#米国インフレ大解剖:V/U比が解き明かす物価高騰と鎮静化の舞台裏 #経済分析 #FRB #労働市場 #五20
米国インフレ大解剖:V/U比が解き明かす物価高騰と鎮静化の舞台裏 #経済分析 #FRB #労働市場
コロナ禍後の物価変動を読み解く、注目のNBER論文徹底解説
要約
S.1 研究の概要
S.1.1 2021-22年のインフレ急騰とその収束
本論文は、米国のインフレがなぜ2021年から2022年にかけて急激に上昇し、その後どのように収束に向かったのかを包括的に分析しています。この期間は、新型コロナウイルスのパンデミックとその後の経済活動再開、大規模な財政・金融政策、そして世界的な供給制約が重なった、経済史においても特異な時期でした。多くの国で同様にインフレが高進しましたが、特に米国ではその上昇ペースと水準が際立ち、連邦準備制度(FRB)の金融政策運営に大きな挑戦を突きつけました。
S.1.2 ボール=リー=ミシュラ枠組みの主要な発見
S.1.2.1 求人・失業率(V/U比)、期待、部門別ショックの役割
本論文の著者であるローレンス・M・ボール氏、ダニエル・リー氏、プラチ・ミシュラ氏は、2022年に公表した先行研究で提示した分析枠組みをアップデートし、この未曽有のインフレ動向を三つの主要な要因で説明できることを示しました。その要因とは、第一に長期インフレ期待、第二に労働市場の逼迫度を示す求人・失業率(V/U比)、そして第三にエネルギーや自動車などの特定産業における相対価格の大きな変化、です。彼らは、この同じ枠組みが、インフレのピークアウトとその後の後退(ディスインフレ)過程も首尾一貫して説明できることを発見しました。
特に、V/U比は労働市場のタイトさを示す強力な指標であり、企業の求人意欲(Vacancy: V)が失業者数(Unemployment: U)に対してどれほど多いかを示します。この比率が高いほど、企業は人手を見つけにくく、賃金や価格に上方圧力がかかりやすいと考えられます。本論文は、このV/U比とインフレの間に非線形な関係があること、そしてV/U比が単に賃金インフレを通じてだけでなく、マクロ経済全体の状況を示す指標として物価に直接影響を与える可能性を示唆しています。
S.1.2.2 ショックの非対称な波及効果
さらに興味深い発見として、本論文はインフレ的なショック(物価を押し上げる要因)とディスインフレ的なショック(物価を下げる要因)が、コアインフレ(変動の大きい食料品やエネルギーを除く物価)に転嫁される際に非対称性があることを指摘しています。具体的には、インフレ的なショックはコアインフレに比較的容易に波及する一方、ディスインフレ的なショックはそれほど転嫁されない傾向があるといいます。これは、企業が価格を引き上げる際には比較的柔軟であるものの、価格を引き下げる際にはコストや競争環境、あるいは心理的な要因から慎重になる傾向(いわゆる「価格の硬直性」)があることを示唆しており、今後のインフレ抑制における困難さを示しています。
S.2 政策とグローバルな影響
S.2.1 連邦準備制度(FRB)の課題
本論文の分析は、今後の米国経済とFRBの金融政策にとっても重要な示唆を含んでいます。2025年3月時点のコアインフレ率(中央値)は依然としてFRBの目標水準である2%を超えており、V/U比も歴史的な平均水準(1985-2019年平均の0.6)を大きく上回る1.1となっています。これは、労働市場の逼迫が依然としてインフレ圧力の要因となっていることを示しており、インフレを目標水準まで持続的に低下させるためには、労働市場をさらに冷ます必要があることを意味します。
問題は、労働市場を冷ます過程で失業率がどの程度上昇するか、です。2023年以降、米国の労働市場は、ベバリッジ曲線(求人率と失業率の関係を示す曲線)の内向きシフトにより、失業率を大きく上げることなく求人率(欠員率)が低下するという、比較的望ましい形で調整が進んできました。しかし、この傾向が今後も続くかは不確実です。もしベバリッジ曲線が現在の位置で安定したり、あるいは新たな混乱で外向きにシフトしたりすれば、V/U比の正常化は失業率の大幅な上昇を伴う可能性が高まります。これは、FRBがインフレ抑制と完全雇用維持という二つの目標(デュアル・マンデート)の間で難しいトレードオフに直面することを意味します。
S.2.2 日本などへの波及影響
米国のインフレ動向とその対策は、米国一国に留まる話ではありません。世界経済、そして日本経済にも大きな影響を及ぼします。FRBがインフレ抑制のために利上げを続ける(あるいは高金利水準を維持する)ことは、日米の金利差拡大観測を通じて円安ドル高圧力となります。これは日本の輸出企業にはプラスとなる一方、輸入物価の上昇を通じて国内のインフレ圧力を高める可能性があります。また、米国のインフレや景気動向は、グローバルな商品価格やサプライチェーンを通じて日本の物価にも影響を与えます。本論文で指摘されているような、インフレ的ショックの非対称な波及傾向は、日本経済にとってもインフレ抑制の難しさを示唆するものです。さらに、米国の労働市場の逼迫や構造変化は、グローバルな人材獲得競争や労働市場の在り方についても日本が参考とすべき視点を提供します。
序文:未曽有のインフレとその分析への挑戦
P.1 本書の重要性
P.1.1 インフレのグローバルな関連性
ここ数年、世界中の人々が「インフレ」という言葉をかつてないほど意識するようになりました。ガソリン代、食料品、電気代...。ありとあらゆるものの価格が上昇し、私たちの家計や企業の経営に大きな影響を与えています。特に米国で観測された急速なインフレは、その規模と速度において多くのエコノミストや政策担当者を驚かせました。これは単に米国の国内問題ではなく、グローバル化した現代経済においては、その原因も、そして影響も、国境を越えて広がります。米国のインフレがなぜ起こり、どう収束に向かうのかを理解することは、世界経済の動向を読み解き、各国が適切な政策をとる上で極めて重要です。
P.1.2 学術と公共の対話の橋渡し
経済学の研究は、しばしば高度な理論や複雑な統計分析を伴うため、一般の方々には分かりにくいものになりがちです。しかし、インフレのように私たちの生活に直結する問題については、学術的な知見が広く共有され、公共の対話に活かされることが望ましいと考えます。本書は、権威あるNBER(全米経済研究所)から発表された最新の研究論文を基に、専門的な内容を噛み砕き、より多くの方に米国のインフレのメカニズムとその影響を理解していただくことを目指しています。研究者、政策立案者はもちろん、ビジネスパーソンや学生、そして日々の物価変動に関心を寄せるすべての方にとって、本書が学びと議論のきっかけとなることを願っています。
P.2 著者の視点
P.2.1 2022年の研究を基盤に
本書の核となるのは、経済学の著名な研究者であるローレンス・M・ボール氏、IMFのダニエル・リー氏、アショカ大学のプラチ・ミシュラ氏によるNBER論文「The Rise and Retreat of US Inflation: An Update」です。彼らはインフレがピークに達しつつあった2022年の時点ですでに、インフレの原因を「長期インフレ期待」「労働市場の逼迫(V/U比)」「部門別ショック」という三つの要因で説明する論文を発表していました。今回の「Update」版は、その後のインフレ後退のデータも加えて分析を深め、同じ枠組みが上昇・後退両局面を説明できることを実証的に示しています。これは、彼らの分析枠組みの堅牢性を示すものであり、本書が依拠する信頼性の高い基盤となっています。
P.2.2 証拠に基づく政策への呼びかけ
本書の目的は、単に学術的な知見を紹介することに留まりません。強固な実証分析に基づき、インフレに対する最も効果的な政策は何か、労働市場の安定化には何が必要か、そして世界経済が直面するリスクにどう対応すべきか、といった政策的な示唆を提示することも重要な狙いです。特に、労働市場の逼迫度合いを示すV/U比の重要性を強調する彼らの研究は、FRBが金融政策を決定する上で労働市場のどの指標を重視すべきか、という議論に直接的に貢献するものです。本書を通じて、読者の皆様がデータと理論に基づいた冷静な議論に参加するための「羅針盤」を得られることを願っています。
はじめに:なぜ今、米国インフレを深く理解する必要があるのか?
I.1 インフレのパズル
I.1.1 2021-22年の急騰:原因と背景
2021年から2022年にかけて、米国のインフレ率は実に40年ぶりの高水準に達しました📈。これはなぜ起こったのでしょうか? その背景には、コロナ禍という未曽有の出来事がありました。まず、パンデミックへの対応として米国政府は家計や企業に対して大規模な財政支援を行いました。同時に、FRBは政策金利をゼロ近くまで引き下げ、大量の国債などを購入する量的緩和(QE)を実施しました。これらは経済の落ち込みを防ぐためには必要でしたが、一方で人々の手元には潤沢な資金が供給され、経済活動再開とともに消費需要が急回復しました。
ところが、これに供給側が追いつきませんでした。ロックダウンや感染対策による工場の操業停止、物流の停滞(サプライチェーンの混乱)により、自動車や家電製品などモノの供給が滞りました。さらに、人々の働き方や職種への意識が変化し、労働市場でも特定業種で人手不足が深刻化しました。需要は強いのに供給が追いつかない。教科書通り、物価は上昇しました。特にエネルギー価格は世界的な需給逼迫やロシアのウクライナ侵攻などの地政学リスクも加わり、さらに高騰。自動車のように、半導体不足で新車が手に入りにくくなり中古車価格が高騰するなど、特定の商品の供給不足が価格を押し上げました。これらが複雑に絡み合い、インフレの「大波」が押し寄せたのです。
I.1.2 2023-25年のディスインフレ過程
しかし、その後のインフレ率はピークから鈍化し、穏やかなディスインフレ(物価上昇率が低下すること)へと転じました📉。これは、FRBが歴史的な速さで政策金利を引き上げ、需要を抑制したこと、そしてグローバルなサプライチェーンの混乱が徐々に解消されたことなどが主な要因です。本論文は、インフレ上昇を説明したのと同じ枠組み(長期期待、V/U比、部門別ショック)が、このディスインフレ過程も説明できることを示しています。
I.1.2.1 経済的・社会的影響
インフレの高進は、人々の購買力を低下させ、特に低所得者層にとっては生活を圧迫する大きな問題となりました。FRBによる急激な利上げは、住宅ローン金利の上昇や企業の借入コスト増大を招き、経済成長の鈍化懸念も生じさせました。インフレとその抑制策は、経済全体だけでなく、社会的な公平性や安定にも深く関わる問題なのです。
I.1.2.2 グローバルな経済的連関
米国のインフレは、世界中に波及しました。米国での強い需要は世界の供給能力に負荷をかけ、グローバルな供給制約を悪化させました。また、FRBの利上げは他の国々の中央銀行にも同様の金融引き締めを促し、世界的な景気減速懸念を高めました。日本も例外ではなく、円安を通じて輸入物価の上昇を経験するなど、その影響は身近なところまで及んでいます。
I.2 本書の目的
I.2.1 ボール=リー=ミシュラ枠組みの解説
本書の主たる目的は、ボール=リー=ミシュラ論文の分析枠組みとその発見を、専門家でない方にも分かりやすく解説することです。なぜ彼らはV/U比をそれほど重視するのか? 長期インフレ期待はなぜ重要なのか? 部門別ショックはどのようにインフレ全体に影響するのか? といった基本的な疑問に答えながら、彼らのモデルがどのようにインフレの上昇と後退を説明するのかを丁寧に紐解いていきます。
I.2.2 政策と研究のギャップへの対応
経済政策、特に金融政策の有効性を考える上で、インフレのメカニズムを正確に理解することは不可欠です。本論文は、その理解を深める上で重要な貢献をしています。本書は、この最新の研究成果を政策立案の現場や一般の議論に活かせるよう、研究論文と現実の政策判断との間の「ギャップ」を埋めることを目指します。研究で得られた知見が、より良い経済政策、そしてより安定した経済環境の実現に繋がることを願っています。
I.3 範囲と構成
I.3.1 多角的アプローチ
本書は、ボール=リー=ミシュラ論文の分析を核としながらも、インフレという現象を多角的に捉えることを重視します。彼らの枠組みの解説に加え、インフレ原因に関する他の有力な見方(競合理論)も紹介し、それぞれの違いや共通点を比較検討します。また、過去の歴史的なインフレ事例(日本やベルギーなど)との比較、米国インフレが日本を含む世界経済に与える影響、そして今後の研究課題や政策的な論点についても広く掘り下げます。単一の論文にとどまらない、豊かな議論を提供することを目指します。
I.3.2 対象読者:研究者、政策立案者、一般読者
本書は、経済学の研究者や学生にとっては、最新のインフレ研究の動向を知るためのガイドとして、また自身の研究を深めるための出発点として役立つでしょう。中央銀行や政府機関で政策立案に関わる方々にとっては、データに基づいたインフレ分析のフレームワークや政策的なインプリケーションを得るための有益な情報源となるはずです。そして、日々のニュースでインフレという言葉に触れ、それが自分の生活や将来にどう影響するのかを知りたいと考える一般読者の方々にとっても、経済の仕組みやインフレの背景を理解するための入門書として、分かりやすく解説することを心がけています。
次に
N.1 本書の活用方法
この本を手に取っていただきありがとうございます。どのように活用していただけるか、いくつか例を挙げさせてください。
N.1.1 研究者向け
経済学の研究者の方々は、第1章の理論的基盤、第2章の実証分析の詳細、そして第3章の本論文に対する疑問点や多角的な視点を特に深く読み込んでいただけると幸いです。本論文の分析手法やデータソースに加え、提示されている疑問点や限界は、ご自身の研究テーマを見つけたり、既存の研究を批判的に評価したりする上で役立つでしょう。第8章の今後の研究課題も、ブレインストーミングの材料としてご活用ください。
N.1.2 政策立案者向け
中央銀行や政府機関の政策立案者の方々には、第1章のフレームワーク理解、第2章の実証分析結果に加え、第6章の政策とグローバルな視点、そして第9章の結論にある政策的インプリケーションが直接的に役立つはずです。特に、V/U比が示す労働市場の逼迫度合いがインフレに与える影響、ベバリッジ曲線の動向、そしてインフレ的・ディスインフレ的ショックの非対称性といった知見は、金融政策や労働市場政策を検討する上で示唆に富むでしょう。第4章の歴史的事例も、政策運営のヒントになるかもしれません。
N.1.3 一般読者向け
経済学を専門としない一般読者の方々には、序文とはじめにで本書を読む意義を掴んでいただいた後、第1章のボール=リー=ミシュラ枠組みの基本的な考え方を理解することから始めるのがお勧めです。すべての数式や統計的な詳細を理解する必要はありません。むしろ、長期期待、V/U比、部門別ショックといった主要なドライバーがどのようにインフレを引き起こし、あるいは鎮静化させるのか、その「ストーリー」を追うように読んでみてください。第5章の日本への影響や、第7章の潜在的読者のために、そして付録の用語解説や想定問答集も、理解を助けるためにご活用ください。日々のニュースでインフレやFRBの政策について報道される際、本書で得た知識が背景理解に役立つことを願っています。
N.2 コンテンツへの関わり方
N.2.1 探求すべき主要な質問
本書を読むにあたって、以下のようないくつかの主要な質問を意識しながら読み進めると、内容への理解が深まるはずです。
- なぜコロナ禍後のインフレは、過去のインフレと比べてこれほど速く、そして高くなったのか?
- 労働市場の逼迫度合い(V/U比)は、具体的にどのようなメカニズムで物価に影響を与えるのか?
- インフレの上昇と後退を同じ説明枠組みで捉えることの意義は何なのか?
- FRBがインフレ目標を達成するために直面している最大の課題は何なのか?
- 米国インフレの動向は、日本経済や私たちの生活にどのように繋がっているのか?
N.2.2 実際的応用
本書で得られる知見は、机上の空論に留まらず、現実世界における意思決定にも応用可能です。
N.2.2.1 政策設計
中央銀行は金融政策ツール(金利、量的緩和など)をどのように調整すべきか? 政府は財政政策や労働市場政策をどのように組み合わせるべきか? 本書の分析は、これらの政策設計において、V/U比などの労働市場指標を注視すること、インフレ期待の安定化に努めること、そして供給側のボトルネック解消にも目配りすることの重要性を示唆します。
N.2.2.2 経済予測
インフレ、金利、為替レート、そしてそれに伴う景気の見通しを立てる上で、本書で解説するフレームワークは有効な分析ツールとなります。特に、V/U比やベバリッジ曲線の将来的な動向、そして非対称なショックの波及可能性といった要素を考慮に入れることで、より精緻な経済予測が可能になるでしょう。
目次
T.1 詳細な概要
T.1.1 各章の要約
この目次自体が本書の詳細な概要となっています。各章のタイトルとその下のサブタイトル(H3、H4、H5)をご覧いただくことで、それぞれの章でどのようなテーマが、どのような構成で議論されているのかを把握できます。興味のある部分から読み始めることも可能ですし、初めから順番に読み進めることで、インフレのメカニズムとその影響に関する包括的な理解が得られるように構成されています。
T.1.2 付録および補足資料
本書の巻末には、本文の理解を助け、議論を深めるための付録や補足資料を充実させています。参考文献リストは、さらに深く研究したい読者のためのナビゲーターとなります。用語解説は、経済学の専門用語を分かりやすく解説した辞書としてご利用ください。用語索引は、特定のキーワードが本書のどこで説明されているかを探すのに便利です。想定問答集は、本書の内容に関する一般的な疑問点にQ&A形式で答えています。また、歴史的なインフレ事例に関する
補足的なケーススタディ
(日本の戦後ハイパーインフレ、ベルギーの「グット作戦」、フィンランドの通貨切断実験など)第1章:理論的基盤
1.1 ボール=リー=ミシュラ枠組み
ボール=リー=ミシュラ論文が依拠する分析枠組みは、現代のマクロ経済学におけるインフレに関する理解に基づいています。それは、インフレが主に以下の三つの要素によって駆動されると考えるものです。
1.1.1 長期インフレ期待
インフレを理解する上で、人々の「期待」は極めて重要です。もし人々が将来インフレが高く続くと予想すれば、労働者は賃金引き上げを要求し、企業はコスト上昇を見越して製品価格を引き上げます。こうした行動が実際のインフレを加速させるという自己実現的な側面があります。逆に、中央銀行がインフレをしっかりと目標水準に抑え込むと市場や家計が信頼していれば、たとえ一時的に物価が上昇しても、長期的なインフレ期待は安定し、物価上昇圧力は持続しにくくなります。これを期待のアンカーリング(定着)と呼びます。
1.1.1.1 定着メカニズム
長期インフレ期待の定着は、中央銀行が明確なインフレ目標を持ち、それに対する強いコミットメントを示し、実際に目標近傍にインフレを安定させるという実績を積み重ねることで確立されます。FRBは2%のインフレ目標を掲げており、市場参加者や一般の人々が、FRBがこの目標を達成するために必要な手段を講じると強く信じていることが、長期期待を安定させる重要なメカニズムとなります。
1.1.1.2 定着解除のリスク
しかし、インフレが長期間目標を大きく上回る状態が続いたり、あるいは中央銀行の政策に対する信頼が揺らいだりすると、長期インフレ期待が目標から乖離し、「定着解除」が起こるリスクがあります。そうなると、インフレはさらに加速しやすくなり、抑制が極めて困難になります。ポストコロナのインフレ高進期には、この長期期待の安定性が試されましたが、幸いなことに、各種調査や市場指標を見る限り、長期期待は比較的安定を保ったと本論文の著者らは見ています。これは、FRBが迅速に金融引き締めに転じたことの成果と言えるかもしれません。
1.1.2 求人・失業率(V/U比)
労働市場の逼迫度合いを示すV/U比も、インフレの重要なドライバーです。V/U比が高い、つまり求人数が失業者数よりも圧倒的に多い状況は、企業が新しい人材を確保するのが難しく、既存の従業員を引き止めるためにも賃金を上げざるを得ない状況を示唆します。賃金コストの上昇は、企業が製品やサービスの価格を引き上げる動機となります。また、V/U比の高さは、単に賃金コストだけでなく、企業が強い需要環境にあり、価格転嫁が容易であるというマクロ経済全体の「過熱感」を示す指標としても機能すると本論文は論じています。
1.1.2.1 インフレとの非線形な関係
ボール=リー=ミシュラ氏は、V/U比とインフレの関係が線形(直線的)ではなく、非線形である可能性を指摘しています。つまり、V/U比がある一定の水準を超えて高くなると、インフレに対する上向きの圧力がより強まる、あるいは加速する可能性があるということです。これは、労働市場が非常にタイトになると、ボトルネックが顕著になり、企業間の人材獲得競争が激化し、賃金・物価スパイラルが起こりやすくなる、といったメカニズムが考えられます。
1.1.2.2 賃金主導モデルとの比較
インフレを説明する古典的な考え方の一つに、賃金上昇がコストとして物価に転嫁されるという賃金プッシュ型インフレがあります。バーナンキ=ブランシャール氏らの研究は、V/U比が主にこの賃金上昇を通じてインフレに影響すると見る傾向があります。しかし、ボール=リー=ミシュラ氏の枠組みは、V/U比がそれだけでなく、広範なマクロ経済の状況を示す指標として、あるいは企業の価格設定行動に対する心理的な影響(例:「この需要の強さなら価格を上げても大丈夫だろう」)を通じて、物価に直接的な影響を与える側面も考慮に入れています。この点が、彼らのアプローチの特徴であり、他の研究との違いを生んでいます。
1.1.3 部門別価格ショック
インフレは経済全体の現象ですが、特定の産業や商品における価格の大きな変化も、インフレ全体に大きな影響を与えます。特に、エネルギーや食料品のように、家計や企業の支出に占める割合が高く、かつ国際的な市場で価格が決まる商品の変動は、直接的に物価指数を押し上げるだけでなく、他の商品の生産コスト増を通じて広範な価格上昇を引き起こす可能性があります。
1.1.3.1 エネルギーおよび自動車部門
ポストコロナのインフレ高進期において、特に顕著だったのがエネルギー価格の高騰と自動車価格(特に中古車)の急騰でした。エネルギー価格は、ウクライナ危機なども影響し、世界的に供給がタイトになりました。自動車は、半導体不足による新車生産の遅れが中古車市場に波及し、記録的な価格上昇を招きました。これらの特定の部門における供給不足やショックが、インフレ全体を押し上げる重要な要因となったのです。
1.1.3.2 新たな部門:住宅とテクノロジー
本論文の分析では、エネルギーや自動車に加えて、住宅(特に帰属家賃)や、近年ではテクノロジー製品(ゲームソフトなど)の価格動向も考慮に入れることが重要である可能性が示唆されます。住宅価格や家賃の上昇は、消費者物価指数において大きなウェイトを占めるため、その動向はコアインフレに大きく影響します。一方、ゲームソフトのように、技術進歩により価格が低下しやすい製品の動向は、全体のインフレ率を押し下げる要因となり得ます。これらの部門ごとの詳細な分析は、インフレの全体像を理解する上で不可欠です。例えば、DopingConsommeBlogの記事にあるように、ゲームソフトの価格をインフレ調整すると実は大きく下がっているという事実は、部門ごとの価格動向を詳細に見ることの重要性を示しています。
1.2 競合する理論
ポストコロナのインフレについては、ボール=リー=ミシュラ枠組み以外にも、様々な説明が試みられています。それらの理論は、インフレの主要な原因をどこに置くかで異なり、それぞれがインフレの特定の側面を強調しています。
1.2.1 ベニグノ=エガートソン:労働市場重視
アンドレア・ベニグノ氏とガウティ・B・エガートソン氏らの研究も、ボール=リー=ミシュラ氏と同様に労働市場の逼迫をインフレの主要な要因と見なす点で共通しています。彼らは、労働市場の摩擦(例:求職者と求人のミスマッチ)が強いインフレ圧力を生み出すメカニズムに焦点を当てています。本論文のV/U比を中心とするアプローチは、彼らの研究との共通点が多いと言えるでしょう。
1.2.2 バーナンキ=ブランシャール:供給ショック重視
元FRB議長のベン・バーナンキ氏と著名なマクロ経済学者であるオリヴィエ・ブランシャール氏の研究は、労働市場の逼迫も要因としつつ、パンデミック関連の供給ショックとそれが特定の部門の価格を押し上げたこと、そしてそれが全体インフレに波及したことをより主要な原因として強調しています。彼らは、V/U比は主に賃金インフレを通じて物価に影響すると見る傾向があり、ボール=リー=ミシュラ氏のようにV/U比が「直接的に」物価に影響することをそれほど強調しない点で異なります。
1.2.3 クルーグマンの無原罪のディスインフレ理論
ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマン氏は、米国が大きな景気後退を経験することなくインフレが鎮静化した状況を「無原罪のディスインフレ(Immaculate Disinflation)」と呼び、これを説明する二つの理論的可能性を提示しました。一つは、非線形フィリップス曲線の考え方です。インフレ率が非常に高い領域では、失業率が少し上昇するだけでインフレ率が大きく低下する(あるいはその逆)という非線形な関係が成り立ち、比較的軽微な労働市場の調整でインフレを抑制できたというものです。もう一つは、部門別ショックの適応です。特定の過熱した部門(例:耐久財)が落ち着く一方で、他の部門は安定しており、経済全体が大きな打撃を受けずに済んだという見方です。本論文がV/U比とインフレの非線形性を指摘している点や、部門別ショックの重要性を挙げている点は、クルーグマン氏の議論とも関連しています。DopingConsommeBlogのクルーグマン氏に関する記事も参照ください。
1.2.3.1 非線形フィリップス曲線
非線形フィリップス曲線の詳細
フィリップス曲線は、伝統的に失業率とインフレ率の間に負の相関があることを示します。しかし、この関係は必ずしも線形(直線)であるとは限りません。労働市場が非常に逼迫している(失業率が非常に低い)状態では、わずかな失業率の低下でもインフレ圧力が急激に高まる、あるいは非常に高いインフレ率を鎮静化させるためには、失業率をわずかに上げるだけで大きな効果がある、といった非線形な関係が考えられます。これは、労働市場のキャパシティ制約やボトルネック効果を反映している可能性があります。1.2.3.2 部門別ショックの適応
部門別ショックの適応の詳細
経済全体としてインフレ圧力が高まっても、その原因が特定の産業(例えば半導体不足による自動車、エネルギー価格の高騰など)にある場合、その部門が落ち着けば全体インフレも鎮静化します。この際、他の部門が健全であれば、経済全体が深刻なリセッションに陥ることなく、部門ごとの調整によってインフレが収まる可能性があります。クルーグマン氏の「無原罪のディスインフレ」理論は、このような部門別の適応が米国で起こった可能性を指摘しています。1.3 ショックの非対称性
本論文の重要な発見の一つに、インフレ的ショックとディスインフレ的ショックのコアインフレへの転嫁における非対称性があります。これは、物価を押し上げる要因(例:エネルギー価格の上昇)は比較的すぐにコアインフレに波及するのに、物価を押し下げる要因(例:エネルギー価格の低下)はそれほど波及しないという現象です。
1.3.1 インフレ的ショックとディスインフレ的ショック
具体的に言うと、原油価格が10%上昇した場合、数ヶ月後にガソリン価格や輸送コストの上昇を通じて、食料品以外のモノ・サービスの価格(コアインフレ)にある程度の影響を与える傾向があります。しかし、原油価格が10%下落した場合でも、企業は必ずしもすぐに製品価格を引き下げるとは限りません。これは、一度上げた価格を下げることによる収益性の悪化を避けたい、あるいはコストが再び上昇する可能性に備えたい、といった企業側の思惑や、価格設定における慣習などが影響している可能性があります。
1.3.2 経済モデリングへの影響
この非対称性は、インフレの将来予測や金融政策の効果を考える上で非常に重要です。伝統的なインフレモデルでは、ショックの方向に関わらず同じような影響があると仮定されることが多いですが、非対称性がある場合、特にディスインフレを促す政策(金融引き締めなど)の効果は、インフレ的ショックを抑える場合よりも限定的になる可能性を示唆します。これは、今後のインフレ抑制の道のりが、ディスインフレ的な要因だけではスムーズに進まないかもしれない、という警告とも取れます。
(コラム:ラーメン屋さんの価格設定からインフレを考える)
以前、馴染みのラーメン屋さんで、店主さんと物価の話になったことがあります。「最近、小麦粉もネギもチャーシューも、何もかも高くなっちゃってね。スープの出汁に使う豚骨まで値上がりだよ。もうさすがに値上げしないとやっていけないんだよ。」と嘆いていらっしゃいました。これはまさにインフレ的ショック(原材料費の上昇)が価格に転嫁される典型例です。一方、半年後くらいに再びお邪魔した時、原材料費が少し落ち着いてきたらしいというニュースを聞いたのですが、ラーメンの値段はそのまま。聞いてみると、「一度上げるとお客様はシビアに見るから、そう簡単には下げられないんだよ。それに、いつまた上がるか分からないし、下げてまたすぐ上げたら信頼を失うだろ?」とのこと。これが、ディスインフレ的ショックが価格に転嫁されにくい、価格の硬直性や非対称性の一つの側面を捉えているのかもしれません。経済学の理論は、私たちの身の回りの小さな出来事にも繋がっているんだな、とその時改めて感じました🍜。
第2章:実証分析
2.1 データと方法論
ボール=リー=ミシュラ論文は、彼らが提示した理論的な枠組みを、実際のデータを使って検証しています。実証分析は、理論が現実をどれだけうまく説明できるかを示す重要なプロセスです。
2.1.1 V/U比とコアインフレの測定
本論文の分析の中心となるのは、労働市場の逼迫度合いを示すV/U比と、変動の大きい項目を除いたコアインフレ率です。V/U比を計算するためには、米国の求人数(Vacancy)と失業者数(Unemployment)のデータが必要となります。FRBは、米労働省が公表するJOLTS(Job Openings and Labor Turnover Survey)という調査から得られる求人数データと、同じく労働省の家計調査から得られる失業率データを用いてV/U比を算出しています。
2.1.1.1 データソースと限界
JOLTSデータは企業への調査に基づいており、求人数の正確な把握には限界がある可能性も指摘されています。また、失業率も定義によって若干数値が変動することがあります。本論文では、こうしたデータソースの限界を認識しつつ、利用可能な最も信頼性の高い公的統計を用いて分析を行っています。実証研究においては、常にデータの限界や測定誤差の可能性を考慮することが重要です。
2.1.1.2 ロバストネスチェック
分析結果が特定のデータ選択やモデル設定に過度に依存していないかを確認するため、ロバストネスチェック(頑健性チェック)を行います。例えば、V/U比の定義を少し変えてみたり、別のインフレ指標(例:PCEデフレーターのコア指数など)を使ってみたりしても、主要な結果が変わらないかを確認するのです。本論文も、主要な発見が様々なデータや設定に対して頑健であることを示そうとしています。
2.1.2 部門別価格データ
部門別価格ショックを分析するためには、消費者物価指数(CPI)を構成する様々な品目やサービスの価格データを詳細に見る必要があります。米国のCPIは、数百もの品目にわたる詳細な価格情報を提供しており、本論文は特に影響が大きかった部門(エネルギー、自動車など)の価格動向を分析に組み込んでいます。
2.1.2.1 エネルギーと自動車
原油価格やガソリン価格、そして新車・中古車の価格データは、これらの部門別ショックの大きさを測る上で直接的な指標となります。これらの価格は国際的な要因や特定の産業の需給によって大きく変動するため、インフレ全体の変動要因として分解することが重要です。
2.1.2.2 ゲームソフトと住宅
前述の通り、ゲームソフトや住宅関連の価格も、インフレを理解する上で注目すべき部門です。ゲームソフト価格の実際の推移に見られるように、技術進歩や市場競争によって価格が下がる品目も存在します。一方、帰属家賃(持ち家世帯が自分の家に払う家賃を仮想的に計算した項目)など、住宅関連費用はCPI全体の約3分の1を占めるため、その動向はコアインフレに決定的な影響を与えます。これらの部門の価格動向を捉えることで、インフレのより正確な全体像が見えてきます。
2.2 2021-22年のインフレ急騰
実証分析では、まずインフレが急騰した2021年から2022年にかけて、ボール=リー=ミシュラ枠組みの各要因がどのように推移したかを見ていきます。
2.2.1 労働市場の逼迫
この時期、米国の労働市場は歴史的な速さで逼迫しました。失業率はパンデミック前の低水準に急速に戻り、一方で求人数は過去最高を更新しました。その結果、V/U比はパンデミック前の約0.8から、2022年3月には2.0を超える水準にまで急上昇しました。これは、企業が人を見つけるのが極めて困難であったことを示しており、労働市場の逼迫がインフレを強く押し上げた主要因であったというボール=リー=ミシュラ氏の主張を裏付けるデータと言えます。
2.2.2 サプライチェーンの混乱
同時に、グローバルなサプライチェーンの混乱がピークに達し、特定商品の供給が大きく制約されました。
2.2.2.1 エネルギー価格の変動
原油価格は2020年の歴史的な安値から一転、経済活動再開と供給不安、そしてウクライナ危機によって急騰しました。ガソリン価格はもちろん、電気代やガスの料金にも影響し、エネルギー関連の物価を押し上げました。
2.2.2.2 自動車産業のボトルネック
半導体不足は自動車産業に壊滅的な影響を与え、新車の生産台数が激減しました。これにより中古車の需要が急増し、価格が異常な高騰を見せました。自動車は家計にとって大きな買い物であり、CPI全体に与える影響も小さくありません。
これらの実証データは、2021-22年のインフレが、強い需要(労働市場の逼迫に反映)と供給制約(部門別ショックに反映)の組み合わせ、そして長期インフレ期待の安定性が試される中で起こったことを示しています。
2.3 2022年以降のディスインフレ
2022年後半からは、インフレ率はピークアウトし、低下に転じました。このディスインフレ過程も、ボール=リー=ミシュラ枠組みで説明できると本論文は論じています。
2.3.1 ベバリッジ曲線の動向
この時期の労働市場の調整は興味深いものでした。FRBの金融引き締めにもかかわらず、失業率は顕著に上昇せず、主に求人数が減少することでV/U比が低下したのです。これは、ベバリッジ曲線が内向きにシフトしたことを意味します。つまり、同じ求人率に対してより低い失業率が実現できる(あるいは同じ失業率に対してより低い求人率で済む)状態になったということです。これは、企業がレイオフに慎重になった、あるいは求職活動がより効率的になった、といった要因が考えられます。このベバリッジ曲線の内向きシフトが、インフレ抑制(V/U比低下)と失業率安定化という「無原罪のディスインフレ」に近い状況をもたらす上で重要な役割を果たしました。
2.3.1.1 2023年以降の内向きシフト
2023年に入ると、JOLTS求人数の減少ペースが加速し、V/U比はパンデミック前の水準に近づきつつあります。これは、労働市場の逼迫が徐々に緩和されていることを示しています。特に注目すべきは、この間、失業率が大幅に上昇していない点です。これは、伝統的なフィリップス曲線からは予想しにくい動きであり、ベバリッジ曲線の内向きシフトが重要な役割を果たしたことを示唆しています。
2.3.1.2 安定化または外向きシフトのリスク
しかし、前述の通り、ベバリッジ曲線の内向きシフトが今後も続くかは不確かです。もしベバリッジ曲線が現在の位置で安定したり、あるいは労働市場の構造変化(例:特定のスキルを持つ人材の恒常的な不足)や新たなショックによって再び外向きにシフトしたりすれば、V/U比をさらに正常化させるためには、失業率の上昇が避けられなくなる可能性があります。これは、今後のインフレ抑制の道のりが「茨の道」となる可能性を示唆しています。
2.3.2 定着した期待
ディスインフレ過程を説明するもう一つの重要な要素は、長期インフレ期待が比較的安定していたことです。インフレ率が一時的に高水準に達しても、人々が将来のインフレ率についてFRBの目標水準近辺に留まると信じ続けてくれたため、企業や労働者の行動がインフレをさらに加速させるという事態は避けられました。
2.3.2.1 消費者センチメントデータ
ミシガン大学やニューヨーク連銀などが発表する消費者インフレ期待調査は、一般の人々が将来の物価についてどう考えているかを示す重要なデータです。これらの調査では、インフレ高進期でも長期の期待は比較的安定していました。
2.3.2.2 債券市場の指標
物価連動債の利回りなど、金融市場が織り込むインフレ期待も同様に、長期の期待は極端な上昇を見せませんでした。これらのデータは、FRBが迅速な金融引き締めによって、インフレ期待の「アンカーリング」に成功したことを示唆しています。これは、「無原罪のディスインフレ」を可能にした重要な要因の一つと言えるでしょう。
(コラム:ベバリッジ曲線の「内向きシフト」ってどういうこと?)
私が大学でマクロ経済学を教えていた頃、ベバリッジ曲線を学生に説明するのが結構大変でした。横軸に失業率、縦軸に求人率(あるいはV/U比)をとって右下がりの曲線を描くのですが、「なぜ右下がりなんですか?」とか「曲線がシフトするってどういう状況?」と聞かれるんです😅。簡単に言うと、右下がりなのは、景気が悪くて失業者が多いときは求人が少なく、逆に景気が良くて求人が多いときは失業者が少ない、という関係があるから。シフトというのは、例えば求人率は以前と同じなのに、失業者がなかなか職を見つけられないような状況(ミスマッチが大きいなど)になると、曲線が外側にずれます。逆に、求人率は同じでも、失業者がすぐに職を見つけられるようになったり、企業が効率的に採用できるようになったりすると、曲線は内側にずれるんです。コロナ禍後の米国で起こったのは、まさに後者の内向きシフト。求人率が下がっても失業率が大きく上がらなかったというのは、以前よりも労働市場が効率的になった、あるいは企業が余剰人員を抱え込んだ、といった「良い変化」があった可能性を示唆しています。もちろん、その要因を特定して今後も維持できるかが大きな課題ですが、経済学の概念が現実の複雑な動きを説明する面白い例だと感じています😊。
第3章:本論文に対する疑問点・多角적視点
ボール=リー=ミシュラ論文はインフレの上昇と後退を説明する強力な枠組みを提示していますが、どんな優れた研究にも疑問点や別の角度からの視点は存在します。これらの疑問を掘り下げることで、インフレ現象の理解をさらに深めることができます。
3.1 方法論的疑問
3.1.1 V/Uとインフレの非線形性
本論文がV/U比とインフレの間に非線形な関係がある可能性を示唆している点は興味深いですが、その具体的な関数形(V/U比がどの水準を超えるとインフレ圧力が加速するのかなど)を特定し、それが統計的にどれだけ頑健な結果なのかは、さらに詳細な分析が必要です。
3.1.1.1 関数形の前提
非線形性をモデル化する際に、どのような関数形(例:二次関数、特定の閾値を超えるモデルなど)を仮定するかによって、結果が変わりうる可能性があります。特定の関数形を仮定する理論的な根拠や、様々な関数形を試した上でのロバストネスの確認が重要となります。
3.1.1.2 実証的ロバストネス
非線形性の検出は、用いるデータ期間、インフレ指標の種類、モデルに含まれる他の変数などによって結果が敏感に変動する場合があります。様々なデータセットやモデル仕様を用いた実証的な頑健性チェックが、この非線形性の主張の信頼性を高める上で不可欠です。
3.1.2 ショックの非対称性
インフレ的ショックとディスインフレ的ショックの非対称性という発見は非常に重要ですが、この非対称性がなぜ生じるのか、そのメカニズムはまだ十分に解明されていません。単なる価格設定の慣習なのか、企業の市場支配力によるものか、あるいは消費者の心理的な要因(インフレへの過敏さ vs デフレへの抵抗感)によるものかなど、様々な可能性が考えられます。
3.1.2.1 波及メカニズム
インフレ的ショックがコアインフレに波及する経路(例:エネルギー価格→輸送コスト→製品価格)と、ディスインフレ的ショックが波及しない(あるいはしにくい)経路を、産業レベルや企業レベルのミクロデータを用いて詳細に分析する研究が求められます。これは、非対称性の原因を特定する上で役立ちます。
3.1.2.2 国ごとの違い
この非対称性は、米国だけでなく他の国でも観察される普遍的な現象なのでしょうか? あるいは、各国の市場構造、競争環境、労働慣行などによって程度が異なるのでしょうか? 国際比較研究を行うことで、非対称性の原因や背景にある構造をより深く理解できる可能性があります。
(参考:米国関税の影響)
米国が特定の輸入品に関税を課す政策(例えば、トランプ政権下で発動された関税)は、輸入価格を直接的に押し上げるインフレ的ショックとなります。このような政策が国内物価にどれだけ波及するか、そしてそれがディスインフレ圧力を相殺する力を持つかといった点は、非対称性の観点からも分析可能です。サマーズ氏が警告するトランプ関税のリスクやトランプ2期目の経済リスクに関する議論も、政策がインフレ的ショックとなりうる例として関連します。3.2 別の視点
3.2.1 部門分析のギャップ
本論文はエネルギーや自動車といった主要な部門別ショックを分析していますが、インフレを考える上で他にも重要な、あるいは特殊な動向を示した部門が存在する可能性があります。
3.2.1.1 過小評価された部門
例えば、サービス部門、特に旅行、外食、医療サービスなどは、財の価格とは異なる動向を示すことが多く、全体のインフレに大きな影響を与えます。これらの部門の価格決定要因(例:人件費の比率、需要の弾力性)をより詳細に分析することで、インフレの全体像がより明確になるでしょう。
3.2.1.2 テクノロジーと不動産
テクノロジーの進化は、特定の製品(例:電子機器、ソフトウェア)の価格を持続的に押し下げるディスインフレ圧力となり得ます。一方、不動産市場(住宅価格、家賃)の動向は、CPIの大きな構成要素であることから、その特殊な市場メカニズム(例:土地供給の制約、金融緩和による影響)を深く分析することは、インフレ理解に不可欠です。前述のゲームソフト価格の例は、テクノロジーの進化が価格に与える影響の一端を示しています。
3.2.2 行動経済学的視点
インフレ期待や価格設定行動には、必ずしも合理的な経済主体を前提とした新古典派的なアプローチだけでは捉えきれない、行動経済学的な要素が含まれている可能性があります。
3.2.2.1 インフレの消費者認識
消費者は、実際に価格が上昇した品目(例:ガソリン、食料品)の印象に引きずられ、全体のインフレ率を過大に認識する傾向があることが知られています。このような消費者のインフレ認識が、賃金要求や消費行動にどのように影響するかを分析することも重要です。
3.2.2.2 中央銀行への信頼
中央銀行の政策に対する人々の「信頼」(Trust)は、長期インフレ期待のアンカーリングにおいて決定的な役割を果たします。もし政治的な介入などによって中央銀行の独立性(ベッセント財務長官とFRBの独立性に関する議論、トランプ政権下でのFRB独立性リスク)が脅かされると、信頼が損なわれ、期待が不安定化するリスクが高まります。この信頼という非合理的な、あるいは制度的な要素を行動経済学や政治経済学の視点から分析することも、インフレ研究の重要な方向性です。
3.3 政策と社会的側面
3.3.1 労働市場冷却のトレードオフ
本論文が示唆するように、インフレを目標に戻すには労働市場のさらなる冷却が必要である場合、FRBはインフレ抑制と失業率上昇という痛みを伴うトレードオフに直面します。このトレードオフをどのように管理するか、あるいは「ソフトランディング」をいかに実現するかが、政策当局にとって最大の課題です。
FRBの「3-3-3プラン」とは?
ベッセント財務長官の「3-3-3プラン」のように、インフレ率3%、経済成長率3%、政策金利3%といった具体的な目標を掲げる考え方もありますが、これは歴史的経験や労働市場の現状に照らして現実的かどうか、あるいはFRBのデュアル・マンデート(物価安定と最大雇用)とどのように整合するのか、といった議論が必要です。3.3.2 分配的影響
インフレやその抑制策は、社会全体に均等な影響を与えるわけではありません。インフレは、特に賃金が上がりにくい低所得者層や年金生活者の購買力を低下させます。一方、インフレ抑制のための金融引き締めは、住宅ローン金利上昇や資産価格の下落を通じて、特定の層に大きな影響を与える可能性があります。
3.3.2.1 低賃金労働者
V/U比の低下による労働市場の冷却は、特に交渉力の弱い低賃金労働者にとって賃金上昇の鈍化、あるいは雇用の不安定化につながる可能性があります。インフレ抑制策が、社会的な不平等を拡大させないような配慮が求められます。
3.3.2.2 地域間格差
米国内でも、地域によって産業構造や労働市場の状況は大きく異なります。インフレや金融引き締めの影響が、地域間で異なる可能性も考慮する必要があります。
(コラム:FRB議長の大変さ)
FRBの議長や理事の方々の会見や議会証言を見ていると、本当に大変な仕事だなと感じます。物価を安定させ、雇用を最大化するという二つの目標を同時に達成しようとするのは至難の業です。経済は生き物のように常に変化し、予測不能なショックも発生します。そんな中で、膨大なデータと複雑なモデル、そして様々な学術的な見解(本論文のようなものも含め)を考慮しながら、金融政策という「舵」をどのように取るべきかを判断しなければなりません。しかも、その決定は全米、いや世界の経済に大きな影響を与えるのですから、プレッシャーは計り知れないでしょう。時には政治的な圧力(トランプ政権下でのFRB独立性への議論などを考えると)とも向き合わなければなりません。政策の裏側にある、人々の苦悩や責任の重さを想像すると、エコノミストとして身が引き締まる思いです。
第4章:歴史的位置づけ
今回のポストコロナ・インフレを歴史的な文脈で捉えることで、その独自性や学ぶべき教訓がより明確になります。インフレとの闘いは、経済学の長い歴史における重要なテーマの一つです。
4.1 インフレターゲティングの進化
インフレターゲティングとは、中央銀行が特定のインフレ率を目標として公表し、その達成に向けて金融政策を運営する枠組みです。1990年代以降、世界中の多くの中央銀行で採用され、インフレを低く安定させることに貢献してきました。1990年代から2020年代にかけてのインフレターゲティングの進化を振り返ることは、FRBが現在どのような政策運営を行っているかを理解する上で役立ちます。
4.1.1 1990年代から2020年代:グローバルな採用
4.1.1.1 ニュージーランドとカナダの先駆
インフレターゲティングを最初に本格的に導入したのは、1990年代初頭のニュージーランドやカナダでした。これらの国での成功事例が、他の先進国や新興国にも広がるきっかけとなりました。
4.1.1.2 低インフレ環境での課題
インフレターゲティングは、おおむね成功を収め、多くの国で低く安定したインフレ環境をもたらしました。しかし、リーマンショック後の長期間にわたる低金利・低インフレ環境では、逆にインフレ率が目標を下回る状態が続き、「物価が上がらない」ことが課題となりました。FRBもこの時期、2%目標の達成に苦慮しました。
4.1.2 戦後インフレの事例
歴史をさらに遡ると、戦争や経済の混乱期には、現代からは想像もできないような高率のインフレが発生した事例があります。
4.1.2.1 日本のハイパーインフレと回復
日本の戦後には、物資不足と財政規律の緩みから激しいインフレ(ハイパーインフレ)が発生しました。その後、緊縮財政や産業復興に向けた政策(傾斜生産方式など)によってインフレは収束に向かいましたが、その過程は決して容易なものではありませんでした。この経験は、インフレ抑制には金融政策だけでなく財政規律も重要であること、そして供給能力の回復が不可欠であることを示唆しています。
4.1.2.2 ベルギーの「グット作戦」
第二次世界大戦後のベルギーで行われた「グット作戦」(Operatie Gutt)は、インフレ抑制のための大胆な金融改革として知られています。通貨供給量を大幅に削減し、国民の預金を一時的に凍結するなど厳しい措置をとることで、戦後インフレを早期に収束させることに成功しました。これは、フィンランドの通貨切断(Setelinleikkaus)など他の国の戦後金融改革と比較されることもあります。これらの事例は、インフレが深刻化した場合、非伝統的で思い切った政策が必要になる可能性を示唆しています。
「グット作戦」の詳細
1944年に行われたベルギーの「グット作戦」は、戦時中に膨張した通貨供給量を一気に引き締め、物価の安定を図ることを目的としました。旧紙幣の流通を停止し、新紙幣への交換を制限しました。一部の預金は凍結され、後に戦費調達や復興費用に充てられました。この措置は国民生活に大きな影響を与えましたが、インフレを早期に抑制し、その後のベルギー経済の安定成長の基盤を作ったと評価されています。4.2 過去の米国インフレとの比較
4.2.1 1970年代のオイルショック
米国は1970年代に、オイルショックをきっかけとした激しいインフレに見舞われました。この時期のインフレは、エネルギー価格の高騰という供給ショックに加え、賃金・物価スパイラル、そしてFRBの金融引き締めが遅れたことなどが要因でした。当時のFRBは、高インフレと高失業率が共存するスタグフレーションという困難な状況に直面しました。ポール・ボルカー議長の下でFRBが断固たる金融引き締め(政策金利を20%近くまで引き上げ)を行った結果、インフレは抑制されましたが、その過程で深刻な景気後退を経験しました。ポストコロナ・インフレもエネルギー価格の高騰が要因の一つでしたが、1970年代と比べて労働市場や供給構造、そして金融政策の枠組み(インフレターゲティングの確立など)は変化しています。本論文の分析は、これらの違いを考慮して行われています。
4.2.2 金融危機後の低インフレ時代
2008年のリーマンショックとその後の世界金融危機を経て、米国経済は長期にわたる低成長・低インフレの時代を経験しました。FRBは政策金利をゼロ近くまで引き下げ、大規模な量的緩和を行いましたが、なかなか2%のインフレ目標を達成できませんでした。この時期には、伝統的なフィリップス曲線(失業率が下がるとインフレ率が上がる関係)が見られなくなり、「フィリップス曲線がフラット化した」「消滅した」といった議論も盛んに行われました。これは、労働市場が以前ほどインフレに結びつかなくなったことを示唆していました。本論文が分析するポストコロナ・インフレは、この低インフレ時代から一転して起こった高インフレであり、フィリップス曲線の形状や労働市場とインフレの関係性が再び注目されるきっかけとなりました。
4.2.2.1 フィリップス曲線の崩壊
「フィリップス曲線の崩壊」とは?
金融危機後、米国では失業率が低下してもインフレ率がほとんど上昇しない状態が長く続きました。これは、経済学で一般的に想定されてきた失業率とインフレ率のトレードオフ関係(フィリップス曲線)が見られなくなったように見えたため、「フィリップス曲線の崩壊」あるいは「フラット化」と呼ばれました。その原因としては、グローバル化による賃金競争の激化、労働組合の影響力の低下、企業の価格設定行動の変化などが議論されました。4.2.2.2 2020年代への教訓
金融危機後の低インフレ時代は、「インフレは簡単に起こらない」という認識を強め、一部ではFRBの金融緩和が長期化する要因ともなりました。しかし、ポストコロナの経験は、一旦インフレが加速すると、それを抑え込むのがいかに大変かという、1970年代の教訓を改めて思い起こさせました。本論文は、この両極端な経験を踏まえ、現代のインフレメカニズムを解明しようとする試みとして位置づけられます。
4.3 ポストコロナのインフレ動向
4.3.1 2021-22年の独自性
ポストコロナのインフレは、過去のどの事例とも異なるいくつかの独自性を持っています。まず、パンデミックという公衆衛生危機が経済活動に直接的な制約をもたらした点。次に、財政・金融政策の規模が歴史的に見て極めて大きかった点。そして、グローバルサプライチェーンの混乱が世界中の供給能力に同時多発的に影響した点です。これらの要因が複雑に組み合わさったことが、今回のインフレの急速な上昇と高水準をもたらしました。
4.3.2 グローバルサプライチェーンの役割
グローバル化が進んだ現代において、サプライチェーンの混乱は単なる国内問題ではなく、世界中の生産・物流に影響を与えます。半導体不足が世界の自動車生産を滞らせたように、特定のボトルネックが広範な価格上昇を招く可能性があります。今回のインフレでは、このグローバルサプライチェーンの脆弱性が改めて浮き彫りになりました。本論文が部門別ショックを重視する背景には、このような現代経済の特徴があります。
(コラム:歴史は繰り返す、でも少し違う?)
経済学を学んでいると、「歴史は繰り返す」という言葉をよく耳にします。1970年代のスタグフレーションと今回のインフレを比較すると、エネルギー価格の高騰や労働市場の逼迫といった共通点があるのは事実です。でも、細部を見ると全然違うんですよね。例えば、1970年代は賃金スライド制が広範に導入されていて賃金と物価が連動しやすかったけれど、今はそこまでではない。金融政策の枠組みも、当時は明確なインフレ目標がなかったけれど、今は多くの国がインフレターゲティングを採用している。それに、グローバル化の度合いも全く違います。だから、歴史から学ぶことはたくさんあるけれど、過去の成功例や失敗例をそのまま現代に当てはめることはできません。常に「今回はどこが違うんだろう?」と考える姿勢が大切だと感じます。この論文も、過去の知見を踏まえつつ、ポストコロナという新しい状況を理解しようとする試みであり、まさに歴史を学びつつ、今を解読しようとしているのだと思います📖。
第5章:日本への影響
米国経済、特にインフレや金融政策の動向は、日本経済にとって最も重要な外部要因の一つです。本論文で分析されている米国インフレのメカニズムや今後の見通しは、日本経済にも様々な影響をもたらします。
5.1 貿易と通貨の動向
米国のインフレが続くと、FRBは金融引き締め(利上げ)を継続する傾向が強まります。一方、日本銀行は、日本経済の状況やインフレ目標の達成状況を見て金融政策を決定します。日米間の金融政策スタンスの違いは、金利差の拡大観測を通じて為替レートに大きな影響を与えます。
5.1.1 円・ドル為替レートの圧力
米国の金利が日本の金利よりも高い状態が続くと、より高い利回りを求めて円を売ってドルを買う動きが強まり、円安ドル高が進みやすくなります。ポストコロナ期にも、FRBの積極的な利上げを背景に急速な円安ドル高が進行し、日本の家計や企業に大きな影響を与えました。本論文で指摘されているように、米国のインフレが根強く、FRBが早期に利下げに転じにくい状況が続くのであれば、円安圧力は継続する可能性があります。
5.1.1.1 米国関税政策の影響
もし米国が再び保護主義的な貿易政策(関税引き上げなど)を強化する場合、これは日米間の貿易に直接影響を与えるだけでなく、為替レートにも影響を及ぼす可能性があります。トランプ関税が招く「トリプル安」(株安、ドル安、円安)といった議論もあり、貿易政策と為替レート、さらにはインフレとの複雑な関係を理解することが重要です。
5.1.1.2 日本銀行の2%目標の課題
急速な円安は輸入物価を押し上げ、日本の物価上昇圧力となります。これは、日本銀行が掲げる2%のインフレ目標の達成に寄与する側面もありますが、原材料価格の上昇は企業のコストを増加させ、国内需要を抑制する可能性もあります。円安が日本の「良いインフレ」(賃金上昇を伴う持続的な物価上昇)につながるか、「悪いインフレ」(コスト増による物価上昇)に留まるかは、日銀の政策運営や国内の賃金動向にかかっています。
日本銀行の2%目標
日本銀行は、消費者物価上昇率(除く生鮮食品)で前年比2%という物価安定の目標を掲げています。この目標を持続的・安定的に達成するために、大規模な金融緩和などの政策を実施してきました。米国のインフレや金融政策は、日銀がこの目標達成に向けた道のりを判断する上で常に考慮される重要な外部環境です。5.1.2 輸出セクターの脆弱性
円安は一般的に日本の輸出企業にとっては追い風となりますが、グローバルなサプライチェーンの混乱や米国を含む主要市場の景気動向は、輸出セクターに大きな影響を与えます。
5.1.2.1 自動車と電機
日本の主要な輸出産業である自動車や電機製品は、米国の景気動向やサプライチェーンの問題に左右されやすい構造にあります。米国のインフレ抑制のための景気減速懸念は、これらの産業の輸出に逆風となる可能性があります。
5.1.2.2 サプライチェーンの混乱
コロナ禍で浮き彫りになったグローバルサプライチェーンの脆弱性は、日本企業にとっても大きな課題です。海外からの部品調達の遅れやコスト上昇は、国内生産や輸出に影響を与えます。本論文で指摘されているような部門別ショックの非対称性は、日本の輸入コストにも同様に影響を与える可能性があります。
5.2 労働市場の比較
米国と日本では、労働市場の構造や課題が大きく異なりますが、米国の経験から日本が学ぶべき点もあります。
5.2.1 日本の低いV/U比
米国がコロナ禍後にV/U比を大きく上昇させたのに対し、日本の労働市場はそこまで逼迫度は高くありませんでした。これは、日本は米国ほど積極的な人員整理が行われず、企業の雇用維持努力が強かったこと、そして労働参加率の回復が比較的スムーズだったことなどが背景にあると考えられます。また、求人数と失業者数のミスマッチの構造も異なる可能性があります。
5.2.2 構造的違い
5.2.2.1 高齢化する労働力
日本は米国に比べて少子高齢化が著しく進行しており、労働力人口の減少や高齢化が労働市場の構造的な課題となっています。これは、労働力不足という点ではインフレ圧力となりうる側面もありますが、賃金上昇のメカニズムや労働市場の柔軟性といった点で米国とは異なります。
5.2.2.2 ギグエコノミーの動向
米国で近年拡大しているギグエコノミー(フリーランスや短期契約で働く形態)は、労働市場の柔軟性を高める一方で、労働者の権利や社会保障、そして統計上の捕捉を難しくするといった課題も抱えています。日本でもこうした働き方は広がりつつあり、米国でのV/U比分析の知見を、日本の労働市場分析に応用する際には、こうした構造的な違いを考慮する必要があります。
5.3 日本への政策教訓
5.3.1 グローバルインフレへのBOJの対応
日本銀行(BOJ)は、米国のインフレやFRBの政策動向を常に注視しながら、日本の金融政策を決定しています。円安による輸入インフレが国内物価を押し上げる中で、BOJは金融緩和政策の修正(イールドカーブ・コントロールの柔軟化やマイナス金利解除など)に踏み切りました。本論文で指摘されているような、労働市場の逼迫度合いやショックの非対称性といった要因は、BOJがインフレ見通しや政策判断を行う上でも参考になるはずです。
5.3.2 輸入インフレの軽減
5.3.2.1 エネルギー価格の影響
日本はエネルギー資源の多くを輸入に依存しているため、国際エネルギー価格の変動は日本の物価に大きな影響を与えます。インフレ的ショックの非対称性という知見は、たとえ国際価格が下がっても、すぐに国内価格に反映されない可能性を示唆しており、政府や企業が輸入インフレを軽減するための政策(例:エネルギー補助金、省エネルギー促進)を検討する上で考慮すべき点です。
5.3.2.2 貿易政策の調整
グローバルサプライチェーンの脆弱性に対応し、安定的な供給を確保するための貿易政策や産業政策も重要となります。特定の必需品(食料、医療品、重要鉱物など)の国内生産や備蓄、サプライチェーンの多様化などを進めることは、将来的な供給ショックによるインフレリスクを低減させることに繋がります。
(コラム:円安って、一体誰のため?)
米国のインフレとFRBの利上げがもたらした急速な円安は、日本のニュースでも大きく取り上げられました。製造業で海外に工場を持つ友人からは、「部品の輸入コストが跳ね上がって大変だ」という話を聞く一方、海外に製品を輸出している別の友人からは、「円換算の売上が増えて助かっている」という対照的な話も聞きました。円安は、このように経済の中で「得をする人」と「損をする人」を生み出します。特に、食料品やエネルギーなど生活必需品の多くを輸入に頼っている私たち一般消費者にとっては、円安は物価上昇として家計に直接的な打撃となります。日本の金融政策は、この円安の影響も考慮しながら進められていますが、米国の経済動向や政策判断が、私たち日本人の生活にこれほどダイレクトに影響するのだと改めて実感させられました。
第6章:政策とグローバルな視点
ボール=リー=ミシュラ論文の知見は、FRBの政策運営だけでなく、財政政策との連携、そしてグローバルな経済協力の重要性にも示唆を与えます。
6.1 連邦準備制度の課題
FRBは法律で定められた二つの目標、すなわち物価の安定と最大限の雇用の達成を目指しています。しかし、本論文の分析が示すように、特にインフレを目標水準に戻す過程では、この二つの目標の間で難しいトレードオフに直面する可能性があります。
6.1.1 インフレと失業のバランス
V/U比を正常化させる過程で、もしベバリッジ曲線の内向きシフトが止まってしまった場合、失業率をある程度上昇させなければインフレを抑制できないかもしれません。どの程度の失業率上昇を許容できるのか、あるいはソフトランディング(失業率を大きく上げずにインフレを抑制すること)の可能性をどのように判断するのかは、FRBにとって極めてデリケートな判断となります。
6.1.1.1 2%目標をめぐる議論
一部では、インフレ目標を現在の2%から3%などに引き上げるべきだという議論も出ています。これは、より高いインフレ目標であれば、労働市場をそれほど冷やさなくても達成できるため、失業率上昇のリスクを減らせるという考え方に基づいています。しかし、目標を引き上げるとインフレ期待のアンカーリングが損なわれ、かえってインフレが不安定化するリスクも指摘されており、FRBは慎重な姿勢を崩していません。
6.1.1.2 労働市場冷却戦略
FRBの労働市場冷却戦略は、主に需要抑制を通じて企業が新規採用を減らし、求人数が減少することを目指すものです。従業員のレイオフを直接の目標とするのではなく、求人数の減少を通じてV/U比を下げるというアプローチは、失業率上昇を最小限に抑えることを狙ったものです。この戦略が成功するかどうかは、今後のベバリッジ曲線の動向にかかっています。
6.1.2 FRBの独立性への脅威
FRBがその使命を果たすためには、政治的な圧力から独立して政策を決定できる中央銀行の独立性が不可欠です。歴史的に見ても、政治的な思惑が金融政策に介入した結果、インフレが深刻化した事例が多くあります。
6.1.2.1 トランプ政権下の政治的圧力
ドナルド・トランプ前大統領は、FRBに対して公然と利下げを要求するなど、中央銀行の独立性を軽視する姿勢を示しました。仮に再びそのような圧力が強まる場合、FRBがインフレ抑制という難しい仕事を行う上で、その信頼性や有効性が損なわれるリスクがあります。トランプ2期目の経済リスクやベッセント財務長官に関する議論は、このリスクを具体的に示しています。
6.1.2.2 ベッセントの「3-3-3プラン」の影響
具体的な政策提案の形をとったとしても、それがFRBの独立性を侵害するようなものであれば、市場の混乱を招き、政策効果を損なう可能性があります。中央銀行の独立性を保護することは、物価安定という公共財を守る上で極めて重要です。
中央銀行の独立性の重要性
中央銀行の独立性とは、政府や政治からの介入を受けずに、物価安定などの目的のために金融政策を自律的に決定・実施できる権限と地位を指します。独立性が保たれることで、中央銀行は短期的な政治的圧力に屈することなく、長期的な視点から経済全体の安定を目指した政策運営を行うことが可能になります。6.2 財政政策との相互作用
金融政策は経済を安定させる上で重要な役割を果たしますが、万能ではありません。特に大規模なインフレに直面した場合、財政政策との適切な連携が不可欠となります。
6.2.1 トランプの関税と財政赤字政策
もし、将来再び大規模な財政赤字拡大政策と保護主義的な関税政策(サマーズ氏の警告)が同時に行われる場合、これは強い需要刺激と供給制約の強化という、インフレを加速させる二重の圧力を生み出す可能性があります。
6.2.1.1 ハイパーインフレのリスク
経済学では、財政規律が緩み、中央銀行が財政赤字をファイナンスするために貨幣を大量に発行せざるを得なくなる状況が続くと、最終的にハイパーインフレにつながるリスクがあることが知られています。これは極端なシナリオですが、財政政策と金融政策の連携が適切でない場合の潜在的な危険性を示しています。
6.2.1.2 サマーズのドル信認警告
ラリー・サマーズ元米財務長官は、無責任な財政政策や保護主義的な政策が、国際社会における米ドルの信認を損ない、「ドル崩壊」につながる可能性すら警告しています。ドルの信認低下は、国際取引コストの上昇や米国債の魅力低下を招き、インフレ圧力を高める要因となり得ます。
6.2.2 グローバル貿易の影響
インフレは国内要因だけでなく、グローバルな貿易やサプライチェーンの状況にも大きく影響されます。
6.2.2.1 サプライチェーンのレジリエンス
パンデミックで明らかになったグローバルサプライチェーンの脆弱性に対応するため、企業や政府はサプライチェーンのレジリエンス(回復力)を高める努力を続けています。これは、生産拠点の分散化や国内回帰(リショアリング)、友好国への移転(フレンドショアリング)といった形で現れる可能性があります。これらの動きは、コスト増を招く可能性がありますが、将来的な供給ショックによるインフレリスクを低減させる効果も期待できます。
6.2.2.2 中国の役割
中国は世界の工場として、長年グローバルなディスインフレ圧力源の一つとなってきました。しかし、中国国内の賃金上昇や構造変化、そして米中関係の緊張などが、この状況を変化させる可能性があります。中国経済の動向は、今後のグローバルなインフレ環境を占う上で重要な要素です。
6.3 グローバルなインフレ制御の教訓
インフレとの闘いにおいて、過去の国際的な経験から学ぶべき点は多くあります。
6.3.1 戦後ベルギーの成功
前述のベルギーの「グット作戦」は、深刻な戦後インフレに対して、金融引き締めと財政改革を組み合わせた強力な政策が有効であったことを示しています。もちろん、現代経済にそのまま応用できるわけではありませんが、強い政治的意思と包括的な政策パッケージが必要となる局面があることを示唆しています。
6.3.2 フィンランドの通貨切断実験
戦後のフィンランドで行われた通貨切断(Setelinleikkaus)も、ハイパーインフレを抑え込むための非常手段でした。これは、流通している紙幣の価値を物理的に(例えば半分に)引き下げるという極めて非伝統的な政策です。このような極端な措置は、インフレ期待を強制的にリセットする効果を持つ可能性が理論的には考えられますが、国民生活に甚大な影響を与え、社会的な信頼を損なうリスクも伴います。フィンランドのSetelinleikkausに関する記事も参考にしてください。
6.3.2.1 セテリンライカウスの成果
セテリンライカウスの成果について
1946年に行われたフィンランドのセテリンライカウスは、物価高騰と通貨膨張を抑えるための措置でした。全ての紙幣の価値を半分に切り下げることで、実質的な通貨量を削減しました。これは国民の資産に直接影響を与える厳しい政策でしたが、インフレ期待を冷やす効果があったと考えられています。しかし、経済全体への影響は複雑であり、他の財政・金融政策との組み合わせが重要でした。6.3.2.2 現代的関連性
もちろん、現代の米国や日本でこのような通貨切断のような極端な政策が採用される可能性は非常に低いでしょう。しかし、これらの歴史的な事例は、通常の政策では対応しきれないほどのインフレが発生した場合、非伝統的で想像もつかないような措置が議論される可能性もゼロではないということを示唆しており、物価安定の重要性を改めて認識させてくれます。
(コラム:経済政策は「手術」のようなもの)
学生時代、経済政策の授業で「経済政策は医療行為に似ている」という話を聞いたことがあります。例えば、インフレという「病気」に対して、金融引き締めという「手術」を行う。手術は病気を治すために必要だけれど、体に負担もかかる(景気減速や失業率上昇)。どのタイミングで、どれくらいの強さの手術を行うか、そして手術後の回復をどう支えるか(リハビリ、投薬)を、医師(政策立案者)は患者(経済)の状態を見ながら慎重に判断しなければならない。過去の症例(歴史的なインフレ事例)も参考にしながら、患者固有の体質(経済構造、社会構造)も考慮に入れる必要がある。そして、外科医の腕(政策執行能力)も問われます。さらには、手術に対する患者の「信頼」(中央銀行への信頼、期待のアンカーリング)も予後に影響するという点まで考えると、なんだか人間の医療とそっくりだなと思います。今回の米インフレは、まさに経済全体の大手術でした。この論文は、その手術がなぜ必要で、どう行われ、今後どうなるか、そして他の患者(日本など)への影響はどうか、といった点を分析した「カルテ」のようなものなのかもしれません🏥。
第7章:潜在的読者のために
本書は幅広い読者層を想定して書かれています。あなたがどのような立場であっても、本書から何かを得られるように工夫しました。
7.1 研究者と学術関係者
7.1.1 理論的・実証的洞察
最新のNBER論文に基づいている本書は、ポストコロナ・インフレに関する最先端の研究動向を理解するための出発点となります。ボール=リー=ミシュラ枠組みの理論的背景、実証分析の手法、そしてデータに関する詳細な議論は、ご自身の研究を進める上での貴重なインサイトを提供するでしょう。
7.1.2 探求すべき研究のギャップ
特に第3章の「本論文に対する疑問点・多角的視点」と第8章の「今後の研究課題」は、まだ十分に解明されていない研究のフロンティアを示しています。非線形性、非対称性のメカニズム、ベバリッジ曲線の構造変化、期待形成、グローバルな波及など、これらのテーマは今後の経済学研究における重要な方向性であり、あなたの研究テーマを見つける上でのヒントとなるはずです。
7.2 政策立案者
7.2.1 中央銀行の戦略
FRBや日本銀行など、中央銀行で金融政策に携わる方々にとって、本書はインフレ分析の最新フレームワークと政策的な示唆を提供します。特に、V/U比などの労働市場指標をどのように解釈し、それがインフレ予測や政策判断にどう繋がるのか、インフレ期待のアンカーリングの重要性、そしてショックの非対称性が政策効果に与える影響といった点は、日々の業務に直結する知見となるでしょう。
7.2.2 財政・金融政策の調整
政府機関で財政政策や産業政策に携わる方々にとっても、本書は金融政策との相互作用や、サプライチェーン、貿易政策といった供給側の要因がインフレに与える影響を理解する上で有用です。インフレ抑制のためには、金融政策だけでなく、財政規律や供給能力強化に向けた政策も重要であるという視点が得られるはずです。
7.3 一般読者
経済学を専門としない方々にとっても、本書は現代経済の最も重要な課題の一つであるインフレを理解するための格好の入門書となります。難解な数式は避け、具体的な例やたとえ話を交えながら、インフレがなぜ起こり、どのように私たちの生活に影響するのかを分かりやすく解説しています。
7.3.1 インフレの影響の理解
ガソリン価格、食料品、電気代、家賃...。日々の生活で感じる物価の上昇が、経済全体の中でどのようなメカニズムで起こっているのかを理解することで、漠然とした不安を和らげ、冷静に状況を判断できるようになります。例えば、ゲームソフトの価格のように、身近な商品の価格がインフレと比べてどうなのか、といった視点も提供します。
7.3.1.1 消費者物価(例:ゲームソフト)
本書では、一般的なインフレ指標だけでなく、ゲームソフトのような特定の商品の価格動向も例として取り上げます。これにより、抽象的な統計数値だけでなく、具体的な身近なモノの価格がインフレ全体の中でどのような位置づけにあるのかを理解できます。
7.3.1.2 労働市場の動向
V/U比やベバリッジ曲線といった労働市場の指標は、一見難しく見えるかもしれません。しかし、これらは企業がどれだけ人を雇いたがっているか、そして仕事を探している人がどれだけ職を見つけやすいか、といった私たちの雇用や賃金に直結する状況を示しています。労働市場がインフレにどう繋がるかを理解することは、景気全体を把握する上で役立ちます。
7.3.2 政策議論への参加
FRBの金融政策決定会合の結果や、政府の経済対策などがニュースで報じられる際、本書で得た知識があれば、その背景にある議論や意図をより深く理解できるようになります。経済に関する公共の議論に、主体的に関わっていくための基盤が得られるでしょう。
7.3.2.1 制度への信頼
中央銀行の独立性(FRBの独立性に関する議論など)がなぜ重要なのか、政策当局が直面している困難さは何かを理解することで、経済制度に対する信頼を醸成し、不確実な時代において冷静な判断を下す助けとなります。
7.3.2.2 グローバル経済の意識
米国経済の動向が、日本を含む世界全体にどのように波及するのかを知ることで、グローバル経済の一員としての意識が高まります。海外で起きていることが、遠い国の出来事ではなく、自分たちの生活にも繋がっていることを実感できるでしょう。
(コラム:経済は私たちの「物語」)
経済学というと、難解なグラフや数式が出てきて、自分には関係ない世界の出来事のように感じる方もいらっしゃるかもしれません。でも、経済は私たち一人ひとりの日々の選択や行動の積み重ねでできています。朝起きて、何を食べようか、どんな服を着ようか、どこへ行こうか。働いて、お給料をもらって、何に使おうか。企業は、どんな商品を作って、どれくらいの値段で売ろうか、誰を雇おうか。これら一つ一つの行動が、市場で「価格」という形で集約され、経済全体の流れを作っていきます。インフレという現象も、こうした無数の選択や行動が織りなす「物語」の一つです。この本を通じて、その物語の主要な登場人物(V/U比、期待、ショック)や舞台(労働市場、特定産業)、そして物語の結末(インフレの未来)を一緒に読み解いていくような気持ちで、楽しんでいただけたら嬉しいです😊📚。
第8章:今後の研究課題
ボール=リー=ミシュラ論文はポストコロナ・インフレ理解に重要な一歩を提供しましたが、まだ多くの謎が残されています。今後の経済学研究で探求されるべき主要な課題をいくつか提示します。
8.1 V/U枠組みの精緻化
8.1.1 非線形モデリング
V/U比とインフレの非線形な関係性の証拠は示唆されていますが、その統計的な頑健性を高め、最適な関数形を特定するためのより洗練された計量経済学的手法が必要です。労働市場の逼迫がインフレ圧力を「加速」させる具体的な閾値やメカニズムを特定することは、政策当局が金融引き締めをいつ、どれくらいの強さで停止すべきかを判断する上で役立ちます。
8.1.1.1 計量経済学的仕様
V/U比やインフレ期待、部門別ショックといった変数間の複雑な相互作用を適切に捉えるための、より高度な時系列モデルやパネルデータモデルの開発が必要です。これらのモデルを通じて、各要因のインフレへの寄与度をより正確に分離することが求められます。
8.1.1.2 機械学習の応用
近年発展が著しい機械学習の手法(例:様々な非線形関数形を柔軟に探索するアルゴリズム)を応用することで、V/U比とインフレの関係における非線形性や複雑なパターンを検出できる可能性があります。これは、従来の線形モデルでは捉えきれなかったインフレ dynamics を解明する新たな道を開くかもしれません。
8.1.2 ショックの非対称メカニズム
インフレ的ショックとディスインフレ的ショックの非対称性がなぜ生じるのか、その背後にあるミクロレベルのメカニズム(企業行動、価格設定戦略、消費者心理など)を解明することが喫緊の課題です。大規模な企業データや消費者の行動データを分析する研究が必要です。
8.1.2.1 部門別波及分析
産業連関表や部門別の詳細な価格・コストデータを用いて、特定のショックが経済全体に波及する経路(サプライチェーンを通じてのコスト転嫁など)を定量的に分析することで、非対称性の要因を特定できる可能性があります。
8.1.2.2 行動経済学的洞察
行動経済学の知見(例:プロスペクト理論における損失回避、認知バイアス)を応用し、企業や消費者が価格変動に対して非対称な反応を示す理由を実験やサーベイを用いて探求することも有効です。中央銀行への信頼(FRB独立性など)といった制度的要因が期待形成や価格設定行動に与える影響も、この視点から分析可能です。
8.2 グローバルな波及研究
米国インフレが世界経済に与える影響、特に金融政策の波及効果、サプライチェーンを通じた影響、そして為替レートを介した影響について、より精緻な国際マクロ経済モデルを用いた分析が必要です。
8.2.1 米国-日本の経済的連関
米国のインフレ動向やFRBの政策が、日本の物価、賃金、雇用、そして日銀の金融政策に具体的にどのような影響を与えているかを定量的に分析する研究は、日本の政策当局にとっても重要です。特に、円安による輸入インフレのメカニズムや、それが国内物価・賃金にどこまで転嫁されるかといった点は継続的な研究が必要です。
8.2.2 新興市場の脆弱性
米国の金融引き締めは、ドル建て債務を抱える新興市場国にとって大きな負担となります。米国のインフレ動向が、これらの国の資本フロー、為替レート、そして国内インフレにどのように影響するかを分析することも、グローバルな金融安定性の観点から重要です。
8.3 新たな課題
経済環境は常に変化しており、新たな構造変化やショックがインフレに影響を与える可能性があります。
8.3.1 気候変動による価格ショック
近年、気候変動は物理的な影響(異常気象による農作物不作、インフラ破壊)や移行リスク(脱炭素化へのコスト)を通じて、物価に影響を与え始めています。これらは将来的な供給ショックの源泉となる可能性があり、気候変動がインフレに与える影響を分析する研究が必要です。
8.3.1.1 エネルギー転換のコスト
再生可能エネルギーへの転換には巨額の投資が必要であり、一時的にエネルギーコストを押し上げる可能性があります。また、化石燃料への投資不足が供給制約を生むといったリスクも議論されています。エネルギー転換とインフレの関係は、今後の重要な研究テーマです。
8.3.1.2 農業への影響
異常気象は農作物の生産量を不安定にし、食料価格の変動を通じて全体のインフレに影響を与えます。気候変動が農業生産や食料サプライチェーンに与える影響を分析することは、食料インフレを理解する上で不可欠です。
8.3.2 テクノロジーと労働市場の変革
AIや自動化といったテクノロジーの発展は、労働市場の構造を大きく変える可能性があります。特定のスキルの需要減少や、労働者の交渉力への影響などを通じて、インフレ dynamics に影響を与えるかもしれません。特に、ギグエコノミーの拡大など、働き方の変化がV/U比や賃金決定メカニズムにどう影響するかといった点は、継続的な分析が必要です。
8.3.2.1 AIと自動化
AIや自動化が進むことで、特定の職種の需要が減少したり、労働者の代替が進んだりすれば、賃金上昇圧力が抑制される可能性があります。一方で、特定の高度スキルを持つ人材の需要が急増し、その分野での賃金上昇が起こるといった、複雑な影響が考えられます。
8.3.2.2 ギグエコノミーの影響
ギグエコノミーの拡大は、統計上の失業率や求人数では捉えにくい労働供給や労働条件を生み出しています。V/U比などの伝統的な指標が、現代の労働市場の逼迫度合いをどこまで正確に捉えているのか、といった点も今後の研究課題です。
(コラム:未来のインフレはどうなる?)
研究者として、いつもワクワクするのは「これから何が起こるんだろう?」と考える時です。ポストコロナのインフレは、過去の常識が通用しない部分も多く、新しい研究のフロンティアをたくさん開いてくれました。例えば、気候変動がインフレにどう影響するか? AIが私たちの働き方や物価をどう変えるか? こうした問いに答えるには、経済学だけでなく、気候科学や情報科学といった他の分野の研究者とも協力する必要が出てくるでしょう。今回のインフレを巡る議論は、経済学がもっと多様な視点を取り入れ、他の学問分野とも積極的に関わっていく必要性を示唆しているようにも感じます。未来の経済を予測するのは難しいけれど、より良い未来のために、解き明かすべき謎はまだまだたくさんあります🧪💡。
第9章:結論
米国におけるインフレの上昇と後退を巡る旅を終えるにあたり、本書の主要な発見を統合し、それが示唆する政策的な意味合いや、より広範な影響について考察します。
9.1 発見の統合
9.1.1 V/U枠組みの強み
ボール=リー=ミシュラ論文の分析は、ポストコロナの米国インフレという複雑な現象を、「長期インフレ期待」「労働市場の逼迫度(V/U比)」「部門別ショック」という比較的シンプルでありながら強力な枠組みで首尾一貫して説明できることを示しました。特にV/U比は、インフレの上昇・後退両局面における中心的なドライバーであり、その非線形な影響や直接的な影響の可能性は、今後のインフレ分析において重要な視点となるでしょう。これは、従来のフィリップス曲線の考え方を現代の労働市場に合わせてアップデートする試みとして評価できます。
9.1.2 政策とグローバルな教訓
本論文の分析は、FRBがインフレ抑制という目標を達成するためには、労働市場をさらに冷ます必要があること、そしてその過程が失業率の上昇を伴うかはベバリッジ曲線の動向にかかっていることを明確に示唆しています。また、インフレ的ショックとディスインフレ的ショックの非対称性は、インフレ抑制が想定よりも困難になる可能性を示しており、政策運営上の注意が必要であることを警告しています。さらに、米国のインフレ動向は、為替レートや貿易、グローバルサプライチェーンを通じて日本を含む世界経済に影響を及ぼしており、国際的な視点からインフレを理解し、政策を調整することの重要性を示しています。
9.2 より広範な影響
9.2.1 経済的安定と公平性
インフレは経済の安定性を損なうだけでなく、社会的な公平性にも関わる問題です。インフレは特に低所得者層の生活を圧迫し、インフレ抑制策としての労働市場冷却は、特に交渉力の弱い労働者に影響を与える可能性があります。経済政策を考える際には、こうした分配的な側面にも十分な配慮が必要です。
9.2.1.1 分配的影響
インフレが所得や資産に与える影響、金融引き締めが住宅や雇用の安定に与える影響は、社会の中で異質性があります。これらの分配的な影響を詳細に分析し、政策設計に反映させる研究が今後さらに重要になります。
9.2.1.2 低賃金労働者の脆弱性
労働市場の逼迫が和らぐ過程で、低賃金労働者が最も脆弱な立場に置かれる可能性があります。インフレ抑制策が彼らの雇用や賃金に与える影響を注視し、必要に応じてセーフティネットや再訓練支援といった政策を講じる必要があります。
9.2.2 中央銀行の独立性
インフレとの闘いにおいて、中央銀行が短期的な政治的圧力から独立して、物価安定という長期的な目標にコミットできることの重要性が改めて浮き彫りになりました(トランプ政権下のリスクなどを踏まえると)。
9.2.2.1 トランプ政権下のリスク
政治家が中央銀行の政策に介入しようとする動きは、市場の信頼を損ない、インフレ期待のアンカーリングを弱める可能性があり、非常に危険です。中央銀行の独立性は、経済の健全性を守るための重要な制度的基盤であり、これを保護するための継続的な努力が必要です。
9.2.2.2 グローバルな政策協調
グローバル化が進んだ現代において、各国の金融政策や財政政策は相互に影響を及ぼします。国際的な政策協調は常に容易ではありませんが、少なくとも主要国間での情報共有や分析の整合性を図ることは、世界経済の安定に貢献するでしょう。
9.3 行動への呼びかけ
9.3.1 政策立案者向け
9.3.1.1 成長とインフレのバランス
インフレ目標の達成は重要ですが、その過程で経済成長を過度に犠牲にしたり、雇用を不必要に損なったりすることは避けるべきです。労働市場の動向を注意深く見守りながら、柔軟かつデータに基づいた政策運営を行うことが求められます。
9.3.1.2 FRBの自治の保護
政策立案者は、物価安定という公共財を守るために、中央銀行の独立性を政治的な圧力から保護する強い意志を持つ必要があります。
9.3.2 研究者向け
9.3.2.1 学際的アプローチ
インフレという複雑な現象を完全に理解するためには、マクロ経済学だけでなく、労働経済学、産業組織論、行動経済学、さらには政治経済学や気候科学といった学際的なアプローチが必要です。研究者は、自身の専門分野に留まらず、広い視野を持つことが求められます。
9.3.2.2 リアルタイムデータ統合
経済は常に動いています。最新のデータを迅速に入手し、分析に組み込む能力は、現実の政策議論に貢献する研究を行う上で不可欠です。また、伝統的な経済統計だけでなく、ビッグデータや高頻度データを活用する新しい手法の開発も重要となります。
(コラム:私たちにできること)
さて、米国インフレという大きなテーマについて、本論文の分析を基に色々と見てきました。正直、経済全体を動かすような大きな力に対して、私たち一人ひとりが直接できることは限られているかもしれません。でも、無力ではありません。まずは、経済の仕組み、インフレがなぜ起こるのか、政策当局は何をしようとしているのか、といったことを「知る」こと。これが第一歩です。そして、学んだ知識を元に、ニュースを批判的に読んだり、周りの人たちと建設的な議論をしたりすること。さらに言えば、選挙を通じて、経済政策に対する考えを持つ政治家を選ぶこと。そして、自分自身の仕事や消費の選択を通じて、労働市場や特定の産業の動向に影響を与えること。これらはすべて、小さな一歩かもしれませんが、私たち一人ひとりが経済という大きな物語の一部を担っている証拠です。この本が、皆さんが経済という世界に関心を持ち続け、より良い未来を共に作っていくための一助となれば、筆者としてこれ以上の喜びはありません✨😊。
付録
A.1 参考文献
A.1.1 学術論文
A.1.1.1 ボール、リー、ミシュラ(2022、2025)
- Ball, Laurence M., Daniel Leigh, and Prachi Mishra. "The Rise of US Inflation: A Puzzle?" Brookings Papers on Economic Activity, Spring 2022.
- Ball, Laurence M., Daniel Leigh, and Prachi Mishra. "The Rise and Retreat of US Inflation: An Update." NBER Working Paper No. 32134, February 2024. NBER / IMF (Ungated)
A.1.1.2 ベニグノ=エガートソン、バーナンキ=ブランシャール
- Benigno, Andrea, and Gauti B. Eggertsson. "Labor Market Frictions and Inflation: A Macroeconomic Model." NBER Working Paper No. 31530, August 2023.
- Bernanke, Ben S., and Olivier Blanchard. "What Caused the US Pandemic-Era Inflation?" NBER Working Paper No. 31471, July 2023.
A.1.1.3 クルーグマンの無原罪のディスインフレ
- Krugman, Paul. "Theories of 'immaculate disinflation'." Paul Krugman's Substack, November 2023. (本書で参照したDopingConsommeBlogの記事はこの議論に基づいています)
A.1.2 政府・政策報告書
- 連邦準備制度(FRB): 公式サイト(FOMC声明、議事要旨、議長会見録など)
- 日本銀行(BOJ): 公式サイト(経済・物価情勢の展望、金融政策決定会合における主な意見など)
- IMF(国際通貨基金): 公式サイト(世界経済見通しなど)
- 米国労働省(BLS): 公式サイト(CPI、JOLTSなど統計データ)
A.1.3 ニュースとブログ
- DopingConsommeBlog:
- 1990年代から2020年代までのインフレターゲティングの進化:展開と課題
- 【やばくね? 】トランプ2期目の経済リスクが洒落にならん件 😱ハイパーインフレ&国債デフォルトの悪夢を読み解く
- 衝撃!サマーズ氏警告「米ドル崩壊の足音?」トランプ関税が招くトリプル安と市場の悲鳴
- #株価急落の裏側:ベッセント財務長官の「意図的」操作か、市場の「自然」な反応か?「3-3-3プラン」の衝撃
- #無原罪のディスインフレの 2 つの理論とその意味: ポール クルーグマン
- #ゲームソフトの価格は本当に高い?インフレと市場の真実を徹底解剖
- #Setelinleikkaus: フィンランド人がインフレを抑制するために現金を半分に切り捨てたとき
- 再起への第一歩「傾斜生産方式」前夜 #日本経済史 #戦後復興(戦後日本のハイパーインフレに関連)
- 主要経済紙(日本経済新聞、Wall Street Journal, Financial Timesなど)のアーカイブ記事
A.2 用語解説
本書で登場する主な専門用語や略称を、初学者の方にも分かりやすく解説します(アルファベット順)。
- アンカーリング (Anchoring)
- インフレ期待が、中央銀行の目標値などの特定水準にしっかりと「定着」している状態。期待が定着していると、一時的な物価変動があってもインフレ率が目標から大きく乖離しにくくなります。詳しくはこちらを参照。
- インフレターゲティング (Inflation Targeting)
- 中央銀行が特定のインフレ率を目標として公表し、その達成を金融政策運営の主たる目的とする枠組み。詳しくはこちらを参照。
- V/U比 (Vacancy-to-Unemployment Ratio)
- 企業の求人数 (Vacancy) を失業者数 (Unemployment) で割った比率。労働市場の逼迫度合いを示す指標として用いられます。V/U比が高いほど、求人数に対して失業者が少なく、企業は人を見つけにくい状況です。詳しくはこちらを参照。
- 帰属家賃 (Owners' Equivalent Rent)
- 持ち家世帯が、もし自分の家に家賃を払うとしたらいくらになるかを仮想的に計算した費用。米国のCPIにおいて大きなウェイトを占めており、住宅関連の物価動向を示す重要な項目です。詳しくはこちらを参照。
- 傾斜生産方式 (Keisha Seisan Hoshiki)
- 日本の戦後復興期に採用された経済政策。石炭や鉄鋼といった基幹産業に資源を集中投下することで、経済全体の生産能力を引き上げようとしました。戦後インフレの収束とも関連します。詳しくはこちらを参照。
- コアインフレ (Core Inflation)
- 消費者物価指数(CPI)などのインフレ指標から、価格変動が大きい食料品やエネルギーといった項目を除いて計算されるインフレ率。基調的な物価変動を捉えるために用いられます。詳しくはこちらを参照。
- 量的緩和 (QE: Quantitative Easing)
- 中央銀行が政策金利をゼロ近くまで引き下げた後でも、市場から国債などの資産を大量に買い取ることで、世の中に供給されるお金の量を増やし、経済を刺激しようとする金融政策の手段。詳しくはこちらを参照。
- ロバストネスチェック (Robustness Check)
- 実証分析の結果が、使用するデータや分析手法の選択に過度に依存していないかを確認するための作業。「頑健性チェック」とも呼ばれます。詳しくはこちらを参照。
- ショックの非対称性 (Asymmetry of Shocks)
- 物価を押し上げる要因(インフレ的ショック)と物価を押し下げる要因(ディスインフレ的ショック)が、インフレ率に与える影響の大きさが異なること。詳しくはこちらを参照。
- スタグフレーション (Stagflation)
- 経済が停滞している(Stagnation)にもかかわらず、物価が上昇している(Inflation)状態。通常は不況期にはインフレ率は低下しますが、スタグフレーション下では高失業率と高インフレ率が同時に発生します。1970年代の米国経済などがその例です。詳しくはこちらを参照。
- 部門別ショック (Sectoral Shocks)
- 経済全体の需要・供給に関わるショックではなく、特定の産業や部門(例:エネルギー、自動車)に特有の供給不足や価格変動など。詳しくはこちらを参照。
- 中央銀行の独立性 (Central Bank Independence)
- 中央銀行が政府や政治からの指示・干渉を受けることなく、自律的に金融政策を決定・実施できること。物価安定を達成するために不可欠とされています。詳しくはこちらを参照。
- ディスインフレ (Disinflation)
- 物価上昇率が低下すること。物価そのものが下がる「デフレ」とは異なり、インフレ率はプラスのままですが、その上昇スピードが遅くなる状態です。詳しくはこちらを参照。
- 非線形フィリップス曲線 (Nonlinear Phillips Curve)
- 失業率とインフレ率の関係が直線的ではなく、特定の領域でその関係性がより強まる(あるいは弱まる)という考え方。労働市場が非常に逼迫すると、インフレ圧力が加速する、といった関係が考えられます。詳しくはこちらを参照。
A.3 用語索引
本書で登場する主要な用語の索引です。ページ番号の代わりに、その用語が初めて解説される章や節のIDにリンクしています。アルファベット順に並んでいます。
- アンカーリング: 1.1.1.1
- インフレターゲティング: 4.1
- V/U比: S.1.2.1
- 帰属家賃: 2.1.2.2
- 傾斜生産方式: 4.1.2.1
- コアインフレ: S.1
- 量的緩和 (QE): I.1.1
- ロバストネスチェック: 2.1.1.2
- ショックの非対称性: 1.3
- スタグフレーション: 4.2.1
- 部門別ショック: S.1.2.1
- 中央銀行の独立性: 6.1.2
- ディスインフレ: I.1.2
- 非線形フィリップス曲線: 1.2.3
- ベバリッジ曲線: S.2.1
- ベバリッジ曲線のシフト: S.2.1
- 無原罪のディスインフレ: 1.2.3
- 労働市場の逼迫度: S.1.2.1
- 長期インフレ期待: S.1.2.1
- 賃金プッシュ型インフレ: 1.1.2.2
A.4 想定問答
本書の内容について、読者の皆様から寄せられそうな質問とその回答をまとめました。
A.4.1 方法論的質問
A.4.1.1 非線形性の前提
Q: V/U比とインフレの関係が非線形であるという主張は、具体的にどのようなデータや分析に基づいていますか?
A: 本論文では、V/U比の様々な水準におけるインフレ率の関係を統計的に分析することで、この非線形性の可能性を示唆しています。例えば、V/U比が特定の高い水準を超えると、インフレ率がより急速に上昇する傾向が見られる、といった分析結果に基づいています。ただし、その正確な関数形や統計的な頑健性については、今後の研究課題としても挙げられています。
A.4.1.2 データの限界
Q: V/U比を計算するJOLTSデータには限界があるとのことですが、その限界は分析結果の信頼性にどの程度影響しますか?
A: JOLTSデータは米国の求人数に関する最も信頼性の高い公的統計ですが、調査に基づくデータであるため、捕捉漏れや測定誤差が含まれる可能性は否定できません。本論文では、可能な範囲でロバストネスチェックを行っていますが、データの限界は常に実証分析につきまとう問題です。ただし、V/U比のトレンドや大きな変化については、他の労働市場指標とも整合的であり、主要な結論の方向性を大きく変えるほどではないと考えられます。
A.4.2 政策に関する質問
A.4.2.1 FRBのトレードオフ
Q: FRBはインフレ抑制のために失業率上昇をどの程度まで許容するのでしょうか?
A: FRBは物価安定と最大雇用のデュアル・マンデートを持っていますが、短期的には両者の間にトレードオフが生じることがあります。FRBは公式に「〇%までの失業率上昇を許容する」とは表明しませんが、経済予測(SEP)では、インフレを目標に戻す過程で失業率がどのように推移すると見込んでいるかを示します。彼らは失業率の上昇を最小限に抑えつつインフレを抑制する「ソフトランディング」を目指していますが、インフレが根強い場合は、失業率の上昇をある程度受け入れる可能性も示唆しています。
A.4.2.2 関税の影響
Q: もし米国が再び高い関税を課した場合、それはインフレにどう影響しますか?
A: 関税は輸入品の価格を直接的に引き上げるため、インフレを加速させる要因となります。また、報復関税による輸出の減少やグローバルサプライチェーンの混乱も、間接的に物価に影響を与える可能性があります。本論文で指摘されているインフレ的ショックの非対称性がある場合、関税によるインフレ圧力は、ディスインフレ圧力が弱い中で比較的容易に物価全体に波及するリスクがあります。
A.4.3 グローバルな質問
A.4.3.1 日本の政策選択
Q: 米国のインフレやFRBの政策を受けて、日本銀行はどのように対応すべきですか?
A: 日銀はまず、日本の経済・物価情勢を正確に判断することが重要です。米国のインフレが日本の物価に与える影響(円安による輸入インフレなど)を見極めつつ、国内の賃金上昇を伴う持続的な2%のインフレ目標達成を目指す必要があります。米国の金融引き締めが続く中で、日本が緩和的な金融政策を維持すれば、さらなる円安圧力となります。日銀は、この為替変動の影響も考慮しながら、自身のインフレ目標と経済情勢に基づき、独立した政策判断を行う必要があります。
A.4.3.2 ユーロ圏への波及
Q: 米国のインフレ動向は、ユーロ圏のインフレにも影響を与えますか?
A: はい、影響を与えます。グローバル化した経済では、主要国の経済動向は相互に連動しています。米国のインフレは、グローバルな商品価格(エネルギーなど)やサプライチェーン、そして金融市場を通じてユーロ圏にも波及します。欧州中央銀行(ECB)も、インフレ抑制のために金融引き締めを行っていますが、ユーロ圏特有の要因(例:エネルギー危機への脆弱性、各国の財政状況の違い)も考慮する必要があります。ボール=リー=ミシュラ氏らのIMFでの別の研究では、国際的なインフレの同時性についても分析しています。
A.5 歴史的ケーススタディ
本書で言及した歴史的なインフレ事例に関する補足情報です。
日本の戦後インフレ(ハイパーインフレ)
第二次世界大戦終結後、日本経済は物資不足と過剰な資金供給により、制御不能なインフレに見舞われました。政府は戦費調達のために大量の政府紙幣を発行し、これが通貨供給量を激増させました。また、生産能力が壊滅的な打撃を受けていたため、需要に対して供給が圧倒的に不足していました。1946年には物価が年間で500%以上上昇したとも言われています。その後、連合国軍総司令部(GHQ)の指導の下で、財政・金融引き締め策が実施され、インフレは徐々に収束に向かいました。この経験は、財政規律の重要性や、供給能力回復なしにはインフレ抑制が難しいことを示す、日本の経済史における重要な教訓です。日本の戦後復興と傾斜生産方式に関する記事も参考にしてください。
ベルギーの「グット作戦」(Operatie Gutt)
第二次世界大戦中のベルギーでも、戦時中の資金供給増によりインフレ懸念が高まっていました。1944年10月、カミーユ・グット財務大臣主導で、通貨改革と財政・金融引き締めを組み合わせた大胆な措置が実施されました。旧紙幣の流通を停止し、新紙幣への交換を厳しく制限しました。これにより通貨供給量を大幅に削減し、戦後の経済混乱の中で比較的早期に物価の安定を達成しました。この作戦は、インフレ期待の抑制や国民の貯蓄意識の回復にも効果があったと評価されています。
フィンランドのセテリンライカウス(Setelinleikkaus)
フィンランドも第二次世界大戦後、深刻なインフレに悩まされました。1946年、政府は「セテリンライカウス」(直訳すると「紙幣切り」)という措置を実施しました。これは、流通している全ての紙幣の価値を半分に切り下げるという、物理的な通貨改革でした。例えば、100マルッカ紙幣は額面が50マルッカとされました。これは、通貨供給量を強制的に半減させることで、インフレ圧力を抑え込むことを狙ったものです。この措置は、国民の資産に大きな打撃を与えましたが、インフレ抑制には一定の効果があったとされています。ただし、社会的な混乱も招いたため、極めて非常時のみに検討されるべき政策です。フィンランドのSetelinleikkausに関する記事も参考にしてください。
補足1:この記事を読んで…
ずんだもんの感想
いや〜、米国のインフレって、なんかめちゃくちゃ複雑だったんだねぇ!😲 需要がいっぱいになったり、モノを作るのが遅れたり、人手が見つからなかったり… いろんなことが重なって、物価がどんどん上がっちゃったみたいだよ。特にV/U比っていうのが大事なんだね。求人ばっかりなのに、失業者が少ないと、インフレになりやすいんだって。へぇ〜、労働市場と物価ってそんなに繋がってるんだぁ💡。でも、最近は少し落ち着いてきたみたいでよかったのだ。FRBっていうところが、金利を上げて頑張ったおかげかな? でも、まだ油断できないみたいだし、労働市場もどうなるか分からないんだって。日本にも円安とかで影響があるみたいだし、私たちの生活も無視できない話なのだ。インフレ的なショックは伝わりやすいけど、ディスインフレ的なショックは伝わりにくいっていうのは、なんだか納得いかないのだ!😩 値上げはすぐなのに、値下げは渋るお店の気持ちみたいなものなのかな? この本で、難しい経済の話が少し分かった気がするのだ。偉い人たちが、ちゃんとしたデータでインフレを抑え込んでくれるといいなと思いました!
ホリエモン風の感想
はい、どーも。今回の米国インフレの記事、なかなか面白かったっすね。結局、あのインフレってのは、コロナ対策で金ばら撒きまくって、需要爆発させたところに、サプライチェーンぶっ壊れてモノがねーんだから、そりゃ価格上がるっしょ、って話。超シンプル。👍 で、この論文のボールさんたちのフレームワークっていうのが、結局「労働市場の逼迫度=V/U比」がヤバかった、ってのを改めてデータで確認したってことっすね。V/Uが非線形にインフレに効くとか、ショックが非対称だとか、細かい分析はいいけど、本質はそこ。企業が人雇えなくて、コスト上がって、それを価格に転嫁しやすい状況だった、と。最近落ち着いたのも、FRBが利上げで需要冷やしたのと、供給がちょっと戻ったから。これもシンプル。ただ、問題はこれからですよね。FRBがインフレ2%目標に戻すために、もっと労働市場冷やさなきゃいけないってことは、普通に考えたら失業増えるっしょ。ベバリッジ曲線が奇跡的に内側にシフトし続けるとか、そんなファンタジー信じてどうすんだと。😂 中央銀行の独立性とか言ってますけど、結局政治からの圧力はあるわけで(トランプとかね)。ああいうヤツらが変な政策やると、またぶっ壊れるリスクもある。日本への影響?そりゃ円安で輸入コスト上がってるわけで、庶民は大変っすよね。でも、輸出とかインバウンドで稼いでる企業はウハウハじゃん。結局、こういう変動で儲けるやつと損するやつがいるってこと。世の中ってそういうもんでしょ。😎 将来の気候変動とかAIがインフレに影響とか、そんな先の小難しいことより、まず目の前のV/U比見て、FRBがどこまでやる気なのか、政治が邪魔しないか、そこ見た方がリアリティあるんじゃないすかね。知ることは大事。勉強になりました。👍
西村ひろゆき風の感想
えー、なんか米国のインフレの話? ああ、なんか物価上がって大変でしたねーって話ですよね。この論文によると、なんかV/U比っていうのが重要らしいんですよ。求人数と失業者数の比率? へー、そんなの気にしてるんだ。労働市場がタイトだとインフレになる、まあ、そりゃ人が採れないと給料上げなきゃいけないから、価格も上げますよね。当たり前じゃん。😇 で、それが非線形に効くとか、インフレショックは伝わりやすいけど、ディスインフレショックは伝わりにくいとか。まあ、一度上げた価格は下げたくないですよね、普通。損するじゃないですか。だから値下げより値上げの方が早い、そりゃそうなるでしょ。だからディスインフレって大変なんだ、ふーん。で、FRBが頑張って金利上げたからインフレ落ち着いたけど、まだ目標まで行ってないから、もっと労働市場冷やせって? えー、失業増やすってこと? みんな仕事なくなっちゃうの? かわいそう。😩 でも、ベバリッジ曲線が内側にシフトしたから、失業あんまり増えずに済んだとか。へー、奇跡っすね。今後も続くかな? 知らんけど。🤓 日本にも影響あるらしいですけど、まあ円安ですよね。輸入してるものは高くなるし、輸出してるものは儲かる。これも当たり前。で、なんか偉い人たちが、将来の研究課題とか色々書いてるけど、気候変動とかAIとかインフレに関係あるとか、マジ? なんでもインフレのせいにするなよ、ってちょっと思っちゃいましたね。🤔 中央銀行が政治から独立してないとヤバいとか言ってますけど、結局政治家が口出しするでしょ。どうせ。だから期待通りにはならないんじゃないすかね。ま、おいら的には、物価が安定して、普通に生活できるのが一番いいんですけどねー。それって難しいんですかね? はい、論破。✋
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