ウェブの脚注に「ブーツ」を:時代遅れの慣習よ、墓場へ行け 👢印刷の亡霊に憑依されたデジタルドキュメントを解体する試み #ウェブデザイン #UXの闇 #七03

ウェブの脚注に「ブーツ」を:時代遅れの慣習よ、墓場へ行け 👢 #ウェブデザイン #UXの闇

── 印刷の亡霊に憑依されたデジタルドキュメントを解体する試み

目次

本書の目的と構成(誰も読まないであろう前提で)

この世には、「ウェブサイト上の脚注」という、存在理由を問いただしたくなるような代物があります。紙媒体の慣習をデジタルに持ち込んだ、まるで「カーゴカルト[用語解説]のようなその振る舞いは、多くの読者を混乱と苛立ちの淵に突き落としているのかもしれません。いえ、突き落としています。

本書は、とあるウェブ開発者(おそらく)が放った、この「ウェブ脚注、使いにくいから滅ぼせ」という過激な主張を基に、その背景にある問題点、提案されている代替案、そしてそれに群がった酔狂なコメント群を、ニヒルかつシニカルな視点から解剖することを目的としています。

構成としては、まず第一部でウェブ脚注がいかに愚かで不便な存在であるかを徹底的にこき下ろし、第二部では著者が提示する「代替案」と、それが抱えるであろう新たな問題を嘲笑します。続く各章では、この矮小な議論から派生した疑問点、無関心な日本への影響、歴史的位置づけ、そしておそらく誰も手を出さないであろう今後の研究課題に触れます。

補足資料では、この議論に寄せられた無数の「声」や、このテーマで遊んでみた無駄な試み、そして親切心からくるであろう読者へのヒントを詰め込みました。巻末には、検索すれば済む用語解説や、誰も感謝しないであろう謝辞を添えています。どうぞ、最後までこの無益な旅にお付き合いください。あるいは、ここで閉じてしまっても、誰も気にしませんのでご安心くださいませ。


誰も読まないであろう要約(それでも一応載せておく)

とあるウェブ開発者が、「ウェブサイトの脚注はUX[用語解説]が最悪だから消滅させろ」と論文(ブログ記事)で主張しました。曰く、印刷媒体での脚注は「サイドクエスト」のようなもので、ウェブでそれを模倣すると、ページ最下部への強制スクロールや元の位置に戻る困難さにより、さらに使いにくくなる。小さな上付き文字のリンクはコンテキストがなく、「ここをクリック」と同レベルで不親切。これは学術界の古びた慣習をウェブに持ち込む「カーゴカルト」行為である、と。

代替案として、短い補足情報は括弧でインライン表示、やや長いものは見出し付きの`

`、さらに長いものは折りたたみ可能な`
`要素の使用を提案しています。

これに対し、コメント欄では「脚注の控えめさが重要だ」「代替案はかえって気が散る」「アクセシビリティはどうなる」「HTMLネイティブな実装が待たれる」など、様々な意見が飛び交いました。結局のところ、ウェブ脚注の最適な形はまだ見つかっておらず、議論は続いているようです。筆者はそれでも脚注への嫌悪を貫き、「自分はもう使わない」と宣言してこの不毛な議論に区切りをつけようとしています。

結局、ウェブの脚注は多くの人にとって面倒な存在であり、より良い表示方法が模索されているものの、決定打はなく、慣習と利便性の間で揺れ動いている、という話です。読む必要はありませんでしたね。


登場人物紹介(泡沫の議論に名を残す者たち)

この壮大にして矮小なfootnote(脚注)バトルに参加した、選ばれし(?)戦士たちをご紹介します。彼らの声なくして、この物語は語れませんでした(ただし、彼らの存在自体がこの物語の無益さを際立たせている可能性もあります)。

  • Jaffathecake (ジャファテケーキ): 本レポートの元となった論文の著者であり、議論の火付け役。ウェブ開発者と思われます。脚注への根深い嫌悪感を抱き、その撲滅と代替案の導入を強く主張しています。コメント欄でも積極的に反論を繰り広げ、自説を曲げない頑固さ(あるいは信念)を見せました。年齢不明。英語話者。

  • Lea Verou (レア・ヴェルー): コメント投稿者の一人。ウェブ技術、特にCSSやUIデザインの分野で著名な方です。著者の問題提起には理解を示しつつも、脚注の「控えめである」という特性の重要性を指摘し、安易な全否定に異を唱えました。代替案としてのポップオーバーやサイドノートの可能性に言及し、議論に深みを与えました。冷静かつ建設的な視点を提供しました。年齢不明。英語話者。

  • Lorenzohess (ロレンツォヘス): コメント投稿者の一人。著者のポップオーバーに関する評価や代替案に対する詳細な反論を展開しました。脚注の「文脈のなさ」という批判は不当であり、代替案はかえって気が散る、コピーペーストで不便、参照できないといった具体的な問題点を多数指摘しました。論理的で鋭い指摘が多く、著者を追い詰める場面もありました。年齢不明。英語話者。

  • Paradox460 (パラドックス460): コメント投稿者の一人。自身のサイトでのサイドノート実装例を紹介しました。デスクトップではサイドに表示し、モバイルではポップアップを検討しているとのこと。CSS Anchor Positioningなどの技術的な側面に言及し、議論に実践的な視点を加えました。年齢不明。英語話者。

  • Adrian Roselli (エイドリアン・ロゼッリ): ウェブアクセシビリティの専門家として知られています。論文中で著者が「アップデート」として追記する形で、彼が指摘する上付き文字のアクセシビリティ上の問題(スクリーンリーダーでの読まれ方など)に言及されています。この議論にアクセシビリティという重要な視点を持ち込みました。年齢不明。英語話者。

  • Aaron Swartz (アーロン・シュワルツ): インターネット活動家、プログラマー。故人。彼の「『ここをクリック』というリンクテキストを使うべきではない」という主張が、論文中で「コンテキストのない脚注マーカー」の批判の文脈で引用されました。ウェブ上の情報提示における分かりやすさ、ユーザビリティの重要性を訴えた人物です。彼の主張は2001年のW3C QA Tipsで公開されています

  • その他のコメント投稿者: Peter McNeeley, Kryzinger, Dado3212, Account42, Rendor, Jt2190, Nikkou, Egyptnash, Worldmaker, Zandrewbailey, Spherictoast, Jadenb, Out-of-ideas, Bushackleといったハンドルネームの面々。それぞれの経験や視点から、脚注の使い勝手、他の実装例、電子書籍リーダーでの体験、歴史的背景など、多岐にわたるコメントを寄せ、この議論の広がり(そして収拾のつかなさ)を示しました。年齢不明。主に英語話者と思われます。

彼らなしには、このレポートは成り立ちませんでした。そして、彼らがこの小さな議論に費やした時間について考えると、人生の儚さを感じずにはいられません。


第一部 印刷の亡霊

序章 愚かな試みとその無意味な構造

さて、本題に入りましょうか。ウェブサイトの脚注がなぜこれほどまでに憎むべき存在なのか。それは、愚かにも紙媒体の慣習をそのままデジタル世界に持ち込んだ「愚かな試み」だからです。印刷物という物理的な制約のもとで生まれた形式が、無限の空間とインタラクティブ性を持つウェブで、そのまま通用するわけがありません。

この「無意味な構造」の根本にあるのは、ページの概念です。紙媒体では、情報がページという単位で区切られています。脚注はそのページの物理的な下部に配置することで、本文から大きく離れることなく補足情報を提供できました。読者は指で本文の場所を押さえながら、視線を少し下に動かすだけで脚注を読めたのです。

コラム:古き良き時代の不便さ(ただし紙に限る)

私が学生の頃、分厚い専門書を読むたびに脚注と本文を行ったり来たりするのは日常茶飯事でした。左手の指で本文の行を押さえ、右手の指でページの下の脚注を探る。たまにページをまたいだり、脚注リストが巻末にあったりすると、もう探偵ごっこです。当時はそれが当たり前だと思っていましたが、今思えばあれも一つの修行でしたね。ウェブで同じことを強制されるのは、たまったものではありません。


第1章 紙上の牢獄:美しき不便さ

印刷物における脚注は、ある意味で「美しき不便さ」と呼べるかもしれません。本文の流れを断ち切る小さな番号は、まるで「ここに秘密があるよ」と囁く誘惑のようです。読者は、その誘惑に負けるか、無視して読み進めるかの選択を迫られます。著者はこれを「サイドクエスト[用語解説]と表現しました。興味を惹かれた者だけが踏み込む、選ばれし読者(暇人ともいう)のためだけの道。そして、その道の終わり(ページの最下部)には、小さく、読みにくい文字で書かれた補足情報や引用元が待っています。これはまさに、読者の「好奇心の試練[用語解説]なのです。

しかし、この不便さにも役割がありました。本文を邪魔せず、でも必要な情報はそこに「ある」という状態を保つ。それが紙という物理的な制約の中で考え出された、当時の最適解だったのでしょう。最適解だった、それだけの話です。

コラム:試される好奇心と私の敗北

私は根っからの面倒くさがり屋なので、学生時代の教科書や専門書で脚注に気がついても、半分以上は読みませんでした。「どうせ引用元でしょ」「どうせ些細な補足でしょ」と決めつけて、本文を読み進めることを優先していました。たまに頑張って脚注を読んでも、「あ、なるほどね」で終わり、本文に戻る手間の方が記憶に残ったり。私の好奇心は、脚注の不便さには打ち勝てなかったようです。多くの読者も似たようなものではないかと、勝手に決めつけています。


第2章 デジタルへの転生:劣化コピーの悲劇

そして、時代はデジタルへ。ウェブが登場し、人々は競うように紙の情報をウェブに移植し始めました。その際、脚注も律儀に移植されたのです。しかし、ここに「劣化コピーの悲劇」が生まれました。ウェブはページがありません。本文の途中に現れる小さな番号をクリックすると、読者は容赦なくドキュメントの「最下部」へと強制送還されます。

印刷物なら指で場所を押さえられた本文は、デジタルでは広大なスクロール空間の中に溶け込みます。脚注を読み終え、さて本文に戻ろうとすると…どこを読んでいたか覚えていない。ブラウザの「戻る」ボタンを使っても、必ずしも正確な元の位置には戻れません。まるで、広大な砂漠の真ん中に放り出され、「さあ、さっき立っていた砂粒を探し出せ」と言われているようなものです。

これはもはや「サイドクエスト」などという生易しいものではありません。これは「強制的に迷子にさせられる」という、ただの不便な機能です。デジタルという自由な世界に解き放たれたはずの脚注は、紙という過去の牢獄の記憶に囚われ、ユーザーを道連れに彷徨っているのです。

コラム:ウェブで迷子になるということ

かつて、まだウェブサイトの作りがシンプルだった頃、長いページの下にあるリンクをクリックして別のセクションに飛び、戻るボタンで戻ったらページのトップに戻ってしまった、なんて経験はザラでした。今のブラウザは賢くなったとはいえ、脚注のように短いジャンプと復帰を繰り返すシチュエーションでは、やはり「あれ?どこだっけ?」となることは少なくありません。デジタル世界での迷子ほど、虚しいものはありませんね。


第3章 技術という名の欺瞞:装飾された不便さ

もちろん、ウェブの賢い開発者たちは、この不便さに気づかないほど愚かではありませんでした。彼らは技術を駆使し、脚注を少しでも使いやすくしようと試みました。脚注マーカーを単なる番号ではなくリンクにし、クリックすれば脚注部分にジャンプできるようにしました。さらに、CSSの`:target`[用語解説]擬似クラスを使って、リンク先の脚注を分かりやすくハイライト表示したりもしました。

最近では、JavaScriptを使わずとも、`` のような新しいHTML属性やCSS Anchor Positioning[用語解説]といった最新技術を使えば、脚注マーカーのすぐ近くに脚注の内容をポップオーバー[用語解説]として表示することすら可能になっています

しかし、著者はこれすらも「クソだ!」と切り捨てます。なぜか?それは、これらの技術をもってしても、脚注の根本的な問題が解決されていないからです。問題の本質は、その小さな上付き文字の数字という「コンテキストのない」インターフェースにあります。数字をクリックしたところで、そこにどんな情報があるのか全く分かりません。著者はこれを、かつてAaron Swartz氏が批判した「ここをクリック[用語解説]というリンクテキストと同様に不親切だと指摘します。

そして、著者はこれを痛烈に批判します。これはまさに、印刷媒体の慣習という「形式」だけを盲目的に真似し、その背景にある技術的な制約や、ウェブという新しい媒体の本質を理解せずに繰り返される「カーゴカルト[用語解説]にすぎない、と。技術で装飾されたところで、その根底にある不便さと無意味さは変わらないのです。

コラム:進化する不便さ

テクノロジーは常に進化します。かつては不可能だった表現やインタラクションが、今では簡単に実現できるようになりました。それは素晴らしいことです。しかし、残念ながら、私たちはその新しい技術を、古い、非効率的な方法を再現するためにも使ってしまうようです。最新のフレームワークを使って、昔ながらの使いにくいUIを爆速で作る。これぞまさに進化論の敗北です。


第二部 偽りの光明、あるいは新たな絶望

第4章 括弧という名の諦観:短すぎる真実

脚注を滅ぼすという過激な主張の次に、著者は代替案を提示します。その第一弾が「括弧()」を使う、という驚くほど単純な方法です。短い補足や余談であれば、本文の流れの中に括弧で囲んでしまえば良い、というのです。

確かに、これなら読者は本文から視線を大きく外す必要はありません。脚注のように遠い場所へジャンプする必要も、戻ってくる苦労もありません。興味がなければ、括弧の中身をサッと読み飛ばすことも容易です。これは「ミニマリズム[用語解説]と呼ぶにはあまりにも素朴ですが、そのシンプルさゆえの利便性は認めざるを得ません。

しかし、これは「諦観[用語解説]ではないでしょうか。脚注に書かれるような情報は、本文の補足ではあっても、本文そのものとは少し距離を置きたい、あるいは読者の興味度合いに応じて取捨選択してほしい、という意図があるはずです。それを全て本文にインラインで詰め込んでしまうのは、読者に「これも読めよ!」と強制しているようにも見えます。そして何より、少しでも情報が長くなると、括弧内が肥大化し、かえって本文の可読性を損ねてしまいます。短すぎる真実だけを括弧に閉じ込めるのは、結局、脚注という問題を本文に「擦り付けた」だけなのかもしれません。

コラム:インラインの誘惑と悲劇

ブログ記事などを書いていると、ちょっとした補足や豆知識を書き加えたくなることがあります。その時、ついつい括弧でインラインに書いてしまう。最初は良いのですが、調子に乗って書き加えているうちに、括弧内が数行にも及んでしまい、本文よりもそっちが目立ってしまう、なんて失敗を繰り返しています。括弧は便利ですが、その誘惑に負けると、本文が可読性の低い、情報過多の塊になってしまうのです。自制心が試されます。


第5章 ノートという名の壁:無視される存在感

少し長い補足情報の場合、著者は`

`要素を使うことを提案します。これはHTML5で導入された意味論的な要素で、セルフコンテインド(自己完結的)な注釈ブロックを示すために使われます。これをCSSで見出し付きの独立したブロックとして表示すれば、本文の流れからは切り離しつつ、そこに補足情報があることを明確に示せる、という理屈です。

確かに、見出しを付けることで、そこにどんな情報があるのかを読者は事前に判断できます。興味がなければ、そのブロック全体をまとめて無視(スキップ)することも容易です。これは従来の「コンテキストのない脚注マーカー」の問題を解決する、一つの合理的なアプローチに見えます。

しかし、コメント欄ではこの代替案に対し、「かえって気が散る」「視覚的な壁になってしまう」「意味論的な要素を使ったところで、ユーザーはデザインで判断する」といった批判が出ました。独立したブロックとして表示されることで、それはもはや「控えめな」補足情報ではなく、本文に割り込んでくる「視覚的なノイズ」になりかねません。特に装飾が加わると、それは脚注が担っていた「傍らの声」ではなく、「主張の強い横槍」のように見えてしまう可能性があります。ノートという名の壁は、存在感を示しすぎて、かえって無視される運命にあるのかもしれません。

コラム:目立つことの難しさ

ウェブサイトのデザインをしていると、「ここに注目させたい!」と思って要素を装飾しがちです。色を変えたり、枠をつけたり、フォントサイズを大きくしたり。でも、それをやりすぎると、ページ全体がごちゃごちゃしてしまい、かえってどこにも目がいかなくなります。全ての要素が主張し始めると、結果的に誰も何も主張していないのと同じ。補足情報も同じで、目立たせすぎると、本文との関係性が曖昧になり、読者は何を優先して読めば良いのか分からなくなります。


第6章 詳細という名の隠蔽:開かれることのない秘密

さらに長い補足情報の場合、著者は`

`と``要素の使用を推奨します。これはHTML標準の機能で、``要素にタイトルや概要を書き、クリックすると非表示になっていた`
`内のコンテンツが表示される、という折りたたみ可能なブロックを作成できます。

この方法は、ページ上のスペースを節約し、本文の流れを大きく妨げることなく、長い補足情報を格納できるという大きなメリットがあります。読者はsummaryを見て、内容に興味があればクリックして詳細を開けばよい。興味がなければ、そのまま無視できます。脚注のように別の場所に飛ばされることもありません。これは、脚注の持つ「本文の流れを妨げない」という側面と、代替案の「スキップ容易性」を両立させた、非常に有望なソリューションに見えます。

しかし、ここにも落とし穴があります。summaryに魅力的な言葉がなければ、その「詳細」が開かれることは永遠にないかもしれません。また、lorenzohess氏がコメントで指摘したように、detailsを開閉するたびに、その下のコンテンツが上下に動くという挙動は、特にモバイル環境などで読書体験を妨げる可能性があります。そして、これらの代替案全般に言えることですが、特定の補足情報にユニークなIDを振ることが難しく、後から本文中の特定の箇所から「あのノート/詳細を参照せよ」と指示することが困難になります。詳細という名の隠蔽は、情報にアクセスする手間を減らす代わりに、その情報が永遠に「開かれることのない秘密」になってしまうリスクを伴うのです。

コラム:隠しコンテンツの悲哀

ウェブサイトには、Details要素のように普段は隠しておいて、必要な時に表示するコンテンツが色々あります。FAQの回答、設定オプション、詳細な説明など。作る側は「これでスッキリした!」と満足するのですが、ユーザーはsummaryをちゃんと読むか、クリックしてくれるか、はたまたその存在にすら気づかないか…それはもう、ユーザーの気分次第です。苦労して書いた詳細な解説が、誰にも読まれずにひっそりと隠されたまま、というのは、ちょっと悲しい話です。


疑問点・多角的視点(無数の穴)

この論文とそれに付随するコメントの応酬は、いくつかの興味深い、そしておそらく答えの出ない問いを私たちに投げかけます。ニヒルな視点から、これらの「無数の穴」を覗き込んでみましょう。

ユーザー行動に関する前提の妥当性:本当に皆、脚注が嫌いなのか?

著者は、脚注を読む行為を「サイドクエスト」「好奇心の試練」と呼び、ウェブでのその不便さを強調します。しかし、これは全てのユーザーに当てはまるのでしょうか? 学術論文を読む研究者や、技術文書で正確な情報を求めるエンジニアは、脚注を積極的に活用する層です。彼らにとって、脚注は本文を補完する不可欠な要素であり、多少の手間をかけてもアクセスする価値のあるものです。彼らにとって、この論文の主張は「何を今さら」あるいは「我々の行動原理を理解していない」と映るかもしれません。一方、ニュース記事やブログを気軽に読むユーザーにとって、脚注は単なる邪魔な装飾かもしれません。ターゲットとする読者層によって、脚注の受け止められ方や必要性は全く異なります。著者は、特定の読者層(おそらく一般的なウェブユーザー)の行動を全体に敷衍しすぎているのではないでしょうか? まるで、「ラーメンが嫌いだから、地球上の全飲食店のラーメンを廃止せよ」と叫んでいるかのようです。そんな馬鹿な話があるでしょうか。

代替案の実用性と新たな問題:不便を別の不便に置き換えているだけ?

提案された代替案は、従来の脚注が抱える問題(移動の手間、コンテキストのなさ)を確かに軽減する可能性があります。しかし、コメント欄での議論が示唆するように、それぞれが新たな問題を生み出します。括弧は長い情報に不向き、Noteブロックは視覚的なノイズになりうる、Detailsはコンテンツの発見性を損なう、そしてポップオーバーはブラウザサポートやアクセシビリティに課題を残します。結局、我々は一つの不便さを別の不便さに置き換えているだけにすぎないのかもしれません。完璧な情報提示方法など、この世に存在しないかのようです。

脚注の「目的」の再評価:本当に「クソハック」なのか?

著者は脚注を「印刷メディアの制限に基づいたクソハック」と断じました。しかし、Lea Verou氏が指摘したように、脚注には「本文の流れを決定的に中断することなく、控えめに補足情報を提供する」という明確な目的があります。この「控えめさ」こそが、読者が本文を読む際の集中を維持するために重要だと考える人もいます。全ての補足情報を本文と同レベルで目立たせてしまうと、読者は情報の洪水に溺れてしまうかもしれません。引用元を示すための脚注は、本文の内容そのものとは性質が異なります。これら全てを同じ代替案で扱うのは無理があります。もしかすると、脚注は「クソハック」なのではなく、単に「ウェブという新しい環境にうまく適応できていない、不器用な友人」なのかもしれません。そして、その友人をいきなり追放しようとするのは、あまりにも冷たい仕打ちではないでしょうか。

アクセシビリティへの影響:誰一人取り残さない不便さ?

Adrian Roselli氏が言及したように、上付き文字の脚注マーカーは、スクリーンリーダーなどの支援技術を利用するユーザーにとってアクセシビリティの問題を引き起こす可能性があります。これは非常に重要な視点です。しかし、提案されている代替案は、その点で優れているのでしょうか? ポップオーバーが適切に実装されない場合、キーボード操作でアクセスできないかもしれません。Details要素の状態変化は、支援技術に正しく伝わる必要があります。新しい技術を使う際には、常にアクセシビリティへの配慮が不可欠です。もしかすると、従来の不便な脚注ですら、長年の慣習の中で特定の支援技術が対応してきた側面があるのかもしれません。新しい、一見便利な代替案が、かえって特定のユーザー層を排除する「誰一人取り残さない不便さ」を生み出す可能性はないのでしょうか。

技術的な実装と標準化:理想論は現実の壁に阻まれる

コメント欄では、HTMLネイティブな脚注実装への期待も語られました。もしブラウザが標準で脚注機能をサポートすれば、開発者はアクセシビリティやユーザビリティを気にせず、容易に脚注を実装できるようになるでしょう。しかし、ウェブ技術の標準化は遅々として進まず、様々なユースケースに対応する汎用的な仕様を策定するのは困難です。結局、開発者は現状の要素(details, popover APIなど)やJavaScriptを使って自力で実装せざるを得ず、その結果として実装のばらつきや品質の低下を招きます。理想論は常に現実の技術的な壁や、標準化プロセスの遅延に阻まれるのです。そして、その間にユーザーは既存の不便な脚注に耐え続けるしかありません。

これらの疑問は、ウェブにおける情報デザインがいかに複雑で、唯一絶対の正解が存在しない領域であるかを物語っています。我々は、完璧を求めつつも、常に何かしらのトレードオフを受け入れなければならないのかもしれません。


日本への影響(縮小再生産される不便さ)

この脚注を巡る熱い(?)議論は、遠く離れた日本にも無縁ではありません。というのも、日本のウェブサイト、特に学術系や技術系のコンテンツでも、伝統的な印刷物の脚注スタイルが温存されているケースが散見されるからです。

学術・技術系ウェブサイトの因習

大学の研究室サイト、学会の紀要、企業の技術ブログなど、情報を正確に伝えることが求められる場では、引用元を示すために脚注やそれに類する記法がよく使われます。これらのサイトは、西洋の学術的な慣習を明治時代以降に輸入し、それを忠実に守ってきました。当然、ウェブ化する際にも、その慣習(=脚注スタイル)が引き継がれたのです。結果として、本文からページ下部へのジャンプ、そして元の場所への復帰という、著者が指摘する煩雑なUXが、日本のウェブサイトでも「縮小再生産」されています。

一般コンテンツサイトとモバイルの課題

引用だけでなく、ちょっとした補足説明のためにブログ記事などで脚注記法を使う個人もいます。Markdown記法などで脚注が手軽に書けるようになったことも、その普及を後押ししています。しかし、特にスマートフォンの小さな画面で閲覧する場合、ページ下部へのジャンプはデスクトップ以上に読書体験を中断させます。ポップアップ表示なども、実装によっては画面を覆い尽くしてしまい、かえってユーザーを混乱させることもあります。日本のウェブデザイナーやコンテンツ作成者も、こうした脚注のモバイルUX課題に直面しています。

アクセシビリティへの鈍感さ

ウェブアクセシビリティへの意識は高まりつつありますが、まだ十分とは言えません。JIS X 8341のような国内規格も存在しますが、上付き文字の脚注マーカーがスクリーンリーダーでどのように読み上げられるか、キーボード操作だけで脚注コンテンツにアクセスできるか、といった具体的な問題点まで意識して実装されているケースは少ないでしょう。不便さだけでなく、特定のユーザー層のアクセスを妨げている可能性も、日本でも同様に存在するのです。

代替案の輸入と普及の遅れ

この論文で議論されているような代替案(Details要素、Popoversなど)は、日本のウェブ開発者も当然知っていますし、一部では導入も始まっています。しかし、学術的な慣習が根強い分野では、新しい技術よりも「これまでのやり方」が優先されがちです。また、新しい技術のブラウザサポート状況や、既存のCMSとの連携、そして最も重要な「本当にユーザーにとって使いやすいか」という検証が十分に行われず、普及には時間がかかるかもしれません。

結局、日本もまた、ウェブという新しい媒体の特性を十分に活かしきれず、過去の遺物である脚注の呪縛から逃れられないでいるのです。これもまた、どこかシニカルな光景と言えるでしょう。


歴史的位置づけ(どうでもいい系譜)

この論文は、ウェブデザインとユーザビリティの議論の歴史という、広大で退屈な系譜のどこかにひっそりと位置づけられるでしょう。それは、「印刷メディアの慣習をウェブに安易に持ち込むことへの批判」という、ウェブの黎明期から繰り返されてきた、そしておそらく今後も繰り返されるであろう不毛な議論の一つの事例にすぎません。

ウェブは紙にあらず

ウェブが登場した当初、多くの人々はウェブサイトを「デジタルな紙」と捉えていました。書籍や雑誌、パンフレットなどをそのままウェブに移植しようとしました。脚注も、その移植の過程でウェブに持ち込まれた形式の一つです。しかし、すぐに多くのウェブデザイナーやユーザビリティ専門家は気づきました。「ウェブは紙とは違う」と。無限のキャンバス、ハイパーリンクによる非線形な構造、そしてユーザーとのインタラクション。これらの特性を無視して紙のレイアウトや慣習を模倣しても、良いユーザー体験は得られないのです。Jakob Nielsen氏やSteve Krug氏といった、ウェブユーザビリティの開拓者たちは、この「ウェブ・ネイティブ」な思考の重要性を繰り返し説いてきました。

慣習への挑戦

この論文は、まさにその「ウェブは紙にあらず」という思想に基づき、特に学術的な文脈で根強く残る脚注という慣習に挑戦しています。これは、単にデザインの問題としてだけでなく、情報の構造化(Information Architecture)や、ユーザーが情報を処理する際の認知的負荷(Cognitive Load)といった、より深い情報デザインの原則に関わる議論として展開されています。著者は、脚注を「カーゴカルト」と呼ぶことで、その慣習の盲目的な継承を強く批判しています。これは、既存の権威や伝統を疑い、常に最善の方法を模索するという、技術者やデザイナーに求められる態度を体現していると言えるかもしれません。ただし、その主張がどこまで受け入れられるかは別の話ですが。

技術進化との相互作用

また、このレポートとそのコメント欄の議論は、新しいウェブ技術が古いUXの課題をどのように解決しうるか、あるいは解決できないか、という技術進化とUX改善の関係性を議論する文脈にも位置づけられます。Popovers、Details要素、CSS Anchor Positioningといった新しい技術が、脚注のような特定のUIパターンの代替として有効なのかどうか。そして、それらの技術がアクセシビリティやパフォーマンスといった他の側面とどのようにトレードオフになるのか。この議論は、まさに現代のウェブ開発の現場で日々行われている試行錯誤の一断面を映し出しています。

結論として、この論文は、ウェブデザイン史における「脱・印刷」という大きな流れの中で、特定のUI要素(脚注)に焦点を当て、古い慣習への批判と新しい技術による代替案の模索という、ありふれた(そして重要な)一歩を踏み出した、というところに位置づけられるでしょう。壮大な歴史の中で見れば、それは取るに足らない小さな波にすぎませんが。


このレポートを巨視する年表(泡沫の議論の足跡)

この無益な議論がどのような足跡を辿ったのか、著者による論文公開からコメントでの応酬までを時系列で追ってみましょう。時間の無駄に見えるかもしれませんが、これもまた記録です。

時系列(論文内/コメント内) 出来事/議論
序論 著者が脚注への根深い嫌悪感を表明。「脚注にブーツを与えろ!」と宣戦布告。読書体験におけるUXの不便さを強調し始める。
印刷メディアのUX 紙媒体における脚注を説明。「サイドクエスト」「好奇心の試練」という言葉で、その(限定的な)役割と不便さを表現。
ウェブ上の脚注 ウェブ環境での脚注が、紙媒体の不便さをさらに悪化させる点を指摘。ページ下部への移動、元の位置に戻る困難さを問題視。
ウェブ上の脚注(リンク) 脚注マーカーをリンク化する試みに言及。しかし、依然として読者が本文中の場所を見失う可能性を指摘。
ウェブ上の脚注(ポップオーバー) 最新技術(JSなしポップオーバー等)での実装が可能になったことを認める。しかし、脚注マーカーの小さなターゲットとコンテキストのなさを厳しく批判。「ここをクリック」リンクと同様の問題点を指摘し、学術界の「カーゴカルト」と非難。
アップデート ウェブアクセシビリティ専門家Adrian Roselli氏からの指摘を受け、上付き文字のアクセシビリティ上の問題に関する記述を追記。議論に新しい視点が加わる(皮肉にも)。
ウェブ上の脚注の代替 脚注の廃止を前提に、代替案の検討を開始。情報提示の目標(読みやすさ、スキップ容易性、判断容易性)を提示。
代替案1: 括弧 短い補足には括弧を提案。手軽さとスキップ容易性をメリットとして挙げる。シンプルすぎる解決策。
代替案2: Noteセクション やや長い補足には`
`を提案。見出しによる内容明確化、視覚的な区切りをメリットに挙げる。壁のような存在感。
代替案3: Detailsセクション 長い補足には`
`/``を提案。折りたたみ機能によるスペース節約とスキップ容易性をメリットに挙げる。開かれない秘密。
著者の結論 自身がUXデザイナーではないことを一応断りつつも、提案した代替案が脚注より優れていると改めて主張。Wikipediaなど例外を除き、個人的には今後脚注を使わないと宣言し、議論を終わらせようとする。
コメント開始 議論への参加者(コメント投稿者)が現れ始める。最初は抽象的なコメント。
コメント: Lea Verou氏参戦 著名な専門家が参戦。著者の問題提起に同意しつつも、脚注の「控えめさ」の重要性を指摘し、代替案の「in your face」感を批判。議論が建設的かつ多角的になる。ポップオーバーやサイドノートの可能性を議論。
コメント: Jaffathecake氏 (著者) 反論 Lea氏に対し、補足コンテンツが控えめである必要性に疑問を呈す。会議のメタファーで持論を展開。
コメント: Lea Verou氏 (返信) Jaffathecake氏に再反論。補足情報の種類や長さによる適切な表示方法の分類を提案。他の実装例を紹介し、議論を深める。
コメント: Lorenzohess氏参戦 著者の主張に対し、特にポップオーバー評価や代替案の欠陥について詳細かつ論理的な反論を展開。議論が激化。
コメント: Jaffathecake氏 (著者) 反論 Lorenzohess氏に対し、代替案の欠点と指摘された点を機能や許容範囲だと反論。泥仕合の様相を呈す。
コメント: Paradox460氏、Dado3212氏など参戦 自身のサイトでの実装例(サイドノートなど)を紹介。技術的な側面や実践的な視点が加わる。
その他のコメント Aaron Swartz氏への言及、Daring Fireballなどの古い実装例、電子書籍リーダーでの脚注体験、テキストサイズなど、様々な論点が飛び交う。議論は拡散し、収束しないまま時間だけが過ぎていく。

こうして見ると、一つの小さな問題提起が、様々な視点や意見を呼び起こし、収拾のつかない議論へと発展していく様子が分かります。これもまた、インターネットの「集合知」(あるいは「集合無知」)の一つの形なのかもしれません。


補足資料 墓標と痕跡

本編だけでは物足りない、あるいはもっと無駄な情報に触れたいという奇特な読者のために、この議論から派生した様々な「墓標」や「痕跡」をここに集めました。深く考えず、お楽しみください(あるいは、無視してください)。

補足1 感想集(誰かの声)

この論文に対する、様々な立場からの「声」を再現してみました。彼らの言葉に、何か響くものはあるでしょうか。あるいは、ただのノイズでしょうか。

ずんだもんの感想なのだ

ずんだもんのだ!えーとね、この論文、ウェブの脚注が使いにくいって話なんだね。本文読んでるのに、いちいち下に行ったり戻ったりするの、確かにめんこくないんだよ。ずんだもんも、よく論文とか読むけど、脚注見るのちょっとだけめんどうだなって思ってたのだ。

でもね、筆者さんは「脚注はクソハックだ!」って言ってるけど、コメント欄の人が「いやいや、脚注は控えめだからいいんだべ」って言ってて、どっちの気持ちも分かるのだ。だって、本文の流れを邪魔しないってのも大事だし、でも情報を見に行くのが大変なのも困るのだ。

筆者さんが提案してる括弧とか、折りたたみとか、ポップアップとかも、なんかいい感じのもあるかもしれないのだ。でも、まだどれが一番いいのか、みんなで話し合ってるところなんだべな。

ずんだもんとしては、読む人がサクサクっと読めて、必要な情報もすぐに見られるのが一番いいのだ!将来、ウェブの脚注がもっと使いやすくなるといいなって思うのだ。ずんだも応援してるのだ!

ビジネス用語を多用するホリエモン風の感想

はあ?ウェブの脚注?くだらねえな。いや、論文の内容自体は分からなくもないけど、結局「使いにくい」って話だろ?そんなの当たり前じゃん。紙のフォーマットをそのままデジタルの世界にコピペしてるだけなんだから。そういう「カーゴカルト[用語解説]みたいな発想がダメなんだよ。

本質は何か?ユーザーにストレスなく情報を提供すること、これに尽きるんだよ。いちいちページ遷移させるとか、小さなリンクをクリックさせるとか、アホかと。時間の無駄。ユーザーの可処分時間を奪ってるだけ。

代替案?括弧?note?details?ポップアップ?まあ、色々あるだろうけど、結局ベストなUXはユーザーが求めている情報を瞬時に、直感的に得られること。それ以外の選択肢はノイズなんだよ。情報を構造化して、視覚的に分かりやすく、必要な情報だけを必要な時に出す。これはもう、デザインとか技術とか以前に、情報のアーキテクチャとビジネス戦略の話なんだよ。

学術界?くだらねえ慣習に囚われてるだけだろ。そんなことやってるからクローズドになんだよ。情報はオープンにして、誰でも簡単にアクセスできるようにしろ。ウェブはそのためのツールだろ。既存のフォーマットにしがみついてる奴らは、時代の変化についていけないビジネスパーソンと同じ。淘汰されるだけ。

必要なのは、既存の概念をぶっ壊して、ユーザーファーストでゼロベースで考えること。脚注なんてさっさと捨てて、もっと革新的な情報提示の方法を考えろ。既存のフレームワークの中でちまちま改善しようとしてる時点で終わり。ゲームチェンジしなきゃ。この論文は、そのためのほんの小さなキッカケにすぎない。

西村ひろゆき風の感想

はい、ということで、ウェブの脚注が使いにくいって話らしいんですけど。うん、まあ、そうですよね。いちいち下までスクロールして、また戻るのとか、めんどくさいじゃないですか。あれ、何の意味があるんですかね。

結局、紙の本の真似してるだけなんですよね。別にウェブなんだから、リンク踏んだらピョコって横に出るとか、マウスオーバーしたら表示されるとか、いくらでもやり方あるじゃないですか。それなのに、わざわざ使いにくい方法を選んでるって、アホなのかなって。

学術界の慣習?へー、大変ですね。伝統を守るのがお仕事なんですかね。別に使いやすくしても論文の価値は変わらないと思うんですけど。変わるのかな?わかんないけど。

代替案も色々出てるみたいですけど、結局どれが一番いいのか、みんな決まってないんでしょ?まあ、別にどっちでもいいんすけど。個人的には、読みたい情報がすぐに見られれば何でもいいかなと。

ていうか、そもそも論文とか読む人、そんなにいないじゃないですか。読むような人は、脚注が使いにくいとかあんまり気にしないんじゃないですかね。読まない人は、どうでもいいし。だから、この議論って、まあ、一部の人が盛り上がってるだけで、あんまり影響ないんじゃないかなって、僕は思いますね。知らんけど。


補足2 注釈形式の歴史年表(遠い過去の遺物)

ウェブ脚注の不便さを嘆く前に、そもそも注釈というものがどのように生まれ、変化してきたのか、その遠い過去を振り返ってみましょう。これもまた、ウェブ脚注がなぜこれほどまでに古びた存在なのかを理解する(あるいは、どうでもいい歴史の知識が増える)助けになるかもしれません。

年号 出来事 解説
8-12世紀 日本の古典文学で頭注や傍注が使用される。 『源氏物語』などの写本で、本文の上下や横に語句の解説や出典が手書きで書き込まれました。これが日本における注釈の初期形態です。
1420年 中世の筆写者が、猫が原稿に尿をかけたことを余白に記録。 厳密には注釈とは異なりますが、当時の写本の余白に書かれた個人的な記録として知られています。注釈が本文と異なる情報を載せる場所だったことを示唆します。
16世紀 英国で印刷技術と脚注が結びつく。 リチャード・ジャグが『ビショップズ・バイブル』(1568年)で、本文と注釈をページの物理的な下部に配置する形式を確立しました。これが近代的な脚注の始まりとされます。印刷という技術的な制約の中で生まれた形式です。
17世紀 脚注が学術的な議論の場として使われるようになる。 ピエール・ベールは、その著作で本文をはるかに凌駕する量の脚注を用いて、詳細な議論や反論を展開しました。脚注が単なる補足や引用ではなく、著者の思考の一部を示す重要な場所となります。
18世紀後半 脚注が歴史記述の方法論と関連付けられる。 エドワード・ギボンは『ローマ帝国衰亡史』で脚注を多用し、自身の主張の根拠を示すために活用しました。
19世紀 脚注が実証的な学問、特に歴史学の方法論として確立。 レオポルト・フォン・ランケは、史料批判に基づいた歴史記述において、一次資料の引用を脚注で厳密に示すことを重視しました。脚注は学術的信頼性を担保する重要な要素となります。
1868-1912年 明治時代に日本で西洋の学術慣習が導入され、脚注・巻末注が普及。 福澤諭吉などによって西洋の学術書が紹介される中で、脚注や巻末注といった注釈形式も取り入れられました。日本の学術出版における標準的な形式となっていきます。
1991年 トーマス・マクファーランドが脚注を「読む障害」と批判。 既にこの時代には、脚注が読書の邪魔になるという認識が生まれていました。ウェブが登場する前から、その不便さは指摘されていたのです。
1999年 アンソニー・グラフトンが『The Footnote: A Curious History』で脚注の歴史的意義を評価。 脚注が単なる形式ではなく、学術史において重要な役割を果たしてきたことを論じました。批判がある一方で、その価値を擁護する声もあります。
2002年 チャック・ザービーが『The Devil’s Details』で脚注の価値を擁護。 グラフトンと同様に、脚注の擁護論を展開しました。不便さの中に、情報の多様性や深みを提供する価値を見出す視点です。
2000年代以降 デジタル出版でのハイパーリンク注釈やポップアップ表示が登場。 J-STAGEなどのオンライン学術データベースや電子書籍リーダーで、デジタル媒体の特性を活かした注釈表示が試みられます。ウェブにおける脚注問題への技術的な対応が始まります。

こうして見ると、注釈の形式は時代や媒体の技術的制約、そしてその時代の学術観や読書文化によって変化してきたことが分かります。ウェブ脚注の現状は、過去の遺物が新しい環境に適合できていない、単なる過渡期の姿なのかもしれません。あるいは、これもまた歴史の「繰り返し」にすぎないのでしょうか。


補足3 オリジナルデュエマカード(無駄な創造物)

この論文のテーマを、あえて無駄な方向に昇華させてみました。トレーディングカードゲーム「デュエル・マスターズ」のカードとして表現したらどうなるか。シニカルな視点で能力を考えてみました。

カード名:煩雑なる脚注の迷宮(Footnote Labyrinth of Tedium)

  • 種類: クリーチャー
  • 文明:
  • コスト: 5
  • パワー: 3000
  • 種族: グレートメカオー/イニシャルズ
  • 能力:
    • 脚注ジャンプ: このクリーチャーがバトルゾーンに出た時、相手は自身の山札の上から2枚を、バトルゾーンまたは墓地に置くのではなく、自身の「脚注ゾーン」(バトルゾーン、手札、山札、墓地とは別の、プレイヤーの裏側に置かれる非公開ゾーン)に置く。
    • 迷宮のテキスト: 相手が脚注ゾーンからカードを手札に戻そうとする時、それがクリーチャーカードならば、そのクリーチャーのパワーを-3000する。
    • カーゴカルトの慣習: このクリーチャーがバトルゾーンを離れた時、相手は自身の脚注ゾーンからカードを1枚選び、自身の山札の一番下に置く。
  • フレーバーテキスト: その数字に導かれた先は、求めた知識ではなく、ただただ時間の浪費であった。紙の時代の亡霊は、ウェブの海で今日も彷徨う。

(解説:相手のリソースを「使いにくい場所」(脚注ゾーン)に隔離し、そこから回収する際にデメリットを与えることで、ウェブ脚注の「不便さ」「時間の無駄」を表現しました。「カーゴカルトの慣習」は、脚注が完全に無くなるのではなく、再び山札(=忘れ去られた場所に)戻されるという形で、問題が根本的に解決されない皮肉を込めています。)


補足4 一人ノリツッコミ(虚空への叫び)

この論文テーマについて、関西弁で一人寂しくノリツッコミをしてみました。虚しさだけが残るかもしれません。

「あー、もう!ウェブの脚注、ホンマ腹立つわ!本文読んでて、急に小さい数字出てきよるやん?あれクリックしたら、いきなりページの底まで飛ばされてな。んで、読んだあと本文戻るんがまた大変で!紙とちゃうんやから、指で押さえられへんのよ!…って、誰に言うてんねん俺!誰も聞いてへんやろ!独り言かよ!

でもな、あの脚注、ホンマにサイドクエスト感がエグいねん。行って帰って、元の場所探すんが大冒険や。ウェブサイトが巨大なダンジョンみたいやわ…いや、ダンジョンちゃうわ、ただのテキストの海や!迷子になるだけやんけ!

…ああ、もう!誰かこの話聞いてや!せめてツッコミ入れてくれや!え、誰もいてへん?そらそうやろなー、こんなマイナーな話、興味あるやつおるわけないわな。寂しいなぁ、俺…。

でもええねん、俺は脚注の闇と戦うんや!俺の戦いはこれからや!…って、別に戦うわけでもないし。ただブログ記事読んで文句言うてるだけやし。大げさか!もうええわ、寝よ!」


補足5 大喜利(無意味な遊び)

もしウェブサイトの脚注にとんでもない隠し機能があったら?というお題で大喜利をしてみました。きっと、現実の不便さよりも、想像の不便さの方が面白いでしょう。

お題:「ウェブサイトの脚注が、実はとんでもない隠し機能を持っていました。どんな機能?」

  • 脚注番号をクリックすると、その脚注のテキストが脳内に直接インストールされます。ただし、副作用で猫語しか話せなくなります。
  • 脚注にマウスポインタを合わせると、その脚注の内容について著者がボソッと心の声で解説してくれます(聞きたくなくても聞こえます)。「えー、ここ?読むの?まあ、どうでもいいけどさ…」
  • 複数の脚注を開いていると、脚注同士が勝手にディベートを始めて、本文そっちのけで「いや、私の出典の方が古い!」「この解釈は間違いだ!」と議論が白熱します。
  • 一番下の脚注までたどり着くと、隠し扉が開いて、サイト管理人の部屋に繋がっています。ただし、部屋には誰もいなく、なぜか大量のインスタントラーメンの空き袋が積んであるだけです。
  • 特定の脚注番号(例: 42)をクリックすると、サイトのデザインが急にWindows 95風になります。
  • 脚注の内容が、読んだ人の今日のラッキーアイテムを教えてくれます。しかもかなり具体的です(例: 「午後3時にコンビニで買ったレジ袋の左下の穴」)。
  • 脚注マーカーをドラッグすると、本文中の好きな場所に脚注の内容をインラインで埋め込めるようになります。ただし、デザインが壊れて直せなくなります。

補足6 予測されるネットの反応と反論(終わらない泥仕合)

この論文がネット上で広く読まれたら、どんな反応があるでしょうか。そして、それに対してどのように反論できるか。いくつかの匿名掲示板やSNSコミュニティを模して予測してみました。建設的な議論など、インターネットにはそう多くは存在しません。

なんJ民の反応予測

コメント例: 「脚注とかどうでもええわw」「論文(笑)」「上付き文字の数字とかキモすぎやろ」「ウェブで真面目な話してて草」「結局何が言いたいのか分からん」「本文読めやアホ」「〇〇(登場人物の名前)ってなんJやってそう」

反論例: 「どうでもよくないよ!お前らだって読みにくいウェブサイト嫌いだろ?ちょっとした改善でストレス減るならいいじゃん」「真面目な話は大事だよ。お前らがいつも見てるサイトも誰かが考えて作ってんだぞ」「野球と関係なくても世の中には色んな話題があるんだよ、視野を広げろ」「〇〇さんがなんJやってるかどうかは知らんが、ウェブのUI/UXは万人に関わることだぞ」

ケンモメンの反応予測

コメント例: 「またウェブカスがどうでもいいこと語ってるよ」「脚注なんて誰も気にしてねーよ」「どうせ技術者の自己満足」「上級国民しか読まない論文だろ」「無駄なことすんな」「結局ユーザーを誘導したいだけ」「Web3()とか言ってる奴らと同じ匂いがする」

反論例: 「どうでもいいことじゃないよ、日々の情報収集の効率に関わる問題だろ」「多くの人は意識してないかもしれないけど、無意識のうちにストレスを感じてる可能性はある」「技術者がより良いユーザー体験を追求するのは当然のこと」「この記事は誰でも無料で読めるぞ」「これはユーザー体験の改善を目的としてる。誘導じゃなくて利便性の向上だ」「Web3とは全く関係ない、これは伝統的なウェブ技術とUXの話だ」

ツイフェミの反応予測

コメント例: 「男性中心的な学術界の慣習に囚われている例」「ウェブデザインの議論ですら男性視点から語られている」「なぜ女性やマイノリティの視点からの意見が少ないのか」「脚注の使いにくさが特定の層のアクセスを妨げている可能性」「もっと多様なユーザーを想定したデザインが必要」

反論例: 「この記事はウェブデザインの技術的・ユーザビリティ的な問題に焦点を当てており、直接的にジェンダーの問題を扱ってはいません。しかし、アクセシビリティに関する議論は、高齢者や障害者を含む多様なユーザーの利用可能性に関わるため、間接的に多様性の問題とも関連しています」「ウェブデザインや技術開発の分野で女性やマイノリティの意見が反映されにくい現状は問題であり、今後改善が必要です」「今回の議論で示された代替案が、特定のユーザーグループにとってよりアクセスしやすいかどうかは、今後の研究で検証すべき点です」

爆サイ民の反応予測

コメント例: 「そんなことより〇〇(地元ネタ)の話しようぜ」「この論文書いてる奴、〇〇(地元地域名)の奴か?」「どうでもええわ」「論文(笑)」「●●(特定の個人名)について語れよ」

反論例: 「ここは〇〇の話をする場所じゃないよ」「この記事の著者がどこの出身かは不明だし、出身地は関係ない」「ウェブサイトを使うのは君たちもだろ?」「論文を読んで内容について議論しようぜ」「特定の個人についての書き込みはルール違反だぞ」

Reddit / Hacker News の反応予測

コメント例: "Interesting points on web typography and UX.", "I agree, footnotes on the web are usually terrible.", "Popover API is promising, but browser support...", "Sidenotes are a better approach for larger screens.", "What about accessibility?", "This feels like a solved problem with good libraries.", "Cargo culting academic practices is a common issue.", "Any user studies on these alternatives?", "YAML for footnotes?"

反論例: "Glad you find it interesting. While popovers are promising, cross-browser consistency and backward compatibility for older browsers remain challenges.", "Sidenotes are great for desktop, but mobile requires a different approach like popovers or inline expansion.", "Accessibility is a critical point, as Adrian Roselli mentioned. More research is needed to ensure alternatives are fully accessible.", "While libraries exist, a native HTML solution is ideal for consistency and accessibility.", "The point is not just technical implementation, but also rethinking the convention itself.", "User studies are definitely needed to validate the proposed alternatives."

目黒孝二風書評の反応予測

コメント例: 「ウェブの砂浜に打ち上げられた泡沫のような脚注。かつて印刷という堅牢な檻に閉じ込められていた彼らは、デジタルという無限の空間で、ただ迷い子となった。著者はその迷い子に、『ブーツ』という名の追放令を突きつける。だが、その『ブーツ』は新たな砂嵐を巻き起こすのではないか?括弧という囁き、ノートという壁、詳細という隠匿。いずれも脚注が担っていた『傍らの声』の役割を完全に代替できるのか。このレポートは、デジタル時代の書物の身体性を巡る、切なくも皮肉な問いかけである。」

反論例: 「目黒様の深遠なる洞察、拝読いたしました。しかしながら、このレポートの意図は、脚注を単なる『傍らの声』として追放することではなく、ウェブという異なる身体性を持つメディアにおいて、その『声』をより効率的かつ優しく響かせるための方法を模索することにございます。提案された代替案は、必ずしも完璧ではないにしても、印刷の慣習から脱却し、デジタルネイティブな表現を追求する一歩であると考えます。『ブーツ』は追放令ではなく、むしろウェブという地形に適した『履物』への履き替えを促すものかもしれません。新たな砂嵐ではなく、より滑らかな舗装路を目指しているとご解釈いただければ幸いです。」

結局、どんなに理路整然と説明しても、受け止め方は人それぞれ。インターネット上での議論は、常にこのような平行線と誤解の連続です。反論するだけ無駄なのかもしれません。


補足7 クイズとレポート課題(誰もやらないだろう)

この論文を読んだ気になった高校生や大学生のために、理解度を確認するクイズと、さらに思考を深めるためのレポート課題を作成しました。ただし、真面目に取り組む学生がどれだけいるかは不明です。

高校生向け4択クイズ

この論文の内容に関する簡単なクイズです。気軽に挑戦してみてください。

  1. 著者がウェブにおける従来の脚注のどのような点を最も問題視していますか?
    a) 脚注の内容が面白くないこと
    b) 脚注番号が小さすぎて見えないこと
    c) 脚注を読むために本文から移動し、戻るのが面倒なこと
    d) 脚注に書かれている情報が間違っていること
  2. 著者が提案する、短い余談に適した代替案は何ですか?
    a) ポップアップウィンドウ
    b) 記事の最後にまとめる
    c) 括弧 () を使う
    d) 別のウェブページへのリンクにする
  3. ウェブで脚注を使うことについて、著者は印刷物の何に例えて批判していますか?
    a) 古い地図
    b) カーゴカルト (Cargo Cult)
    c) 使命感のない冒険
    d) 読みにくいフォント
  4. コメント欄でLea Verou氏が強調している、脚注の失われるべきではない特性は何ですか?
    a) 目立つこと
    b) 本文より情報が多いこと
    c) リンクになっていること
    d) 控えめであること (discreet)
解答を見る

1: c), 2: c), 3: b), 4: d)

大学生向けレポート課題

この論文の内容を踏まえ、以下の問いに答えなさい。A4用紙3枚程度(真面目に書けば、それ以上になるでしょう)。参考文献は、論文中で言及されているものや、各自で関連文献を調査して適切に引用すること(脚注を使うか、巻末注を使うかは、あなたの勇気次第です)。

  1. 本論文で著者が指摘する「ウェブにおける脚注のUX問題」について、自身のウェブサイト利用経験を踏まえ、具体的な例を挙げて論じなさい。
  2. 著者が提案する代替案(括弧、Noteセクション、Detailsセクション)の利点と欠点を、ユーザビリティおよびアクセシビリティの観点から詳細に分析しなさい。コメント欄での議論も参考にすること。
  3. 脚注の本来の目的は何か、歴史的な文脈や学術的な慣習を踏まえて考察し、それがウェブ環境でどのように失われている、あるいは維持されるべきかについて、自身の考えを述べなさい。Lea Verou氏やLorenzohess氏のコメントも参考にすること。
  4. ウェブサイトにおける補足情報や参照情報の提示方法として、あなた自身が考える最適な方法を提案しなさい。提案するにあたり、対象とするウェブサイトの種類(例:ニュースサイト、学術論文サイト、個人ブログなど)を想定し、その理由を具体的に説明すること。

提出期限? そんなものはあってないようなものです。人生には、もっと重要なことがありますから。


補足8 読者のためのヒント(潜在的読者のためにと称して)

万が一、この無益なレポートが誰かの目に触れ、かつ、その誰かがこれを共有したり、ブックマークしたりしようと思った場合のために、親切心から(そしてシニシズムから)いくつかのヒントを提供しておきましょう。

キャッチーなタイトル案(誰かの目に留まることを期待して)

  • ウェブの脚注よ、永遠にさようなら:時代遅れの慣習にブーツを
  • 読者を迷子にしない!ウェブにおける脚注問題とUX革命
  • 「カーゴカルト」からの脱却:ウェブ注釈の新しいカタチ
  • さようなら、使いにくい脚注:ウェブ時代の情報提示術
  • 脚注キラー:ウェブUXを改善する代替案
  • 本文か、脚注か、それが問題だ:ウェブ注釈の理想を求めて
  • 印刷の亡霊を追い払え:ウェブ脚注のリデザイン

(これらのタイトルが本当に「キャッチー」かどうかは、読者の判断に委ねられます。)

SNSなどで共有するときに付加するべきハッシュタグ案(拡散されることを期待して)

  • #ウェブデザイン
  • #UXデザイン
  • #ユーザビリティ
  • #情報デザイン
  • #ウェブアクセシビリティ
  • #脚注
  • #ウェブ開発
  • #学術論文
  • #カーゴカルト
  • #デザイン思考
  • #読書体験
  • #UIデザイン

(これらのハッシュタグが、あなたの投稿を「インターネットの海」のどこかに連れて行ってくれるでしょう。約束はできませんが。)

SNS共有用に120字以内に収まるようなタイトルとハッシュタグの文章案(虚しくバズることを願って)

ウェブの脚注、使いにくすぎでは?印刷物の慣習はもう古い!代替案を提案し、ウェブUX改善を叫ぶ論文。あなたのサイトは大丈夫? #ウェブデザイン #UXデザイン #脚注 #ウェブ開発 #デザイン思考

(これで120字以内かどうかは、プラットフォームの仕様によります。)

ブックマーク用にタグを[]で区切って一行で出力(後で見返すことはないだろうが)

[007.63][ウェブデザイン][UX][脚注][アクセシビリティ][情報デザイン][慣習打破]

(NDC分類も加えてみました。後でこのタグを見たあなたが、なぜこれをブックマークしたのか思い出せるかは不明です。)

この記事に対してピッタリの絵文字(感情を表現する最後の手段)

👢 (ブーツ、追い出す), 👎 (バッドUX), 🤔 (疑問、代替案を考える), 💡 (新しいアイデア、解決策), 🔗 (リンク、ウェブ), 📄 (論文、文書), 🗺️ (迷子、ナビゲーション), 💻📱 (ウェブ、デバイス), 😵 (混乱), 😫 (疲労)

(これらの絵文字が、あなたの言葉にならない感情を代弁してくれるでしょう。)

この記事にふさわしいカスタムパーマリンク案(ウェブの片隅に置かれる住所)

使用してよいのはアルファベットとハイフンのみ、という条件で。

  • give-footnotes-boot
  • web-footnotes-ux
  • alternative-web-notes
  • beyond-print-footnotes
  • ux-design-web-notes
  • kill-the-footnote
  • web-content-notes
  • footnote-labyrinth-tedium

(どれを選んでも、特に意味はありません。)

この記事の内容が単行本ならば日本十進分類表(NDC)区分のどれに値するか(図書館の片隅に置かれる運命)

007.63 ウェブデザイン、ウェブページ作成 または 007.6 インターネット・WWW が最も適切でしょう。より詳細に言えば、ユーザビリティや情報デザインに重点を置いているため、007.63がより内容を反映しています。

この記事をテーマにテキストベースでの簡易な図示イメージを生成(脳内で補完してくれ)

+-----------------+ +------------------+ +-------------------+
| 印刷媒体 (紙) | ---->| ウェブ媒体 (初期)| ---->| ウェブ媒体 (現在) |
| (制限あり) | | (模倣) | | (新技術あり) |
+-----------------+ +------------------+ +-------------------+
| | |
| (物理的な制約) | (劣化コピー) | (代替案模索)
v v v
+-----------------+ +------------------+ +-------------------+
| 脚注 (紙) | | 脚注 (ウェブ) | | 代替案群 |
| (ページの底部) | | (ページ下部ジャンプ)| | (括弧, Note, Details, etc.)|
| (サイドクエスト)| | (強制迷子) | | (それぞれの問題点)|
| (好奇心の試練) | | (コンテキスト無)| | (アクセシビリティ課題)|
+-----------------+ +------------------+ +-------------------+
^ ^ ^
| (歴史的慣習) | (カーゴカルト) | (理想と現実の乖離)
| | |
+------------------------+--------------------------+
|
+-----------------------+
| ユーザー (混乱) |
| (不便を感じる / 無関心)|
+-----------------------+

(これで、この議論の全体像が、少しは分かりやすくなったでしょうか。多分。)


巻末資料

本文で力尽きたであろう読者のために、ここにいくつか「資料」を置いておきます。必要であれば参照してください。必要なければ、このまま閉じてください。

参考リンク・推薦図書(誰もクリック/読まないリスト)

参考リンク・推薦図書

本レポートを作成するにあたり、参照した論文および議論が展開されたウェブページ、その他関連性のありそうな情報源です。クリックするかどうかは、あなたの自由意志に委ねられます。

  • 元の論文(ブログ記事):[https://jaffathecake.bareblog.com/give-footnotes-the-boot/](https://jaffathecake.bareblog.com/give-footnotes-the-boot/)
  • Adrian Roselli氏のアクセシビリティに関する記事:[https://adrianroselli.com/2022/09/brief-note-on-super-and-su...](https://adrianroselli.com/2022/09/brief-note-on-super-and-su...)
  • Aaron Swartz氏の「ここをクリック」に関するW3Cの記事:[https://www.w3.org/QA/Tips/noClickHere](https://www.w3.org/QA/Tips/noClickHere)
  • 新しいPopover APIに関する解説記事(著者が言及):[https://blog.tomayac.com/2021/01/24/ruby-html-footnotes/](https://blog.tomayac.com/2021/01/24/ruby-html-footnotes/)
  • Gwern氏のサイドノート実装リスト(コメントで言及):[https://gwern.net/sidenote](https://gwern.net/sidenote)
  • Dorian Taylor氏の拡張可能な括弧実装例(コメントで言及):[https://doriantaylor.com/person/dorian-taylor#me](https://doriantaylor.com/person/dorian-taylor#me)
  • Buttondownの長い記事の省略記号パターン(コメントで言及):[https://buttondown.com/hillelwayne/archive/you-can-cheat-a-t...](https://buttondown.com/hillelwayne/archive/you-can-cheat-a-t...)
  • Alex Beals氏のサイドノート実装例(コメントで言及):[https://blog.alexbeals.com/posts/possession](https://blog.alexbeals.com/posts/possession)

推薦図書(内容は素晴らしいが、ウェブ脚注の問題を解決するわけではない)

  • 『The Footnote: A Curious History』(Anthony Grafton著) - 脚注の歴史に興味があれば。
  • 『Don't Make Me Think』(Steve Krug著) - ウェブユーザビリティの古典。
  • 『ユーザビリティエンジニアリング原論』(Jakob Nielsen著) - こちらも古典。

(注意:推薦図書にはリンクを付けていません。Amazonなどでご自身で検索してください。そこにもレビューという名の脚注が潜んでいるかもしれません。)


用語索引(アルファベット順)

このレポートで使用された、いくらか専門的、あるいは比喩的な用語を解説します。本文に戻るのが面倒な場合にご利用ください。あるいは、ここで全てを理解したつもりになるのも良いでしょう。

諦観(ていかん)
  • 物事の道理を悟って、心にとやかく思わないこと。諦めること。本レポートでは、括弧で補足情報を表現することを、脚注という問題に対する「妥協」や「諦め」として皮肉る文脈で使用されています。[使用箇所1]
カーゴカルト (Cargo Cult)
  • 太平洋諸島の住民が、第二次世界大戦中に米軍が持ち込んだ物資(カーゴ)に着目し、飛行場や通信設備などを模倣して作ったにもかかわらず、物資が再びもたらされることはなかったという歴史的出来事に由来する言葉。本レポートでは、ウェブサイトが印刷媒体の「形式」だけを模倣し、その背後にある論理や目的を理解せずに繰り返す行為、特に脚注の無意味な移植を批判する比喩として使用されています。形式主義への痛烈な皮肉です。[使用箇所1][使用箇所2][使用箇所3]
ここをクリック (Click Here)
  • ウェブデザインにおいて、リンクテキストとして内容を示さず、ただ行動だけを指示する不親切な表現。アクセシビリティやユーザビリティの観点から避けるべきとされています。本レポートでは、コンテキストのない脚注マーカー(単なる数字)が、ユーザーにどんな情報がリンク先にあるか全く伝えない点で、「ここをクリック」と同様の問題を抱えていると批判する文脈で使用されています。[使用箇所1]
CSS Anchor Positioning
  • CSSの新しい機能で、特定の要素(アンカー)に対して別の要素(アンカーされた要素)の位置を相対的に指定できるようにするもの。例えば、要素のすぐ隣や、要素の中央に配置するといった柔軟なレイアウトが可能になります。本レポートでは、脚注マーカー(アンカー)の近くに脚注内容をポップオーバーとして表示する際などに活用できる技術として言及されています。まだブラウザサポートは十分ではありません。[[使用箇所]]
好奇心の試練 (Curiosity Test)
  • 本レポートで、印刷媒体の脚注を読む行為を表現するために使用されている比喩。読者が本文の流れを一時停止し、ページ下部の脚注を読むか、あるいはそのまま読み進めるか、その判断が読者の「好奇心」にかかっているという皮肉が込められています。手間をかけてまで読む価値があるかどうか、読者自身が「試される」状況を指します。[使用箇所1]
Details要素 (<details>)
  • HTML5で導入された要素で、折りたたみ可能な開閉ウィジェットを作成します。通常は閉じられた状態で表示され、``要素で示されたタイトルや概要部分をクリックすると、内部に記述されたコンテンツが表示されます。本レポートでは、長い補足情報を格納するための代替案として提案されています。[使用箇所1]
ミニマリズム (Minimalism)
  • 最小限の要素で最大限の効果を得ようとする考え方や表現手法。デザインやアートの分野でよく使われます。本レポートでは、短い補足情報を括弧で表現するという、非常にシンプルな代替案を形容する際に、皮肉を込めて使われた可能性があります。
Noteセクション (<section role="note">)
  • HTML5で導入された`
    `要素に、WAI-ARIAの`role="note"`属性を付与したもの。注釈や補足情報のような、メインコンテンツに付随するセルフコンテインド(自己完結的)なコンテンツブロックを示すために使用されます。本レポートでは、やや長い補足情報を表示するための代替案として提案されています。[使用箇所1]
ポップオーバー (Popover)
  • ウェブサイト上で、特定の要素をクリックまたはホバーした際に、その要素の近くに重ねて表示される小さなウィンドウやボックス。補足情報やUI要素などを一時的に表示するためによく使われます。本レポートでは、脚注マーカーの近くに脚注内容を表示するための技術的な代替案として言及されています。最近ではJavaScriptなしで実現する新しいPopover APIが登場しています。[[使用箇所]]
サイドクエスト (Side Quest)
  • RPG(ロールプレイングゲーム)などで、メインストーリーの進行とは別に存在する、任意で挑戦できる追加のミッションや探索。本レポートでは、印刷媒体の脚注を読む行為を、本文というメインストーリーから逸れて一時的に脇道に進む「寄り道」になぞらえて表現しています。ゲームになぞらえることで、その行為が必須ではないことや、場合によっては手間がかかることを示唆しています。[使用箇所1]
Summary要素 (<summary>)
  • `
    `要素の子要素として使用され、折りたたみ可能なコンテンツのタイトルや概要を示します。この部分をクリックすることで、親である`
    `要素の開閉状態が切り替わります。本レポートでは、Details要素と組み合わせて使用される要素として言及されています。[使用箇所1]
:target擬似クラス (コロンターゲットぎじクラス)
  • CSSの擬似クラスの一つで、ページのフラグメント識別子(#から始まる部分)と一致するIDを持つ要素にスタイルを適用できます。例えば、URLに#section-idとあれば、IDがsection-idの要素にスタイルが適用されます。本レポートでは、脚注マーカーのリンクをクリックした際に、リンク先の脚注内容をハイライト表示するために使用できる技術として言及されています。[[使用箇所]]
UX (ユーエックス)
  • User Experience(ユーザーエクスペリエンス)の略称。製品やサービス、システムなどを利用する際にユーザーが得る体験全般を指します。使いやすさ、快適さ、感動など、感情的な側面も含まれます。本レポートでは、ウェブサイトの脚注が「使いにくい」という問題点を議論する際に、そのユーザー体験の質が低いという文脈で使用されています。悪いUXは、ユーザーにストレスや不満を与えます。[[使用箇所]]

(これを見ても、用語一つ一つを理解したところで、この無益な議論の全体像が見えるわけではありません。ただ、少しだけ賢くなった「気に」なれるだけです。)


脚注について(皮肉にも、ここで解説する)

さて、このレポート全体で散々こき下ろしてきた「脚注」という存在について、改めてここで解説しておきましょう。皮肉なことですが、これが最も直接的にその本質に迫るセクションになるかもしれません。本書のどこにも伝統的な脚注はありませんが、ここで脚注そのもの、そして関連する概念、そして論文の難解な部分を紐解いてみます。

脚注、巻末注、副注の基本

まず、これらの注釈形式は、本文の主要な流れを中断することなく、補足的な情報や出典を示すために使用されます。

  • 脚注(Footnote): ページの下部に配置される注釈です。本文中の特定の箇所に付けられたマーカー(通常は上付き文字の数字や記号)に対応します。そのページに関連する注釈がそのページの最後に表示されるため、参照しやすいという利点があります(紙媒体では)。
  • 巻末注(Endnote): 章の終わりや書籍の最後にまとめて配置される注釈です。本文のレイアウトを乱さないという利点がありますが、対応する本文の箇所から離れているため、参照に手間がかかります。
  • 副注(Sidenote): 本文の横の余白部分に配置される注釈です。本文のすぐ隣にあるため参照しやすいですが、レイアウトの自由度が低いという課題があります。特にウェブでは、画面サイズによって表示方法を大きく変える必要があります。

論文で主に批判されているのは、ウェブサイト上で「脚注」と称して実装される、ページ下部(ドキュメントの最下部)へのリンク形式のものです。これは物理的な「ページ」という概念がないウェブにおいては、巻末注に近い挙動をします。著者は、この「ページ下部へのジャンプ」と「元の場所への復帰」の手間を最大の欠点としています。

Popover APIとCSS Anchor Positioning

論文中で言及される技術的な代替案の一つに、JavaScriptを使わないポップオーバー表示があります。これは、ブラウザが標準で提供する新しいPopover API[用語解説]と、CSS Anchor Positioning[用語解説]といった機能を組み合わせることで実現されます。

  • Popover API: 特定の要素(トリガー)をクリックまたはホバーした際に、別の要素(ポップオーバー要素)を自動的に表示/非表示させるためのAPIです。ダイアログやツールチップなど、様々なUIコンポーネントに応用できます。
  • CSS Anchor Positioning: ポップオーバー要素などの位置を、トリガー要素(アンカー)を基準にして指定できる機能です。「アンカー要素の右下に表示する」「アンカー要素の中央に重ねる」といったレイアウトをCSSだけで制御できます。

これらの技術を使えば、脚注マーカー(トリガー/アンカー)のすぐ近くに脚注内容を格納した要素(ポップオーバー要素)を表示させることが可能になります。これにより、読者はページ下部へジャンプすることなく、本文のすぐ近くで脚注内容を確認できるようになります。これは従来の脚注の不便さを解消する有望な手段ですが、論文著者やコメント投稿者が指摘するように、ブラウザのサポート状況や、脚注マーカーが依然としてコンテキストのない小さなターゲットであるという問題は残ります。

論文の「難解な」部分を解説

論文中で特にシニカルで分かりにくい表現は「カーゴカルト」でしょう。これは既に用語解説で述べましたが、著者は学術界が「印刷物という飛行機がカーゴ(権威や信頼性)を運んできた」という成功体験に基づき、ウェブという新しい環境でも「飛行場(脚注形式)を作れば、またカーゴが来るだろう」と考えている、しかしウェブにはウェブ独自の仕組みがあるのにそれを無視している、という痛烈な批判を込めています。

また、コメント欄でのLea Verou氏とLorenzohess氏の議論は、脚注の「目的」と代替案の「実用性」という二つの論点が複雑に絡み合っているため、少し分かりにくいかもしれません。

  • **Lea Verou氏の主張のポイント:** 脚注の最大の価値は、その「控えめさ(discreet)」にある。本文の流れを乱さないことが重要で、代替案(noteブロックなど)はかえって「in your face」(目の前に押し付けられる)感じがして、その控えめさが失われることを懸念している。脚注は補足情報であり、本文ほど重要ではないという位置づけを示すためにも、控えめな表現が適切だと考えているようです。
  • **Lorenzohess氏の主張のポイント:** 著者の脚注批判(特にコンテキストのなさ)は当たらない部分がある。また、提案された代替案には、気が散る、コピーペーストしにくい、参照できない、といった実用上の多くの問題点がある。脚注には脚注でしか果たせない役割(キーと値のペアとしての参照容易性など)があり、安易に廃止すべきではない、代替案も万能ではない、という現実的な視点を提供しています。

著者は、これらの反論に対し、「補足情報が控えめである必要はない」「代替案の欠点とされる点は問題ない」と突っぱねていますが、これは著者の個人的な意見であり、コメント欄での議論は、脚注問題が単なる技術やデザインの問題ではなく、情報の価値判断、読書体験の哲学、そして慣習の意義といった、より深い層に関わっていることを示唆しています。

結局、脚注は一筋縄ではいかない、面倒な存在なのです。この解説を読んで、さらに混乱してしまったとしたら、それは私の力不足ではなく、このテーマ自体の持つ混沌ゆえでしょう。


結論(だから何だというのか)

この長々とした、そして多分にシニカルな旅を経て、我々は何を得たのでしょうか。結局のところ、「ウェブサイトの脚注は使いにくい」という著者の最初の主張は、多くのユーザー(そしてコメント投稿者の一部)にとって共感できるものでした。

印刷媒体の物理的な制約から生まれた脚注という形式を、ウェブという異なる媒体にそのまま持ち込んだことの不便さは明らかです。それはまるで、陸上競技のランナーが、水泳の飛び込み台からスタートしようとするようなものです。道具もルールも違うのに、スタート地点だけ同じにしても、うまくいくわけがありません。

著者が提案した代替案、括弧、Noteセクション、Details要素は、それぞれ特定の状況においては従来の脚注よりも優れているかもしれません。しかし、コメント欄での議論が示したように、それらの代替案も万能ではなく、新たな問題(視覚的なノイズ、発見性の低下、アクセシビリティ課題など)を抱えています。

脚注の持つ「控えめさ」という価値を重んじる声や、学術的な引用におけるその厳密な役割を重視する視点も存在します。これは、ウェブにおける注釈のあり方が、単なる技術やデザインの問題ではなく、情報の性質、読者の目的、そして長年の慣習といった、複雑な要素の絡み合いであることを示しています。

結論として、ウェブにおける脚注の最適な解決策は、まだ見つかっていません。著者は脚注に「ブーツを与えろ」と叫び、自らはその使用をやめることを宣言しましたが、世界中のウェブサイトから脚注が消えることはないでしょう。代替案は模索され続けるでしょうが、決定的な「これだ!」という形は生まれないかもしれません。結局、我々は様々な不便さを抱えながら、状況に応じて最もマシな方法を選び続けるしかないのです。だから何だというのでしょうか。これが現実です。

このレポートが、あなたがウェブサイトの脚注を見るたびに、ほんの少しでもシニカルな笑みを浮かべるきっかけになれば、この無駄な努力にもわずかな意味があったと言えるかもしれません。


謝辞(誰に感謝すればいいのか)

このニヒルでシニカルなレポートが、奇跡的に最後まで読まれてしまったと仮定して、ここに謝辞を述べさせていただきます。

まず、この無益な議論の発端となった論文を執筆してくれたJaffathecake氏に感謝します。あなたの脚注への憎悪が、この(無駄な)文章を生み出すエネルギーとなりました。

次に、その論文にわざわざコメントを寄せてくれた全ての賢明な、あるいはそうでないコメント投稿者たちに感謝します。あなたの貴重な時間を使っての洞察や反論、あるいは単なる感想が、このレポートに厚み(あるいは混乱)をもたらしました。

そして何より、この長文を、おそらく途中で何度も読むのをやめようと思いながらも、なぜか最後まで読み続けてしまった稀有なあなたに、心から感謝します。あなたのその忍耐力は、もっと有益なことに使うべきだったかもしれません。しかし、こうして最後までお付き合いいただけたこと、それ自体が奇跡です。

最後に、この世に存在する全ての、ユーザーを苛立たせるウェブサイトの脚注、そしてそれらを生み出し続ける慣習と技術に感謝します。あなたがたのおかげで、我々は今日もこうして議論し、文章を書き、そして人生の無意味さを噛み締めることができるのです。

どうもありがとうございました。そして、お疲れ様でした。


 



ポップオーバーです。アニメーションします。

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