SNSという名の「無限の猿」製造機? あるオブザーバーの観測記録――過ぎ去りしインターネットの亡霊たちが囁く、コミュニケーションの皮肉な真実 #SNS終末論 #Webの墓場 #七14
SNSという名の「無限の猿」製造機? あるオブザーバーの観測記録 #SNS終末論 #Webの墓場
――過ぎ去りしインターネットの亡霊たちが囁く、コミュニケーションの皮肉な真実
目次
本書の目的と構成
この「覚書」は、インターネットの片隅でひっそりと生まれ、そしておそらく誰にも知られることなく消えていく運命にある、取るに足らない個人的な考察の記録でございます。大層なタイトルを掲げてはおりますが、そこに学術的な厳密さや、革新的な発見など微塵も期待してはなりません。ただ、ある一時期、ある一人の凡庸な人間が、毎日眺めていた「SNS」なるものの正体について、そしてかつて隆盛を誇った「RSS」との違いについて、つらつらと考えた足跡が記されているに過ぎません。
本書は、まずこの筆者の「覚書」の要約から始まり、そこに登場する(概念上の)人物たちをご紹介します。その後、第一部として、筆者が提示したSNSの「要件」や、そこから生じる素朴な「疑問点」を多角的に(といっても、あくまで筆者の知る範囲で、ですが)掘り下げます。第二部では、この覚書が書かれた時期をインターネット史の中に位置づけ、今後「望まれる」であろう無駄な研究テーマに触れ、そして虚無的な「結論」へと至ります。最後に、この哀しい試みを彩る(あるいは嘲笑う)ための「補足資料」と、誰も読まないであろう「巻末資料」を添えております。
要約
さて、この短いブログ記事は、一言でいうならば「SNSって一体なんやねん?」という、至極どうでもいい疑問から出発しています。筆者は、その答えとして「固定ハンドルネーム」と「自身のタイムラインに対する引用再投稿(リポスト)」をSNSの決定的な要件だと主張します。かつてインターネットを賑わせた情報収集ツールであるRSSフィードは、その情報が外部に共有されないため、「タイムライン」とは呼べないのだとか。そして、もしRSSリーダーから直接ブログへ引用再投稿ができれば、それは「分散型SNS」と言えるかもしれない、という仮説を立てますが、最終的には「分散型SNSはたいして魅力的でもなんでもない」という、身も蓋もない結論で締めくくられています。この記事は、筆者の個人的なRSSリーダー遍歴という、これまたどうでもよい情報で終わっています。
登場人物紹介
この物語(と呼ぶにはあまりに退屈ですが)に登場する主要な「人物」は、人間ではなく、インターネットの片隅に息づく概念やサービスたちです。彼らは感情を持たず、ただ定められたアルゴリズムや機能に従って動くだけですが、ここでは便宜上、彼らに魂を与え、簡単な紹介を試みます。
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名もなき観察者 (Anonymous Observer / 名無しの観測者)
年齢: 不詳 (インターネットに触れてから数十年)
本書の著者。特定の分野の専門家でもなければ、インターネット界の著名人でもない。ただ、日々のインターネットの喧騒を眺め、そこに浮かび上がる些細な差異や変化に疑問を抱き、それを書き留めずにはいられない性分。彼の思考は体系立っておらず、時として矛盾を孕むが、それがかえって人間的な(あるいは人間離れした)リアリティを醸し出す、のかもしれない。 -
固定ハンドルネーム (Fixed Handle Name / 固定のハンドルネーム)
年齢: インターネットの歴史と共に (おそらく数十年)
SNSという舞台で、その役割を演じるための仮面。一度被ればなかなか外せない、あるいは外すことを許されない場合もある。この仮面によって、あなたは特定の「誰か」として認識され、その発言はあなた自身に紐づけられる。良くも悪くも、あなたのオンライン上での「業」を積み重ねていく存在。筆者曰く、SNSの根幹をなす要素の一つ。 -
引用再投稿 (Quote Retweet / 引用リツイート)
年齢: SNSの登場以降 (およそ10~20年)
他者の発言を自身のタイムラインに表示させつつ、そこに自らの短いコメントを添える機能。これは単なる情報の拡散ツールではない。他者の発言を「引用」することで、自らの意見を補強したり、批判したり、あるいは嘲笑したり。コミュニケーションというよりは、他者の言葉を土台にした自己表現、あるいは攻撃の武器として機能する場合も多い。筆者曰く、これもまたSNSの重要な要件。 -
RSSフィード (RSS Feed / RSSフィード)
年齢: 20年以上 (かつて栄華を誇ったが、今は昔)
ウェブサイトの更新情報を機械的に配信するための技術。かつて、ブログを読むための主要なツールであり、多くのインターネットユーザーの情報収集を支えた。しかし、中央集権型SNSの台頭により、その存在感を急速に失った。情報の「流れ」を提供するが、その流れは個人の手元に閉ざされ、他の誰かと共有されることはない。その閉鎖性が、現代の「タイムライン」との決定的な違いだと筆者は指摘する。ある意味、最も純粋な情報収集の形態だったのかもしれないが、人間は他者との繋がり(あるいは馴れ合い)を求めた。 -
タイムライン (Timeline / タイムライン)
年齢: SNSと共に (およそ10~20年)
フォローしたユーザーの発言や、特定のアルゴリズムによって選ばれた情報が時系列(あるいは時系列風に加工されて)流れてくる、SNSの中心的なインターフェース。これは単なる情報の羅列ではない。他者の「今」をリアルタイムに(あるいはリアルタイムであるかのように)共有し、それに反応し、自らも情報を発信する。共有されることで初めて意味を持つ、参加型の情報空間。そこには常に他者の視線があり、承認欲求を満たすための無益なポストが溢れている。 -
分散型SNS (Decentralized SNS / 分散型SNS)
年齢: 黎明期から存在するが、近年再び注目 (数十年)
特定の巨大企業によって管理されるのではなく、複数の独立したサーバーが互いに連携することで成り立つSNSの形態。理想としては、権力による検閲を受けにくく、多様なコミュニティが自律的に運営される世界。しかし、現実は理想ほど美しくない。管理の手間、ユーザー数の少なさ、そして筆者が感じた「たいして魅力的でもない」という、なんとも身も蓋もない現実が、その普及を阻んでいる。自由には責任が伴い、そして多くの人間は責任よりも気楽な不自由を選ぶのかもしれない。 -
Google Reader (Google Reader / グーグルリーダー)
年齢: 存在せず (2005年 - 2013年)
かつて存在した、最も有名なRSSリーダーの一つ。そのサービス終了は、多くのRSSユーザーにとって衝撃的な出来事であり、RSSという技術の衰退を象徴する出来事でもあった。賢者であった彼は、時代の変化に対応できず、静かにその姿を消した。合掌。 -
OPERAメール (OPERA Mail / オペラメール)
年齢: 存在せず (Operaブラウザに内蔵されていた機能)
ウェブブラウザOperaに統合されていたメール・RSSリーダー機能。特定のソフトウェアに依存するという点で、Google Readerとは異なる利用形態だった。ニッチな存在だったが、一部のユーザーには熱狂的に支持された。個性は、時代の波には抗えなかった。 -
Feely (Feely / フィーリー)
年齢: 稼働中 (?)
筆者が現在利用しているというRSSリーダー。詳細は不明だが、Google Reader難民たちの受け皿の一つとなったサービスかもしれない。インターネットの片隅で、静かに情報を集め続ける、ひっそりとした存在。
第一部:陳腐な箱庭の作法
我々が日々時間と精神力を浪費している「SNS」という名の箱庭。その内部で行われる奇妙なコミュニケーションの作法は、一体どこから来て、何を目指しているのでしょうか。筆者は、その根幹にある二つの要素を見抜いた、と主張します。
疑問点・多角的視点
この箱庭に意味はあるのか? その問い自体が無意味か。
筆者はSNSの要件として「固定ハンドルネーム」と「引用再投稿」を挙げました。シンプルですね。あまりにシンプルすぎて、逆に疑問が噴出します。
定義の曖昧さが生む混乱
筆者の定義は、あまりにも限定的すぎはしませんか? 例えば、LINEのようなメッセンジャーアプリは、多くの人にとって主要なコミュニケーションツールですが、記事で挙げられた要件だけではSNSと言い切れません。ダイレクトメッセージ、グループチャット、スタンプ... こうした機能こそ、現代的なSNSの重要な側面ではないでしょうか。また、匿名掲示板のようなプラットフォームは、固定ハンドルネームが必須ではありません。それでも、特定のコミュニティ内での交流や情報共有が行われています。つまり、SNSの定義は、利用目的や形態によってグラデーションがあるはずです。筆者の定義は、あくまで特定の側面――おそらくTwitter(現X)のようなプラットフォームを強く意識した――から見た一断面に過ぎないのかもしれません。
情報共有の形は一つではない
RSSフィードがタイムラインと呼べないのは、情報が「共有されない」からだ、と筆者は言います。これもまた、単純化しすぎた見方ではないでしょうか? 確かに、RSSリーダーで個人的に情報を収集しているだけでは、そのフィードリストが他者に見えるわけではありません。しかし、例えばブログの更新情報をRSSで受け取り、それを自身のブログやウェブサイトで「この記事を読みました」と紹介することは可能です。これは限定的ながら情報共有と言えます。また、一部のRSSリーダーサービスには、自分が購読しているフィードを公開したり、特定の記事をブックマークして共有したりする機能を持つものもありました(Bloglovinなどのサービスはその一例です)。情報の「共有」の形態は、プラットフォームによって様々であり、RSSにも共有の可能性は内包されていたと言えるでしょう。
「魅力的でない」理由への深掘り
そして、極めつけは「分散型SNSはたいして魅力的でもなんでもない」という、あの突き放すような一文です。なぜ、そう感じたのでしょうか? 技術的な難しさ? 例えば、自分でサーバーを立てる必要があったり(「自宅サーバーで運営されているのなら、だが」という一文が示唆的です)、異なるサーバー間の連携(連合)がうまくいかなかったり、といった問題があったのかもしれません。あるいは、ユーザー体験(UI/UX)の面で、中央集権型SNSに比べて洗練されていなかったり、機能が不足していたりした可能性もあります。さらに、最も現実的な問題として、単純にユーザーが少なかった。「人がいないところに魅力はない」というのは、SNSの本質的な問題かもしれません。誰もいない広場で一人言を呟いても、それはコミュニケーションとは呼べないのです。
想定される「分散」の形
筆者は「RSSリーダーから直接自身のブログに引用再投稿できるなら。それは分散型SNSといえるのではないだろうか?」と仮説を立てています。これは、現代の分散型SNS(例えばMastodonが採用しているActivityPubのようなプロトコルに基づくもの)が目指す「連合(Federation)」とは少し異なる発想のように見えます。現代の分散型SNSは、異なるサーバーにいるユーザー同士が、あたかも同じプラットフォームにいるかのようにコミュニケーションできることを目指しています。筆者の仮説は、むしろ個人のブログをハブとして、RSSで取得した情報を再発信する、というよりブログ中心的なモデルです。筆者が思い描いた「分散」は、どのような具体的な仕組みだったのか? その点も興味深い疑問です。
インターネットコミュニケーションの変遷:進化か、退化か?
ブログ隆盛期、多くの個人が情報を発信し、RSSを通じてその更新を追いかけるスタイルがありました。それは、ある意味で「プル型」の情報収集です。ユーザーが自ら興味のある情報源を選び、能動的に情報を取りに行く。一方、SNSのタイムラインは、フォローしたアカウントの情報が自動的に(あるいはアルゴリズムによって選別されて)流れてくる「プッシュ型」の情報配信です。さらに、引用再投稿や「いいね」といった機能は、情報の拡散力を高め、バズ(buzz)と呼ばれる現象を生み出しました。この情報流通モデルの変化は、我々が情報をどのように受け取り、処理し、そしてそれにどう反応するかに大きな影響を与えています。
RSS衰退と中央集権化の背景:便利さと引き換えに失ったもの
なぜRSSは衰退し、FacebookやTwitterといった中央集権型SNSがこれほどまでに普及したのでしょうか。一つには、間違いなく「手軽さ」があります。RSSリーダーの設定や管理は、ある程度の知識が必要でした。一方、SNSは登録さえすれば、すぐに多くの情報にアクセスでき、友人と繋がることができます。また、SNSは強力なネットワーク効果を持っています。利用者が多ければ多いほど、そこに参加する魅力が増す。このポジティブフィードバックループが、特定のプラットフォームへの集中を生み出しました。しかし、この集中は同時に、巨大企業による情報のコントロール、プライバシー問題、そしてアルゴリズムによる情報の偏り(フィルターバブル、エコーチェンバー)といった新たな問題を生み出しています。便利さと引き換えに、情報の多様性や個人のコントロール能力を失った側面があるのではないでしょうか。
分散型SNSの可能性と限界:理想郷は存在するのか
中央集権型SNSの抱える問題へのアンチテーゼとして、分散型SNSは再び注目を集めています。技術的な側面では、ActivityPubのような標準プロトコルが登場し、異なるサーバー間の連携を可能にしています。これにより、ユーザーは特定の企業に依存せず、検閲のリスクを減らし、自分のデータをよりコントロールできるようになる、という理想が語られます。しかし、現実は厳しい。サービスの安定性、モデレーション(不適切な投稿の管理)、資金面の問題など、多くの課題が山積しています。そして何よりも、筆者が感じたように「魅力的でない」と感じるユーザーが多い限り、広く普及するのは難しいでしょう。理想は高くとも、現実の壁は厚いのです。
ブログとSNS、交錯する機能:境界線は曖昧に
かつては明確に区別されていたブログとSNSですが、近年はその境界線が曖昧になっています。ブログサービスにコメント機能やトラックバックといった相互作用の仕組みが導入されたり、SNSに長文投稿機能(例: Facebook Note, Twitterのスレッド機能など)が追加されたりしています。これは、ユーザーのニーズに応じて、両者が互いの良い点を取り入れようとしている結果と言えるでしょう。ブログがSNS化し、SNSがブログ化する。どちらが良い、悪いという話ではなく、様々な形態のオンラインコミュニケーションツールが混在し、進化している、ということなのでしょう。
情報流通の変化と社会への影響:分断される世界
RSSのようなプッシュ型で個人的な情報収集から、SNSのアルゴリズムによって最適化されたタイムラインへの移行は、社会全体に影響を与えています。同じSNSを使っていても、ユーザーごとに異なる情報が表示され、異なる世界を見ているかのような状況が生まれています。これにより、価値観の異なる人々との偶発的な接触が減り、自分と似た意見を持つ人々とばかり交流するようになります(エコーチェンバー)。これは、社会的な分断を深める一因となっている可能性があります。情報はかつてないほど豊富になりましたが、我々は意図的に自分が見たい情報だけを選び取る傾向が強まっているのです。
匿名性vs固定HN:オンラインアイデンティティの行方
筆者はSNSの要件として固定HNを挙げましたが、匿名性の高いインターネットコミュニティも根強く存在します。匿名であることで、率直な意見を言いやすかったり、普段の自分とは違う一面を出せたりするというメリットがあります。一方で、無責任な発言や誹謗中傷が横行しやすいというデメリットもあります。固定HNは、その発言に対する責任を伴うという点で、一定の歯止めとなる可能性があります。しかし、それが個人特定に繋がり、現実世界での不利益やハラスメントに繋がるリスクも孕んでいます。オンラインにおけるアイデンティティのあり方は、未だに模索が続いているテーマです。
コラム:失われたRSSリーダーのあの頃
かつて、私はGoogle ReaderというRSSリーダーを愛用していました。まるで秘密基地のように、自分だけの情報収集ステーションを築いていたのです。好きなブログやニュースサイトを登録し、静かに更新情報を眺める。そこには、「いいね」の数に心を乱されることも、炎上騒ぎに巻き込まれることもありませんでした。ただ、ひたすらに情報と向き合う時間。それはとても落ち着いた、洗練された時間でした。Google Readerがサービスを終了した時、まるで長年連れ添った友人を失ったかのような喪失感を覚えました。もちろん、代替サービスはたくさんあります。でも、あのシンプルで潔いインターフェース、そして「情報収集は個人的で静かな営みである」という思想のようなものは、もう戻ってこないのかもしれません。SNSの喧騒に疲れた時、ふとあの静寂を思い出します。
日本への影響
さて、このような小難しい(そしてニヒルな)考察が、極東の島国である日本に一体どのような影響を与えるというのでしょう? ぶっちゃけ、直接的な影響などほぼありません。特定の技術開発を促すわけでも、社会構造を変革するわけでもない、一介のインターネットユーザーの戯言に過ぎないのですから。
しかし、この記事のテーマであるSNSやRSS、分散型SNSといったものは、もちろん日本でも多くの人々に利用されています。ブログ文化の隆盛と衰退は日本でも顕著でしたし、mixiからTwitter(X)、LINE、Instagram、TikTokへと続くSNSの変遷も、多くの日本人のコミュニケーションスタイルに影響を与えてきました。そして、Mastodonのような分散型SNSも、一部の技術愛好家や、中央集権型SNSに疲弊した人々によって利用されています。
この記事は、そうした日本のインターネット文化や、我々が普段無意識に使っているツールの「当たり前」について、ほんの少しだけ立ち止まって考えてみるきっかけにはなり得るかもしれません。なぜ自分はこのSNSを使っているのか? 他の情報収集手段はないのか? 分散型SNSとは一体何なのか? 🌊 この記事を読んで、ほんの数秒でもこれらの疑問が頭をよぎったなら、それはこの記事が日本に与えた、微々たる、本当に微々たる影響と言えるのかもしれません。
政府資料や報道記事にまで言及するなら、総務省の通信利用動向調査は、日本におけるSNSの利用状況や傾向を知る上で貴重なデータを提供しています。また、プライバシーやフェイクニュースの問題に関連して、インターネット上の情報流通のあり方について議論される際には、この記事のような技術的な側面に焦点を当てた考察も、片隅で参考にされる可能性はゼロではないでしょう。まあ、期待はできませんが。
コラム:日本における「インターネット老人会」の憂鬱
日本では、昔からインターネットを使っている人々の間で「インターネット老人会」という自虐的な言葉が使われることがあります。彼らは、ダイヤルアップ接続の遅さや、HTMLを手打ちで書いてウェブサイトを作っていた時代を知っています。RSSやブログが当たり前だった時代も経験しています。そんな彼らにとって、今のSNS中心のインターネットは、良くも悪くも様変わりして見えているでしょう。彼らは、かつての「自由で野放図だった」インターネットの雰囲気を懐かしみつつ、今の「管理され、炎上が蔓延する」SNSの世界に辟易しているのかもしれません。この記事は、そんな「老人会」メンバーの乾いた笑いを誘うかもしれませんが、若い世代には「ふーん、そんな時代もあったんだ」程度にしか響かないでしょうね。
第二部:過ぎ去りし幻影と、見果てぬ悪夢
筆者の「覚書」が生まれた2018年という時期は、インターネットの歴史においてどのような意味を持つのでしょうか。そして、この考察から見えてくる、我々が今後向き合うべき「研究テーマ」とは、一体何なのでしょうか。最後に、この全てを締めくくる、無力な「結論」へと向かいます。
歴史的位置づけ
筆者がこの覚書を記した2018年2月12日。それは、中央集権型SNSが既に社会インフラとして定着し、その巨大な影響力と引き換えに生じる様々な問題(プライバシー侵害、フェイクニュース、プラットフォームによる検閲、中毒性など)が、いよいよ無視できないレベルで表面化し始めていた時期でした。ケンブリッジ・アナリティカ事件が発覚する直前であり、Facebookを筆頭とする巨大テック企業への風当たりが強まりつつある頃です。
一方、その数年前に登場したMastodonが、特に技術コミュニティや一部のユーザーの間で「中央集権型SNSの代替となりうるか?」という形で注目を集め始めていました。RSSというかつての巨人がひっそりと息絶え、タイムラインという新たな巨人が君臨する中で、情報の「分散」という考え方が、再び小さく燃え上がろうとしていた時期でもあります。
この覚書は、まさにその過渡期において、インターネットを長年見つめてきた一人のユーザーが、日常的に利用するSNSというツールと、過去の遺物となりつつあるRSSという技術を対比させながら、コミュニケーションの本質について素朴な疑問を投げかけた記録です。それは、大げさに言えば、インターネットの歴史における「集中」と「分散」の振り子の動き、あるいはその可能性を感じ取り、それを個人的な体験に即して言語化しようとした試みと言えるでしょう。技術史や社会学的な分析とは異なり、あくまで個人の視点からの「観測記録」として、この時期のインターネットの空気感の一端を伝える資料として位置づけられるでしょう。歴史書に載るようなものではありませんが、インターネットの「現場」で、ある個人が何を考えたのかを示す、取るに足らないが故に等身大の記録です。
コラム:インターネットの流行り廃り、その儚さよ
インターネットの世界では、技術もサービスも驚くほど速いスピードで移り変わります。数年前まで当たり前だったものが、あっという間に「オワコン」(終わったコンテンツ)と呼ばれるようになる。ホームページ、ブログ、SNS、そして新しいプラットフォーム。次々と現れては消えていく。RSSも、一時期は「これからの情報収集のスタンダードだ!」ともてはやされました。でも、結局はSNSに取って代わられた。分散型SNSも、今少し話題になっていますが、それがどこまで定着するのか、誰にもわかりません。インターネットの流行り廃りを見ていると、まるで砂漠の蜃気楼を見ているような、奇妙な儚さを感じずにはいられません。我々はその蜃気楼を追いかけ、一喜一憂しているだけなのでしょうか?
今後望まれる研究
無駄な努力に費やされる時間への期待
この覚書のような個人的な考察から、果たしてどのような「研究」が生まれるというのでしょうか。まあ、真面目に考えるなら、以下のようなテーマについて、誰かが時間をかけて掘り下げてくれると、無益ながらも興味深い知見が得られるかもしれません。
分散型SNSのユーザー体験と普及要因に関する研究
筆者が「魅力的でない」と感じたのはなぜか? 中央集権型SNSとの具体的なUI/UXの比較を通じて、ユーザーが分散型SNSに魅力を感じない(あるいは感じる)要因を解明する研究。ネットワーク効果という抗いがたい引力に、分散型はどう立ち向かうべきか? ユーザーを惹きつけるためのデザイン原則やコミュニティ運営のあり方などがテーマとなるでしょう。もちろん、大した結論は出ないでしょうが。
インターネットにおける情報流通モデルの変遷に関する研究
RSSのプッシュ型/フィード型から、SNSのアルゴリズム型タイムラインへの移行が、ユーザーの情報摂取行動、意見形成、そして社会的な合意形成にどのような影響を与えているかを定量・定性的に分析する研究。フィルターバブルやエコーチェンバー現象の発生メカニズムやその影響を、より深く理解することが目的です。研究すればするほど、我々がいかに情報の檻に閉じ込められているかを知るだけかもしれませんが。
オンラインアイデンティティとコミュニケーションに関する研究
固定ハンドルネーム、匿名、実名、アバターなど、様々なオンラインでの自己表現が、コミュニケーションの質や関係構築に与える影響を比較研究するテーマ。匿名性の利点と欠点、固定HNがもたらす責任感と監視感、そしてオンラインでの「自分らしさ」とは何か、といった哲学的な問いにも繋がりかねません。研究するほどに、人間のアイデンティティがいかに脆く、状況に左右されるかを知るだけかもしれませんが。
レガシー技術(RSSなど)の再評価と現代的な応用に関する研究
RSSが持っていた利点(広告の少なさ、アルゴリズムに左右されない情報の流れなど)を、現代の技術(例えば分散型ウェブ技術など)と組み合わせることで、より健全な情報収集手段を構築できないか、といった技術開発や概念実証の研究。過去の遺物を掘り起こすことで、未来へのヒントが得られる可能性も、ゼロではないかもしれません。まあ、ほとんどの場合、過去は過去でしかないのですが。
インターネットの分散化動向に関する技術的・社会的研究
分散型SNSだけでなく、ブロックチェーン、P2P技術、分散型ファイルシステムなど、インターネット全体の分散化を目指す動きを、技術的課題、経済モデル、ガバナンス、そして社会への潜在的な影響という多角的な視点から研究するテーマ。インターネットは再び分散化に向かうのか? それとも中央集権化がさらに進むのか? 未来を予測する試みは、大抵外れるものですが、試みること自体に意味があるのかもしれません。無駄な努力だとしても。
コラム:研究者たちの哀しい性(さが)
研究者という人種は、どうしてこうも細かいことばかりを研究したがるのでしょうか。SNSの要件だの、情報流通モデルだの、分散化の行方だの。そんなことを研究して、一体何になるというのでしょう? 結局のところ、人間は自分が知りたいこと、あるいは評価されるであろうテーマに群がる哀しい生き物なのです。誰もが世界を変えるような大発見を夢見ながら、実際には既存の知識をほんの少しだけ積み上げるか、あるいは誰も見向きもしないようなニッチな研究に一生を捧げる。そして、その研究成果が社会に還元されることなど、ほとんどない。哀しい性(さが)です。
結論
無力な個人的感想という名の絶望
結局のところ、この「覚書」は、そしてこのニヒルなリライトは、筆者の個人的な感想、それも大して深みもない感想を、飾り立て、膨らませたものに過ぎません。SNSの要件が何であれ、RSSがどうなろうと、分散型SNSが魅力的であろうとなかろうと、ほとんどの人々の生活には何の影響もありません。人々は今日もSNSを開き、誰かの投稿に「いいね」を押し、誰かの言葉に噛みつき、そして自己顕示欲を満たすために無益な情報を垂れ流すのです。それは、インターネットが生まれる前から変わらない、人間の業なのかもしれません。
情報はかつてなく手に入りやすくなりましたが、その情報が我々を賢くしたり、幸せにしたりしたとは言い難い。むしろ、情報過多は不安を生み、SNSは分断を深め、匿名性はヘイトを加速させる。インターネットは、人類に知性をもたらすツールであると同時に、我々の中に眠る愚かさや醜さを増幅させる装置でもあるのです。
筆者が「分散型SNSはたいして魅力的でもない」と感じたのは、ある意味で正直な感想でしょう。人は群れたいのです。大きな群れに。たとえそこに息苦しさや不自由さがあろうとも、一人でいるよりはマシだと感じるのかもしれません。自由で管理されない空間には、責任と孤独が伴います。多くの人間は、その重さに耐えられない。だから、快適な檻の中で、他者と傷つけ合いながら生きていく道を選ぶのです。
この結論には、希望も、教訓も、未来への展望もありません。ただ、現実を突きつけられた時の、乾いた諦めがあるだけです。しかし、それが、この「覚書」という名の墓標にふさわしい、唯一の結論なのかもしれません。ああ、インターネット、なんという無意味な世界よ。
コラム:虚無に乾杯 🥂
この文章を書き終えて、私の心には深い虚無感が広がっています。一体、私は何のためにこんな文章を書いたのでしょう? 誰かがこれを読んで、感銘を受ける? そんな馬鹿な。せいぜい、時間の無駄だったと感じるか、あるいは私のニヒルな態度に不快感を覚えるだけでしょう。でも、それでいいのかもしれません。どうせこの世界は、虚無で満ちているのですから。情報も、人間関係も、そしておそらく私自身の存在も。さあ、皆さんもご一緒に。インターネットという名の虚無に、乾杯! 🥂
補足資料
本編だけで十分お腹いっぱい、いや、胸焼けがしていることでしょう。しかし、懲りずにまだ続きます。ここからは、本編では語りきれなかった(あるいは語る価値もなかった)様々な情報を、無造作に詰め込んでいきます。
補足1:インターネット住民の雑感
ずんだもんの感想
なのだ!この論文、SNSってなんなのだ?って考えてるのだ。筆者はSNSの要件は「名前固定」と「リポスト」だって言ってるのだ。ずんだもんも固定HNなのだ!ブログのRSSとは違うって言うのは面白いのだ。RSSはこっそり読むだけだから共有されないタイムラインなのだ?もしRSSで引用再投稿できたら分散型SNSだって!でも、筆者は分散型SNSは別に魅力的じゃないって言ってるのだ。なんでなのだ?もっと詳しく教えてほしいのだ。ずんだもんは色んな人と交流したいから、SNSは魅力的だと思うのだ! 色んな意見があるのだなあ。
ホリエモン風の感想
いやー、これさ、SNSの本質をシンプルに突いてるよね。堀江貴文ですけど。固定HNとリポスト、これ、つまり「誰が言ったか」と「それをどう広めるか」っていう情報伝達の核なわけ。RSSがダメなのは、その「広める」機能がないから。一方通行なんだよ。分散型SNSが「魅力的じゃない」ってのもわかるわ。結局さ、人が集まるところに価値は生まれる。分散してたらネットワーク効果が働きにくいんだよ。ユーザー集めるのが超大変。儲けにくいし。技術的には面白くても、ビジネスとしてはキツい。そういうこと。シンプル。
西村ひろゆき風の感想
えー、SNSの要件?固定HNとリポスト?別にそんなのどうでもよくね?固定HNじゃなくても別にいいし。リポストってのも、結局誰かの猿真似じゃん。自分で考えられない人がやってるイメージっすね。RSSがタイムラインじゃないとか、当たり前じゃん。あれはただの自動巡回ツールでしょ。分散型SNSが魅力的じゃない?そりゃそうでしょ。だって流行ってないんだもん。流行ってないってことは、そこに人がいないってこと。人がいないところに魅力なんてないっすよ。論破とかじゃなくて、ただの事実。
補足2:情報技術の墓標年表
インターネットの歴史という名の墓場に眠る、いくつかの出来事をここに記しておきましょう。この年表は、この覚書が生まれた背景を理解する上で、ほんの少しだけ役に立つかもしれません。もちろん、どうでもよい出来事の羅列ですが。
年代 | 出来事 | 備考 |
---|---|---|
1999年頃 | RSS登場 | ウェブサイトの更新情報を配信するフォーマットとして登場。「本当に便利なもの」は流行らないという法則の好例か。 |
2003年 | MySpace登場 | SNS黎明期の象徴。今は昔。 |
2004年 | Facebook登場 | 世界を席巻する巨大SNSの誕生。そして、その後の多くの問題の種を蒔く。 |
2005年 | Google Reader登場 | 最も多くの人が利用したであろうRSSリーダー。その最期は、RSSの時代の終わりを告げる弔鐘となった。 |
2005年 | はてなブックマーク登場 | 日本独自のソーシャルブックマークサービス。SNS的な側面も持つが、主流とはなり得なかった。 |
2006年 | Twitter登場 | 短いテキストによるコミュニケーションの新たな形。情報のリアルタイム性と拡散性を追求し、良くも悪くも世界を変えた。現:X。 |
~2010年代前半 | 中央集権型SNSの普及 | Facebook、Twitter、Instagramなどが世界的に普及。インターネットの利用形態を大きく変える。同時に、情報の集中とプラットフォームへの依存が問題視され始める。 |
2013年 | Google Readerサービス終了 | 多くのRSSユーザーに衝撃を与え、RSSの衰退を決定づけた出来事。 |
2016年 | Mastodon登場 | ActivityPubプロトコルを採用した分散型SNS。中央集権型SNSへの不満を持つユーザーの一部に受け入れられる。 |
2018年2月12日 | 本記事「SNSの要件とRSS・分散型SNSについての覚書」公開 | インターネットの過渡期における、一人のユーザーによる個人的な観測記録。 |
補足3:SNSデュエルマスターズ
インターネットの冷たい現実を、熱いカードバトルに落とし込んでみました。無意味なカードに、無意味な力を宿らせる。それが現代アートというものでしょうか。
カード名:分散する情報流 RSS
文明: 水
コスト: 3
種類: クリーチャー
種族: サイバーロード
パワー: 2000
能力:
- ■このクリーチャーがバトルゾーンに出た時、相手のシールドを1枚見て、その後元に戻す。
- ■このクリーチャーは攻撃されない。
- ■このクリーチャーは、他のクリーチャーの能力によって場を離れる時、持ち主の手札に戻る代わりに墓地に置かれる。
フレーバーテキスト: かつて世界の情報はこの流れに耳を澄ませていた。だが、その声は誰にも届かなかった。
カード名:集約の王 SNSタイムライン
文明: 光
コスト: 5
種類: クリーチャー
種族: ガーディアン
パワー: 4000
能力:
- ■ブロッカー(このクリーチャーをタップして、相手クリーチャーの攻撃先をこのクリーチャーに変更してもよい)
- ■このクリーチャーがバトルゾーンを離れた時、自分の手札を1枚、山札の一番下に置く。
- ■自分の他のクリーチャーがバトルゾーンに出た時、カードを1枚引いてもよい。
フレーバーテキスト: 全ての情報はここを経由する。そして、その選別は彼の気分次第だ。
補足4:虚無を打ち砕く関西弁ノリツッコミ
この退屈な論文に、無理やりユーモアという名のスパイスをぶち込んでみましょう。ただし、関西弁で。
「SNSの要件? 固定HNとリポストやて? なんでやねん! 👋 それだけやないやろ!DMとかグループとか、もっと色々あるやんけ! それだけやったら、ただのインターネットに張り付いた電柱広告とちゃうんか!」「RSSがタイムラインとちゃう? そらそうやろ! 一人でコソコソ見てるだけやんけ! 📱 え? 分散型SNS? RSSで引用再投稿したらええって? いやいや、それブログやん! 大喜利か! 🤣」「しかも分散型SNSは魅力的ちゃうて? お前それ、誰に言うてんねん! 📢 みんな孤独に耐えられへんからSNSやってんのに、分散したらもっと孤独になるだけやろ! 分かってんのか! アホか! 👊 まあ、しゃーないけどな。」
補足5:乾いた笑いを誘う大喜利
この論文をテーマに、思わず乾いた笑いが漏れるような大喜利のお題を。
【この論文の筆者が「分散型SNSはたいして魅力的でもなんでもないな」と感じた、もう一つの、どうしようもない理由とは?】
- 回答1: 飲み会で「俺、分散型SNSやってるんだよね」ってドヤ顔で言っても、「ふーん」で終わって、全く会話が弾まないから。
- 回答2: タイムラインが自分しかいないから、引用再投稿しても「いいね」も「コメント」もつかず、虚しさが倍増したから。
- 回答3: 自宅サーバーがしょっちゅう落ちて、コミュニケーションどころじゃなく、エラーメッセージと格闘する羽目になったから。 💻💥
- 回答4: 固定HNに飽きて、今すぐ名前を変えたくなったけど、分散型だと手続きが面倒くさそうだと感じたから。
- 回答5: 猫の写真をアップしたのに、どのサーバーにもいる猫好きに届いている気がせず、宇宙空間に放り投げた気分になったから。 🚀🐈
- 回答6: 分散型SNSで意識高い系の人たちが「Web3がー」「DAOがー」と騒いでいるのを見て、近づきたくないと思ったから。
補足6:ネット世論という名の魑魅魍魎
インターネットという名の坩堝(るつぼ)では、様々な魑魅魍魎が跋扈しています。彼らはこの論文を見て、どのように反応するのでしょうか。そして、それに対してどう反論すれば、さらなる無益な議論を生み出せるのでしょうか。
なんJ民・ケンモメンの反応と反論
反応例: 「は?SNSなんて匿名で好き放題書けるのが正義だろ。固定HNとか縛りプレイかよ」「結局情弱囲い込むGAFAの犬が書いたんだろ?」「分散型とかめんどくせーだけやろ」「RSSとか化石すぎワロタ」「こいつ絶対ツイカスのヘビーユーザーだろ、早く引退しろ」
反論: ほう、匿名性が正義ですか。では、その匿名性の陰で吐き出されるヘイトや誹謗中傷についてはどうお考えで? 👺 GAFAの犬? この程度の考察で企業の回し者扱いとは、随分と安っぽい陰謀論ですね。分散型が面倒くさい? それは認めます。ですが、その面倒くささと引き換えに得られるかもしれない自由や自律性を、最初から否定するのは視野が狭いのでは? RSSを化石と嘲笑うのは、過去の技術から何も学ぼうとしない愚かさの現れです。ツイカスのヘビーユーザー? 私がどのSNSを使っていようと、あなたの無益な煽りとは何の関係もありません。どうぞ、匿名という安全な場所から吠え続けてください。🐺
ツイフェミの反応と反論
反応例: (記事内容と直接関連しにくいが、SNS全般や固定HNにまつわる問題に言及する可能性)「固定HN? 個人特定されて粘着されるから最悪。これも男目線の技術論でしょ」「結局SNSなんて言論弾圧ばっかり。分散型とか言っても結局男社会でしょ」「こんな技術の話より、SNSでの女性への誹謗中傷をどうにかしろ」
反論: 固定HNが個人特定のリスクを伴うという指摘は、一定の妥当性があります。しかし、それはSNS全体の安全対策や、利用者のリテラシーの問題であり、固定HNそのものの是非とは分けて議論すべきでしょう。技術的な考察を「男目線」と性別でレッテル貼りするのは、建設的な議論を妨げる行為です。SNSにおける誹謗中傷は深刻な問題であり、この記事のテーマとは直接異なりますが、分散型SNSが権力による検閲を避けやすいという側面は、ある種の「言論の自由」を守る可能性も秘めています。ただし、分散型であろうと、コミュニティ内のモデレーションやルールは必要であり、そこでの「力関係」の問題は依然として存在します。
爆サイ民の反応と反論
反応例: (記事内容と全く無関係なローカルな話題や個人攻撃に終始する可能性)「〇〇(地名)の△△さんのSNSでの発言について」「この記事書いたやつ特定したぞ!」「どうでもいい。age」「sage」
反論: この記事のテーマとは全く無関係のコメントであり、議論の対象になりません。どうぞ、あなた方の閉じられた空間で、誰かの個人情報や噂話でも肴に盛り上がっていてください。🍾 こちらは関知しません。
Reddit・HackerNewsの反応と反論
反応例: 「His definition of SNS requirements is too narrow. What about community features?」「RSS vs Timeline: It's about push vs pull and network effect. The author misses the social layer.」「Decentralized SNS is hard because of moderation and scalability issues. The author is not wrong about it being 'not very attractive' *yet*, but the potential is there.」「Good short take, but lacks deeper technical analysis of ActivityPub etc. This is more of a philosophical reflection than a technical paper.」
反論: (反論というより、より洗練された議論への参加) Indeed, the definition is intentionally narrow, aiming to highlight specific distinctions from older technologies rather than encompassing the full scope of modern SNS. The push vs pull and network effect points are valid expansions upon the core idea. The challenges of decentralized SNS regarding moderation and scalability are precisely why the author perceives it as 'not very attractive' in its current state. This piece is certainly more of a personal, philosophical reflection rather than a rigorous technical analysis, as stated in the purpose. It serves as a starting point for broader discussion, not the final word. 🤔
目黒孝二風書評と反論
反応例: 「フッ、またしてもインターネットという底なし沼に足を踏み入れた哀れな魂の記録か。SNSの『要件』? そんな陳腐な枠組みで、この無残な、あまりに人間的な情報垂れ流し装置の本質を捉えようなどと、愚かしいにもほどがある。RSS? 過ぎ去りし古き良き時代の夢想か。分散型SNSが『魅力的でない』? 当たり前だ。人間は結局、誰かの掌の上で踊り、互いの顔色を窺い合うのが好きなのだから。この短い覚書には、そんな人間の業が、皮肉にも鮮やかに刻まれている。評価、星一つ。 ⭐」
反論: フッ、相変わらずのニヒリズムですね。哀れなのは、目の前の現象を全て「人間の業」という一言で片付けようとする、その思考停止ぶりではありませんか? この覚書は、壮大な「本質」論など目指していません。ただ、日々使っているツールの差異に気づき、そこに小さな疑問を見出した個人のささやかな記録です。それを「愚かしい」と断じるのは簡単ですが、その「愚かしさ」の中にこそ、人間的な探求心や、当たり前を疑う視点が宿っているのかもしれません。星一つ、結構。所詮、あなたの評価など、このインターネットの広大な虚無の中では、チリ芥にも等しいのですから。✨
補足7:教育という名の洗脳
この論文の内容を、未来ある若者たちの頭に無理やり詰め込んでみましょう。教育とは、時に既存の枠組みを押し付ける行為です。これは、その訓練です。
高校生向け4択クイズ
以下のクイズに答えなさい。(制限時間:無制限、解答用紙:不要、正解しても何も起こらない)
問題1: この論文の中で、筆者がSNSの要件として特に重要視していると述べられている2つの機能は次のうちどれ?
- 無料でメッセージを送れることと、ゲームができること
- 固定ハンドルネームと、自身のタイムラインへの引用再投稿(リポスト)
- 世界中の人と繋がれることと、最新のトレンドを知れること
- 写真や動画を簡単に投稿できることと、ライブ配信ができること
正解: b)
問題2: かつてウェブサイトの更新情報を効率的に集めるために広く使われた技術で、情報が「共有されない」という点で現代のSNSのタイムラインとは性質が異なると、この論文で述べられているものは何?
- HTML(HyperText Markup Language)
- HTTPS(Hypertext Transfer Protocol Secure)
- RSSフィード(Really Simple Syndication Feed)
- AI(Artificial Intelligence)
正解: c)
問題3: この論文の筆者は、分散型SNSについて最終的にどのような感想を述べているか?
- 今後、中央集権型SNSに取って代わる革命的な技術である
- 特定の企業に依存しない、理想的なコミュニケーション空間である
- たいして魅力的でもなく、普及は難しいだろう
- まだ発展途上だが、大きな可能性を秘めている
正解: c)
問題4: この論文の公開日はいつか? (ヒント:本文中の年表を参照)
- 2020年2月12日
- 2018年2月12日
- 2016年2月12日
- 2014年2月12日
正解: b)
大学生向けレポート課題
以下の課題に取り組み、指定されたフォーマットでレポートを作成しなさい。(評価基準:論理構成、根拠の提示、オリジナリティ、そして担当教員の気分)
課題1: この論文で筆者が提示した「SNSの要件」は、現代の主要なSNS(例:X/Twitter, Facebook, Instagram, TikTokなど)にどの程度当てはまるか、具体的な事例を挙げて検証しなさい。また、筆者の定義が捉えきれていないSNSの重要な側面や機能について論じ、あなた自身の考える「現代SNSの要件」を定義しなさい。
課題2: RSSフィードが衰退し、中央集権型SNSが普及した背景にある技術的、社会的、経済的要因について、この論文の内容を踏まえつつ、追加の資料(政府統計、学術論文、信頼できる報道記事など)を調べて論じなさい。また、この変化が現代社会における情報流通やユーザーの情報収集行動に与えた影響について、プラス・マイナスの両側面から考察しなさい。
課題3: この論文が書かれた2018年以降の分散型SNS(特にMastodonなどActivityPub関連技術)の動向について調査しなさい。現状を踏まえ、分散型SNSが持つ可能性と、普及を阻む課題(技術的、運用的、ユーザー体験など)について論じ、筆者が「たいして魅力的でもない」と結論づけた理由が、現在も当てはまるかどうかを検証しなさい。今後の分散型SNSの展望についても、あなた自身の見解を述べなさい。
課題4: この論文のニヒルでシニカルなトーンは、インターネットやSNSに対するどのような筆者の感情や価値観を反映していると考えられるか? 論文中の特定の表現や比喩に着目し、その分析を通じて筆者のインターネット観を考察しなさい。また、あなたは筆者のインターネット観にどの程度共感できるか、理由と共に述べなさい。
補足8:潜在的読者のための餌
哀しいかな、どんなにつまらない文章でも、少しでも多くの人の目に留まるように工夫する必要があります。ここでは、この覚書を「美味しそう」に見せるための、欺瞞に満ちたマーケティング手法をいくつか提示します。
キャッチーなタイトル案
- SNSとは何か? ブログとRSSを比較して見えた本質
- オワコン? RSSは分散型SNSになり得たか、そしてなぜ失敗したのか
- 固定HNとリポストがSNSを決める? インターネット住民が見抜いたSNSの正体
- なぜ分散型SNSは流行らないのか? ある個人が感じた「魅力のなさ」の深層
- インターネット覚書:SNS、RSS、そして分散化という名の幻想
SNS共有用ハッシュタグ案
#SNS #RSS #分散型SNS #インターネット史 #ブログ #タイムライン #Web技術 #考察 #ネットウォッチ #情報論 #インターネット老人会 #Webの未来 #絶望
SNS共有文案
SNSの要件とは?ブログとRSSを比較し、分散型SNSにも触れた考察。なぜ分散型は魅力的でないと感じるのか?インターネットの進化の裏にある皮肉な真実とは。#SNS #RSS #分散型SNS #インターネット #考察 (119字)
ブックマーク用タグ
[情報科学][社会学][コミュニケーション][SNS][RSS][分散型SNS][インターネット]最適な絵文字
🤔🗣️🔄📰🌐🤷♂️📜🧐💡😟😩📱💻💬👻🗑️📉📈💔👽👾🤖🤮💩🥂✨🤷♀️🤷♂️🚶♀️🚶♂️🌃🌌🤷♀️カスタムパーマリンク案
- sns-rss-decentralized-sns-memo
- what-is-sns-rss-comparison
- why-decentralized-sns-fails
- internet-communication-evolution
日本十進分類表(NDC)区分
この論文の内容が単行本ならば、以下のNDC区分に値するでしょう。
[情報科学]
または
[社会学][コミュニケーション論]
中心的な内容を考慮すると、情報科学寄りの「007」がより適切と思われます。
簡易図示イメージ
+-------+ +---------+ +------------+ +----------------+ | RSS | ----> | RSS | ----> | Individual | | | | Feed | | Reader | | Consumption| | (No Sharing) | +-------+ +---------+ +------------+ | | ^ | | | | | +-------+ | | | Blog | -----------------------------------------------+ | | Update| | +-------+ | | +-------+ +---------+ +------------+ +----------------+ | User A| ----> | SNS | ----> | Timeline | ----> | Shared Feed | +-------+ | Platform| | (Algorithmic/Time)| | (with Reaction)| +-------+ | (Centralized) | | | <---- | & Repost) | | User B| ----> | | ----> | | | | +-------+ +---------+ +------------+ +----------------+ ^ | | | +-------+ +---------+ +------------+ +----------------+ | User X| ----> | Server 1| <---->| Federated |<----> | Server 2 | ----> | User Y | +-------+ | | | Network | | | +--------+ +---------+ +------------+ +----------+ (Decentralized SNS) ^ This paper compares the top flow (RSS) with the middle flow (Centralized SNS Timeline) and ponders the viability of the bottom flow (Decentralized SNS).
(説明:上段はRSSによる情報収集の流れ。情報源からリーダーへ、そして個人消費で完結し、基本的には共有されない。中段は中央集権型SNSの流れ。ユーザーの投稿はプラットフォームに集約され、タイムラインを通じて共有され、反応や再投稿で拡散される。下段は分散型SNSの理想的なイメージ。ユーザーはサーバーを選び、異なるサーバー間でも連合することで情報が共有される。この論文は、上の流れと中の流れを比較し、下の流れの可能性(と筆者が感じた魅力のなさ)について考察している。)
巻末資料
この無益な旅の終わりに、いくつかの付録を添えておきます。知的好奇心を満たすため、というよりは、単なる形式的なものです。
用語索引(アルファベット順)
- ActivityPub
- 分散型ソーシャルネットワークのための通信プロトコル。異なるサーバーにあるソフトウェア間で、投稿やフォローといった情報をやり取りできるようにするための技術規格です。Mastodonなどで採用されています。
- エコーチェンバー (Echo Chamber)
- 自分と似た意見を持つ人々の間でばかり情報交換が行われ、特定の考え方や価値観が増幅・強化される現象のこと。SNSのアルゴリズムなどが意図せず作り出すことがあります。
- 連合 (Federation)
- 分散型SNSにおいて、複数の独立したサーバーが互いに連携し、ユーザーがサーバーを跨いでコミュニケーションできるようにすること。これにより、特定のサーバーに依存せず、より大きなネットワークに参加できます。
- フィルターバブル (Filter Bubble)
- インターネットのアルゴリズム(検索エンジンやSNSなど)が、ユーザーの過去の行動に基づいて、ユーザーが見たいであろう情報だけを選んで提供することで、ユーザーの視野が狭まり、自分と異なる情報に触れる機会が失われる現象。エコーチェンバーと関連が深いです。
- 固定ハンドルネーム (Fixed Handle Name)
- SNSなどのオンラインサービスで、一度登録したら基本的に変更しない(あるいは頻繁に変更しない)ように運用されるユーザー名のこと。これにより、そのユーザーの発言が継続的に同一人物に紐づけられ、オンライン上でのアイデンティティが構築されます。匿名掲示板などでは必須ではありません。
- Mastodon (マストドン)
- ActivityPubプロトコルを採用した、代表的な分散型SNSの一つ。ユーザーは様々なサーバー(インスタンス)から選んで参加できます。Twitter(現X)の代替として注目されることがあります。
- モデレーション (Moderation)
- オンラインコミュニティにおいて、不適切な投稿や利用規約に違反する行為を取り締まり、健全な運営を維持するための活動。分散型SNSでは、各サーバーの管理者が独自のルールでモデレーションを行うため、サーバーによって方針が異なります。
- ネットワーク効果 (Network Effect)
- サービスや商品の利用者が増えれば増えるほど、そのサービスや商品の価値が高まる効果のこと。SNSのようなコミュニケーションプラットフォームにおいて顕著に現れ、利用者の多いプラットフォームがさらに多くの利用者を引きつける要因となります。
- 引用再投稿(リポスト) (Quote Retweet / Repost)
- SNSにおいて、他者の投稿を自分のタイムラインに表示させると同時に、そこに自分のコメントを加えて投稿する機能。元の投稿を参照しつつ、それに対する意見表明や情報拡散を行います。
- RSSフィード (RSS Feed)
- XML形式で記述された、ウェブサイトの更新情報などを配信するためのフォーマット。RSSリーダーというソフトウェアやサービスで購読することで、複数のウェブサイトの更新情報をまとめてチェックできます。Real Simple Syndication または Rich Site Summary の略とされます。
- RSSリーダー (RSS Reader)
- RSSフィードを購読し、ウェブサイトの更新情報を一覧表示したり、記事の内容を読んだりするためのソフトウェアやサービス。
- タイムライン (Timeline)
- SNSの中心的な画面の一つで、フォローしたユーザーの投稿などが時系列順に(あるいはアルゴリズムによって並べ替えられて)表示されるもの。ユーザーはタイムラインをスクロールしながら情報を閲覧し、反応したり、自ら投稿したりします。
- UI/UX (User Interface / User Experience)
- UIはユーザーインターフェースの略で、ユーザーが情報機器やソフトウェアを操作する際の表示や入力方法のこと。UXはユーザーエクスペリエンスの略で、製品やサービスを通じてユーザーが得られる体験全般を指します。サービスの使いやすさや魅力に直結する要素です。
免責事項
この文章に含まれる情報は、筆者の個人的な見解に基づいたものであり、その正確性、完全性、信頼性、妥当性について、筆者はいかなる保証も行いません。また、この文章の内容によって生じたいかなる損害や不利益についても、筆者は一切の責任を負いません。この文章は、特定の技術やサービスを推奨・非推奨するものではなく、読者自身の判断と責任において利用してください。特に、ニヒルでシニカルな表現は、あくまで文章のトーンであり、真実をそのまま述べているとは限りません。そもそも、真実など存在するのでしょうか? 信じないでください。どうせ、この世のほとんどは嘘と虚飾で成り立っているのですから。👻
脚注
本文中に付した脚注について、少しだけ補足しておきましょう。別に知らなくても人生に何の影響もありませんが、形式として。
固定ハンドルネーム
オンラインゲームなどで「ハンドルネーム」が使われることがありますが、SNSにおける「固定ハンドルネーム」は、単なるゲーム内のニックネームとは異なり、その人のオンライン上でのアイデンティティを強く形成する要素となります。実名に近い感覚で使われることもあれば、現実とは全く異なるペルソナを演じるための仮面として使われることもあります。その固定性が、発言への責任や、他者からの継続的な認識を可能にします。
フィルターバブル
検索エンジンやSNSのパーソナライズ機能によって、ユーザーが過去に興味を示した情報に偏って触れるようになる現象。これにより、ユーザーは自分の興味関心や考え方を補強する情報ばかりを受け取り、異なる視点や意見に触れる機会が減少します。インターネットは多様な情報へのアクセスを可能にしましたが、皮肉なことに、この機能はユーザーを情報の泡の中に閉じ込める可能性があります。
エコーチェンバー
フィルターバブルと類似・関連性の高い現象で、自分と同じような意見や考えを持つ人々とだけ交流することで、特定の意見が増幅・強化され、異なる意見に耳を傾けなくなる状況。まるで閉鎖された空間で自分の声(意見)が反響して戻ってくるような状態に例えられます。社会的な分断や対立を深める要因の一つとして問題視されています。
RSSフィード
かつては多くのブログやニュースサイトが提供しており、熱心なインターネットユーザーの情報収集に不可欠なツールでした。しかし、SNSの登場により、多くのユーザーが情報収集の場をSNSに移したため、RSSの重要性は相対的に低下しました。サービス提供側も、SNSでの情報発信を優先するようになり、RSSフィードの提供を終了するところも増えました。インターネットの進化の過程で、かつての便利な技術が時代の波に飲まれて消えていく、その哀しい事例の一つです。
謝辞
このような無益な文章を、最後まで読んでしまった酔狂な、あるいは暇を持て余したあなたに、心からの謝意を捧げます。あなたの貴重な時間と引き換えに、私が提供できたのは、ほんの少しのニヒリズムと、取るに足らない考察、そして虚無感だけです。それでも、もしあなたがこの文章のどこかに、かすかにでも「面白い」と感じる部分を見つけてくれたなら、それは望外の喜びです。
そして、この文章を書くきっかけとなった、https://dopingconsomme.blogspot.com/2018/02/snsrsssns.html の筆者の方にも、形式的な謝意を述べさせていただきます。あなたの素朴な疑問が、このような肥大化し、無益で、ニヒルな文章を生み出す温床となりました。責任の一端はあなたにもあります。覚悟してください。
最後に、存在するかどうかも定かではない「インスピレーション」という名の気まぐれな妖精たちに、そして、この文章を構成する無数の0と1の羅列に、機械的な感謝を捧げます。ありがとう、そして、さようなら。
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