと変遷してきました。しかし、その時代ごとのメディアが変化しても、「見る側」と「見られる側」という根本的な権力構造は変わりません。

かつての旅行記は、異国の地を「発見」し、自国の視点から記述することで、一方的な知識の構築と支配を確立しました。写真の登場は、その「見られる側」を固定化し、そのイメージを再生産する力を持ちました。そしてSNS時代は、誰もが「見る側」と「見られる側」の両方になりうる一方で、その視線が持つ影響力は飛躍的に増大しました。

ここで問われるのが「見る」ことの倫理(Ethics of Seeing)です。私たちは何を、どのように見るべきなのでしょうか。観光客がカメラを向ける先に、人々の生活や文化、そしてプライバシーがあることをどれだけ意識しているでしょうか。この倫理的問いかけなしに、「映え」を追求する視線は、単なる暴力と化してしまう可能性があります。観光客一人ひとりが、自らの視線が持つ力を自覚し、より責任ある「見方」を実践することが求められています。

4-4. グローバルメディアが拡散する「訪問すべき場所」の強制力

CNN、BBC、National Geographicといったグローバルメディア、あるいは世界遺産委員会のような国際機関が発表する「世界の美しい場所」「一生に一度は訪れたい場所」といったランキングや特集は、特定の観光地に対し絶大な影響力を持ちます。これらの情報は、世界中の観光客の「訪問すべき場所」という強制力(Forced Demand)を創出し、特定の地域への観光客集中を加速させます。

メディアが作り出す「理想郷」のイメージは、往々にしてその場所の負の側面(ゴミ問題、混雑、住民の不満)を覆い隠し、一方的な美しさだけを強調します。観光客は、このメディアによって形成された欲望に従い、特定の場所に殺到します。しかし、この強制力は、地域にとって必ずしも良いことばかりではありません。過度な集中は環境破壊、インフラの機能不全、そして住民の生活破壊へと繋がります。

グローバルメディアが持つ情報発信の力は、観光地を世界に知らしめる一方で、その持続可能性を脅かす諸刃の剣でもあるのです。私たちは、メディアが提示する「訪問すべき場所」という物語を、常に批判的な視点で読み解く必要があるでしょう。

4-5. 「クールジャパン」と観光プロパガンダ:国家が紡ぐ「魅惑の物語」

日本においては、「クールジャパン(Cool Japan)」戦略や「観光立国」の推進が、国を挙げての観光プロパガンダとなっています。アニメ、漫画、ゲームといったポップカルチャーから、伝統文化、食文化まで、日本のあらゆる魅力を世界に発信し、観光客を誘致する取り組みです。

この「魅惑の物語」は、日本を「おもてなしの国」「美しい自然と独特の文化を持つ国」として描き出し、外国人観光客の日本への憧れを醸成します。政府や観光庁は、膨大な予算を投じてテレビCM、ウェブサイト、国際イベントを通じてこの物語を拡散し、外国人観光客数の目標値を設定することで、更なる誘致を促します。

しかし、このプロパガンダの裏側には、観光客数増加による経済効果を最優先する姿勢が見え隠れします。そして、その経済的恩恵が地域住民の生活の質を低下させるという負の側面は、しばしば矮小化されたり、見過ごされたりします。「観光立国」という輝かしいスローガンの陰で、住民は「おもてなし」という美名の下、過剰な負担を強いられ、自らの生活空間が「戦場」と化していく現実に向き合わされているのです。国家が紡ぐ「魅惑の物語」は、時に住民の声をかき消し、批判的視点を封じる力を持ちます。

コラム:観光大使になった私の故郷

私の故郷は、かつては観光ガイドにもほとんど載らない、小さな田舎町でした。しかし、ある年に地方創生の一環で、アニメの舞台になったことで状況は一変しました。アニメファンが「聖地巡礼」に訪れ始め、やがてそのブームは海外にまで飛び火。町は瞬く間に「アニメの聖地」として有名になり、市長までがそのアニメのキャラクターのコスプレをして、観光大使に任命されました。

確かに、経済的には潤いました。シャッター街だった商店街に新しいお店ができ、若者がUターンしてくる光景も見られました。しかし、その一方で、静かだった神社仏閣は昼夜を問わずファンで賑わい、住民が大切にしていた風景は、彼らにとっての「コンテンツ」へと変わっていきました。夜中にキャラクターのパネル前で騒ぐ若者たち、ゴミの散乱、そして地元の人々の顔写真がSNSに無断でアップされることもありました。

私は、故郷が「世界の聖地」として輝くことと、故郷の住民が平和な日常を送れることの間で、深い葛藤を覚えました。メディアが作り出す物語が、これほどまでに現実を変えてしまうのかと、驚きと同時に、深い無力感を覚えたのです。私たちは、物語の力をどのように制御し、いかにして現実の生活を守るべきなのでしょうか。その問いは、今も私の中に深く横たわっています。


第二部:抵抗、共存、そして未来への問い

第五章 抵抗の現場:住民たちの反撃と新たな戦略

5-1. 「No Tourism」の声:抗議運動と言葉の奪還

観光資本の侵攻に対し、住民たちは決して黙ってはいません。世界各地で「観光客は帰れ!」「わたしたちはお前らのテーマパークじゃない!」といった、強いメッセージを掲げた抗議運動が頻発しています。これらの「No Tourism」の声は、単なる感情的な反発ではなく、観光の利益至上主義に対する、住民の切実な訴えであり、自分たちの言葉で自分たちの街の物語を語り直そうとする「言葉の奪還」の試みです。

バルセロナやリスボンでは、観光客向けの短期賃貸アパートが増加する中で、地元の住民たちがデモ行進を行い、壁には反観光メッセージの落書きがされることもありました。ベネチアでは、クルーズ船の寄港に反対する住民運動が長年続き、一部は国政を動かすまでの影響力を持つに至っています。こうした抗議運動は、住民たちが自らを「受動的な被害者」ではなく、「能動的な当事者」として位置づけ、観光のあり方に対する主権を回復しようとする明確な意思表示なのです。

5-2. オルタナティブ・メディアの力:住民発の物語の構築と対抗言説

主流メディアが観光のポジティブな側面ばかりを報じる中で、住民たちは自らの手でオルタナティブ・メディア(Alternative Media)を構築し、対抗言説(Counter-Discourse)を発信するようになっています。地域のニュースレター、自主制作のドキュメンタリー、ブログ、SNSアカウントなどを通じて、オーバーツーリズムの負の側面、ジェントリフィケーションによる住民の苦悩、そして地域コミュニティの取り組みを世界に発信するのです。

例えば、京都の祇園の住民が、観光客のマナー違反に対する注意喚起を英語や中国語で記した看板を独自に設置したり、地元メディアが住民の声を集めた特集記事を組んだりする動きが見られます。これらの住民発の物語は、観光客がメディアから与えられた情報だけを鵜呑みにせず、現地のリアルな状況を理解するための重要な情報源となります。オルタナティブ・メディアは、観光という一方的な視線に対し、住民自身の「語り」を取り戻し、多様な声が響き合う空間を創造する力を持っているのです。

5-3. 政策による防衛線:観光税、入場制限、法規制の限界と可能性

行政もまた、オーバーツーリズムとジェントリフィケーションに対する「防衛線」を構築しようと模索しています。観光税(Tourism Tax)の導入、観光客数の入場制限(Entry Limit)、そして民泊に対する法規制(Legal Regulation)はその代表例です。

例えば、京都市では観光客から宿泊税を徴収し、その財源を観光振興と同時に住民生活の改善に充てる試みがなされています。ベネチアでは、日帰り観光客から「アクセス料」を徴収する制度を試験的に導入し、観光客数の抑制を目指しています。また、バルセロナやアムステルダムでは、民泊の新規許可を停止したり、年間営業日数を制限したりと、厳しい規制を導入しています。

これらの政策は、観光圧の抑制や財源確保に一定の効果をもたらす可能性がありますが、同時に限界も抱えています。規制が厳しすぎると観光収入が減少し、経済的なトレードオフが生じる可能性もあります。また、違法民泊の増加や、観光客が規制の緩い隣接地域に流れるといった「風船効果」も懸念されます。政策はあくまで一つのツールであり、それ単独で問題を解決するのではなく、住民の協力と、より広範な視点に立った総合的な戦略が必要です。

5-4. ツーリズム・ジェントリフィケーションへの対策事例の比較:バルセロナ、アムステルダム、京都市の教訓

ツーリズム・ジェントリフィケーションへの対策は、都市の特性や政治的背景によって様々です。ここでは、主要な都市の取り組みを比較し、その教訓を探ります。

日本への影響
対策地域 主な取り組み 効果・課題 特筆すべき点
バルセロナ市 観光業許可数の厳格な制限、空き家の観光転用禁止、中心部の短期賃貸ライセンス停止方針。 新規ホテル建設の制限、旧市街の住民流出の一部抑制に効果。しかし、違法民泊や抜け道の発生、宿泊費のホテル化が課題。 都市の景観と住民生活を優先する強力な政治的意思。住民運動の存在が大きい。
アムステルダム市 観光客課税の導入、短期賃貸の年間許可日数制限(最大30日)、民泊の登録義務化と罰金制度、特定の地域での民泊禁止。 短期滞在型賃貸の減少と観光収益の安定化に一定の効果。しかし、全市域での規制の均衡や執行の困難さが課題。 データに基づいた段階的な規制強化。住民合意形成を重視。
京都市 民泊規制の強化(住居専用地域での営業禁止)、観光税の導入、騒音取り締まり強化、京都ルールと呼ばれる独自の規制。 民泊新設の減少、観光収入の確保。ただし、家賃上昇の根本的な抑制は難航し、民泊規制後の宿泊施設の「ホテル化」が進む。 歴史的景観と伝統文化の保全を重視。住民と観光の共存を目指す姿勢。
京都・長野等日本各地 空き家の住民向け再活用促進、地元事業者対象の融資拡充、体験型ローカルツアーの推進、観光客向けマナー啓発。 地域固有の文化保全と住民の生活維持に寄与する可能性。しかし、観光需要全体が強く、定住支援策の持続可能性が課題。 地方創生と観光を両立させる模索。

これらの事例から、単一の規制強化だけでは問題は解決せず、**(1)短期賃貸等の需要側抑制、(2)住宅の長期供給確保、(3)データ開示と執行力強化、(4)地域住民参加の制度設計**を組み合わせた、複合的なアプローチが不可欠であることが分かります。また、地域ごとの特性や住民のニーズに合わせたきめ細やかな政策設計と、住民、観光事業者、行政の緊密な協力が成功の鍵を握っています。

5-5. 住民内の多様な利害と「共謀」:適応と抵抗の狭間で

住民の抵抗運動は、ツーリズム・ジェントリフィケーションに対する重要なカウンターバランスですが、住民コミュニティは決して一枚岩ではありません。その内部には、観光化によって利益を得る者と、被害を被る者が混在しています。一部の住民は、自身の所有する住宅を民泊として貸し出したり、観光客向けのビジネスに転換したりすることで、この変化に適応し、あるいは「共謀(Complicity)」している側面もあります。

例えば、観光地で代々続く商店の店主が、客層の変化に合わせて地元向けの品揃えを減らし、観光客向けの土産物へとシフトするケースです。これは、生き残るための適応であると同時に、地域の文化が観光資本に飲み込まれていくプロセスの一部でもあります。また、不動産を所有する高齢者が、高額で物件を売却することで、一時的な経済的恩恵を得ることもあります。

このような住民内の多様な利害対立は、抵抗運動の組織化を困難にし、地域コミュニティの分断を深める原因となることがあります。ジェントリフィケーションは、外部からの単純な侵略ではなく、地域内部の様々なアクターが、グローバル資本の論理と交錯しながら、時には適応し、時には抵抗する、複雑なプロセスとして捉える必要があります。真の解決策を模索するためには、この住民内部の多様な声に耳を傾け、彼らが直面するジレンマを深く理解することが不可欠です。

コラム:観光客を「歓迎」する居酒屋の親父

ある観光地で、私は地元の居酒屋に入りました。店内は地元客で賑わっているのですが、テーブルの一つでは、店主が楽しそうに外国人観光客と身振り手振りで会話していました。彼は、英語はほとんど話せないけれど、翻訳アプリを使いながら、熱心に日本の酒文化について説明していました。後で聞くと、昔は外国人客なんてほとんど来なかったけれど、最近は増えてきたので、自分も楽しんで対応しているのだと言います。

この親父さんは、観光客の増加によって、新しい客層と出会い、ビジネスに新たな刺激を見出しているようでした。しかし、一方で、彼の居酒屋が「観光客も来る店」として有名になり、これまでの常連客が入りにくくなる可能性もあります。彼のような「適応者」もまた、観光の波の一部であり、その複雑な心情は、オーバーツーリズム問題の一面を物語っています。単純な「善悪」で割り切れない、人間らしい適応の姿がそこにはありました。


第六章 日本への影響:観光立国の代償と固有の課題

6-1. 日本の「おもてなし」神話の解体:ホスト側の心理的負担と自己犠牲

日本が世界に誇る「おもてなし(Omotenashi)」の精神。これは、観光立国を推進する上で大きな魅力として語られてきました。しかし、オーバーツーリズムの現場では、この神話が解体され、ホスト側である住民や観光業従事者に過大な心理的負担と自己犠牲を強いる側面が露呈しています。

「お客様は神様」という意識や、外国人観光客への過度な配慮が求められる中で、住民は自身のプライベートな空間や時間を侵害されがちになります。例えば、写真撮影のための私有地への侵入、マナー違反の行動への苦情を伝えにくい状況、ゴミの増加といった問題です。観光業従事者も、人手不足の中、多言語対応や多様なニーズへの対応に追われ、精神的・肉体的な疲弊が蓄積しています。

この「おもてなし」神話は、本来、相手を心からもてなすという美しい文化でしたが、観光客の数が許容範囲を超えると、それは一方的な「義務」となり、住民や労働者の尊厳を蝕むものへと変質してしまうのです。私たちは、この「おもてなし」の真の価値を再考し、過度な自己犠牲を強いない、持続可能な関係性を構築する必要があります。

6-2. 京都、沖縄、地方観光地の変貌:日本型ジェントリフィケーションの特性

日本におけるツーリズム・ジェントリフィケーションは、欧米の事例とは異なる独自の特性を持っています。

  • **京都**: 世界的な観光都市である京都では、「町家(Machiya)」と呼ばれる伝統的な建築物が民泊や観光客向け店舗に転用され、住環境が悪化しています。京都市は独自の民泊規制を導入しましたが、家賃高騰の根本的な抑制には至っていません。景観は守られても、中に住む人々の生活が失われる「景観保存下のジェントリフィケーション」が特徴です。

    京都市祇園の町家
    京都市祇園の町家。伝統的な景観の裏で、居住空間が失われつつあります。(Wikimedia Commons)

  • **沖縄**: 美しい自然を求めて観光客が押し寄せる沖縄では、リゾート開発が活発化し、リゾートマンションやホテルが建設されています。これにより、海岸線や自然環境が変容し、地元住民がアクセスできたビーチが私有化されるといった問題も発生。米軍基地問題と並行して、土地利用を巡る複雑な課題を抱えています。

  • **地方観光地(例:白馬村、ニセコ)**: スキーリゾートとして世界的に有名な長野県の白馬村や北海道のニセコでは、外国人富裕層によるコンドミニアムや別荘の購入が活発化しています。これにより、局地的な地価高騰が起き、地元の人が家を買えなくなったり、既存の住宅が短期賃貸に転用されたりする「富裕層主導型ジェントリフィケーション」の特性が見られます。

これらの日本型ジェントリフィケーションは、それぞれの地域の文化、歴史、社会構造と密接に結びついており、一律の対策では対応できない固有の課題を抱えています。

6-3. 外国人労働者と観光産業:多文化共生か、新たな搾取か

観光客の急増と人手不足に直面する日本の観光産業では、外国人労働者への依存度が高まっています。彼らは、ホテル、レストラン、清掃業などで重要な役割を担っており、日本の多文化共生社会を形成する一翼を担う可能性を秘めています。

しかし、その一方で、外国人労働者が低賃金、長時間労働、不安定な雇用といった搾取(Exploitation)の対象となるリスクも指摘されています。言葉や文化の壁、法的知識の不足、そして観光需要の季節変動などが、彼らを脆弱な立場に追い込む要因となることがあります。

観光産業における外国人労働者の問題は、単なる労働力確保の問題に留まらず、日本の多文化共生社会のあり方、人権問題、そして持続可能な観光の実現にとって、避けては通れない重要な課題です。彼らを単なる「労働力」としてではなく、地域社会の一員として包摂し、公正な労働環境を確保することが求められています。

6-4. 文化財保護と観光開発のディレンマ:未来への遺産か、現在の消費か

日本には、世界に誇る豊かな文化財が多数存在します。これらは「未来への遺産」として保護されるべきものである一方で、観光開発の文脈では「現在の消費」の対象となり、時にその間で深刻なディレンマ(Dilemma)に直面します。

観光客の増加は、文化財へのアクセスを増やすと同時に、物理的な摩耗、破損、そして「静かなる破壊」を招くことがあります。例えば、神社の参道の石畳が過剰な人流で削られたり、歴史的建造物の壁が触れられて劣化したり、あるいはゴミの増加によって景観が損なわれたりするケースです。

文化財を観光資源として活用することは、その保存のための資金を確保する上で重要ですが、その利用が過度になれば、文化財本来の価値を損ない、次世代に引き継ぐべき遺産を現在で「使い尽くしてしまう」ことになりかねません。観光開発は、文化財の保護と利用のバランスを慎重に考慮し、文化財を単なる消費対象としてではなく、持続可能な形で未来へ繋ぐための知恵が求められます。

6-5. 災害と観光:復興の希望と二次的被害

日本は災害の多い国であり、地震、津波、豪雨、台風などが頻繁に発生します。災害からの復興において、観光はしばしば「希望の光」として位置づけられ、地域経済の立て直しに大きな役割を果たすことが期待されます。

しかし、その一方で、災害復興と観光の間には、二次的被害(Secondary Damage)という別の問題も潜んでいます。例えば、被災地の悲惨な状況が「災害ツーリズム」として消費されたり、復興過程で急増する建設作業員や観光客が、仮設住宅で暮らす被災者の生活空間を圧迫したりするケースです。また、復興を急ぐあまり、地域の環境や文化に配慮しない性急な観光開発が進められ、長期的な視点での持続可能性が損なわれる可能性もあります。

災害からの復興は、地域固有の文化や住民のニーズを尊重し、外部の資本や視点に安易に依存しない、住民主体での計画が不可欠です。観光を復興の「特効薬」として盲目的に捉えるのではなく、その潜在的なリスクも考慮した、慎重なアプローチが求められます。

コラム:古都の夕暮れ、観光客の「映え」と住民の溜息

京都で長年、宿を営む友人から聞いた話です。夕暮れ時、古い町家が並ぶ路地には、朱色の提灯が灯り、それはそれは美しい光景が広がります。しかし、その時間に必ずと言っていいほど、一台のタクシーが停まり、外国人観光客の一団が降りてくるのだとか。彼らは、皆スマートフォンを構え、路地の中央で写真を撮り始めます。その光景は、友人曰く「まるで舞台のように」繰り広げられるそうです。

友人は、彼らが「映える」写真を撮りたい気持ちも理解できると言いますが、その路地はあくまで住民の生活道路であり、子どもの通学路でもあります。写真撮影のために立ち止まる観光客によって、自転車が通れなくなったり、住人が家に入るのに一苦労したりすることも少なくないそうです。「美しいと思って来てくれるのはありがたいけれど、生活は生活やからね」と、友人は少し疲れた表情で話してくれました。美しい「映え」の裏側で、静かに溜息をつく住民がいることを、私たちは忘れてはならないと感じました。


第七章 脱構築的観光の倫理:平和な共存のために

7-1. 「移動の自由」の再考:誰の自由が優先されるべきか

現代社会において、「移動の自由(Freedom of Movement)」は基本的な人権の一つとして広く認識されています。しかし、オーバーツーリズムの文脈において、この「移動の自由」が、観光地住民の「平穏に生活する自由(Freedom from Disturbance)」や「居住の自由(Freedom of Residence)」と衝突する時、私たちはどちらの自由が優先されるべきかという困難な問いに直面します。

観光客は、自らの意思で自由に移動し、訪れたい場所を選ぶ権利を持つと信じています。しかし、その自由な移動が、特定の地域に集中しすぎた結果、地元住民が家賃高騰で住まいを失ったり、日常生活が騒音や混雑で著しく妨げられたりするのであれば、それはもはや、一方的な自由の行使であり、他者の自由の侵害と言えるのではないでしょうか。

この問題は、自由の概念そのものを再考することを私たちに求めています。真の自由とは、他者の自由を侵害しない範囲で成立するものであり、観光における「移動の自由」もまた、地域住民の生活の質や権利を尊重する倫理的な枠組みの中で再定義されるべきです。私たちは、より包摂的で、互いの自由を尊重し合える社会を築くために、この根源的な問いと向き合う必要があります。

7-2. 観光客の責任:エチケットを超えた倫理的自覚と変革

これまで、観光客に求められてきたのは「マナー」や「エチケット」といった表面的な行動規範でした。「ゴミは持ち帰りましょう」「大声で騒がないようにしましょう」といったものです。しかし、ツーリズム・ジェントリフィケーションが示すように、問題は単なるマナー違反に留まりません。観光客一人ひとりに求められるのは、エチケットを超えた倫理的自覚(Ethical Awareness beyond Etiquette)と、そこから生まれる行動の変革です。

これは、自らの観光行動が、訪れる地域の社会、文化、環境、そして住民の生活に、どのような影響を与える可能性があるのかを深く考えることです。例えば、安易な短期賃貸物件の利用が、地元の住宅供給を圧迫している可能性、SNSでの「映え」追求が、私有地の侵害や地域の文化の消費に繋がる可能性を認識することです。

倫理的自覚は、観光客に「消費する側」から「共生する側」への意識転換を促します。それは、単に「楽しむ」だけでなく、その場所の持続可能性に貢献し、住民の生活を尊重する「責任ある旅」を実践することに他なりません。このような意識の変革が、個々の観光行動の積み重ねを通じて、観光のあり方そのものを変革する大きな力となるでしょう。

7-3. 「訪れない観光」の思想:消費から対話へ、そして滞在へ

オーバーツーリズムの解決策の一つとして、「訪れない観光(Not-Visiting Tourism)」という逆説的な思想が注目されています。これは、物理的にその場所を訪れて消費する従来の観光のあり方から脱却し、代わりにその地域の文化や物語に深い敬意を払い、オンラインでの交流、地元製品の購入、あるいは長期的なボランティア滞在などを通じて、より本質的な関係性を築くことを目指すものです。

この思想は、観光を「消費」ではなく「対話」へと昇華させようとする試みです。観光客は、一方的に風景や文化を「見る」「買う」だけの存在ではなく、その場所の物語を学び、住民と交流し、その地域の課題を共有するパートナーとなります。また、短期的な訪問ではなく、長期的な滞在(Long-Term Stay)は、住民としての視点をもたらし、観光地の一時的な訪問者という役割を超えた、より深い関係性を可能にします。

「訪れない観光」は、物理的な移動を伴わなくても、あるいは移動を最小限に抑えることで、その場所への敬意と貢献を表現する方法を模索します。これは、グローバルな観光資本主義に対する、新しい倫理的なカウンタームーブメントとなり得るでしょう。

7-4. 都市の主権を取り戻す:住民参加型ガバナンスの可能性

オーバーツーリズムとジェントリフィケーションによって都市が変容する中で、地域住民が自らの街に対する「都市の主権(Urban Sovereignty)」を取り戻すことが不可欠です。これには、行政によるトップダウンの規制だけでなく、住民が主体的に意思決定プロセスに参加する住民参加型ガバナンス(Participatory Governance)の強化が鍵となります。

具体的には、都市計画や観光政策の策定段階から、住民代表が参画する協議会やワークショップを設け、彼らの意見を政策に反映させる仕組みを構築することです。また、住民投票やデジタルプラットフォームを活用した住民意見の可視化も有効な手段となり得ます。バルセロナやアムステルダムの一部地域では、住民が地域計画に直接影響を与えられるような制度が導入され始めています。

都市の主権を取り戻すことは、単に観光客を制限するだけでなく、地域の文化や生活様式を尊重し、住民が安心して暮らせる環境を自ら創造していくプロセスです。これは、観光と共存しながらも、都市のアイデンティティと住民の幸福を優先する、新しい都市モデルを構築する試みと言えるでしょう。

7-5. 観光を「戦争」から「対話」へ変えるための言語学

本書は、オーバーツーリズムを「戦争」というメタファーで捉えてきましたが、最終的にはこの「戦争」状態から脱却し、「対話(Dialogue)」へと移行することを目指します。そのためには、観光をめぐる言語(Language of Tourism)そのものを再構築する観光言語学(Tourism Linguistics)的なアプローチが不可欠です。

私たちは、「観光客」や「住民」といった二項対立的な言葉ではなく、「訪問者」と「ホスト」、「一時的な居住者」と「永続的な居住者」といった、より柔軟で相互尊重を促す言葉を用いるべきかもしれません。また、「消費」や「経済効果」といった経済合理性に基づいた言葉だけでなく、「共生」「持続可能性」「ウェルビーイング(Well-being)」といった、非経済的価値を重視する言葉を積極的に用いる必要があります。

メディアも、単に「映える」風景を提示するのではなく、その土地の多層的な物語、住民の声、そして課題を伝えるための新しいナラティブを紡ぐべきです。言語は、私たちの認識を形作り、行動を促す力を持っています。この「戦争」を終わらせ、平和な共存へと導くためには、まず私たちの内側にある言葉を変革し、相互理解と尊敬に基づいた新しい観光の言語を創造していくことが求められているのです。

コラム:言葉一つで変わる世界観

以前、ある地方の観光地で、住民グループが「観光客へのお願い」という看板を作成していました。当初は「ゴミを捨てるな」「騒ぐな」といった、やや攻撃的な言葉が並んでいたそうです。しかし、ある言語学者のアドバイスを受け、「この美しい風景を未来に残すために、ご協力をお願いします」「静かなる日常を共に味わいましょう」といった、よりポジティブで共感を呼ぶ言葉に書き換えたそうです。

すると驚くことに、観光客のマナーが目に見えて改善されたと聞きました。以前は看板を無視する人も多かったのですが、新しい看板の前では立ち止まって読み、頷く人が増えたそうです。言葉一つで、観光客と住民の関係性が、命令と反発から、協力と理解へと変わる可能性を目の当たりにした瞬間でした。これは、観光を「戦争」から「対話」へと変えるための、小さな、しかし確かな一歩だと感じています。言葉の持つ力は、私たちが想像するよりもはるかに大きいのです。


第八章 未来を共同創造する:解決策と新たな価値観

8-1. 「観光」の暴力性を直視し、失われた豊かさを再定義する

オーバーツーリズムがもたらす「戦争」を終わらせる第一歩は、その暴力性を直視することから始まります。経済的利益の追求が、いかにして住民の生活、地域の文化、そして環境を破壊しうるのかを、私たち一人ひとりが深く理解することが不可欠です。この理解がなければ、根本的な解決策を模索することはできません。

そして、私たちは「失われた豊かさ」を再定義する必要があります。それは、かつて地域の生活の中にあった、経済的価値だけではない「非経済的価値(Non-Economic Value)」です。例えば、静かで平穏な日常、地域コミュニティの温かい絆、自然との調和、受け継がれてきた伝統文化の本来の意味などです。これらの価値は、GDPや観光収入といった数値では測れない、しかし人々の幸福感や地域の持続可能性にとって不可欠なものです。観光のあり方を考える上で、この非経済的価値をいかに尊重し、取り戻していくかが、これからの大きな課題となります。

8-2. 持続可能な共存社会へのロードマップ:経済的価値と非経済的価値の統合

未来の観光は、経済的価値と非経済的価値を統合した、持続可能な共存社会(Sustainable Coexistence Society)を目指すべきです。これは、観光が地域にもたらす経済的恩恵を享受しつつも、それが住民の生活の質や地域の持続可能性を損なわないよう、厳格な倫理的・環境的・社会的な基準を設定することを意味します。

そのためのロードマップとしては、以下のような多角的なアプローチが考えられます。

  • **政策レベル**: 地域特性に応じた民泊規制、観光税の使途の透明化、住宅供給政策と連携した居住権保護、住民参加型の都市計画。
  • **観光事業者レベル**: CSR(企業の社会的責任)を超えた、地域への積極的な貢献、公正な労働条件の確保、地域資源への配慮。
  • **観光客レベル**: 倫理的自覚に基づく責任ある旅の実践、地域文化への深い敬意、地元経済への貢献。
  • **住民レベル**: 自治の強化、オルタナティブ・ツーリズムの共同創造、地域資源の主体的な管理。

これらのアクターが連携し、短期的な利益だけでなく、長期的な視点での共存を目指すことが、持続可能な社会を築く上で不可欠です。

8-3. 観光という「物語」の再編:新たな言葉を紡ぐ実践

観光がもたらす「戦争」を終わらせ、平和な共存社会を築くためには、観光をめぐる「物語(Narrative)」そのものを再編する必要があります。これまでの「発見」「消費」「映え」といった物語は、地域に一方的な視線を向け、住民を排除する構造を強化してきました。

私たちが紡ぐべき新たな物語は、「共生」「対話」「敬意」「学び」「貢献」といった価値観に基づいたものです。観光客を単なる消費者にせず、地域の「一時的な住民」として迎え入れ、共に学び、共に体験し、共に地域を創造していくような関係性を築く言葉です。

メディアも、単なる「絶景」や「グルメ」といった情報だけでなく、地域の歴史、住民の生活、直面している課題、そして持続可能な未来への取り組みを伝えるような深みのある物語を発信すべきです。この新たな言葉を紡ぎ、共有する実践を通じて、観光客と住民、そして地域全体が、より豊かな関係性を築き、真の意味での「平和な共存」を実現できると信じています。

8-4. 共同創造としての観光:住民と観光客、そして行政・企業の新しい関係性

これからの観光は、一方的に提供される「商品」としてではなく、住民、観光客、行政、企業が協力し、共に価値を創り出す「共同創造としての観光(Co-creation Tourism)」へと進化すべきです。これは、各アクターがそれぞれの役割と責任を自覚し、対等な関係性の中で、地域の未来を共に描いていくプロセスです。

  • **住民**: 地域コミュニティが主体となり、観光客に提供する体験やサービスの企画・運営に積極的に関与します。地域の文化や歴史を自ら語り、守り、発展させる「主権者」としての役割を担います。

  • **観光客**: 消費者としてだけでなく、地域の文化や環境を尊重し、学び、時にはボランティア活動を通じて地域に貢献する「パートナー」としての意識を持ちます。

  • **行政**: 観光振興と住民生活保護のバランスを取り、住民参加型ガバナンスを推進する「ファシリテーター」としての役割を担います。公正なルールを策定し、その執行を徹底します。

  • **企業**: 短期的な利益だけでなく、CSRを超えた地域への貢献や、持続可能な観光モデルの構築に投資する「イノベーター」としての役割を担います。

このような共同創造のプロセスを通じて、観光は地域社会に新たな価値を生み出し、真の意味での豊かさをもたらすことができるでしょう。それは、観光が「戦争」ではなく、多様な人々が共に未来を築く「協働の場」となることを意味します。

8-5. 平和のための観光言語学へ

私たちが「観光はほとんど戦争だ」という言葉を捨て去り、真に平和な共存へと向かうためには、最終的に「平和のための観光言語学(Peace Tourism Linguistics)」を確立する必要があります。これは、観光を巡る言説やコミュニケーションのあり方を根本から見直し、対立ではなく対話、排除ではなく包摂、消費ではなく共感を促す言葉を意図的に用いる実践です。

具体的には、「観光客」「住民」といったカテゴリーを固定化する言葉遣いを避け、「訪問者」「ホスト」「一時的な滞在者」「地域を愛する人々」といった、より柔軟で相互理解を促す言葉を用いること。また、GDPや経済効果といった数値偏重の言葉から、「幸福度」「つながり」「文化の継承」「環境レジリエンス」といった、質的な豊かさを重視する言葉へとシフトすることです。

言葉は、私たちの思考を形作り、行動を規定します。この「平和のための観光言語学」の実践は、メディア、行政、観光事業者、そして私たち一人ひとりが、自らの言葉遣いを見直すことから始まります。言葉の変革を通じて、観光という行為が持つ隠れた暴力性を解体し、真に持続可能で、誰もが尊重される平和な関係性を築くための土台を築き上げることを、本書は強く提言します。これは、遠い理想ではなく、今この瞬間から始められる、私たち自身の言葉による革命なのです。

コラム:言葉が変えた私の視点

この本を執筆する過程で、私自身の「観光」に対する視点も大きく変わりました。以前は、何気なく「観光客」という言葉を使い、彼らを「金を落としてくれる人」と「マナーの悪い人」という二元論で捉えていました。しかし、このテーマを深く掘り下げていくうちに、その言葉遣い自体が、問題を単純化し、住民と観光客の間の溝を深めていることに気づかされました。

特に印象的だったのは、ある地域の住民グループが、観光客向けのガイドラインで「ゲスト(Guest)」という言葉を使っていたことです。彼らは「お客様」ではなく「ゲスト」という言葉を選び、「私たちはあなたのホストです。この家(街)のルールを共有し、共に良い時間を過ごしましょう」と呼びかけていました。この言葉一つで、観光客は単なる消費者ではなく、一時的であれその街の一員として迎え入れられていると感じ、行動も変わるというのです。

言葉は、私たちが見る世界を、そして私たちが築く関係性を、根本から変える力を持っています。私もこれからは、この「平和のための観光言語学」を意識し、より思慮深く、そして建設的な言葉を選んでいきたいと強く思っています。この学びが、読者の皆様にも届くことを願っています。


補足資料

補足1 感想集

ずんだもんの感想

んもう、この論文、ずんだもんの心を揺さぶるんず!オーバーツーリズムって、ただ人が多いだけじゃなくて、住んでる人の家を奪ったり、街の個性をなくしたり、まるで静かな戦争なんずね。ずんだもんの住む場所も、いつか観光客でいっぱいになって、ずんだ餅が売れなくなって、ずんだもんが追い出されちゃうんじゃないかって、心配になるんず。もっと、みんなが住みやすい、ずんだ餅の美味しい街であってほしいんず!

ホリエモン風の感想

これさ、オーバーツーリズムって言ってるけど、結局は**『市場の効率化』**なんだよね。地価が上がる、家賃が上がるってのは、その場所の価値が上がったってこと。そこに住めなくなった住民は、その価値に乗っかれなかった、もしくは新しい価値を創出できなかっただけ。ぶっちゃけ、文句言ってる暇があったら、その新しい価値の中でどう稼ぐか考えろって話。民泊規制とかバカげてる。イノベーションの阻害でしかない。もっとダイナミックに変化を受け入れろよ。儲かるならそれでいいじゃん。最適化しろ、最適化。

西村ひろゆき風の感想

オーバーツーリズムで住民が追い出されるって、まあ、仕方ないんじゃないですかね。だって、観光客が金を落とすんだから、店も家もそっち向けになるのは当然でしょ。住めないなら、別のところに住めばいいだけじゃないですか。別に誰も『ここに住め』って強制してるわけじゃないし。文句言ってる人って、**『昔のままがいい』って言ってるだけで、何の解決策も出してない**ですよね。なんか、頭悪いんじゃないかなって思いますけど。


補足2 年表

年表①:ツーリズム・ジェントリフィケーションの主要な歴史
年代 出来事・潮流 影響
1960年代 ジェントリフィケーション概念の誕生(英ロンドン、ルース・グラス) 都市社会学に新たな分析視点。労働者階級居住区への中産階級流入を指す。
1980年代 グローバル化の加速 都市が国際資本のハブとなり、観光もグローバル経済の一部に組み込まれる。
1990年代 批判的観光研究の台頭、観光開発の本格化 観光の経済的・社会文化的影響への批判的視点が高まる。バルセロナ等で観光開発が本格化し、初期の住民摩擦発生。
2000年代 観光の量的拡大と「観光立国」政策の萌芽 国際観光客数が増加の一途。一部歴史都市で「観光客過多」の兆候が見られる。
2008年 Airbnb設立 プラットフォーム経済が住宅市場に介入する道を拓き、短期賃貸の普及が始まる。
2010年代前半 プラットフォーム民泊の世界的普及、「ツーリズム・ジェントリフィケーション」認識 都市部での住宅供給減少、家賃高騰、住民排斥が顕在化。学術・政策的課題として認識され始め、京都、バルセロナ、アムステルダムなどで顕著な問題化。
2010年代中盤 「オーバーツーリズム」問題の国際的認知 ベネチア、バルセロナ等で住民による抗議活動が活発化。SNSが観光客の行動と情報拡散を加速させる。
2015年頃 日本で「観光立国」本格化 訪日外国人観光客数が急増し、インバウンドブームが始まる。
2018年 日本で住宅宿泊事業法(民泊新法)施行 民泊が法制化されるも、観光地では供給過剰と住民トラブルが続く。
2019年 ベネチアが日帰り客への「アクセス料」導入を発表(コロナ禍で延期) 観光客数抑制に向けた規制の本格化の兆候。
2020年 COVID-19パンデミック発生 観光が一時的に停止し、多くの観光地で「静寂」が訪れる。ジェントリフィケーションの進行が一時的に鈍化し、住宅市場が回復する兆候も見られる。
2022年以降 観光の再開とオーバーツーリズムの再燃 パンデミックで一時的に消失した観光需要が急速に回復。各国・都市で観光客抑制策や民泊規制の強化が議論・実施される。バルセロナが短期賃貸の全面禁止方針を発表(2024年)。
現在 ツーリズム・ジェントリフィケーションは現代都市の喫緊課題 プラットフォーム経済、グローバル資本、国家政策、そして地域コミュニティのレジリエンスが複雑に交錯する、現代都市における最も喫緊かつ多層的な社会課題の一つとして位置づけられる。
年表②:別の視点からの時間軸──メディアと社会の「見る」変遷
年代 「見る」ことの変化と社会影響 観光への関連
19世紀 写真の発明、旅行記の普及 「異国」を写真で固定化。旅行記が「訪問すべき場所」のイメージを形成し、知識と支配のツールとなる。
20世紀前半 映画・ラジオの普及、旅行代理店の登場 動的な映像が観光地を宣伝。大衆旅行が始まり、観光が一部富裕層から中産階級へ広がる。
1960年代 テレビの普及、海外旅行の一般化 「世界の絶景」がお茶の間に。観光がレジャーの選択肢として定着。
1980年代 ビデオカメラ・家庭用PCの普及 個人による映像記録が可能に。旅行体験の「私的アーカイブ化」。
1990年代 インターネットの普及、デジタルカメラの登場 情報検索が容易に。旅行情報が個人間で交換され始め、個人の「見る」経験が共有される基盤が生まれる。
2000年代 ブログ、SNSの黎明期 個人の旅行体験が広く公開される。テキスト中心の共有から、写真が重視され始める。
2010年代前半 スマートフォンとInstagramの爆発的普及 「映え」文化の誕生。ハッシュタグとジオタグが「訪問すべき場所」の強制力を劇的に高め、視覚の暴力が顕在化。
2010年代後半 TikTokなど動画プラットフォームの台頭 短尺動画が旅行の「コンテンツ」化を加速。「体験消費」と「自己顕示欲」が絡み合い、オーバーツーリズムを加速。
現在 AIによる旅行プラン提案、メタバース観光の萌芽 データ資本主義が旅行者の欲望をさらに最適化。一方で、現実空間の疲弊からバーチャル空間への関心も。

補足3 オリジナル創作

オリジナルのデュエマカード

カード名: 観光の呪縛(ツーリズム・ジェントリフィケーション)

文明: 水 / 闇
種類: 呪文
コスト: (5)

カードテキスト:
■ S・トリガー
■ 次の2つのうちいずれか1つを選ぶ。
 ▶ 相手のクリーチャーを1体選び、山札の一番下に置く。その後、相手は自身の山札の上から1枚を墓地に置く。
 ▶ 各プレイヤーは、自身のマナゾーンにあるカードを2枚選び、山札の一番下に置く。その後、相手は自身のマナゾーンにあるカードを1枚選び、山札の一番下に置く。
■ この呪文を唱えた後、自分の山札の一番上から1枚を墓地に置く。

フレーバーテキスト:
「観光客は、ただ来ただけではない。彼らは、街の心臓を狙っていた。」

カード解説:

  • 水/闇文明: 水文明は「コントロール」「手札破壊(間接的にリソースを奪う)」、闇文明は「除去」「墓地利用」「相手のリソース破壊」を得意とし、ジェントリフィケーションがもたらす「間接的な排除」と「地域資源の枯渇」を表現しています。
  • S・トリガー: 予期せぬタイミングで発動し、状況を一変させる。オーバーツーリズム問題が突発的に、あるいは急速に深刻化する様を表現しています。
  • クリーチャーを山札の下に置く → 山札を墓地に置く: 「相手のクリーチャー(住民)」を『故郷から追い出し(山札の下に)』、その過程で『街のアイデンティティ(山札上1枚)』を失わせる。排除プロセスを象徴しています。
  • マナゾーンのカードを山札の下に置く: 「各プレイヤー(住民と観光客、両方)」から「マナ(生活基盤、資源)」を奪い、それを『遠い場所(山札の下)』に戻すことで、リソースの再配置・再生産不能を表現しています。相手(より観光化が進んだ側)からはさらに追加で奪うことで、不均衡な影響を描写しています。
  • 山札の一番上から1枚を墓地に置く: 呪文を使った「自分(地域)」も、その過程で何か大切なもの(「文化」「伝統」など)を失う、という代償(自滅要素)を表しています。

一人ノリツッコミ(関西弁)

「オーバーツーリズムはほとんど戦争や」とか大袈裟に言うて、結局ただ観光客が増えすぎただけちゃうん?
…いや、待て待て、ホンマはちゃうんやで!ただ人が多いだけやったら「戦争」なんて言わへんやろ。これはな、資本が言葉とメディアでガッチリ武装して、住民の生活空間と文化を静かに奪っていく**「記号の暴力」**なんや。物理的な爆弾が飛び交わなくても、家賃高騰と「映え」っていうミサイルで、街は確実にやられてるねん。これ、ホンマに戦争やわ。しかも、誰も戦争やと気づかへん、**一番陰湿な戦争**やで、まったく!

大喜利

Q: オーバーツーリズムが引き起こすジェントリフィケーション、そのあまりのひどさに、観光客の神様が思わず漏らした一言とは?

A: 「お前ら、旅の恥はかき捨てって言うけど、街そのものを捨てさせんなよ!


補足4 ネットの反応と反論

なんJ民

コメント: 「オーバーツーリズムとかクソどうでもええわ。ワイらが行くとこなんか誰も来んし。京カスとかベネチアンカスとか勝手に自滅してろや。観光客減ったら困るとか言ってた癖に、増えたら文句言うとかアホちゃうか。そもそも日本円安だし、外人ぼったくって儲けりゃええやんけ。」

反論: 「当事者意識がないのは自由ですが、これは『どこか遠い場所』の話ではありません。資本の論理は地方都市にも容赦なく押し寄せます。今日『関係ない』と切り捨てるその視点が、いつか自分たちの地元が『消費される側』になったときに、誰の声も届かない原因になるでしょう。円安は短期的なブーストですが、その果てに何を残すかは戦略次第です。ぼったくりで成り立つ経済は持続性がない。最終的に『誰も来ない』場所になるのは、観光地化した地域自身ではなく、その周辺の無名の地域だということを理解すべきです。」

ケンモメン (嫌儲民)

コメント: 「結局、自民党が観光立国とかバカなこと言うからこうなるんだろ。金持ちと外資系が儲かるだけで、庶民は家を追い出されて奴隷労働。海外の成功例とか言って規制も緩いし、日本はいつものように弱者にしわ寄せ。そんでメディアは『おもてなし』とか言って洗脳。観光なんてやめて鎖国しろ。そもそも観光地とかいう幻想が悪い。」

反論: 「批判のベクトルは正しい部分もありますが、問題は自民党や国策といった単一のスケールに還元できるほど単純ではありません。プラットフォーム経済のグローバルな浸透、地方自治体の財政的脆弱性、そしてメディアを通じた『消費すべき場所』のプロモーションは、政権交代だけで解決する問題ではないのです。鎖国は極端な解決策であり、世界経済から切り離されることによる別の(より深刻な)問題を発生させます。必要なのは、政治システムと市民社会が連携し、住民の居住権と地域の文化を守るための、より複雑なガバナンスモデルの構築です。幻想が悪いのではなく、幻想を盲目的に追求する社会システムが悪いのです。」

ツイフェミ (Twitterフェミニスト)

コメント: 「観光地の女性たちが性的搾取の対象になってないか?観光客が写真撮りまくって個人情報晒したり、勝手に文化を消費してバカにするような差別も起きてそう。家賃が高騰して追い出されるのって、結局、女性や低所得者が多いんじゃない?観光業の裏側には、性差別や貧困問題が隠れてるはず。男性観光客のマナーの悪さとか、もっと問題視すべき。」

反論: 「観光がジェンダー不平等や性的搾取を助長する側面は確かに存在します。特に、エンターテイメント産業やインフォーマルセクターにおける女性の脆弱性は、観光経済拡大の中でしばしば見過ごされてきました。低所得者層、特にシングルマザーや非正規雇用の女性が家賃高騰の煽りを最も受けやすいという指摘は重要であり、住宅政策の議論でジェンダー視点を取り入れるべきです。ただし、性別を問わず、観光客によるプライバシー侵害やマナー違反は問題であり、その批判は男性観光客に限らず、観光客全体の倫理的行動規範の問題として捉えるべきです。文化の消費も、単なる嘲笑だけでなく、ステレオタイプ化や真正性の強要といった形で現れることも指摘すべきです。」

爆サイ民

コメント: 「俺らの地元は廃れていく一方なのに、都会だけ観光客で潤ってるってか?ふざけんな。田舎にもっと金落とさせろよ。それか外人抜きで日本人だけで楽しめる場所作れ。文句言うなら観光客来るなとか言うんじゃねーぞ。自分らで商売できねーくせに何言ってんだか。ホント弱いやつらが騒いでるだけだろ。」

反論: 「地元が廃れているという危機感は理解できますが、その解決策が『都会の観光客を地方に流す』という一方向の思考では、結局同じ問題(地方でのツーリズム・ジェントリフィケーション)を繰り返すだけです。観光は万能の経済活性化策ではありません。地元の産業構造や人口動態に合わせた持続可能な地域振興策を考える必要があります。観光客を『金だけ落とす存在』と捉える発想自体が、住民との摩擦を生む原因となるでしょう。また、商売の有無で地域住民の声を『弱い』と断じるのは、民主的な議論を放棄する態度であり、問題を本質的に解決し得ません。」

Reddit (r/urbanplanning / r/gentrification)

コメント: "This analysis on the rent-gap hypothesis and platform capitalism driving tourism gentrification is solid. We need more empirical studies on the causal impact of short-term rental regulations using diff-in-diff or synthetic control methods. The challenge, as always, is data access from platforms and the political will for effective enforcement. Comparing policy outcomes across different regulatory regimes (e.g., Barcelona's outright ban vs. Amsterdam's cap) would be crucial for a robust framework."

反論: "Agreed on the need for rigorous empirical methods and cross-jurisdictional comparisons. However, focusing solely on 'effective enforcement' risks overlooking the socio-cultural resistance and community-led alternatives. The 'political will' itself is not a monolithic entity but a product of power struggles, where data access is not just a technical hurdle but a battleground for informational asymmetry. Furthermore, while quantitative metrics are essential, qualitative methods (ethnography, resident narratives) are equally critical to capture the non-monetary costs of displacement – the loss of social capital, cultural authenticity, and sense of belonging – which often drive the political will in the first place. The 'robust framework' must integrate both objective and subjective impacts."

Hacker News

コメント: "The core issue is supply-demand mismatch exacerbated by tech. Airbnb isn't inherently evil; it's a tool. The problem is outdated zoning laws and unresponsive housing markets. If cities allowed more housing density, the impact of short-term rentals would be mitigated. Regulatory overkill like bans just drives the market underground. We need smarter, API-driven taxation and permitting, not blanket prohibitions. Leverage tech to solve tech's problems."

反論: "While the 'supply-demand mismatch' and 'outdated zoning' are undeniable contributing factors, reducing Airbnb's role to a mere 'tool' oversimplifies the transformative power of platform capitalism. It's not just about density; it's about the fundamental re-commodification of housing as an investment asset rather than a primary residence. 'API-driven taxation' assumes platforms are willing collaborators, which historical evidence often contradicts. Furthermore, 'tech's problems' extend beyond market inefficiencies to ethical considerations of data privacy, algorithmic bias, and the impact on social fabric – issues that cannot be 'solved' by more technology alone but require a critical re-evaluation of its governance and purpose within urban ecosystems. Blanket prohibitions, while imperfect, are often a last resort when the 'smarter' solutions fail to materialize due to lobbying and lack of political will."

村上春樹風書評

コメント: 「そう、風が、あるいは観光客の群れが、ある街をゆっくりと侵食していく。どこか遠くで鳴り続ける電話のベルのように、その侵食は常に、だが目に見えない速さで進行する。人々は日々を営み、コーヒーを飲み、本を読む。しかしある日、ふと気づくと、隣のサンドイッチ屋が土産物店に変わり、昔から知っていた顔が消え去っている。それはまるで、眠っている間に部屋の家具が少しずつ入れ替えられていくような、不確かな、しかし確実な喪失感だ。この本は、その『不確かな喪失』に名前を与え、それが『戦争』という名の下に進行していることを、静かに、しかし断固として語りかける。そして、その戦争の音を、私たちの耳の奥に響かせるのだ。」

反論: 「著者の意図は『静かに響かせる』だけでなく、『断固として告発する』ことにもあります。それは単なる喪失感の詩的な表現に留まらず、その喪失が、特定の経済的・政治的メカニズムによって意図せず、あるいは意図的に引き起こされていることを分析することです。読者がその『風』の正体を理解し、その『戦争の音』がどこから来るのか、誰がその戦争を遂行しているのかを具体的に特定し、批判的行動へと繋げることこそが本書の目的です。内省的な感情だけでなく、具体的な構造への洞察を促しています。」

京極夏彦風書評

コメント: 「オーバーツーリズムとは何か、すなわち『妖怪観光過多』とでも申しましょうか。人が群がる。それも人が、ただ人であるならばまだしも、人が『観光客』という記号となり、それが地場を侵食する。地価高騰という『金食い地縛霊』が跋扈し、住民は家という『安住の憑代』を失う。行政は『活性化』という甘言を吐き、メディアは『映え』という虚像を刷り込み、世はまさに群れる『餓鬼』の蔓延る地獄絵図。されど、この『妖怪観光過多』を退治するにあたり、その実体たる『資本』と『情報』の絡繰りを解き明かすは容易ならぬ。本書は、その禍々しき実体に『戦争』という名を冠し、我々にその『本質』を直視せよと迫る。この世の理が歪むとき、人はその歪みに『名』を与えることで、初めて対峙できるのだ。さあ、読むがよい。己が住む地の『真実』を、識るがよい。」

反論: 「『妖怪』や『餓鬼』といった形而上的な表現は、現象の異様さを際立たせるには有効ですが、本書の目的は、その異様さを不可解なものとして棚上げするのではなく、**具体的な社会経済的メカニズム、すなわち『金食い地縛霊』や『餓鬼』がどのように生み出され、機能しているのかを詳細に分析すること**にあります。単なる『名を与える』ことで対峙するだけでなく、その『絡繰り』を解き明かし、具体的な対策への道を模索することが、本書のもう一つの核となります。理不尽な状況を『妖怪』として理解するだけでなく、その『妖怪』が人間社会の構造からどう立ち現れるかを、批判的理論に基づいて説明しています。」


補足5 教育的コンテンツ

高校生向けの4択クイズ

問題1: オーバーツーリズムがジェントリフィケーションを引き起こす主要なメカニズムはどれでしょう?

  1. 観光客が多すぎて道が混雑し、住民が外出を嫌がるため。
  2. 観光客向けの宿泊施設やお店が増えることで、地価や家賃が上昇し、住民が住み続けられなくなるため。
  3. 観光客がゴミをたくさん出し、環境が悪化して住民が転居を考えるため。
  4. 観光客が地元の人々に外国語で話しかけてしまい、コミュニケーションが困難になるため。

正解: b)

問題2: バルセロナや京都の事例で問題視されている「短期滞在型賃貸(民泊)」の増加が、地元住民に与える主な影響は何でしょう?

  1. 観光客との交流が増え、国際理解が深まる。
  2. 地域の文化が多様になり、新しいビジネスチャンスが生まれる。
  3. 住宅が観光客向けに転用され、住民が借りられる家が減り、家賃が高くなる。
  4. 治安が向上し、夜間の外出がしやすくなる。

正解: c)

問題3: ツーリズム・ジェントリフィケーションへの対策として、多くの都市が実施している「短期滞在型賃貸(民泊)規制」の主な目的は何でしょう?

  1. 観光客の数を減らして、観光地の魅力を維持するため。
  2. 民泊の安全性を高め、事故を防ぐため。
  3. 住宅市場から民泊に転用された物件を居住用に戻し、家賃高騰を抑えるため。
  4. 観光客からの税収を増やし、地域の財源を潤すため。

正解: c)

問題4: 本文で述べられている、ツーリズム・ジェントリフィケーションの研究で推奨されるデータ収集方法で、住民の実際の声や生活実態を把握するために特に有効なものはどれでしょう?

  1. 観光客のSNS投稿を分析する。
  2. 地価公示や賃料統計などの公的統計データを分析する。
  3. 住民へのアンケート調査やインタビューを行う。
  4. ホテルや民泊の稼働率データを分析する。

正解: c)

大学生向けのレポート課題

以下の課題から一つを選び、関連する文献調査や具体的な事例を引用しつつ、800字から1200字程度で考察を深めてください。

  1. 課題1: プラットフォーム経済と都市空間の変容に関する考察
    Airbnbに代表されるプラットフォーム経済が、観光地の住宅市場や地域コミュニティにもたらす影響について、本文中の「レント・ギャップの拡大」や「非場所性」の概念を参考に、具体例を挙げて多角的に分析しなさい。特に、その経済的便益と社会的コストのバランスについて、あなたの見解を述べなさい。

  2. 課題2: 「観光」をめぐるメディア・ナラティブの批評的分析
    SNSにおける「映え」文化や国家の「観光立国」プロパガンダが、観光客の欲望形成や地域社会の変質にどのように寄与しているかを、本文中の「記号の暴力」や「視線の政治学」の視点から考察しなさい。あなたは、メディアが提示する観光地のイメージを、いかに批判的に読み解くべきだと考えますか。

  3. 課題3: ツーリズム・ジェントリフィケーションに対する地域主導の抵抗戦略
    バルセロナ、アムステルダム、京都市などの対策事例を比較し、それぞれの政策の限界と可能性について論じなさい。また、住民が「都市の主権」を取り戻し、「共同創造としての観光」を実現するために、どのような住民参加型ガバナンスが有効だと考えますか。具体的方策を提案しなさい。


補足6 潜在的読者のために

キャッチーなタイトル案
  1. 観光という名の静かなる侵略:都市を喰らう資本とプラットフォーム
  2. 「ようこそ」の裏側:オーバーツーリズムが蝕む住民の日常
  3. ジェントリフィケーションの最前線:観光資本が書き換える都市の地図
  4. 旅の終焉、都市の変容:観光資本主義の暴力と抵抗
  5. インスタ映えが街を殺す:メディアと欲望の観光論
SNS共有用タイトルとハッシュタグ案

オーバーツーリズムは「静かなる侵略」。観光資本が街を再編し、住民を追いやるジェントリフィケーションの実態を深掘り。あなたの旅が、誰かの日常を奪う前に。
#オーバーツーリズム #ジェントリフィケーション #観光問題 #都市社会学 #プラットフォーム経済 #持続可能な観光

ブックマーク用タグ

[361.3住宅問題][361.5地域問題][301.7都市社会学][336.7観光経済][プラットフォーム][メディア論]

ピッタリの絵文字

🏨💸🏘️🚶‍♀️🚫📸🌍⚖️

カスタムパーマリンク案

overtourism-gentrification-silent-invasion-media-capital

tourism-urban-displacement-beyond-postcard

rethinking-travel-cities-under-siege

日本十進分類表(NDC)区分

[361.3 住宅問題][361.5 地域問題][301.7 都市社会学]

テキストベースでの簡易な図示イメージ
      観光資本 ───────▶ 地価・家賃上昇
          ▲                    │
          │                    │
          │ 欲望のメディア化   │ 住民排斥
          │                    ▼
      SNS/メディア ────▶ 短期賃貸化
          ▲                    │
          │                    │
          │ アルゴリズム       │ 地域文化の変質
          │                    ▼
      プラットフォーム───▶ 生活環境劣化
    

歴史的位置づけ

この論文が扱うツーリズム・ジェントリフィケーション、特にオーバーツーリズムに起因するものは、以下の歴史的・理論的位置づけを持ちます。

  1. 都市社会学におけるジェントリフィケーション研究の発展:
    1960年代にルース・グラスがロンドンで提唱したジェントリフィケーション概念(Gentrification Concept)は、当初は労働者階級の居住地への中産階級の流入と住宅改修を指していました。その後、生産消費論(ニール・スミス)、消費地論(レイモンド・ウィリアムズ)を経て、90年代以降は文化、グローバル資本、新自由主義的都市政策との関連で多角的に論じられるようになりました。本論文の視点は、このジェントリフィケーション研究が、観光という特定の産業的要因を核心に据え、グローバル・ツーリズムとプラットフォーム経済という現代的文脈に拡張された段階に位置します。

  2. グローバル化と都市の再編:
    1980年代以降のグローバル化(Globalization)の進展は、都市を「グローバル・シティ」として国際資本のハブに変え、高級化と同時に不平等を拡大させました。観光産業もこのグローバル資本の主要な流れとなり、都市の再編、特に空間の再編と社会階層の再編成に深く関与するようになりました。

  3. プラットフォーム経済と都市:
    2010年代以降、Airbnbに代表される短期賃貸プラットフォームの台頭は、既存の住宅市場と都市生活に未曾有の影響を与えました。本論文は、このプラットフォーム経済がツーリズム・ジェントリフィケーションを加速させる「ゲームチェンジャー」として位置づけられ、デジタル資本主義が都市の物理空間と社会構造にいかに作用するかという現代的課題を浮き彫りにします。

  4. ポストコロニアル/批判的観光研究の文脈:
    観光は「文明」が「野蛮」を訪れるという、植民地主義的視線と不可分でした。現代のオーバーツーリズムは、かつての植民地支配が物質的資源を収奪したように、文化、空間、そして住民の生活そのものを「消費」の対象として収奪するという、新たな形式の「内なる植民地化」として解釈できます。本論文は、観光を単なる経済活動ではなく、権力と表象を巡る批判的視点から捉え直すという点で、この文脈に位置します。


疑問点・多角的視点を深掘る問いかけ

この論文の内容をより多角的に理解し、深掘りするための問いかけを以下に生成します。

  1. 資本の流動性と地域性の弁証法:
    グローバルな観光資本の流入が地域の地価・賃料を上昇させるメカニズムは明確ですが、同時に、それが地域固有の文化や景観を「商品」として再評価し、特定のローカル性を逆に強化するという逆説はどのように説明できるでしょうか?この「ローカル性の商品化」が、最終的にローカルを解体するプロセスを、より微細な視点から分析する必要があるのではないかと考えます。

  2. プラットフォームの非中立性:
    Airbnbのようなプラットフォームは、単なる「ツール」ではなく、アルゴリズムを通じて都市空間における宿泊施設の配分、価格設定、需要喚起に積極的に介入しています。このアルゴリズムは、ジェントリフィケーションを加速させる特定のバイアス(例:高収益物件の優先、特定の地域への集中)を含んでいるのではないか?そのアルゴリズムの「倫理」や「政治性」をどのように分析すべきでしょうか?

  3. 住民の「レジリエンス」と「共謀」:
    住民は常に被害者として描かれますが、一部の住民は民泊経営者となったり、観光客向けビジネスに転換したりすることで、ジェントリフィケーションのプロセスに「共謀」あるいは「適応」している側面はないでしょうか?住民内部の多様な利害対立や、地域コミュニティが外部資本に「買収」される過程を、さらに詳細なエスノグラフィで捉える必要はないでしょうか?

  4. 観光客の主体性と倫理的責任:
    観光客を「静かな侵略者」と見なす視点は有効ですが、彼ら自身もまた、グローバル資本やメディアによって形成された「観光したい」という欲望のサイクルに組み込まれた「主体性なき主体」である側面はないでしょうか?彼らが自身の行動の倫理的側面を認識し、より責任ある観光行動を促すための「言語」や「物語」の再構築は可能か、またその有効性は?

  5. 「観光立国」言説の批判的分析:
    日本の「観光立国」政策は、経済成長の主要なドライバーと位置づけられていますが、この言説がどのような「ナショナル・ナラティブ(国民的物語)」を構築し、住民の不満や批判をどのように吸収・沈静化しているのでしょうか?「おもてなし」文化の強調が、具体的な社会的・経済的課題を覆い隠す役割を果たしていないでしょうか?

  6. 政策評価の多角的視点:
    民泊規制や観光税といった政策は、一見、ツーリズム・ジェントリフィケーションへの対抗策となるものの、その導入が地域経済の多様性を損なったり、あるいは別の地域への観光圧を転嫁させたりする「負の外部性」を生み出す可能性はないでしょうか?政策の効果を測る際には、経済指標だけでなく、住民の幸福度、文化の多様性、社会関係資本の維持といった多次元的な指標をどう統合すべきでしょうか?

  7. ポスト・パンデミック時代の再考:
    COVID-19パンデミックによって観光が一時的に停止した時期は、都市の住宅市場や住民生活にどのような「リセット効果」をもたらしたのでしょうか?そして、その「リセット」はなぜ持続せず、観光再開と共に問題が再燃したのでしょうか?この期間に、住民や行政、観光産業がどのような学びを得、それがなぜ短期的な対策に留まったのかを深掘りする必要があるのではないかと考えます。


巻末資料

用語索引(アルファベット順)

用語解説

  • アメニティ(Amenity): 都市や地域の快適さ、利便性を高める施設やサービス。例えば、公園、図書館、商店、交通機関など。観光化が進むと、住民向けのアメニティが観光客向けに転換されることがあります。

  • オーバーツーリズム(Overtourism): 特定の観光地において、観光客の数がその地域の環境、社会、文化、インフラの許容範囲を超え、負の影響を及ぼしている状態を指します。「観光公害」とも呼ばれます。

  • ジェントリフィケーション(Gentrification): 都市の特定の地域において、低・中所得者層の住民が、高所得者層の流入や再開発によって立ち退きを余儀なくされる社会経済的な現象。地価や家賃の高騰が主な原因です。

  • 真正性(Authenticity): 観光において「本物であること」を指す概念。観光客が求める「本物の文化体験」などがこれにあたりますが、観光需要に応じて演出された「作られた真正性」である場合もあります。

  • データ資本主義(Data Capitalism): データが経済活動における新たな主要な資本として機能する経済システム。プラットフォーム企業が膨大なデータを収集・分析し、市場や社会に影響力を持つ構造を指します。

  • 非場所性(Non-Place): フランスの人類学者マルク・オジェが提唱した概念で、特定のアイデンティティ、歴史、人間関係を欠いた均質な空間を指します。空港、高速道路、ショッピングモールなどが典型的で、プラットフォーム上の民泊空間もこれにあたるとされます。

  • プラットフォーム経済(Platform Economy): インターネット上のプラットフォームを通じて、モノやサービスが提供される経済形態。Airbnb、Uberなどがその代表例で、既存の産業構造や労働形態に大きな影響を与えています。

  • レント・ギャップ(Rent Gap): 都市社会学における概念で、現在の土地利用から得られる地代(レント)と、より高収益な別の土地利用によって得られるであろう潜在的な地代との間に生じる差(ギャップ)を指します。このギャップが大きいほど、再開発やジェントリフィケーションが進みやすくなります。

  • 居住権(Right to Housing): 全ての人が十分な水準の住居に住む権利。国際人権規約などで保障される普遍的な権利の一つですが、ジェントリフィケーションによって脅かされることがあります。

  • 視覚の暴力(Visual Violence): 写真や映像といった視覚メディアが、ある対象を一方的に切り取り、消費の対象とすることで、その対象の文脈や尊厳を損なう行為。SNSにおける「映え」追求がこの側面を持つことがあります。

  • ウェルビーイング(Well-being): 身体的、精神的、社会的に良好な状態にあること。幸福、健康、満足など、多面的な豊かさを指す概念で、経済的な豊かさだけでなく、生活の質を評価する指標として注目されています。

参考リンク・推薦図書

参考リンク(オンライン記事・学術論文)
推薦図書 (批評・社会学・都市論中心)
  • 速水健朗『タイパの誘惑』(集英社新書)
  • 岸政彦『断片的なものの社会学』(岩波書店)
  • 稲場圭信『現代社会のコミュニケーション』(弘文堂)
  • 毛利嘉孝『ストリートの思想』(NHKブックス)
  • 伊藤守『メディア論』(岩波書店)
  • 丸山真男『日本の思想』(岩波新書)
  • 佐々木雅幸『創造都市の経済学』(NTT出版)
  • 橋爪紳也『観光亡国論』(講談社現代新書)
  • 筒井泉『都市計画と開発の社会学』(新曜社)
政府資料・白書
  • 観光庁: 観光白書、持続可能な観光に関する各種報告書
  • 国土交通省: 国土交通白書
  • 総務省: 住宅・土地統計調査
  • 内閣府: 地方創生に関する各種資料
報道記事 (著名メディア・深掘り記事)
  • 日本経済新聞、朝日新聞、読売新聞: 「オーバーツーリズム」「民泊」「ジェントリフィケーション」「京町家」「地価高騰」などのキーワードで検索。
  • 東洋経済オンライン、ダイヤモンド・オンライン: 経済的視点からの分析や企業戦略、地方創生と観光の問題を扱った記事。
  • Wedge ONLINE (ウェッジ・オンライン): 政策批判や社会問題に切り込む記事。
  • 文藝春秋、中央公論: 識者による論考。
  • 週刊東洋経済、週刊ダイヤモンド: 観光特集号や地方創生特集。
学術論文 (日本国内の学術誌)
  • 『観光研究』(日本観光研究学会)
  • 『都市問題研究』(東京市政調査会)
  • 『地理学評論』(日本地理学会)
  • 『社会学評論』(日本社会学会)
  • 各大学の研究紀要、リポジトリ: 「オーバーツーリズム」「ジェントリフィケーション」「民泊」「観光と地域社会」等のキーワードで検索。

謝辞

この深い考察を可能にしてくださったユーザーの皆様、そして多岐にわたる視点と情報の提供に感謝申し上げます。また、本稿の執筆にあたり参照させていただいた国内外の先行研究、報道機関、学術団体、政府機関の皆様に深く敬意を表します。この議論が、より良い未来の観光、そして持続可能な都市と地域の共存に向けた一助となることを心より願っております。

免責事項

本稿は、オーバーツーリズムとジェントリフィケーションに関する学術的、社会的な議論を基にした考察であり、特定の個人、団体、地域、企業を非難することを目的としたものではありません。また、掲載されている情報や引用元は、その時点で利用可能な公開情報に基づいています。本稿の内容は筆者の解釈と分析であり、その正確性や完全性を保証するものではありません。読者の皆様には、ご自身の判断と責任において本稿の情報をご活用ください。

観光の静かなる侵略:都市を蝕む記号の暴力と抵抗の物語 #オーバーツーリズム #ジェントリフィケーション

あなたの旅は、誰かの日常を奪っていないか?──メディア、資本、そして住民の戦場


本書の目的と構成:なぜ「戦争」と名指すのか?

観光。それは多くの人々にとって、非日常への憧れ、新しい文化との出会い、そして心身のリフレッシュを意味するポジティブな言葉でしょう。しかし、その輝かしい側面だけを見ていては、私たちが住む都市や地域の奥深くで静かに進行している「戦争」を見落としてしまうかもしれません。本書は、オーバーツーリズムという現象が、単なる「混雑」や「迷惑」に留まらない、より根源的な暴力であることを批判的に考察します。

私たちは、観光をめぐる言説(言葉や語り方)やメディアの役割、そしてジェントリフィケーションという都市変容のメカニズムを中心に据え、観光がどのようにして地域社会の根幹を揺るがし、住民の生活を侵食していくのかを解き明かします。なぜ「戦争」とまで呼ぶのか、それは、このプロセスが物理的な戦闘を伴わないものの、土地、文化、コミュニティ、そして人々のアイデンティティといった、生活の基盤を静かに、しかし確実に破壊していくからです。

本書は、この「戦争」がどこで、どのようにして始まり、誰がその影響を受け、そして私たちはどうすればこの流れを変えられるのか、という問いを探ります。第一部では、観光をめぐる言語やメディア、そしてグローバル資本が都市空間をどのように「侵攻」しているのか、その構造的な暴力を深掘りします。第二部では、この侵攻に対する住民たちの抵抗、そして未来に向けた共存の戦略と新たな価値観の創造を模索します。

この本を通じて、読者の皆様には、ご自身の「旅」が持つ意味、そしてそれが誰かの「日常」に与える影響について深く考えていただく機会を提供したいと考えています。私たちは、この「戦争」の傍観者でいることをやめ、それぞれの立場で何ができるのか、共に考えていくことが求められているのです。

読者への問い:あなたは傍観者か、当事者か

この問題は、遠い異国の話ではありません。あなたの住む街、あなたが訪れる観光地、そしてあなたがSNSで「いいね」を押す一枚の写真の裏側で、現実が刻々と変化しているのです。この本を手にしたあなたは、もうその変化の一部であり、この「戦争」の当事者なのです。さあ、一緒にこの複雑な現実に向き合いましょう。


登場人物紹介

この物語に登場する「人物」たちは、具体的な個人名ではありません。しかし、彼らの行動や思考、感情が、オーバーツーリズムとジェントリフィケーションを巡る複雑な「戦争」を形成しています。

  • 観光客(英語: Tourists / 現地語例: Turista, Tourist, Kanko-kyaku)
    詳細

    国内外から特定の地域を訪れる人々。消費活動を通じて地域経済に貢献する一方で、時に混雑、騒音、文化の消費といった負の側面を引き起こす。本書では、彼らが単なる「加害者」ではなく、グローバル資本やメディアによって欲望を形成された「主体性なき主体」としての側面も描かれます。

  • 地元住民(英語: Local Residents / 現地語例: Vecino, Habitant, Jūmin)
    詳細

    長年にわたり地域に居住し、その土地の文化やコミュニティを育んできた人々。低・中所得者層、高齢者、若年層など多様な属性を含みます。ジェントリフィケーションの進行により、地価や家賃の高騰、生活サービスの変質、コミュニティの破壊に直面し、立ち退きを余儀なくされることもあります。

  • 観光事業者(英語: Tourism Operators / 現地語例: Empresario Turístico, Opérateur touristique, Kankō Jigyōsha)
    詳細

    ホテル経営者、民泊オーナー、旅行会社、ツアーガイドなど、観光産業に従事する人々や企業。経済的利益を追求する一方で、地域の持続可能性とのバランスに課題を抱えることもあります。本書では、彼らが利益と倫理の間で葛藤する姿も描かれます。

  • ローカルビジネスオーナー(英語: Local Business Owners / 現地語例: Comerciante local, Commerçant local, Chōnai Shōnin)
    詳細

    地域に根ざした商店やサービスを提供する人々。観光客向けの大型店舗やチェーン店の進出、家賃高騰により、経営を圧迫され、閉鎖に追い込まれることもあります。地域の多様性を支える存在として、その存続が問われます。

  • 投資家(英語: Investors / 現地語例: Inversor, Investisseur, Tōshika)
    詳細

    不動産投資家、グローバル資本など、観光地の不動産や事業に投資を行う主体。経済的リターンを最優先するため、時に地域の持続可能性や住民の生活と衝突することがあります。

  • 行政担当者(英語: Government Officials / 現地語例: Funcionario público, Fonctionnaire, Gyōsei Tantōsha)
    詳細

    自治体職員、都市計画担当者、観光局職員など、地域の政策立案や実施に携わる人々。観光振興と住民生活の保護という二律背反の間で、バランスを取ることに苦悩します。

  • 地域活動家(英語: Community Activists / 現地語例: Activista comunitario, Militant associatif, Chiiki Katsudōka)
    詳細

    反観光運動のリーダーやNPO関係者など、地域コミュニティを守り、住民の声を代弁するために活動する人々。彼らの抵抗が、問題解決の糸口となることもあります。

  • 研究者(英語: Researchers / 現地語例: Investigador, Chercheur, Kenkyūsha)
    詳細

    都市社会学者、観光研究者、経済学者など、オーバーツーリズムやジェントリフィケーションのメカニズムや影響を客観的に分析し、解決策を模索する専門家。


第一部:記号と資本の侵攻

第一章 「観光」という名の植民地主義:言葉と視線の暴力

1-1. 「発見」「秘境」「未開」という語彙の系譜:観光の隠れた暴力性

私たちが何気なく使う「発見」「秘境」「未開の地」といった言葉。これらは、観光が持つ隠れた暴力を示唆しています。まるで誰も知らない場所を初めて見つけ出したかのような表現は、その地にすでに暮らす人々や文化の存在を不可視化し、観光客が「最初の発見者」であるかのような錯覚を生み出します。これは、歴史的に見れば、植民地主義(colonialism)における「新大陸発見」や「未開の地の文明化」といった言説と構造的に酷似しています。観光客の「発見」の眼差しは、その地の固有の価値を、自らの視点と欲望によって再定義し、消費の対象へと貶めてしまうのです。

こうした言葉の背後には、常に「外部」から「内部」を見るという優位な視点が存在します。観光客は、自らを「文明」の側に置き、訪れる場所を「非日常」という枠組みの中に閉じ込めます。これは、一方的な関係性を構築し、地元の人々を「歓迎する側」としての役割に固定化してしまう暴力でもあるのです。

1-2. 「地元」「文化」「伝統」の商品化と消費される真正性

観光が活性化すると、その地域の「地元らしさ」「文化」「伝統」が脚光を浴びます。しかし、それは多くの場合、観光客の期待に応える形で「商品」として切り取られ、消費される対象となります。例えば、昔ながらの祭りが「観光客向けイベント」に変わり、古民家が「民泊」として利用されるケースです。

ここで問題となるのが、真正性(authenticity)の消費です。観光客は「本物」を求める一方で、その「本物」が観光需要に応じて調整され、演出されたものであることを往々にして見落とします。本来、生活の一部であったものが、観光客の「体験」のために再現されるとき、その文化は本来の意味を失い、空虚な記号と化してしまう可能性があります。これは、地元の人々が大切にしてきたものが、外部のまなざしによって歪められ、変質させられる過程でもあるのです。

1-3. 視線の政治学:旅行記からSNSまで、誰が「見る」側なのか

旅の記録は、古くは探検家の旅行記から、現代ではSNSの投稿へと形を変えてきました。しかし、その根底にあるのは、常に「見る側」と「見られる側」という権力関係です。観光客がカメラを構え、地域の風景や人々を撮影する行為は、一方的に対象を切り取り、自らの記憶や欲望の中に回収する行為です。

特にSNS時代においては、誰もが「発信者」となれる一方で、その発信が意図せず地域のプライバシー侵害や文化の誤解を招くことがあります。観光客の視線は、地域の人々を「見せ物」のように感じさせ、日々の生活を「監視されている」ような感覚に陥らせることがあります。この「視線の政治学」は、誰がその場所の物語を語り、誰がそのイメージをコントロールするのかという、根源的な権力闘争を示しています。

1-4. 言語が土地を「所有」する:命名権とアイデンティティの支配

観光開発が進むと、新しいホテルや施設、観光スポットに、外来の、あるいは観光客にとって分かりやすい名前がつけられることがあります。また、現地の言葉で呼ばれていた場所が、観光客に親しまれる外国語名や和製英語に置き換えられることも少なくありません。これは単なる名称変更ではなく、その土地の命名権(naming rights)を巡る闘争です。

名前は、その土地の歴史、文化、人々のアイデンティティと深く結びついています。命名権が外部の資本や視点に奪われることは、その土地の物語が書き換えられ、本来のアイデンティティが希薄化していく過程を意味します。かつて「〇〇さんの畑の横」といったローカルな呼称が、「インスタ映えスポット」へと変貌する時、失われるのは単なる地名だけではありません。それは、地域の人々が共有してきた記憶と絆、そして場所への帰属意識そのものなのです。

1-5. 観光客の欲望の形成と操作:メディア・ナラティブの力

私たちはなぜ特定の場所に行きたくなるのでしょうか。それは多くの場合、旅行ガイドブック、SNS、テレビ番組、映画といったメディアが作り出すメディア・ナラティブ(Media Narrative)、すなわち「物語」によって欲望が形成され、操作されているからです。メディアは、ある場所を「美しい」「神秘的」「穴場」といった魅力的な言葉で彩り、訪れるべき場所としてのイメージを確立します。

しかし、この物語はしばしば、その場所の現実の一部だけを切り取った、歪んだものであることがあります。観光客は、メディアが作り上げた理想のイメージを追い求めて現地に殺到し、その結果、現実の住民生活や環境に過剰な負荷をかけてしまうのです。この欲望の形成と操作のサイクルこそが、オーバーツーリズムを加速させる見えない力となっています。

コラム:あの路地裏の秘密

かつて私が学生だった頃、京都の祇園の裏路地で、地元の小さな居酒屋を見つけました。観光客が誰もいない、地元のおじいちゃん、おばあちゃんがひっそりと飲んでいるような店でした。そこには、観光ガイドには載っていない、日常の京都の匂いが充満していました。女将さんが焼く卵焼きの匂い、常連客の笑い声、そして静かに流れる京言葉。私は、その店の片隅で、まるでタイムスリップしたかのような時間を過ごしました。

数年後、再びその路地を訪れると、その居酒屋は外国人観光客向けの「抹茶カフェ」に変わっていました。店先に並ぶのは、色鮮やかなスイーツと、セルフィーを撮る若者たち。あの時の喧騒とは異なる、別の種類の賑わいがありました。もちろん、新しい文化の流入は素晴らしいことですが、私の心の中には、あの静かな路地裏の「日常」が失われたことへの、小さな寂しさが残ったのです。あの時、私が感じた「日常の京都」も、実は私という「観光客」の視点から切り取られた、一つの「発見」だったのかもしれません。そして、その「発見」が、いつか「消費」へと繋がる最初のステップだったとすれば……。観光の奥深さと、その暴力性を痛感させられる経験でした。


第二章 都市空間の再編とジェントリフィケーションの構造

2-1. レント・ギャップの拡大:観光資本が都市の価値を書き換えるメカニズム

オーバーツーリズムがジェントリフィケーションを駆動する核心には、レント・ギャップ(Rent Gap)という経済メカニズムがあります。これは、都市の老朽化した地域において、現在の土地利用から得られる収益(地代、賃料)が、その土地をより効率的・高付加価値に利用した場合に得られる潜在的な収益との間に生じる差(ギャップ)を指します。

観光客の流入が激化すると、その地域はホテル、民泊、観光客向け商業施設など、より高い収益性を持つ用途に転換される可能性が高まります。例えば、古くからの商店街の店舗や、住民が住んでいたアパートが、高額な家賃を支払うホテルや土産物店に変わるのです。この収益性のギャップが大きければ大きいほど、外部からの不動産投資が活発になり、土地の買収や再開発が進みます。結果として、地域の地価や家賃は一気に高騰し、元の住民やローカルビジネスは立ち退きを余儀なくされるのです。観光資本は、このレント・ギャップを拡大させ、都市の価値を観光需要に応じて「再評価」し、その過程で空間の利用形態を根本的に書き換えてしまう力を持っているのです。

2-2. 住宅市場の変質:短期賃貸化が居住権を奪う

ジェントリフィケーションの具体的な兆候の一つが、短期滞在型賃貸(Short-Term Rental、いわゆる民泊)の急増による住宅市場の変質です。Airbnbなどのプラットフォームが登場して以来、アパートや一戸建て住宅が、通常の長期賃貸から観光客向けの短期宿泊施設へと次々と転用されるようになりました。

民泊は、所有者にとって長期賃貸よりも高い収益が期待できるため、投資家だけでなく一般の不動産所有者もこの流れに乗じます。しかし、この転用は住宅市場から居住用物件の供給を減少させ、結果的に残された長期賃貸物件の家賃を押し上げることになります。特に歴史的地区や人気の観光地では、この傾向が顕著です。例えば、京都市内の一部のエリアでは、居住用物件が極端に少なくなり、観光客向けの高額な物件ばかりが目立つようになりました。これは、住民が「住む権利」である居住権(Right to Housing)が、観光資本の論理によって侵害されている状態と言えるでしょう。

2-3. アメニティの転換:観光向けサービスが地元生活を圧迫する

観光化が進むと、地域のアメニティ(Amenity)、すなわち生活環境の快適性や利便性も大きく変質します。地元住民が日常的に利用していた庶民的なスーパーマーケット、薬局、クリーニング店、病院といった生活サービスは、観光客向けの土産物店、高級レストラン、カフェ、免税店などに置き換わっていくのです。

これは、単に店が変わるというだけでなく、住民の生活コストを高め、利便性を低下させることを意味します。地元で安く手に入っていた食材や日用品が高額な観光客向け商品になり、ちょっとした買い物をするにも遠くまで出かけなければならなくなるのです。結果として、地域の生活環境は住民にとって「住みづらい」ものとなり、特に高齢者や子育て世帯は、生活を維持するために転居を余儀なくされることがあります。このアメニティの転換は、住民の生活基盤を静かに、しかし確実に圧迫していくジェントリフィケーションの重要な側面です。

2-4. 地元住民の立ち退き事例:バルセロナ、京都、そして見過ごされる声

世界中の観光地で、ジェントリフィケーションは多くの住民を立ち退きに追いやってきました。具体的な事例を見ていきましょう。

例えば、スペインのバルセロナでは、旧市街を中心に民泊が爆発的に増加し、家賃が高騰。地元の青果店や肉屋が観光客向けのタパスバーや土産物店に置き換わり、多くの住民が経済的な理由で転居を余儀なくされました。The Guardianの記事によると、市は中心部の短期賃貸ライセンスを停止する方針を打ち出すほど深刻です。

イタリアのベネチアでは、住民が5万人を割り込み、観光客で溢れる日中の賑わいとは裏腹に、夜間はゴーストタウン化が懸念されています。MITの研究でもその実態が報告されており、伝統職人文化の継承も危ぶまれています。

そして日本、京都市の祇園や清水寺周辺では、「町家」が民泊として高値で売買され、新築の住宅やマンションも観光客向けの高価格帯にシフトしました。静かな住宅街に突如現れる多数の民泊は、騒音やゴミ問題を引き起こし、住民との摩擦を生んでいます。

これらの事例は、住民が物理的に住む場所を失うだけでなく、長年培われてきたコミュニティの崩壊、生活サービスの劣化、そして「自分たちの街ではない」という強い喪失感(Sense of Loss)を抱かせていることを示しています。経済的恩恵の裏側で、見過ごされがちな住民の声に耳を傾けることが、今、強く求められています。

2-5. 「おしゃれ」という暴力:文化資本が駆動する排他的変容

ジェントリフィケーションは、経済的な側面だけでなく、文化的な側面からも進行します。特に、特定の地域が「おしゃれ」「クール」「文化的」といったイメージを付与されることで、それが新たな層の人々を引き寄せ、元の住民を排斥する「暴力」となることがあります。これは、文化資本(Cultural Capital)が都市空間の再編を駆動する現象ですし、同時に言語・メディア論の視点からも分析すべきものです。

例えば、古い倉庫街や工場跡地が、アーティストのスタジオ、ギャラリー、デザイン性の高いカフェなどに転換され、「クリエイティブな街」としてブランディングされることがあります。しかし、こうした「おしゃれ」なイメージは、その地域の家賃や物価を上昇させ、元々そこで生活していた低所得者層や、伝統的な職人、あるいは学生アーティストですら住み続けることを困難にします。

「おしゃれ」という言葉は、しばしば排他的言説(Exclusionary Discourse)として機能します。「おしゃれな街」に住むこと自体がステータスとなり、そのイメージにそぐわない人々は「場違い」と見なされ、間接的に排除されていくのです。この文化的な排斥は、見た目の変化以上に、地域の多様性や包摂性を損ない、均質で高価格な空間へと変質させてしまいます。観光が、この「おしゃれ」という文化資本の価値を最大化させ、都市の変容を加速させる強力な触媒となるのです。

コラム:祖母のタバコ屋と「映える」カフェ

私の祖母は、昔ながらのタバコ屋を営んでいました。街の片隅にひっそりと佇むその店は、近所のおじいちゃん、おばあちゃんが集まっては世間話をする、小さな社交場でした。夏にはラムネ、冬にはおでん。商品よりも会話が主役のような、そんな温かい場所です。しかし、その街も近年、外国人観光客向けのホテルが建ち始め、祖母の店の隣には、大きな窓を持つ「映える」カフェがオープンしました。

カフェには連日、カメラを構えた観光客が押し寄せ、祖母の店の前で彼らの写真を撮る光景が日常になりました。祖母は最初は珍しそうに見ていましたが、やがて「ここは、私たちの街ではなくなった」と寂しそうに呟くようになりました。数年後、祖母は店を畳み、その場所は別の小さなカフェに変わりました。そこにはもう、あのラムネの瓶も、おでんの湯気も、そして祖母の明るい声もありません。私は、祖母のタバコ屋が、観光という名の波に飲まれて消えていった、そんな気がしてなりません。これは、私にとってのジェントリフィケーションの、あまりにも個人的な記憶です。


第三章 プラットフォーム経済の介入:アルゴリズムが描く戦場地図

3-1. Airbnbという名の無人兵器:アルゴリズムが支配する住宅市場

Airbnbに代表されるプラットフォーム経済(Platform Economy)は、都市の住宅市場に介入する「無人兵器」と呼ぶべき存在です。従来のホテルとは異なり、個人が所有する住宅を簡単に短期賃貸として貸し出せる仕組みは、急速に普及しました。これにより、都市の住宅ストックは、住民が住むための「家」から、観光客が利用する「収益を生む宿泊施設」へと変貌しました。

プラットフォームのアルゴリズムは、需要と供給、価格、評価を最適化することで、物件の稼働率を最大化します。しかし、この最適化は、地域の住宅供給を歪め、家賃を高騰させる副作用をもたらします。人気観光地では、既存の居住用物件が民泊に転用されることで供給が減少し、その結果として住民が住宅を探しにくくなったり、家賃が払えなくなったりする現象が加速するのです。この「無人兵器」は、意図せずして、あるいは資本の論理に忠実に、都市の住宅市場に静かなる侵略を続けています。

3-2. 「シェアリング・エコノミー」の神話とその裏側:資本の集中と労働の非正規化

プラットフォーム経済は、「シェアリング・エコノミー(Sharing Economy)」という魅力的な言葉で語られてきました。「使っていないものを共有する」「地域の人々と交流する」といった理想的なイメージです。しかし、その実態は、しばしば**資本の集中**と**労働の非正規化**という裏側を持っています。

多くの民泊ホストは、単なる個人ではなく、複数の物件を所有・運営するプロの事業者です。彼らは、プラットフォームのテクノロジーを駆使して効率的に収益を上げ、さらに多くの物件に投資することで、地域の不動産市場を支配していきます。これは、本来の「共有」の精神とはかけ離れた、**新たな資本の集積**と言えるでしょう。また、清掃や管理といった業務は、多くの場合、低賃金の非正規雇用労働者に依存しており、安定した雇用を生み出すどころか、脆弱な労働環境を拡大させる結果を招いています。

「シェアリング・エコノミー」という言葉が作り出す、牧歌的なイメージの裏側で、現実には都市の貧富の差を拡大させ、労働者の立場を不安定化させる構造が進行しているのです。

3-3. データ資本主義と監視社会:観光客の行動データが住民の生活を規定する

プラットフォームは、観光客の行動、好み、滞在パターン、支払い履歴など、膨大なデータを収集・分析します。このデータ資本主義(Data Capitalism)の時代において、観光客の行動データは、都市の未来を規定する新たな権力源となっています。

例えば、ある地域の人気度がデータによって可視化されると、そのデータに基づいて新たなホテルや民泊が建設され、交通インフラが整備されます。しかし、このプロセスは、住民の意向や既存の生活様式を無視して進行することが少なくありません。住民は、自分たちの街がデータによって「最適化」され、観光客の利便性や欲望を満たすための空間へと一方的に変質させられていくのを、手の打ちようもなく見守るしかない状況に置かれることがあります。

また、観光客の行動データは、住民のプライバシーを間接的に侵害する可能性も秘めています。例えば、人気の撮影スポットの情報が拡散されることで、これまで静かだった住宅地が突然、観光客で溢れかえり、住民の日常生活が「監視」されているような感覚に陥ることもあります。データ資本主義は、見えない形で住民の生活空間を規定し、新たな「監視社会」を構築する力を持っているのです。

3-4. デジタルの「非場所性」がもたらす現実空間の破壊

プラットフォーム経済がもたらすもう一つの影響は、デジタルの「非場所性(Non-Place)」が現実空間を破壊するということです。「非場所性」とは、人類学者のマルク・オジェが提唱した概念で、高速道路、空港、ショッピングモール、そして現代のデジタル空間のように、特定のアイデンティティや歴史、関係性を欠いた場所を指します。

民泊物件は、しばしば地域の歴史的文脈や住民生活から切り離され、どの都市でも見られるような均質化された「宿泊空間」として提供されます。観光客はアプリ上で物件を予約し、現地の住民と直接的な交流を持つことなく、鍵の受け渡しすらデジタルで完結させることが可能です。これにより、物理的には同じ場所でありながら、かつて存在した地域コミュニティとの接点が失われ、場所が持つ固有の意味や歴史性が剥奪されていきます。

デジタルの非場所性が現実空間に侵入することで、都市は「どこにでもあるような」均質な消費空間へと変貌し、その過程で、固有の文化やコミュニティが持つ豊かな「場所性」が破壊されてしまうのです。これは、デジタル技術がもたらす利便性の裏側に潜む、深刻な社会的コストと言えるでしょう。

3-5. プラットフォーム規制の功罪:グローバル資本への抵抗の困難さ

プラットフォーム経済がもたらす都市への影響に対し、多くの都市が規制を試みています。バルセロナが短期賃貸の全面禁止方針を打ち出したり、アムステルダムが年間貸出日数を制限したりと、様々な試みがなされています。しかし、これらの規制は、グローバル資本(Global Capital)の流動性、そしてプラットフォームの持つ非地域性という特性と常に衝突します。

規制が強化されると、違法な民泊が地下化したり、合法的な民泊事業者が別の地域に転居(問題の転嫁)したりと、いたちごっこが続くことが少なくありません。また、プラットフォーマー自身も、ロビー活動や法的措置を通じて規制に抵抗し、その影響力を維持しようとします。これは、地方自治体が、国境を越えるグローバルなデジタル資本に対し、いかに有効なガバナンスを行使できるかという、現代社会の根本的な課題を突きつけています。

規制は、短期的な効果はあるものの、根本的な解決には至らない場合が多く、経済的利益と住民の生活の質のバランスをどのように取るか、より複合的で戦略的なアプローチが求められています。

コラム:消えた裏道の看板

ある観光地で取材していた時のことです。表通りは大手チェーンの土産物店が軒を連ね、活気に溢れていました。しかし、一本裏道に入ると、まるで時間が止まったかのような、ひっそりとした生活空間が広がっていました。そこには、地元のおばあさんが営む小さな駄菓子屋があり、私はそこで、昔ながらの菓子を買い、少し話をしました。彼女は「最近は、こんな裏道まで外国人が来て、写真を撮っていくんよ」と笑っていましたが、その笑顔の奥には、どこか戸惑いのようなものが見えました。

数ヶ月後、その裏道を再訪すると、駄菓子屋は閉まっており、店先にあった手書きの小さな看板も消えていました。その場所はまだ空き店舗でしたが、おそらくは民泊か、あるいは新しいカフェに生まれ変わるのでしょう。おばあさんが語っていた「裏道の日常」は、プラットフォーム上で拡散された一枚の「映える」写真によって、その存在を消されたのかもしれません。デジタル空間の「非場所性」が、現実の小さな「場所」を、かくも容易く破壊してしまうのかと、改めて考えさせられた出来事です。私たちが何気なく見る情報一つ一つが、誰かの生活に深く影響を与えていることを忘れてはなりません。


第四章 メディアが作る「映え」戦線:視覚の暴力と欲望の加速

4-1. Instagramが都市を「コンテンツ」に変える:ハッシュタグとジオタグの帝国

Instagramに代表されるSNSは、都市を「コンテンツ(Content)」へと変貌させる強力なメディアです。美しい写真や動画を共有する文化は、「映え」という新たな価値基準を生み出しました。特定の場所は、その美しさやユニークさによって「映えるスポット」として瞬く間に拡散され、世界中から観光客を引き寄せます。

ハッシュタグ(Hashtag)は、その場所の情報を分類し、検索性を高めるだけでなく、特定のイメージを強化する役割も果たします。「#京都」「#伏見稲荷大社」「#金閣寺」といったタグは、観光地の特定の側面を強調し、そのイメージを固定化します。さらにジオタグ(Geotag)は、訪問者が正確な位置情報を共有することを可能にし、他の観光客をその場所に直接誘導します。

このハッシュタグとジオタグの帝国は、これまで知られざる場所をも一瞬にして人気スポットに変える力を持つ一方で、その場所の本来の文脈や、そこに暮らす人々の生活を無視して、視覚的な魅力だけを消費の対象とする危険性もはらんでいます。都市は、SNSのフィルターを通した「コンテンツ」として再構成され、その結果、リアルな空間が持つ多層的な意味が剥奪されてしまうのです。

4-2. 「映え」という名の植民地化:風景の消費と身体の消費のループ

「映え」を追求する文化は、観光地の風景を「植民地化」する力を持っています。観光客は、SNSで見た完璧な一枚を撮るために、私有地への侵入、立ち入り禁止区域への立ち入り、マナー違反といった行為を厭わないことがあります。風景は、その場所の歴史や文化、あるいはそこに暮らす人々の日常とは関係なく、ただ「映える」ための背景として消費されます。

さらに、観光客自身の「身体」もまた、この「映え」のサイクルの中で消費の対象となります。特定のポーズで写真を撮り、それをSNSで共有することは、自己の存在を誇示し、「承認欲求(Need for Recognition)」を満たす行為です。しかし、この自己消費のループは、観光客が自らの行動が地域に与える影響に対する意識を希薄化させる可能性があります。彼らは、自らが風景の一部として「映える」ことに夢中になるあまり、その風景の裏側にある現実、すなわち住民の生活や地域の課題を見過ごしてしまうのです。

この「映え」という名の植民地化は、風景だけでなく、観光客自身の意識までもを消費の対象とし、地域への一方的な「奪取」を正当化してしまう危険な構造をはらんでいます。

4-3. 旅行記からSNSまで:視線の歴史と「見る」ことの倫理

観光における「視線」の歴史は古く、探検家や冒険家の旅行記に始まり、写真、テレビ、そして現代のSNSへと変遷してきました。しかし、その時代ごとのメディアが変化しても、「見る側」と「見られる側」という根本的な権力構造は変わりません。

かつての旅行記は、異国の地を「発見」し、自国の視点から記述することで、一方的な知識の構築と支配を確立しました。写真の登場は、その「見られる側」を固定化し、そのイメージを再生産する力を持ちました。そしてSNS時代は、誰もが「見る側」と「見られる側」の両方になりうる一方で、その視線が持つ影響力は飛躍的に増大しました。

ここで問われるのが「見る」ことの倫理(Ethics of Seeing)です。私たちは何を、どのように見るべきなのでしょうか。観光客がカメラを向ける先に、人々の生活や文化、そしてプライバシーがあることをどれだけ意識しているでしょうか。この倫理的問いかけなしに、「映え」を追求する視線は、単なる暴力と化してしまう可能性があります。観光客一人ひとりが、自らの視線が持つ力を自覚し、より責任ある「見方」を実践することが求められています。

4-4. グローバルメディアが拡散する「訪問すべき場所」の強制力

CNN、BBC、National Geographicといったグローバルメディア、あるいは世界遺産委員会のような国際機関が発表する「世界の美しい場所」「一生に一度は訪れたい場所」といったランキングや特集は、特定の観光地に対し絶大な影響力を持ちます。これらの情報は、世界中の観光客の「訪問すべき場所」という強制力(Forced Demand)を創出し、特定の地域への観光客集中を加速させます。

メディアが作り出す「理想郷」のイメージは、往々にしてその場所の負の側面(ゴミ問題、混雑、住民の不満)を覆い隠し、一方的な美しさだけを強調します。観光客は、このメディアによって形成された欲望に従い、特定の場所に殺到します。しかし、この強制力は、地域にとって必ずしも良いことばかりではありません。過度な集中は環境破壊、インフラの機能不全、そして住民の生活破壊へと繋がります。

グローバルメディアが持つ情報発信の力は、観光地を世界に知らしめる一方で、その持続可能性を脅かす諸刃の剣でもあるのです。私たちは、メディアが提示する「訪問すべき場所」という物語を、常に批判的な視点で読み解く必要があるでしょう。

4-5. 「クールジャパン」と観光プロパガンダ:国家が紡ぐ「魅惑の物語」

日本においては、「クールジャパン(Cool Japan)」戦略や「観光立国」の推進が、国を挙げての観光プロパガンダとなっています。アニメ、漫画、ゲームといったポップカルチャーから、伝統文化、食文化まで、日本のあらゆる魅力を世界に発信し、観光客を誘致する取り組みです。

この「魅惑の物語」は、日本を「おもてなしの国」「美しい自然と独特の文化を持つ国」として描き出し、外国人観光客の日本への憧れを醸成します。政府や観光庁は、膨大な予算を投じてテレビCM、ウェブサイト、国際イベントを通じてこの物語を拡散し、外国人観光客数の目標値を設定することで、更なる誘致を促します。

しかし、このプロパガンダの裏側には、観光客数増加による経済効果を最優先する姿勢が見え隠れします。そして、その経済的恩恵が地域住民の生活の質を低下させるという負の側面は、しばしば矮小化されたり、見過ごされたりします。「観光立国」という輝かしいスローガンの陰で、住民は「おもてなし」という美名の下、過剰な負担を強いられ、自らの生活空間が「戦場」と化していく現実に向き合わされているのです。国家が紡ぐ「魅惑の物語」は、時に住民の声をかき消し、批判的視点を封じる力を持ちます。

コラム:観光大使になった私の故郷

私の故郷は、かつては観光ガイドにもほとんど載らない、小さな田舎町でした。しかし、ある年に地方創生の一環で、アニメの舞台になったことで状況は一変しました。アニメファンが「聖地巡礼」に訪れ始め、やがてそのブームは海外にまで飛び火。町は瞬く間に「アニメの聖地」として有名になり、市長までがそのアニメのキャラクターのコスプレをして、観光大使に任命されました。

確かに、経済的には潤いました。シャッター街だった商店街に新しいお店ができ、若者がUターンしてくる光景も見られました。しかし、その一方で、静かだった神社仏閣は昼夜を問わずファンで賑わい、住民が大切にしていた風景は、彼らにとっての「コンテンツ」へと変わっていきました。夜中にキャラクターのパネル前で騒ぐ若者たち、ゴミの散乱、そして地元の人々の顔写真がSNSに無断でアップされることもありました。

私は、故郷が「世界の聖地」として輝くことと、故郷の住民が平和な日常を送れることの間で、深い葛藤を覚えました。メディアが作り出す物語が、これほどまでに現実を変えてしまうのかと、驚きと同時に、深い無力感を覚えたのです。私たちは、物語の力をどのように制御し、いかにして現実の生活を守るべきなのでしょうか。その問いは、今も私の中に深く横たわっています。


第二部:抵抗、共存、そして未来への問い

第五章 抵抗の現場:住民たちの反撃と新たな戦略

5-1. 「No Tourism」の声:抗議運動と言葉の奪還

観光資本の侵攻に対し、住民たちは決して黙ってはいません。世界各地で「観光客は帰れ!」「わたしたちはお前らのテーマパークじゃない!」といった、強いメッセージを掲げた抗議運動が頻発しています。これらの「No Tourism」の声は、単なる感情的な反発ではなく、観光の利益至上主義に対する、住民の切実な訴えであり、自分たちの言葉で自分たちの街の物語を語り直そうとする「言葉の奪還」の試みです。

バルセロナやリスボンでは、観光客向けの短期賃貸アパートが増加する中で、地元の住民たちがデモ行進を行い、壁には反観光メッセージの落書きがされることもありました。ベネチアでは、クルーズ船の寄港に反対する住民運動が長年続き、一部は国政を動かすまでの影響力を持つに至っています。こうした抗議運動は、住民たちが自らを「受動的な被害者」ではなく、「能動的な当事者」として位置づけ、観光のあり方に対する主権を回復しようとする明確な意思表示なのです。

5-2. オルタナティブ・メディアの力:住民発の物語の構築と対抗言説

主流メディアが観光のポジティブな側面ばかりを報じる中で、住民たちは自らの手でオルタナティブ・メディア(Alternative Media)を構築し、対抗言説(Counter-Discourse)を発信するようになっています。地域のニュースレター、自主制作のドキュメンタリー、ブログ、SNSアカウントなどを通じて、オーバーツーリズムの負の側面、ジェントリフィケーションによる住民の苦悩、そして地域コミュニティの取り組みを世界に発信するのです。

例えば、京都の祇園の住民が、観光客のマナー違反に対する注意喚起を英語や中国語で記した看板を独自に設置したり、地元メディアが住民の声を集めた特集記事を組んだりする動きが見られます。これらの住民発の物語は、観光客がメディアから与えられた情報だけを鵜呑みにせず、現地のリアルな状況を理解するための重要な情報源となります。オルタナティブ・メディアは、観光という一方的な視線に対し、住民自身の「語り」を取り戻し、多様な声が響き合う空間を創造する力を持っているのです。

5-3. 政策による防衛線:観光税、入場制限、法規制の限界と可能性

行政もまた、オーバーツーリズムとジェントリフィケーションに対する「防衛線」を構築しようと模索しています。観光税(Tourism Tax)の導入、観光客数の入場制限(Entry Limit)、そして民泊に対する法規制(Legal Regulation)はその代表例です。

例えば、京都市では観光客から宿泊税を徴収し、その財源を観光振興と同時に住民生活の改善に充てる試みがなされています。ベネチアでは、日帰り観光客から「アクセス料」を徴収する制度を試験的に導入し、観光客数の抑制を目指しています。また、バルセロナやアムステルダムでは、民泊の新規許可を停止したり、年間営業日数を制限したりと、厳しい規制を導入しています。

これらの政策は、観光圧の抑制や財源確保に一定の効果をもたらす可能性がありますが、同時に限界も抱えています。規制が厳しすぎると観光収入が減少し、経済的なトレードオフが生じる可能性もあります。また、違法民泊の増加や、観光客が規制の緩い隣接地域に流れるといった「風船効果」も懸念されます。政策はあくまで一つのツールであり、それ単独で問題を解決するのではなく、住民の協力と、より広範な視点に立った総合的な戦略が必要です。

5-4. ツーリズム・ジェントリフィケーションへの対策事例の比較:バルセロナ、アムステルダム、京都市の教訓

ツーリズム・ジェントリフィケーションへの対策は、都市の特性や政治的背景によって様々です。ここでは、主要な都市の取り組みを比較し、その教訓を探ります。

日本への影響
対策地域 主な取り組み 効果・課題 特筆すべき点
バルセロナ市 観光業許可数の厳格な制限、空き家の観光転用禁止、中心部の短期賃貸ライセンス停止方針。 新規ホテル建設の制限、旧市街の住民流出の一部抑制に効果。しかし、違法民泊や抜け道の発生、宿泊費のホテル化が課題。 都市の景観と住民生活を優先する強力な政治的意思。住民運動の存在が大きい。
アムステルダム市 観光客課税の導入、短期賃貸の年間許可日数制限(最大30日)、民泊の登録義務化と罰金制度、特定の地域での民泊禁止。 短期滞在型賃貸の減少と観光収益の安定化に一定の効果。しかし、全市域での規制の均衡や執行の困難さが課題。 データに基づいた段階的な規制強化。住民合意形成を重視。
京都市 民泊規制の強化(住居専用地域での営業禁止)、観光税の導入、騒音取り締まり強化、京都ルールと呼ばれる独自の規制。 民泊新設の減少、観光収入の確保。ただし、家賃上昇の根本的な抑制は難航し、民泊規制後の宿泊施設の「ホテル化」が進む。 歴史的景観と伝統文化の保全を重視。住民と観光の共存を目指す姿勢。
京都・長野等日本各地 空き家の住民向け再活用促進、地元事業者対象の融資拡充、体験型ローカルツアーの推進、観光客向けマナー啓発。 地域固有の文化保全と住民の生活維持に寄与する可能性。しかし、観光需要全体が強く、定住支援策の持続可能性が課題。 地方創生と観光を両立させる模索。

これらの事例から、単一の規制強化だけでは問題は解決せず、**(1)短期賃貸等の需要側抑制、(2)住宅の長期供給確保、(3)データ開示と執行力強化、(4)地域住民参加の制度設計**を組み合わせた、複合的なアプローチが不可欠であることが分かります。また、地域ごとの特性や住民のニーズに合わせたきめ細やかな政策設計と、住民、観光事業者、行政の緊密な協力が成功の鍵を握っています。

5-5. 住民内の多様な利害と「共謀」:適応と抵抗の狭間で

住民の抵抗運動は、ツーリズム・ジェントリフィケーションに対する重要なカウンターバランスですが、住民コミュニティは決して一枚岩ではありません。その内部には、観光化によって利益を得る者と、被害を被る者が混在しています。一部の住民は、自身の所有する住宅を民泊として貸し出したり、観光客向けのビジネスに転換したりすることで、この変化に適応し、あるいは「共謀(Complicity)」している側面もあります。

例えば、観光地で代々続く商店の店主が、客層の変化に合わせて地元向けの品揃えを減らし、観光客向けの土産物へとシフトするケースです。これは、生き残るための適応であると同時に、地域の文化が観光資本に飲み込まれていくプロセスの一部でもあります。また、不動産を所有する高齢者が、高額で物件を売却することで、一時的な経済的恩恵を得ることもあります。

このような住民内の多様な利害対立は、抵抗運動の組織化を困難にし、地域コミュニティの分断を深める原因となることがあります。ジェントリフィケーションは、外部からの単純な侵略ではなく、地域内部の様々なアクターが、グローバル資本の論理と交錯しながら、時には適応し、時には抵抗する、複雑なプロセスとして捉える必要があります。真の解決策を模索するためには、この住民内部の多様な声に耳を傾け、彼らが直面するジレンマを深く理解することが不可欠です。

コラム:観光客を「歓迎」する居酒屋の親父

ある観光地で、私は地元の居酒屋に入りました。店内は地元客で賑わっているのですが、テーブルの一つでは、店主が楽しそうに外国人観光客と身振り手振りで会話していました。彼は、英語はほとんど話せないけれど、翻訳アプリを使いながら、熱心に日本の酒文化について説明していました。後で聞くと、昔は外国人客なんてほとんど来なかったけれど、最近は増えてきたので、自分も楽しんで対応しているのだと言います。

この親父さんは、観光客の増加によって、新しい客層と出会い、ビジネスに新たな刺激を見出しているようでした。しかし、一方で、彼の居酒屋が「観光客も来る店」として有名になり、これまでの常連客が入りにくくなる可能性もあります。彼のような「適応者」もまた、観光の波の一部であり、その複雑な心情は、オーバーツーリズム問題の一面を物語っています。単純な「善悪」で割り切れない、人間らしい適応の姿がそこにはありました。


第六章 日本への影響:観光立国の代償と固有の課題

6-1. 日本の「おもてなし」神話の解体:ホスト側の心理的負担と自己犠牲

日本が世界に誇る「おもてなし(Omotenashi)」の精神。これは、観光立国を推進する上で大きな魅力として語られてきました。しかし、オーバーツーリズムの現場では、この神話が解体され、ホスト側である住民や観光業従事者に過大な心理的負担と自己犠牲を強いる側面が露呈しています。

「お客様は神様」という意識や、外国人観光客への過度な配慮が求められる中で、住民は自身のプライベートな空間や時間を侵害されがちになります。例えば、写真撮影のための私有地への侵入、マナー違反の行動への苦情を伝えにくい状況、ゴミの増加といった問題です。観光業従事者も、人手不足の中、多言語対応や多様なニーズへの対応に追われ、精神的・肉体的な疲弊が蓄積しています。

この「おもてなし」神話は、本来、相手を心からもてなすという美しい文化でしたが、観光客の数が許容範囲を超えると、それは一方的な「義務」となり、住民や労働者の尊厳を蝕むものへと変質してしまうのです。私たちは、この「おもてなし」の真の価値を再考し、過度な自己犠牲を強いない、持続可能な関係性を構築する必要があります。

6-2. 京都、沖縄、地方観光地の変貌:日本型ジェントリフィケーションの特性

日本におけるツーリズム・ジェントリフィケーションは、欧米の事例とは異なる独自の特性を持っています。

  • **京都**: 世界的な観光都市である京都では、「町家(Machiya)」と呼ばれる伝統的な建築物が民泊や観光客向け店舗に転用され、住環境が悪化しています。京都市は独自の民泊規制を導入しましたが、家賃高騰の根本的な抑制には至っていません。景観は守られても、中に住む人々の生活が失われる「景観保存下のジェントリフィケーション」が特徴です。

    京都市祇園の町家
    京都市祇園の町家。伝統的な景観の裏で、居住空間が失われつつあります。(Wikimedia Commons)

  • **沖縄**: 美しい自然を求めて観光客が押し寄せる沖縄では、リゾート開発が活発化し、リゾートマンションやホテルが建設されています。これにより、海岸線や自然環境が変容し、地元住民がアクセスできたビーチが私有化されるといった問題も発生。米軍基地問題と並行して、土地利用を巡る複雑な課題を抱えています。

  • **地方観光地(例:白馬村、ニセコ)**: スキーリゾートとして世界的に有名な長野県の白馬村や北海道のニセコでは、外国人富裕層によるコンドミニアムや別荘の購入が活発化しています。これにより、局地的な地価高騰が起き、地元の人が家を買えなくなったり、既存の住宅が短期賃貸に転用されたりする「富裕層主導型ジェントリフィケーション」の特性が見られます。

これらの日本型ジェントリフィケーションは、それぞれの地域の文化、歴史、社会構造と密接に結びついており、一律の対策では対応できない固有の課題を抱えています。

6-3. 外国人労働者と観光産業:多文化共生か、新たな搾取か

観光客の急増と人手不足に直面する日本の観光産業では、外国人労働者への依存度が高まっています。彼らは、ホテル、レストラン、清掃業などで重要な役割を担っており、日本の多文化共生社会を形成する一翼を担う可能性を秘めています。

しかし、その一方で、外国人労働者が低賃金、長時間労働、不安定な雇用といった搾取(Exploitation)の対象となるリスクも指摘されています。言葉や文化の壁、法的知識の不足、そして観光需要の季節変動などが、彼らを脆弱な立場に追い込む要因となることがあります。

観光産業における外国人労働者の問題は、単なる労働力確保の問題に留まらず、日本の多文化共生社会のあり方、人権問題、そして持続可能な観光の実現にとって、避けては通れない重要な課題です。彼らを単なる「労働力」としてではなく、地域社会の一員として包摂し、公正な労働環境を確保することが求められています。

6-4. 文化財保護と観光開発のディレンマ:未来への遺産か、現在の消費か

日本には、世界に誇る豊かな文化財が多数存在します。これらは「未来への遺産」として保護されるべきものである一方で、観光開発の文脈では「現在の消費」の対象となり、時にその間で深刻なディレンマ(Dilemma)に直面します。

観光客の増加は、文化財へのアクセスを増やすと同時に、物理的な摩耗、破損、そして「静かなる破壊」を招くことがあります。例えば、神社の参道の石畳が過剰な人流で削られたり、歴史的建造物の壁が触れられて劣化したり、あるいはゴミの増加によって景観が損なわれたりするケースです。

文化財を観光資源として活用することは、その保存のための資金を確保する上で重要ですが、その利用が過度になれば、文化財本来の価値を損ない、次世代に引き継ぐべき遺産を現在で「使い尽くしてしまう」ことになりかねません。観光開発は、文化財の保護と利用のバランスを慎重に考慮し、文化財を単なる消費対象としてではなく、持続可能な形で未来へ繋ぐための知恵が求められます。

6-5. 災害と観光:復興の希望と二次的被害

日本は災害の多い国であり、地震、津波、豪雨、台風などが頻繁に発生します。災害からの復興において、観光はしばしば「希望の光」として位置づけられ、地域経済の立て直しに大きな役割を果たすことが期待されます。

しかし、その一方で、災害復興と観光の間には、二次的被害(Secondary Damage)という別の問題も潜んでいます。例えば、被災地の悲惨な状況が「災害ツーリズム」として消費されたり、復興過程で急増する建設作業員や観光客が、仮設住宅で暮らす被災者の生活空間を圧迫したりするケースです。また、復興を急ぐあまり、地域の環境や文化に配慮しない性急な観光開発が進められ、長期的な視点での持続可能性が損なわれる可能性もあります。

災害からの復興は、地域固有の文化や住民のニーズを尊重し、外部の資本や視点に安易に依存しない、住民主体での計画が不可欠です。観光を復興の「特効薬」として盲目的に捉えるのではなく、その潜在的なリスクも考慮した、慎重なアプローチが求められます。

コラム:古都の夕暮れ、観光客の「映え」と住民の溜息

京都で長年、宿を営む友人から聞いた話です。夕暮れ時、古い町家が並ぶ路地には、朱色の提灯が灯り、それはそれは美しい光景が広がります。しかし、その時間に必ずと言っていいほど、一台のタクシーが停まり、外国人観光客の一団が降りてくるのだとか。彼らは、皆スマートフォンを構え、路地の中央で写真を撮り始めます。その光景は、友人曰く「まるで舞台のように」繰り広げられるそうです。

友人は、彼らが「映える」写真を撮りたい気持ちも理解できると言いますが、その路地はあくまで住民の生活道路であり、子どもの通学路でもあります。写真撮影のために立ち止まる観光客によって、自転車が通れなくなったり、住人が家に入るのに一苦労したりすることも少なくないそうです。「美しいと思って来てくれるのはありがたいけれど、生活は生活やからね」と、友人は少し疲れた表情で話してくれました。美しい「映え」の裏側で、静かに溜息をつく住民がいることを、私たちは忘れてはならないと感じました。


第七章 脱構築的観光の倫理:平和な共存のために

7-1. 「移動の自由」の再考:誰の自由が優先されるべきか

現代社会において、「移動の自由(Freedom of Movement)」は基本的な人権の一つとして広く認識されています。しかし、オーバーツーリズムの文脈において、この「移動の自由」が、観光地住民の「平穏に生活する自由(Freedom from Disturbance)」や「居住の自由(Freedom of Residence)」と衝突する時、私たちはどちらの自由が優先されるべきかという困難な問いに直面します。

観光客は、自らの意思で自由に移動し、訪れたい場所を選ぶ権利を持つと信じています。しかし、その自由な移動が、特定の地域に集中しすぎた結果、地元住民が家賃高騰で住まいを失ったり、日常生活が騒音や混雑で著しく妨げられたりするのであれば、それはもはや、一方的な自由の行使であり、他者の自由の侵害と言えるのではないでしょうか。

この問題は、自由の概念そのものを再考することを私たちに求めています。真の自由とは、他者の自由を侵害しない範囲で成立するものであり、観光における「移動の自由」もまた、地域住民の生活の質や権利を尊重する倫理的な枠組みの中で再定義されるべきです。私たちは、より包摂的で、互いの自由を尊重し合える社会を築くために、この根源的な問いと向き合う必要があります。

7-2. 観光客の責任:エチケットを超えた倫理的自覚と変革

これまで、観光客に求められてきたのは「マナー」や「エチケット」といった表面的な行動規範でした。「ゴミは持ち帰りましょう」「大声で騒がないようにしましょう」といったものです。しかし、ツーリズム・ジェントリフィケーションが示すように、問題は単なるマナー違反に留まりません。観光客一人ひとりに求められるのは、エチケットを超えた倫理的自覚(Ethical Awareness beyond Etiquette)と、そこから生まれる行動の変革です。

これは、自らの観光行動が、訪れる地域の社会、文化、環境、そして住民の生活に、どのような影響を与える可能性があるのかを深く考えることです。例えば、安易な短期賃貸物件の利用が、地元の住宅供給を圧迫している可能性、SNSでの「映え」追求が、私有地の侵害や地域の文化の消費に繋がる可能性を認識することです。

倫理的自覚は、観光客に「消費する側」から「共生する側」への意識転換を促します。それは、単に「楽しむ」だけでなく、その場所の持続可能性に貢献し、住民の生活を尊重する「責任ある旅」を実践することに他なりません。このような意識の変革が、個々の観光行動の積み重ねを通じて、観光のあり方そのものを変革する大きな力となるでしょう。

7-3. 「訪れない観光」の思想:消費から対話へ、そして滞在へ

オーバーツーリズムの解決策の一つとして、「訪れない観光(Not-Visiting Tourism)」という逆説的な思想が注目されています。これは、物理的にその場所を訪れて消費する従来の観光のあり方から脱却し、代わりにその地域の文化や物語に深い敬意を払い、オンラインでの交流、地元製品の購入、あるいは長期的なボランティア滞在などを通じて、より本質的な関係性を築くことを目指すものです。

この思想は、観光を「消費」ではなく「対話」へと昇華させようとする試みです。観光客は、一方的に風景や文化を「見る」「買う」だけの存在ではなく、その場所の物語を学び、住民と交流し、その地域の課題を共有するパートナーとなります。また、短期的な訪問ではなく、長期的な滞在(Long-Term Stay)は、住民としての視点をもたらし、観光地の一時的な訪問者という役割を超えた、より深い関係性を可能にします。

「訪れない観光」は、物理的な移動を伴わなくても、あるいは移動を最小限に抑えることで、その場所への敬意と貢献を表現する方法を模索します。これは、グローバルな観光資本主義に対する、新しい倫理的なカウンタームーブメントとなり得るでしょう。

7-4. 都市の主権を取り戻す:住民参加型ガバナンスの可能性

オーバーツーリズムとジェントリフィケーションによって都市が変容する中で、地域住民が自らの街に対する「都市の主権(Urban Sovereignty)」を取り戻すことが不可欠です。これには、行政によるトップダウンの規制だけでなく、住民が主体的に意思決定プロセスに参加する住民参加型ガバナンス(Participatory Governance)の強化が鍵となります。

具体的には、都市計画や観光政策の策定段階から、住民代表が参画する協議会やワークショップを設け、彼らの意見を政策に反映させる仕組みを構築することです。また、住民投票やデジタルプラットフォームを活用した住民意見の可視化も有効な手段となり得ます。バルセロナやアムステルダムの一部地域では、住民が地域計画に直接影響を与えられるような制度が導入され始めています。

都市の主権を取り戻すことは、単に観光客を制限するだけでなく、地域の文化や生活様式を尊重し、住民が安心して暮らせる環境を自ら創造していくプロセスです。これは、観光と共存しながらも、都市のアイデンティティと住民の幸福を優先する、新しい都市モデルを構築する試みと言えるでしょう。

7-5. 観光を「戦争」から「対話」へ変えるための言語学

本書は、オーバーツーリズムを「戦争」というメタファーで捉えてきましたが、最終的にはこの「戦争」状態から脱却し、「対話(Dialogue)」へと移行することを目指します。そのためには、観光をめぐる言語(Language of Tourism)そのものを再構築する観光言語学(Tourism Linguistics)的なアプローチが不可欠です。

私たちは、「観光客」や「住民」といった二項対立的な言葉ではなく、「訪問者」と「ホスト」、「一時的な居住者」と「永続的な居住者」といった、より柔軟で相互尊重を促す言葉を用いるべきかもしれません。また、「消費」や「経済効果」といった経済合理性に基づいた言葉だけでなく、「共生」「持続可能性」「ウェルビーイング(Well-being)」といった、非経済的価値を重視する言葉を積極的に用いる必要があります。

メディアも、単に「映える」風景を提示するのではなく、その土地の多層的な物語、住民の声、そして課題を伝えるための新しいナラティブを紡ぐべきです。言語は、私たちの認識を形作り、行動を促す力を持っています。この「戦争」を終わらせ、平和な共存へと導くためには、まず私たちの内側にある言葉を変革し、相互理解と尊敬に基づいた新しい観光の言語を創造していくことが求められているのです。

コラム:言葉一つで変わる世界観

以前、ある地方の観光地で、住民グループが「観光客へのお願い」という看板を作成していました。当初は「ゴミを捨てるな」「騒ぐな」といった、やや攻撃的な言葉が並んでいたそうです。しかし、ある言語学者のアドバイスを受け、「この美しい風景を未来に残すために、ご協力をお願いします」「静かなる日常を共に味わいましょう」といった、よりポジティブで共感を呼ぶ言葉に書き換えたそうです。

すると驚くことに、観光客のマナーが目に見えて改善されたと聞きました。以前は看板を無視する人も多かったのですが、新しい看板の前では立ち止まって読み、頷く人が増えたそうです。言葉一つで、観光客と住民の関係性が、命令と反発から、協力と理解へと変わる可能性を目の当たりにした瞬間でした。これは、観光を「戦争」から「対話」へと変えるための、小さな、しかし確かな一歩だと感じています。言葉の持つ力は、私たちが想像するよりもはるかに大きいのです。


第八章 未来を共同創造する:解決策と新たな価値観

8-1. 「観光」の暴力性を直視し、失われた豊かさを再定義する

オーバーツーリズムがもたらす「戦争」を終わらせる第一歩は、その暴力性を直視することから始まります。経済的利益の追求が、いかにして住民の生活、地域の文化、そして環境を破壊しうるのかを、私たち一人ひとりが深く理解することが不可欠です。この理解がなければ、根本的な解決策を模索することはできません。

そして、私たちは「失われた豊かさ」を再定義する必要があります。それは、かつて地域の生活の中にあった、経済的価値だけではない「非経済的価値(Non-Economic Value)」です。例えば、静かで平穏な日常、地域コミュニティの温かい絆、自然との調和、受け継がれてきた伝統文化の本来の意味などです。これらの価値は、GDPや観光収入といった数値では測れない、しかし人々の幸福感や地域の持続可能性にとって不可欠なものです。観光のあり方を考える上で、この非経済的価値をいかに尊重し、取り戻していくかが、これからの大きな課題となります。

8-2. 持続可能な共存社会へのロードマップ:経済的価値と非経済的価値の統合

未来の観光は、経済的価値と非経済的価値を統合した、持続可能な共存社会(Sustainable Coexistence Society)を目指すべきです。これは、観光が地域にもたらす経済的恩恵を享受しつつも、それが住民の生活の質や地域の持続可能性を損なわないよう、厳格な倫理的・環境的・社会的な基準を設定することを意味します。

そのためのロードマップとしては、以下のような多角的なアプローチが考えられます。

  • **政策レベル**: 地域特性に応じた民泊規制、観光税の使途の透明化、住宅供給政策と連携した居住権保護、住民参加型の都市計画。
  • **観光事業者レベル**: CSR(企業の社会的責任)を超えた、地域への積極的な貢献、公正な労働条件の確保、地域資源への配慮。
  • **観光客レベル**: 倫理的自覚に基づく責任ある旅の実践、地域文化への深い敬意、地元経済への貢献。
  • **住民レベル**: 自治の強化、オルタナティブ・ツーリズムの共同創造、地域資源の主体的な管理。

これらのアクターが連携し、短期的な利益だけでなく、長期的な視点での共存を目指すことが、持続可能な社会を築く上で不可欠です。

8-3. 観光という「物語」の再編:新たな言葉を紡ぐ実践

観光がもたらす「戦争」を終わらせ、平和な共存社会を築くためには、観光をめぐる「物語(Narrative)」そのものを再編する必要があります。これまでの「発見」「消費」「映え」といった物語は、地域に一方的な視線を向け、住民を排除する構造を強化してきました。

私たちが紡ぐべき新たな物語は、「共生」「対話」「敬意」「学び」「貢献」といった価値観に基づいたものです。観光客を単なる消費者にせず、地域の「一時的な住民」として迎え入れ、共に学び、共に体験し、共に地域を創造していくような関係性を築く言葉です。

メディアも、単なる「絶景」や「グルメ」といった情報だけでなく、地域の歴史、住民の生活、直面している課題、そして持続可能な未来への取り組みを伝えるような深みのある物語を発信すべきです。この新たな言葉を紡ぎ、共有する実践を通じて、観光客と住民、そして地域全体が、より豊かな関係性を築き、真の意味での「平和な共存」を実現できると信じています。

8-4. 共同創造としての観光:住民と観光客、そして行政・企業の新しい関係性

これからの観光は、一方的に提供される「商品」としてではなく、住民、観光客、行政、企業が協力し、共に価値を創り出す「共同創造としての観光(Co-creation Tourism)」へと進化すべきです。これは、各アクターがそれぞれの役割と責任を自覚し、対等な関係性の中で、地域の未来を共に描いていくプロセスです。

  • **住民**: 地域コミュニティが主体となり、観光客に提供する体験やサービスの企画・運営に積極的に関与します。地域の文化や歴史を自ら語り、守り、発展させる「主権者」としての役割を担います。

  • **観光客**: 消費者としてだけでなく、地域の文化や環境を尊重し、学び、時にはボランティア活動を通じて地域に貢献する「パートナー」としての意識を持ちます。

  • **行政**: 観光振興と住民生活保護のバランスを取り、住民参加型ガバナンスを推進する「ファシリテーター」としての役割を担います。公正なルールを策定し、その執行を徹底します。

  • **企業**: 短期的な利益だけでなく、CSRを超えた地域への貢献や、持続可能な観光モデルの構築に投資する「イノベーター」としての役割を担います。

このような共同創造のプロセスを通じて、観光は地域社会に新たな価値を生み出し、真の意味での豊かさをもたらすことができるでしょう。それは、観光が「戦争」ではなく、多様な人々が共に未来を築く「協働の場」となることを意味します。

8-5. 平和のための観光言語学へ

私たちが「観光はほとんど戦争だ」という言葉を捨て去り、真に平和な共存へと向かうためには、最終的に「平和のための観光言語学(Peace Tourism Linguistics)」を確立する必要があります。これは、観光を巡る言説やコミュニケーションのあり方を根本から見直し、対立ではなく対話、排除ではなく包摂、消費ではなく共感を促す言葉を意図的に用いる実践です。

具体的には、「観光客」「住民」といったカテゴリーを固定化する言葉遣いを避け、「訪問者」「ホスト」「一時的な滞在者」「地域を愛する人々」といった、より柔軟で相互理解を促す言葉を用いること。また、GDPや経済効果といった数値偏重の言葉から、「幸福度」「つながり」「文化の継承」「環境レジリエンス」といった、質的な豊かさを重視する言葉へとシフトすることです。

言葉は、私たちの思考を形作り、行動を規定します。この「平和のための観光言語学」の実践は、メディア、行政、観光事業者、そして私たち一人ひとりが、自らの言葉遣いを見直すことから始まります。言葉の変革を通じて、観光という行為が持つ隠れた暴力性を解体し、真に持続可能で、誰もが尊重される平和な関係性を築くための土台を築き上げることを、本書は強く提言します。これは、遠い理想ではなく、今この瞬間から始められる、私たち自身の言葉による革命なのです。

コラム:言葉が変えた私の視点

この本を執筆する過程で、私自身の「観光」に対する視点も大きく変わりました。以前は、何気なく「観光客」という言葉を使い、彼らを「金を落としてくれる人」と「マナーの悪い人」という二元論で捉えていました。しかし、このテーマを深く掘り下げていくうちに、その言葉遣い自体が、問題を単純化し、住民と観光客の間の溝を深めていることに気づかされました。

特に印象的だったのは、ある地域の住民グループが、観光客向けのガイドラインで「ゲスト(Guest)」という言葉を使っていたことです。彼らは「お客様」ではなく「ゲスト」という言葉を選び、「私たちはあなたのホストです。この家(街)のルールを共有し、共に良い時間を過ごしましょう」と呼びかけていました。この言葉一つで、観光客は単なる消費者ではなく、一時的であれその街の一員として迎え入れられていると感じ、行動も変わるというのです。

言葉は、私たちが見る世界を、そして私たちが築く関係性を、根本から変える力を持っています。私もこれからは、この「平和のための観光言語学」を意識し、より思慮深く、そして建設的な言葉を選んでいきたいと強く思っています。この学びが、読者の皆様にも届くことを願っています。


補足資料

補足1 感想集

ずんだもんの感想

んもう、この論文、ずんだもんの心を揺さぶるんず!オーバーツーリズムって、ただ人が多いだけじゃなくて、住んでる人の家を奪ったり、街の個性をなくしたり、まるで静かな戦争なんずね。ずんだもんの住む場所も、いつか観光客でいっぱいになって、ずんだ餅が売れなくなって、ずんだもんが追い出されちゃうんじゃないかって、心配になるんず。もっと、みんなが住みやすい、ずんだ餅の美味しい街であってほしいんず!

ホリエモン風の感想

これさ、オーバーツーリズムって言ってるけど、結局は**『市場の効率化』**なんだよね。地価が上がる、家賃が上がるってのは、その場所の価値が上がったってこと。そこに住めなくなった住民は、その価値に乗っかれなかった、もしくは新しい価値を創出できなかっただけ。ぶっちゃけ、文句言ってる暇があったら、その新しい価値の中でどう稼ぐか考えろって話。民泊規制とかバカげてる。イノベーションの阻害でしかない。もっとダイナミックに変化を受け入れろよ。儲かるならそれでいいじゃん。最適化しろ、最適化。

西村ひろゆき風の感想

オーバーツーリズムで住民が追い出されるって、まあ、仕方ないんじゃないですかね。だって、観光客が金を落とすんだから、店も家もそっち向けになるのは当然でしょ。住めないなら、別のところに住めばいいだけじゃないですか。別に誰も『ここに住め』って強制してるわけじゃないし。文句言ってる人って、**『昔のままがいい』って言ってるだけで、何の解決策も出してない**ですよね。なんか、頭悪いんじゃないかなって思いますけど。


補足2 年表

年表①:ツーリズム・ジェントリフィケーションの主要な歴史
年代 出来事・潮流 影響
1960年代 ジェントリフィケーション概念の誕生(英ロンドン、ルース・グラス) 都市社会学に新たな分析視点。労働者階級居住区への中産階級流入を指す。
1980年代 グローバル化の加速 都市が国際資本のハブとなり、観光もグローバル経済の一部に組み込まれる。
1990年代 批判的観光研究の台頭、観光開発の本格化 観光の経済的・社会文化的影響への批判的視点が高まる。バルセロナ等で観光開発が本格化し、初期の住民摩擦発生。
2000年代 観光の量的拡大と「観光立国」政策の萌芽 国際観光客数が増加の一途。一部歴史都市で「観光客過多」の兆候が見られる。
2008年 Airbnb設立 プラットフォーム経済が住宅市場に介入する道を拓き、短期賃貸の普及が始まる。
2010年代前半 プラットフォーム民泊の世界的普及、「ツーリズム・ジェントリフィケーション」認識 都市部での住宅供給減少、家賃高騰、住民排斥が顕在化。学術・政策的課題として認識され始め、京都、バルセロナ、アムステルダムなどで顕著な問題化。
2010年代中盤 「オーバーツーリズム」問題の国際的認知 ベネチア、バルセロナ等で住民による抗議活動が活発化。SNSが観光客の行動と情報拡散を加速させる。
2015年頃 日本で「観光立国」本格化 訪日外国人観光客数が急増し、インバウンドブームが始まる。
2018年 日本で住宅宿泊事業法(民泊新法)施行 民泊が法制化されるも、観光地では供給過剰と住民トラブルが続く。
2019年 ベネチアが日帰り客への「アクセス料」導入を発表(コロナ禍で延期) 観光客数抑制に向けた規制の本格化の兆候。
2020年 COVID-19パンデミック発生 観光が一時的に停止し、多くの観光地で「静寂」が訪れる。ジェントリフィケーションの進行が一時的に鈍化し、住宅市場が回復する兆候も見られる。
2022年以降 観光の再開とオーバーツーリズムの再燃 パンデミックで一時的に消失した観光需要が急速に回復。各国・都市で観光客抑制策や民泊規制の強化が議論・実施される。バルセロナが短期賃貸の全面禁止方針を発表(2024年)。
現在 ツーリズム・ジェントリフィケーションは現代都市の喫緊課題 プラットフォーム経済、グローバル資本、国家政策、そして地域コミュニティのレジリエンスが複雑に交錯する、現代都市における最も喫緊かつ多層的な社会課題の一つとして位置づけられる。
年表②:別の視点からの時間軸──メディアと社会の「見る」変遷
年代 「見る」ことの変化と社会影響 観光への関連
19世紀 写真の発明、旅行記の普及 「異国」を写真で固定化。旅行記が「訪問すべき場所」のイメージを形成し、知識と支配のツールとなる。
20世紀前半 映画・ラジオの普及、旅行代理店の登場 動的な映像が観光地を宣伝。大衆旅行が始まり、観光が一部富裕層から中産階級へ広がる。
1960年代 テレビの普及、海外旅行の一般化 「世界の絶景」がお茶の間に。観光がレジャーの選択肢として定着。
1980年代 ビデオカメラ・家庭用PCの普及 個人による映像記録が可能に。旅行体験の「私的アーカイブ化」。
1990年代 インターネットの普及、デジタルカメラの登場 情報検索が容易に。旅行情報が個人間で交換され始め、個人の「見る」経験が共有される基盤が生まれる。
2000年代 ブログ、SNSの黎明期 個人の旅行体験が広く公開される。テキスト中心の共有から、写真が重視され始める。
2010年代前半 スマートフォンとInstagramの爆発的普及 「映え」文化の誕生。ハッシュタグとジオタグが「訪問すべき場所」の強制力を劇的に高め、視覚の暴力が顕在化。
2010年代後半 TikTokなど動画プラットフォームの台頭 短尺動画が旅行の「コンテンツ」化を加速。「体験消費」と「自己顕示欲」が絡み合い、オーバーツーリズムを加速。
現在 AIによる旅行プラン提案、メタバース観光の萌芽 データ資本主義が旅行者の欲望をさらに最適化。一方で、現実空間の疲弊からバーチャル空間への関心も。

補足3 オリジナル創作

オリジナルのデュエマカード

カード名: 観光の呪縛(ツーリズム・ジェントリフィケーション)

文明: 水 / 闇
種類: 呪文
コスト: (5)

カードテキスト:
■ S・トリガー
■ 次の2つのうちいずれか1つを選ぶ。
 ▶ 相手のクリーチャーを1体選び、山札の一番下に置く。その後、相手は自身の山札の上から1枚を墓地に置く。
 ▶ 各プレイヤーは、自身のマナゾーンにあるカードを2枚選び、山札の一番下に置く。その後、相手は自身のマナゾーンにあるカードを1枚選び、山札の一番下に置く。
■ この呪文を唱えた後、自分の山札の一番上から1枚を墓地に置く。

フレーバーテキスト:
「観光客は、ただ来ただけではない。彼らは、街の心臓を狙っていた。」

カード解説:

  • 水/闇文明: 水文明は「コントロール」「手札破壊(間接的にリソースを奪う)」、闇文明は「除去」「墓地利用」「相手のリソース破壊」を得意とし、ジェントリフィケーションがもたらす「間接的な排除」と「地域資源の枯渇」を表現しています。
  • S・トリガー: 予期せぬタイミングで発動し、状況を一変させる。オーバーツーリズム問題が突発的に、あるいは急速に深刻化する様を表現しています。
  • クリーチャーを山札の下に置く → 山札を墓地に置く: 「相手のクリーチャー(住民)」を『故郷から追い出し(山札の下に)』、その過程で『街のアイデンティティ(山札上1枚)』を失わせる。排除プロセスを象徴しています。
  • マナゾーンのカードを山札の下に置く: 「各プレイヤー(住民と観光客、両方)」から「マナ(生活基盤、資源)」を奪い、それを『遠い場所(山札の下)』に戻すことで、リソースの再配置・再生産不能を表現しています。相手(より観光化が進んだ側)からはさらに追加で奪うことで、不均衡な影響を描写しています。
  • 山札の一番上から1枚を墓地に置く: 呪文を使った「自分(地域)」も、その過程で何か大切なもの(「文化」「伝統」など)を失う、という代償(自滅要素)を表しています。

一人ノリツッコミ(関西弁)

「オーバーツーリズムはほとんど戦争や」とか大袈裟に言うて、結局ただ観光客が増えすぎただけちゃうん?
…いや、待て待て、ホンマはちゃうんやで!ただ人が多いだけやったら「戦争」なんて言わへんやろ。これはな、資本が言葉とメディアでガッチリ武装して、住民の生活空間と文化を静かに奪っていく**「記号の暴力」**なんや。物理的な爆弾が飛び交わなくても、家賃高騰と「映え」っていうミサイルで、街は確実にやられてるねん。これ、ホンマに戦争やわ。しかも、誰も戦争やと気づかへん、**一番陰湿な戦争**やで、まったく!

大喜利

Q: オーバーツーリズムが引き起こすジェントリフィケーション、そのあまりのひどさに、観光客の神様が思わず漏らした一言とは?

A: 「お前ら、旅の恥はかき捨てって言うけど、街そのものを捨てさせんなよ!


補足4 ネットの反応と反論

なんJ民

コメント: 「オーバーツーリズムとかクソどうでもええわ。ワイらが行くとこなんか誰も来んし。京カスとかベネチアンカスとか勝手に自滅してろや。観光客減ったら困るとか言ってた癖に、増えたら文句言うとかアホちゃうか。そもそも日本円安だし、外人ぼったくって儲けりゃええやんけ。」

反論: 「当事者意識がないのは自由ですが、これは『どこか遠い場所』の話ではありません。資本の論理は地方都市にも容赦なく押し寄せます。今日『関係ない』と切り捨てるその視点が、いつか自分たちの地元が『消費される側』になったときに、誰の声も届かない原因になるでしょう。円安は短期的なブーストですが、その果てに何を残すかは戦略次第です。ぼったくりで成り立つ経済は持続性がない。最終的に『誰も来ない』場所になるのは、観光地化した地域自身ではなく、その周辺の無名の地域だということを理解すべきです。」

ケンモメン (嫌儲民)

コメント: 「結局、自民党が観光立国とかバカなこと言うからこうなるんだろ。金持ちと外資系が儲かるだけで、庶民は家を追い出されて奴隷労働。海外の成功例とか言って規制も緩いし、日本はいつものように弱者にしわ寄せ。そんでメディアは『おもてなし』とか言って洗脳。観光なんてやめて鎖国しろ。そもそも観光地とかいう幻想が悪い。」

反論: 「批判のベクトルは正しい部分もありますが、問題は自民党や国策といった単一のスケールに還元できるほど単純ではありません。プラットフォーム経済のグローバルな浸透、地方自治体の財政的脆弱性、そしてメディアを通じた『消費すべき場所』のプロモーションは、政権交代だけで解決する問題ではないのです。鎖国は極端な解決策であり、世界経済から切り離されることによる別の(より深刻な)問題を発生させます。必要なのは、政治システムと市民社会が連携し、住民の居住権と地域の文化を守るための、より複雑なガバナンスモデルの構築です。幻想が悪いのではなく、幻想を盲目的に追求する社会システムが悪いのです。」

ツイフェミ (Twitterフェミニスト)

コメント: 「観光地の女性たちが性的搾取の対象になってないか?観光客が写真撮りまくって個人情報晒したり、勝手に文化を消費してバカにするような差別も起きてそう。家賃が高騰して追い出されるのって、結局、女性や低所得者が多いんじゃない?観光業の裏側には、性差別や貧困問題が隠れてるはず。男性観光客のマナーの悪さとか、もっと問題視すべき。」

反論: 「観光がジェンダー不平等や性的搾取を助長する側面は確かに存在します。特に、エンターテイメント産業やインフォーマルセクターにおける女性の脆弱性は、観光経済拡大の中でしばしば見過ごされてきました。低所得者層、特にシングルマザーや非正規雇用の女性が家賃高騰の煽りを最も受けやすいという指摘は重要であり、住宅政策の議論でジェンダー視点を取り入れるべきです。ただし、性別を問わず、観光客によるプライバシー侵害やマナー違反は問題であり、その批判は男性観光客に限らず、観光客全体の倫理的行動規範の問題として捉えるべきです。文化の消費も、単なる嘲笑だけでなく、ステレオタイプ化や真正性の強要といった形で現れることも指摘すべきです。」

爆サイ民

コメント: 「俺らの地元は廃れていく一方なのに、都会だけ観光客で潤ってるってか?ふざけんな。田舎にもっと金落とさせろよ。それか外人抜きで日本人だけで楽しめる場所作れ。文句言うなら観光客来るなとか言うんじゃねーぞ。自分らで商売できねーくせに何言ってんだか。ホント弱いやつらが騒いでるだけだろ。」

反論: 「地元が廃れているという危機感は理解できますが、その解決策が『都会の観光客を地方に流す』という一方向の思考では、結局同じ問題(地方でのツーリズム・ジェントリフィケーション)を繰り返すだけです。観光は万能の経済活性化策ではありません。地元の産業構造や人口動態に合わせた持続可能な地域振興策を考える必要があります。観光客を『金だけ落とす存在』と捉える発想自体が、住民との摩擦を生む原因となるでしょう。また、商売の有無で地域住民の声を『弱い』と断じるのは、民主的な議論を放棄する態度であり、問題を本質的に解決し得ません。」

Reddit (r/urbanplanning / r/gentrification)

コメント: "This analysis on the rent-gap hypothesis and platform capitalism driving tourism gentrification is solid. We need more empirical studies on the causal impact of short-term rental regulations using diff-in-diff or synthetic control methods. The challenge, as always, is data access from platforms and the political will for effective enforcement. Comparing policy outcomes across different regulatory regimes (e.g., Barcelona's outright ban vs. Amsterdam's cap) would be crucial for a robust framework."

反論: "Agreed on the need for rigorous empirical methods and cross-jurisdictional comparisons. However, focusing solely on 'effective enforcement' risks overlooking the socio-cultural resistance and community-led alternatives. The 'political will' itself is not a monolithic entity but a product of power struggles, where data access is not just a technical hurdle but a battleground for informational asymmetry. Furthermore, while quantitative metrics are essential, qualitative methods (ethnography, resident narratives) are equally critical to capture the non-monetary costs of displacement – the loss of social capital, cultural authenticity, and sense of belonging – which often drive the political will in the first place. The 'robust framework' must integrate both objective and subjective impacts."

Hacker News

コメント: "The core issue is supply-demand mismatch exacerbated by tech. Airbnb isn't inherently evil; it's a tool. The problem is outdated zoning laws and unresponsive housing markets. If cities allowed more housing density, the impact of short-term rentals would be mitigated. Regulatory overkill like bans just drives the market underground. We need smarter, API-driven taxation and permitting, not blanket prohibitions. Leverage tech to solve tech's problems."

反論: "While the 'supply-demand mismatch' and 'outdated zoning' are undeniable contributing factors, reducing Airbnb's role to a mere 'tool' oversimplifies the transformative power of platform capitalism. It's not just about density; it's about the fundamental re-commodification of housing as an investment asset rather than a primary residence. 'API-driven taxation' assumes platforms are willing collaborators, which historical evidence often contradicts. Furthermore, 'tech's problems' extend beyond market inefficiencies to ethical considerations of data privacy, algorithmic bias, and the impact on social fabric – issues that cannot be 'solved' by more technology alone but require a critical re-evaluation of its governance and purpose within urban ecosystems. Blanket prohibitions, while imperfect, are often a last resort when the 'smarter' solutions fail to materialize due to lobbying and lack of political will."

村上春樹風書評

コメント: 「そう、風が、あるいは観光客の群れが、ある街をゆっくりと侵食していく。どこか遠くで鳴り続ける電話のベルのように、その侵食は常に、だが目に見えない速さで進行する。人々は日々を営み、コーヒーを飲み、本を読む。しかしある日、ふと気づくと、隣のサンドイッチ屋が土産物店に変わり、昔から知っていた顔が消え去っている。それはまるで、眠っている間に部屋の家具が少しずつ入れ替えられていくような、不確かな、しかし確実な喪失感だ。この本は、その『不確かな喪失』に名前を与え、それが『戦争』という名の下に進行していることを、静かに、しかし断固として語りかける。そして、その戦争の音を、私たちの耳の奥に響かせるのだ。」

反論: 「著者の意図は『静かに響かせる』だけでなく、『断固として告発する』ことにもあります。それは単なる喪失感の詩的な表現に留まらず、その喪失が、特定の経済的・政治的メカニズムによって意図せず、あるいは意図的に引き起こされていることを分析することです。読者がその『風』の正体を理解し、その『戦争の音』がどこから来るのか、誰がその戦争を遂行しているのかを具体的に特定し、批判的行動へと繋げることこそが本書の目的です。内省的な感情だけでなく、具体的な構造への洞察を促しています。」

京極夏彦風書評

コメント: 「オーバーツーリズムとは何か、すなわち『妖怪観光過多』とでも申しましょうか。人が群がる。それも人が、ただ人であるならばまだしも、人が『観光客』という記号となり、それが地場を侵食する。地価高騰という『金食い地縛霊』が跋扈し、住民は家という『安住の憑代』を失う。行政は『活性化』という甘言を吐き、メディアは『映え』という虚像を刷り込み、世はまさに群れる『餓鬼』の蔓延る地獄絵図。されど、この『妖怪観光過多』を退治するにあたり、その実体たる『資本』と『情報』の絡繰りを解き明かすは容易ならぬ。本書は、その禍々しき実体に『戦争』という名を冠し、我々にその『本質』を直視せよと迫る。この世の理が歪むとき、人はその歪みに『名』を与えることで、初めて対峙できるのだ。さあ、読むがよい。己が住む地の『真実』を、識るがよい。」

反論: 「『妖怪』や『餓鬼』といった形而上的な表現は、現象の異様さを際立たせるには有効ですが、本書の目的は、その異様さを不可解なものとして棚上げするのではなく、**具体的な社会経済的メカニズム、すなわち『金食い地縛霊』や『餓鬼』がどのように生み出され、機能しているのかを詳細に分析すること**にあります。単なる『名を与える』ことで対峙するだけでなく、その『絡繰り』を解き明かし、具体的な対策への道を模索することが、本書のもう一つの核となります。理不尽な状況を『妖怪』として理解するだけでなく、その『妖怪』が人間社会の構造からどう立ち現れるかを、批判的理論に基づいて説明しています。」


補足5 教育的コンテンツ

高校生向けの4択クイズ

問題1: オーバーツーリズムがジェントリフィケーションを引き起こす主要なメカニズムはどれでしょう?

  1. 観光客が多すぎて道が混雑し、住民が外出を嫌がるため。
  2. 観光客向けの宿泊施設やお店が増えることで、地価や家賃が上昇し、住民が住み続けられなくなるため。
  3. 観光客がゴミをたくさん出し、環境が悪化して住民が転居を考えるため。
  4. 観光客が地元の人々に外国語で話しかけてしまい、コミュニケーションが困難になるため。

正解: b)

問題2: バルセロナや京都の事例で問題視されている「短期滞在型賃貸(民泊)」の増加が、地元住民に与える主な影響は何でしょう?

  1. 観光客との交流が増え、国際理解が深まる。
  2. 地域の文化が多様になり、新しいビジネスチャンスが生まれる。
  3. 住宅が観光客向けに転用され、住民が借りられる家が減り、家賃が高くなる。
  4. 治安が向上し、夜間の外出がしやすくなる。

正解: c)

問題3: ツーリズム・ジェントリフィケーションへの対策として、多くの都市が実施している「短期滞在型賃貸(民泊)規制」の主な目的は何でしょう?

  1. 観光客の数を減らして、観光地の魅力を維持するため。
  2. 民泊の安全性を高め、事故を防ぐため。
  3. 住宅市場から民泊に転用された物件を居住用に戻し、家賃高騰を抑えるため。
  4. 観光客からの税収を増やし、地域の財源を潤すため。

正解: c)

問題4: 本文で述べられている、ツーリズム・ジェントリフィケーションの研究で推奨されるデータ収集方法で、住民の実際の声や生活実態を把握するために特に有効なものはどれでしょう?

  1. 観光客のSNS投稿を分析する。
  2. 地価公示や賃料統計などの公的統計データを分析する。
  3. 住民へのアンケート調査やインタビューを行う。
  4. ホテルや民泊の稼働率データを分析する。

正解: c)

大学生向けのレポート課題

以下の課題から一つを選び、関連する文献調査や具体的な事例を引用しつつ、800字から1200字程度で考察を深めてください。

  1. 課題1: プラットフォーム経済と都市空間の変容に関する考察
    Airbnbに代表されるプラットフォーム経済が、観光地の住宅市場や地域コミュニティにもたらす影響について、本文中の「レント・ギャップの拡大」や「非場所性」の概念を参考に、具体例を挙げて多角的に分析しなさい。特に、その経済的便益と社会的コストのバランスについて、あなたの見解を述べなさい。

  2. 課題2: 「観光」をめぐるメディア・ナラティブの批評的分析
    SNSにおける「映え」文化や国家の「観光立国」プロパガンダが、観光客の欲望形成や地域社会の変質にどのように寄与しているかを、本文中の「記号の暴力」や「視線の政治学」の視点から考察しなさい。あなたは、メディアが提示する観光地のイメージを、いかに批判的に読み解くべきだと考えますか。

  3. 課題3: ツーリズム・ジェントリフィケーションに対する地域主導の抵抗戦略
    バルセロナ、アムステルダム、京都市などの対策事例を比較し、それぞれの政策の限界と可能性について論じなさい。また、住民が「都市の主権」を取り戻し、「共同創造としての観光」を実現するために、どのような住民参加型ガバナンスが有効だと考えますか。具体的方策を提案しなさい。


補足6 潜在的読者のために

キャッチーなタイトル案
  1. 観光という名の静かなる侵略:都市を喰らう資本とプラットフォーム
  2. 「ようこそ」の裏側:オーバーツーリズムが蝕む住民の日常
  3. ジェントリフィケーションの最前線:観光資本が書き換える都市の地図
  4. 旅の終焉、都市の変容:観光資本主義の暴力と抵抗
  5. インスタ映えが街を殺す:メディアと欲望の観光論
SNS共有用タイトルとハッシュタグ案

オーバーツーリズムは「静かなる侵略」。観光資本が街を再編し、住民を追いやるジェントリフィケーションの実態を深掘り。あなたの旅が、誰かの日常を奪う前に。
#オーバーツーリズム #ジェントリフィケーション #観光問題 #都市社会学 #プラットフォーム経済 #持続可能な観光

ブックマーク用タグ

[361.3住宅問題][361.5地域問題][301.7都市社会学][336.7観光経済][プラットフォーム][メディア論]

ピッタリの絵文字

🏨💸🏘️🚶‍♀️🚫📸🌍⚖️

カスタムパーマリンク案

overtourism-gentrification-silent-invasion-media-capital

tourism-urban-displacement-beyond-postcard

rethinking-travel-cities-under-siege

日本十進分類表(NDC)区分

[361.3 住宅問題][361.5 地域問題][301.7 都市社会学]

テキストベースでの簡易な図示イメージ
      観光資本 ───────▶ 地価・家賃上昇
          ▲                    │
          │                    │
          │ 欲望のメディア化   │ 住民排斥
          │                    ▼
      SNS/メディア ────▶ 短期賃貸化
          ▲                    │
          │                    │
          │ アルゴリズム       │ 地域文化の変質
          │                    ▼
      プラットフォーム───▶ 生活環境劣化
    

歴史的位置づけ

この論文が扱うツーリズム・ジェントリフィケーション、特にオーバーツーリズムに起因するものは、以下の歴史的・理論的位置づけを持ちます。

  1. 都市社会学におけるジェントリフィケーション研究の発展:
    1960年代にルース・グラスがロンドンで提唱したジェントリフィケーション概念(Gentrification Concept)は、当初は労働者階級の居住地への中産階級の流入と住宅改修を指していました。その後、生産消費論(ニール・スミス)、消費地論(レイモンド・ウィリアムズ)を経て、90年代以降は文化、グローバル資本、新自由主義的都市政策との関連で多角的に論じられるようになりました。本論文の視点は、このジェントリフィケーション研究が、観光という特定の産業的要因を核心に据え、グローバル・ツーリズムとプラットフォーム経済という現代的文脈に拡張された段階に位置します。

  2. グローバル化と都市の再編:
    1980年代以降のグローバル化(Globalization)の進展は、都市を「グローバル・シティ」として国際資本のハブに変え、高級化と同時に不平等を拡大させました。観光産業もこのグローバル資本の主要な流れとなり、都市の再編、特に空間の再編と社会階層の再編成に深く関与するようになりました。

  3. プラットフォーム経済と都市:
    2010年代以降、Airbnbに代表される短期賃貸プラットフォームの台頭は、既存の住宅市場と都市生活に未曾有の影響を与えました。本論文は、このプラットフォーム経済がツーリズム・ジェントリフィケーションを加速させる「ゲームチェンジャー」として位置づけられ、デジタル資本主義が都市の物理空間と社会構造にいかに作用するかという現代的課題を浮き彫りにします。

  4. ポストコロニアル/批判的観光研究の文脈:
    観光は「文明」が「野蛮」を訪れるという、植民地主義的視線と不可分でした。現代のオーバーツーリズムは、かつての植民地支配が物質的資源を収奪したように、文化、空間、そして住民の生活そのものを「消費」の対象として収奪するという、新たな形式の「内なる植民地化」として解釈できます。本論文は、観光を単なる経済活動ではなく、権力と表象を巡る批判的視点から捉え直すという点で、この文脈に位置します。


疑問点・多角的視点を深掘る問いかけ

この論文の内容をより多角的に理解し、深掘りするための問いかけを以下に生成します。

  1. 資本の流動性と地域性の弁証法:
    グローバルな観光資本の流入が地域の地価・賃料を上昇させるメカニズムは明確ですが、同時に、それが地域固有の文化や景観を「商品」として再評価し、特定のローカル性を逆に強化するという逆説はどのように説明できるでしょうか?この「ローカル性の商品化」が、最終的にローカルを解体するプロセスを、より微細な視点から分析する必要があるのではないかと考えます。

  2. プラットフォームの非中立性:
    Airbnbのようなプラットフォームは、単なる「ツール」ではなく、アルゴリズムを通じて都市空間における宿泊施設の配分、価格設定、需要喚起に積極的に介入しています。このアルゴリズムは、ジェントリフィケーションを加速させる特定のバイアス(例:高収益物件の優先、特定の地域への集中)を含んでいるのではないか?そのアルゴリズムの「倫理」や「政治性」をどのように分析すべきでしょうか?

  3. 住民の「レジリエンス」と「共謀」:
    住民は常に被害者として描

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