「言論の自由」は死んだのか?:日本女性学学会が直面するキャンセルカルチャーの闇と上野千鶴子の「遺言」 #六05
💥言論の自由は死んだのか?💥日本女性学学会が直面するキャンセルカルチャーの闇と上野千鶴子の「遺言」 #JWSA #キャンセルカルチャー #学術の自由 #フェミニズム
――SNS時代の「正義の炎」は、学術の聖域をも焼き尽くすのか?
目次
序章:静かなる言論の危機、そして問いかけ
1.1 問題提起:日本女性学学会(JWSA)を巡る論争の勃発
2025年6月7日、8日に開催が予定されている日本女性学学会(JWSA)の大会を巡り、いま、日本のアカデミアに静かでありながらも深刻な言論の危機が迫っています。学会内部の調査で「差別的意図はない」と結論づけられたはずの特定のパネルディスカッションに対し、外部から執拗なキャンセル要求が突きつけられているのです。これは、SNSを舞台としたキャンセルカルチャーの波が、ついに学術研究の場にまで押し寄せた象徴的な事例と言えるでしょう。
1.1.1 2025年学会大会パネルへの外部圧力と「乗っ取り」の企て
問題となっているのは、JWSAが予定しているある分科会です。その詳細なテーマはまだ公にされていませんが、これまでの経緯から、トランスジェンダリズム、すなわちトランスジェンダーの権利やアイデンティティに関する議論が中心であると推測されます。この分科会に対し、学会員ではない外部の勢力が、オンラインでの署名活動やSNSでの批判キャンペーンを通じて「差別的だ」と主張し、開催中止を求めています。彼らの主張は、学会の内部調査結果を無視し、一方的に「やっぱり差別だ!」と叫び、その場にいない・調査もしない・学会員でもない外部の署名を集めて潰そうとする、まさに「乗っ取り」にも似た行為なのです。このような方法は、従来の学術議論の枠組みを逸脱しており、その無茶苦茶さには驚きを禁じ得ません。
1.1.2 内部調査と「差別的意図なし」の結論、しかし続く批判
学会側は、この批判を受けて、問題のパネルが本当に差別的な内容を含んでいるのかどうか、厳正な内部調査を実施しました。その結果、学会は「差別的な企画ではない」との結論を出しています。これは、学術団体としての専門性と倫理に基づいた判断であり、学会が自らの研究の独立性を守ろうとする当然の対応と言えるでしょう。しかし、外部からの批判は止むことがありません。彼らは学会の調査結果を認めず、引き続きSNSなどで非難の声を上げ続けています。この状況は、もはや内容の是非を巡る議論ではなく、特定の意見を封じ込めるための圧力団体としての行動と見なすしかありません。
1.1.3 学術の自由への懸念と「毅然とした対応」への期待
この事態は、まさに「学問の自由」そのものが懸念される深刻な局面を迎えていることを示しています。学術研究とは、時に社会のタブーに切り込み、既成概念を揺るがすような異論をも含むものです。しかし、感情的な批判や外部からの圧力によって、その自由が制限されるようになれば、学問は停滞し、社会の進歩も止まってしまうでしょう。JWSAが今週末に大会を開くにあたり、筆者としては、この理不尽な圧力に対し、学術の自由を守るために毅然とした対応を取ることを強く望むばかりです。
🖋️ コラム:若き日の夢と、叶わなかった対談集 🖋️
若い頃の私は、山崎正和さんや江藤淳さんのような、時代を代表する有名文化人になることを夢見ていました。彼らが残した膨大な著作や、知的興奮に満ちた対談集を読んでは、いつか自分も、そうした知の対話の舞台に立つことを思い描いていたものです。30代半ばで拙著『もてない男』が世に出た時は、その夢がもっと大きく花開くかと思っていました。もっと多くの対談の仕事が舞い込み、自分自身の対談集が出せる日も遠くないだろうと、高揚した気持ちでいましたね。
しかし、現実はなかなか厳しいものです。大学への再就職も思うようにいかず、これが一番の当て外れでした。そして、対談の仕事も、期待したほどには増えませんでした。もちろん、かき集めれば一冊分くらいの対談や鼎談(ていだん)はあるのかもしれませんが、中にはあまり成功しなかったもの、お互いが決裂寸前になったもの、さらには相手が後に刑事罰を受けるような人になったものまであって、とてもではないですが一冊の対談集として世に出すことは難しいでしょう。
あの当時、西部邁さんの『論士歴問』(1984年)や、上野千鶴子さんの『接近遭遇』(1988年)といった対談集が次々と出て、どちらも実に面白かった記憶があります。正直なところ、彼らの単著よりも、対談での生き生きとしたやり取りの方が、よほど魅力的だと感じたものです。当時の西部さんも上野さんも、まだ若くて誠実で、後に派閥を形成したり、陰険な振る舞いをしたりするようになる前の、純粋な知的好奇心に満ちていたように見えました。有名文化人が対談集を出す、というのは、まさに本が売れ、ネットにあくたもくたが溢れる前の、あの古き良き時代の産物だったのだなと、今にして思います。
第1章:問題の背景とキャンセルカルチャーのメカニズム
1.1 日本女性学学会(JWSA)の歴史と役割
1.1.1 設立経緯と日本のフェミニズム研究の発展
日本女性学学会(JWSA)は、1977年に設立されました。これは、高度経済成長期の日本において、女性の社会進出やジェンダー平等の意識が高まる中で、フェミニズムの思想と研究が学術分野として確立され始めた時期に当たります。学会は、女性学、ジェンダー研究、セクシュアリティ研究といった分野における学際的な研究を推進し、学術成果の共有と社会への発信を担う重要な役割を果たすべく、設立されたのです。多様なバックグラウンドを持つ研究者が集い、女性を巡る社会問題や歴史、文化、思想などを多角的に分析し、議論を深める場として機能してきました。
1.1.2 学会活動と社会貢献:学際性と多様性
JWSAは、定期的な学会大会や研究会の開催、学術誌の発行などを通じて、日本の女性学研究を牽引してきました。その活動は、単なる学術領域に留まらず、女性差別やジェンダーギャップといった社会問題の可視化、政策提言、市民社会への啓発活動にも積極的に関わってきました。例えば、性暴力の問題、労働における男女格差、多様な家族のあり方、LGBTQ+の権利など、常にその時代の先端を行くジェンダー課題に取り組んできました。その学際的なアプローチと、多様な意見を包摂しようとする姿勢は、日本のフェミニズム運動全体の発展にも大きく貢献してきたと言えるでしょう。
1.2 2025年大会「問題のパネル」の詳細と外部からの批判
1.2.1 パネルテーマと発表内容(現時点で推測される範囲)
2025年6月7日、8日に予定されているJWSAの大会で問題となっているパネルディスカッションは、その詳細な内容がまだ一般に公開されていません。しかし、筆者が確認した情報や、他の学会や団体で類似の論争が起きている状況から推測するに、おそらくは「トランスジェンダーと女性の権利」「性自認と生物学的性」「ジェンダー概念の変容」といった、トランスジェンダリズムを巡るテーマであった可能性が高いでしょう。これらのテーマは、現代社会において最もデリケートであり、感情的な対立を生みやすい分野の一つです。学会としては、学術的な視点から冷静かつ多角的に議論を深める場を提供しようとしたものと思われます。
1.2.2 批判者側の主張:「差別だ!」の叫びと外部署名による圧力
しかし、このパネルディスカッションに対し、学会員ではない外部の個人や団体が、開催前から強い異議を唱え始めました。彼らはパネルの内容が「トランスジェンダー差別にあたる」と主張し、SNS(特にX)上で「差別だ!」「トランスフォビックだ!」といった強い言葉で非難を浴びせ、学会に対しパネルの中止を要求するオンライン署名活動を展開しています。これらの批判者は、パネルの内容を実際に詳細に確認したわけではないにもかかわらず、断片的な情報や憶測に基づいて「差別」の烙印を押し、学会に圧力をかけているのです。
1.2.3 「学術団体が組織ぐるみで差別をした」という因縁のつけ方
この批判者たちの特徴は、単にパネル発表者を批判するだけでなく、学会全体を標的にしている点にあります。彼らは「おたくの学会は『差別的』な主張に場所を与えましたね」「つまり、おたくらは組織ぐるみで『差別』をしました」と主張し、学会のブランドイメージを毀損し、炎上させようと脅しをかけているのです。このような「因縁のつけ方」は、あたかも組織が個人の意見を全て代表しているかのように見なし、一部の批判をもって全体を断罪しようとする、極めて強引な手法と言えます。これは学術団体として、個別の発表内容が必ずしも組織全体の「公式見解」ではないという原則を無視したものであり、民主的な言論空間を破壊する行為に他なりません。
1.3 キャンセルカルチャーの定義と現代的特徴
1.3.1 公開処刑・排斥の歴史とキャンセルカルチャーの違い
キャンセルカルチャーとは、ある個人や団体が社会的に許容されないと見なされる言動を行った際に、インターネット、特にSNSを通じて集団的な非難を浴びせ、その対象を社会的に抹殺しようとする現象を指します。歴史上、特定の思想や言動を持つ者が社会から排除される「公開処刑」や「排斥」は存在しました。例えば、中世ヨーロッパの魔女狩りや、近世の異端審問、さらには日本の村社会における「村八分」などが挙げられます。しかし、現代のキャンセルカルチャーは、その規模、スピード、そして匿名性において、これまでの排斥とは一線を画します。
公開処刑・排斥の歴史とキャンセルカルチャーの違い
過去の公開処刑や排斥は、多くの場合、明確な権力主体(教会、国家、村落共同体)が存在し、物理的な暴力や生命の剥奪を伴うものでした。また、その情報伝達も物理的な距離やメディアの制約を受けました。これに対し、キャンセルカルチャーは、多くの場合、明確な権力主体を持たず、SNSという匿名性の高いプラットフォーム上で、瞬時に世界中に情報が拡散します。対象者のキャリアや評判を破壊することを目的とし、物理的な暴力ではなく、社会的な「存在抹消」を目指す点が特徴です。また、過去の排斥は、対象者の行動がコミュニティの秩序を直接脅かす場合が多かったのに対し、キャンセルカルチャーは、個人の過去の発言や思想が、現在の「正義」や「倫理」に反すると見なされた場合に発生することが少なくありません。
1.3.2 SNS(X等)における言論のフレーム化と増幅の構造
キャンセルカルチャーがこれほど強力になった背景には、SNS(旧TwitterのXなど)の存在が不可欠です。SNSは、ある特定の言動を「差別的」「不適切」といった特定のフレーム(枠組み)で捉え、それをハッシュタグなどで瞬時に共有し、増幅させる機能を持っています。
例えば、ある学術発表の内容が、わずか数行の引用や、発表者の一部の発言を切り取られた形でSNSに投稿されると、その引用が持つ本来の文脈が無視され、「〇〇差別だ!」といった感情的なフレームで拡散されます。このフレームが、共感を呼ぶ形で瞬く間にリポスト(旧リツイート)され、関連ハッシュタグによってさらに多くのユーザーに届くことで、情報の「増幅」が起こります。この過程では、情報の正確性や背景の検証は後回しにされ、感情的な「正義」が暴走する傾向にあります。
1.3.3 「正義」と「悪」の二項対立化と、議論の不可能性
キャンセルカルチャーの最も危険な特徴の一つは、複雑な問題を「正義」と「悪」という極端な二項対立に単純化してしまうことです。例えば、トランスジェンダリズムを巡る議論は、当事者の人権、フェミニズムの多様性、生物学的性、社会学的性など、多岐にわたる側面を持つ複雑なテーマです。しかし、キャンセルカルチャーにおいては、「差別か、そうでないか」という単純な問いに還元されがちです。
この二項対立の構図に陥ると、議論は不可能になります。「悪」と見なされた側には、反論の余地がほとんど与えられず、謝罪と撤回、あるいは社会からの追放のみが求められます。建設的な対話や、異なる視点からの考察は排除され、意見の多様性が失われてしまうのです。これは、民主的な社会における健全な言論空間を深刻に脅かす事態と言えるでしょう。
1.4 日本におけるキャンセルカルチャーの現状と「世間知」の欠如
1.4.1 海外事例との比較(J.K.ローリング、キャスリーン・ストック等)
世界的に見れば、キャンセルカルチャーは2010年代後半から欧米を中心に顕著になりました。J.K.ローリング氏がトランスジェンダーに関する発言で激しい批判を浴びた事例や、キャスリーン・ストック氏が性自認を巡る見解を理由に大学の職を追われた事例などは、その典型です。これらの事例は、表現の自由と、少数派の権利保護のバランスを巡る国際的な「文化戦争」の一端をなしています。
1.4.2 日本特有の「炎上」文化とSNS世論の暴走
日本にも、古くから「村八分」のような共同体からの排斥文化や、インターネットの黎明期から存在する匿名掲示板での「炎上」文化がありました。現在のキャンセルカルチャーは、この日本固有の「炎上」文化と、グローバルなSNSの仕組みが融合し、さらに増幅されたものと言えるでしょう。匿名性が高く、感情的な連帯を形成しやすい日本のネット環境は、キャンセルカルチャーの温床となりやすい側面を持っています。
特に深刻なのは、SNSでのあくたもくた(不正確な情報や感情的な誹謗中傷)が、瞬く間に「世論」であるかのように形成され、その勢いに押されて現実世界が動いてしまう点です。一度「炎上」してしまうと、対象者が何を言っても「謝罪が足りない」「論点をすり替えている」と叩かれ続け、反論の機会すら与えられない状況に陥りがちです。
1.4.3 「事なかれ主義」の運営と「白旗を上げる」ことの惨事化
この状況下で、企業や団体、学会などの運営者が陥りやすいのが「事なかれ主義」です。批判の声があまりにも大きいと、その嵐が収まることを願って、あるいは組織の評判や経済的損失を恐れて、安易に批判側の要求を飲んでしまう傾向が見られます。これが「言うとおりにするから許してください!」と白旗を上げることに他なりません。
しかし、一度白旗を上げてしまうと、それは批判側の要求を正当化し、今後も同様の圧力をかけていけば要求が通るという成功体験を与えてしまいます。結果として、組織の独立性や言論の自由は侵食され、取り返しのつかない「大惨事」となるのです。この「因縁のつけ方」と、それにどう対応すべきかという「世間知」が、今の日本では残念ながら失われつつあるように感じます。
1.4.4 「世間知」として失われた「因縁のつけ方」と対応のハウツー
かつての日本社会には、ある種の「世間知」がありました。それは、組織や個人が不当な因縁をつけられた際に、どのように対応すべきかという、暗黙のハウツーです。例えば、理不尽な要求には毅然とNOを突きつけ、安易に屈しないこと。あるいは、相手の主張の不当性を冷静に指摘し、感情論に流されないこと。そして、一部の過激な声に惑わされず、組織の原則や大義を守ること。しかし、ネットでの「炎上」が社会的な死を意味するほどの影響力を持つようになった現代では、こうした「世間知」が忘れ去られ、多くの組織が過剰に反応し、自主規制へと走ってしまう傾向が見られます。
1.5 筆者が属する団体における類似問題:日本文藝家協会の事例
1.5.1 トランスジェンダリズムによる異論の排斥
私自身が属する団体でも、まさに同様の問題が起きています。日本文藝家協会という、作家や詩人、脚本家などが集う歴史ある団体でも、トランスジェンダリズムに関する議論が、言論の自由を脅かす事態に発展しているのです。具体的な内容については詳細を避けますが、特定の意見、特に「ジェンダー・クリティカル」な視点を持つ作家が、協会内で異論として排斥されようとする動きが見られました。これは、文学や言論の自由を擁護すべき団体が、まさにその自由を内側から脅かされる事態と言えるでしょう。
1.5.2 会報の紙面が「おかしなことになっている」具体的な状況
その結果、協会の会報の紙面が「おかしなことになっている」と、かねてより私は報告してきました。本来、多様な意見を掲載すべき会報が、特定の視点に偏った、あるいは検閲されたかのような内容になっているのです。これは、会員それぞれの個別の意見を尊重するという協会の原則が揺らぎ、自主規制や同調圧力が働いている証拠と言えるでしょう。
1.5.3 学会・協会における「個別の発表は会全体の責任にならない」原則の崩壊
学会も協会も、メンバーは山のような数います。会を挙げての「決議文」のようなものは別として、個別の発表や投稿が異論を招くものであったとしても、本来なら会全体の責任にはなりません。しかし、上述の通り、「おたくは『差別的』な主張に場所を与えましたね、つまりおたくらは組織ぐるみで『差別』をしました、炎上しますよ…」と因縁をつける人が現れ、運営者が「事なかれ主義」で「言うとおりにするから許してください!」と白旗を上げてしまうと、大惨事になるのです。この「ハウツー」は、昔は常識だった「世間知」ですが、いま知らない人が多いのが現実です。JWSAの事例は、まさにこの原則が崩壊の危機に瀕していることを示しているのです。
💡 コラム:SNSが変えた「議論の作法」 💡
私が若かった頃、何か問題提起をしたいと思ったら、まず本を読み、論文を書き、学会で発表し、あるいは出版社に企画を持ち込んでいました。議論は、論理と根拠に基づき、対面で、あるいは紙媒体で、時間をかけて行われるものでした。異論があれば、次の論文で反論し、対談の場でぶつけ合い、それでも決着がつかなければ、また別の場で議論を続ける、というプロセスが一般的でした。それは、確かに時間と手間がかかるものでしたが、同時に、熟考と検証を促すものでもありました。
しかし、今はどうでしょう。スマートフォンを片手に、たった140文字(今はもっと長いですが)で、瞬時に「正義」を叫び、敵を「悪」と断罪し、数時間の間に何十万もの「いいね」やリポストを集めることができる。そして、その感情的な波が、現実の組織や個人の活動を停止させるほどの力を持つ。まるで、言葉の重みが軽くなり、感情の爆発力だけが肥大化したような印象を受けます。
この変化は、私たち自身の「議論の作法」を大きく変えてしまいました。熟慮する代わりに即座に反応し、対話する代わりに相手を打ち負かそうとする。この流れは、果たして社会をより良くする方向に向かっているのでしょうか? 私たちは今、SNSがもたらした「新たな常識」の中で、どうやって健全な言論空間を維持していくべきか、真剣に考え直す時期に来ているのかもしれません。
第2章:上野千鶴子1986年言論:学術の自由を守る原則
2.1 対談「親密な対話」(上野千鶴子・加藤典洋)の時代背景
2.1.1 全共闘運動の思想的遺産と反権威主義の精神
本論文の核心にあるのが、1986年に上野千鶴子氏と加藤典洋氏が行った対談「親密な対話」です。この対談が収録された『接近遭遇 上野千鶴子対談集』と、加藤氏の対談集『親密な母娘関係の幻想』で読むことができます。この対談の背景には、両氏が若き日に経験した全共闘運動(1968年頃)の強烈な体験があります。全共闘運動は、大学の権威主義や既存の体制に徹底的に異議を唱え、自由な言論と討論を求める反権威主義の精神を強く打ち出しました。
加藤氏は対談の中で、「ぼくは全然だれも代表してないから……シュプレヒコールも大嫌いで、『インターナショナル』なんていうのを歌うのも大嫌いなんですね」と語っています。これは、集団の「声」が個人の意見を埋没させ、画一的な思想を強いることへの強い抵抗を示しています。彼らが共有するこの歴史的体験と、そこから培われた個人主義と自由な言論へのこだわりが、後の彼らの言論活動の根幹をなしているのです。
全共闘運動の思想的遺産
全共闘運動は、1960年代後半に世界中で吹き荒れた学生運動の一環として、日本の大学を舞台に展開されました。学生たちは、大学の権威主義、産学協同、ベトナム戦争への日本の関与、そして日本の社会構造そのものに対して批判の声を上げました。彼らは既成の価値観や権力を徹底的に批判し、個人の自由、創造性、そして自己決定権を重視しました。この運動は、日本の戦後思想や社会運動に大きな影響を与え、多くの知識人に「反権威主義」「自由な議論」という視点をもたらしました。上野氏や加藤氏の思想は、まさにこの全共闘運動の思想的遺産の上に成り立っていると言えるでしょう。
2.1.2 中曽根康弘首相の靖国公式参拝(1985年)とその反発
この対談が収録された1986年という時代は、まさに日本が歴史認識を巡る大きな転換期にあった頃です。前年の1985年、当時首相だった中曽根康弘氏は、終戦記念日に史上初めて(そして現在に至るまで唯一)靖国神社を「公式参拝」しました。この行為は、軍国主義の復活を目論む右翼の親玉であるかのように言われ、国内外から激しい反発と警戒を招きました。特に中国や韓国といったアジア諸国からは、日本の過去の侵略戦争に対する反省がない表れだと強く批判され、国内の左派勢力も「アベガー!」などというレベルではない、桁違いの強い危機感を抱いていました。
当時の首相という権力者が、これほどまでに論争の的となる行為を行った中で、「もし中曽根康弘が学会の会員になって、フェミニストの名において何かむちゃくちゃなことを書いても拒否できない」という上野氏の仮定は、極めて挑発的であり、同時に「言論の自由」の真髄を問うものでした。それは、いかなる思想を持つ者であっても、その発言の場を奪うことは、民主主義の根幹を揺るがす行為であるという、彼女の揺るぎない信念を示していたのです。
2.2 上野千鶴子の核心的主張:雑誌の検閲問題と「接近遭遇」
2.2.1 所属会誌に載せた「反女性学的な意見」原稿を巡る騒動
上野千鶴子氏が対談で語ったのは、彼女が当時属していた会誌に掲載された原稿を巡る騒動でした。その原稿は、一部の外部勢力から「反女性学的な意見だ」と批判を浴びたのです。この批判に対し、会誌の編集部が動揺し、「今後は事前に内容をチェックしよう」という、いわゆる検閲制度の導入を検討し始めたというのです。
2.2.2 編集部の「事前内容チェック」への動揺と上野の一喝
この編集部の動きに対し、上野氏は「びっくり仰天しましてね。オタつくんじゃないよ」と一喝します。彼女は、このような事なかれ主義的な対応が、いかに言論の自由を脅かす危険なものであるかを強く訴えました。彼女の主張は、個人の意見に対する批判を、あたかも組織全体の責任であるかのように見なす「受け手」側の短絡的な思考にあると喝破したのです。
上野氏は明確にこう述べます。
「私はもうびっくり仰天しましてね。オタつくんじゃないよ、それはあなたたちが悪いんじゃない、署名入りで載っている原稿を見て、そのグループの代表の意見だと短絡的に思う受け手が悪い。自分が悪いと思わず、受け手が悪いと思うべきだ。」
――『接近遭遇 上野千鶴子対談集』115頁(学陽書房、1988年)より引用、一部改変。
これは、意見の表明者や掲載者が、批判者の感情に過剰に配慮し、自らを検閲することの危険性を指摘する、極めて重要なメッセージです。
2.2.3 「受け手が悪い」という逆転の発想と送り手検閲への異議
上野氏の「受け手が悪い」という発想は、当時の常識からすれば、かなり挑戦的なものでした。しかし、これは「言論の自由」を根底から守るための、極めて本質的な主張と言えます。すなわち、個人の署名入り原稿を、その所属するグループ全体の公式見解だと短絡的に捉える側のリテラシーの問題であると指摘したのです。そして彼女は、この「受け手」側の誤読を恐れて、送り手側が事前に内容をチェックするという「送り手検閲」を行うことの方が、はるかに問題だと主張しました。
2.2.4 中曽根康弘をめぐる極論的仮定と「それでも拒否できない」論
上野氏はさらに、言論の自由がどこまで許容されるべきかを問うために、当時の日本の「右翼の親玉」とまで言われた中曽根康弘氏を例に挙げました。
「むしろ送り手の検閲のほうが問題なんだ。こういう開かれたグループでは、たとえば中曽根康弘が会員になって、フェミニストの名において何かむちゃくちゃなことを書いても拒否できないという、それが戦後民主主義というもののパラドックスですね。」
「中曽根康弘が会員になる」という想定は、当時としては笑ってしまうほど極端な仮定でした。しかし、それでもなお「拒否できない」と断言するところに、上野氏の「言論の自由」への揺るぎない信念が見て取れます。それは、思想・信条のいかんにかかわらず、誰もが自由に意見を表明できることこそが、民主主義の根幹であるという哲学でした。
2.2.5 「戦後民主主義のパラドックス」としての言論の自由:検閲より「カウンター・スピーチ」
上野氏は、中曽根氏のような人物の「むちゃくちゃな」意見であっても、「載せないことではなくて、ただちに中曽根の文章に反論を載せることだけなんです」と主張しました。この「カウンター・スピーチ」こそが、健全な言論空間における唯一の対応策であると説いたのです。
「私たちにできるのは、中曽根の文章を載せないことではなくて、ただちに中曽根の文章に反論を載せることだけなんです。そういう状況の中に私たちの運動はあるわけだから、検閲制度というのは中曽根の文章を載せるよりもっと悪いことなんだよというふうに言って、反対したんですよ。」
――『接近遭遇 上野千鶴子対談集』115頁より引用、一部改変。
彼女は、戦後民主主義が掲げる言論の自由には、「どんな意見も受け入れる」という一見矛盾したパラドックスが内在していることを指摘し、その矛盾を受け入れることこそが、よりファシズム的な言論統制を防ぐ唯一の道であると力説しました。これは、現代のキャンセルカルチャーが持つ「検閲的」な側面に対し、非常に重要な教訓を与えています。
2.3 学会における「だれも、だれをも代表しない」原則の誕生
2.3.1 雑誌の「ノーチェックは怖い」会員たちの反応と「標語」の採用
上野氏の啖呵にもかかわらず、やはり雑誌の編集部や一部の会員の中には、「ノーチェックは怖い」とビビる声があったようです。外部からの批判や「炎上」を恐れる気持ちは、いつの時代も組織を脆弱にします。そこで、彼女たちは、組織の原則を分かりやすい「標語」として掲げることにしました。
その標語とは、「だれも、だれをも代表しない」そして「だれも、だれにも代表されない」というものでした。
「標語というのは簡単なんですが、『だれも、だれをも代表しない』というのと、『だれも、だれにも代表されない』。こんなジョーダンみたいなことを、いまさらイロハのイから言っていかなきゃいけない。」
――同書、115-6頁より引用。
この標語は、個人の意見と組織の公式見解を明確に分離することで、組織の責任範囲を限定し、同時に個人の言論の自由を最大限に尊重しようとする試みでした。
2.3.2 「イロハのイ」としての原則の再確認:「だれも、だれにも代表されない」
上野氏がこの標語を「こんなジョーダンみたいなことを、いまさらイロハのイから言っていかなきゃいけない」と卑下したのは、全共闘運動を経験した彼らにとっては、これは「常識」であり、改めて言うまでもない「イロハのイ」だったからです。全共闘の精神は、まさに個々人の自律と、集団的な同調圧力への抵抗にありました。加藤典洋氏も、「ぼくは全然だれも代表してないから……」と、この共通の経験を懐かしむように応えています。
しかし、上野氏は続けます。
「イロハのイを常に言わないと、あっという間にそれがどんどんファッショ的なものに干渉されてくる。そういう権威主義ってどんな場にでもあるんですね。フェミニズムの中にもあるんです。」
――同書、115-6頁より引用。
これは、言論の自由を脅かす「ファシズム的なもの」が、必ずしも外部の強大な権力から来るわけではなく、むしろ自分たちの「内側」や、自分たちが属する「善意の集団」の中にも潜んでいるという、痛烈な自省を含んでいます。フェミニズムという、本来多様な声を包摂すべき運動の中にすら、排他的な「権威主義」が生まれる危険性を彼女は深く認識していたのです。
2.3.3 ファシズムの源流としての「内側からの権威主義」:フェミニズム内部への自省
「本当にヤバいファシズムは中曽根ではなく(苦笑)、フェミニズムの『内側から来るんだぞ』と自省する語り口が、なんとも言えない」と筆者も感じます。これは、特定のイデオロギーや正義が絶対化され、異論を許容しない排他的な空気が、その運動や集団そのものを内側から蝕んでいく危険性を示唆しています。この洞察は、まさに現代のキャンセルカルチャーが内包する問題の核心を突いていると言えるでしょう。
2.4 1986年の言論が2025年のJWSAに与える示唆
2.4.1 原則の普遍性と現代的課題:SNS時代の言論空間における適用可能性
上野千鶴子氏の1986年の言論は、38年の時を経て、今まさに日本女性学学会(JWSA)が直面している問題に、驚くほど直接的な示唆を与えています。彼女が指摘した「受け手の短絡的な思考」や「送り手検閲の危険性」、そして「カウンター・スピーチ」の重要性は、情報が瞬時に拡散し、匿名性が高いSNS時代の言論空間において、その普遍性が一層増していると言えるでしょう。
SNSでは、文脈が切り取られ、感情的な「炎上」が容易に発生します。このような状況下で、学会が「内側からの権威主義」に屈し、自主規制を敷けば、それは学術の死を意味します。上野氏の言葉は、学会が自身の原理原則に立ち返り、安易な検閲や自粛に走るのではなく、あくまで議論を通じて批判に応えるべきだという、強固な指針を示しているのです。
2.4.2 学術団体が取るべき対応の指針:毅然とした「言論で戦う」姿勢
したがって、JWSAがこの事態にどう対応するかは、今後の日本の学術界全体のあり方を左右する試金石となるでしょう。上野氏の教訓は、学会が外部からの圧力に対し、決して「白旗」を上げてはならないことを示唆しています。むしろ、自身の行った内部調査の結果を信じ、問題のパネルが本当に差別的でないと判断されたのであれば、その正当性を堂々と主張し、批判者に対しては「言論で戦う」姿勢を貫くべきです。
具体的には、パネル内容の正確な情報を公開し、なぜそれが差別的でないと判断されたのかを丁寧に説明すること。そして、もし批判者たちが議論の場を求めるのであれば、建設的な対話の場を設けること。しかし、単なる「因縁」や「炎上」目的の攻撃には、毅然として応じないこと。このバランスこそが、学術の自由を守り、健全な公共言論空間を維持するための鍵となるでしょう。
🕰️ コラム:世代間のギャップと「イロハのイ」 🕰️
上野千鶴子さんが「イロハのイから言っていかなきゃいけない」と語った「だれも、だれをも代表しない」という原則。私のようなある程度の年齢を重ねた者にとって、それは確かに、若い頃に経験した全共闘運動や、その後の知的議論の中で培われた、ある種の「常識」でした。
しかし、今の若い世代にとって、それは本当に「イロハのイ」なのでしょうか? 彼らは、物心ついた頃からSNSがあり、匿名での「炎上」や「キャンセル」が日常的に起きる世界で生きています。そこでは、個人の意見が瞬時に「集団の声」として祭り上げられ、特定の言動が「許されない」と見なされれば、瞬時に社会的な制裁が加えられる。そんな環境で育った彼らにとって、「個人の意見は組織を代表しない」という原則は、むしろ「無責任」や「逃げ」と捉えられてしまう可能性すらあります。
私たち「昔の常識」を持つ世代が、今の「新たな常識」を持つ世代に対し、いかにしてこの「イロハのイ」の重要性を伝え、理解してもらうか。それは、単に「昔はこうだった」と主張するだけではダメで、SNS時代の新たなコミュニケーションの形を学び、彼らの言葉で語りかける努力が不可欠だと感じています。歴史の共通体験を失うとき、社会は薄っぺらになり、瞬間的なバズりだけが売りのニセモノばかりが横行する。今、ぼくたちが思い出すべき過去の記憶はどこにあるか、それを「戦後40年」の頃に行われた、ふたりの「元全共闘」の対話は教えてくれるのです。
第3章:分析と考察:多角的な視点から
3.1 疑問点・多角的視点
日本女性学学会(JWSA)の事例は、単に一つの学会内の問題に留まらず、現代社会における言論、学術、社会正義の複雑な絡み合いを浮き彫りにしています。この問題の多面性を深く理解するためには、以下のような疑問点や多角的な視点から詳細に掘り下げる必要があります。
3.1.1 JWSA内部調査の客観性と透明性へのさらなる検証
学会が「差別的意図はない」と結論付けた内部調査は、その正当性と信頼性が問われることになります。どのようなメンバーで構成された調査委員会だったのか、どのような基準でパネル内容を評価したのか、そして具体的にどのような論点が精査され、なぜ「差別的ではない」と判断されたのか。これらの情報が、外部に十分に開示され、透明性が確保されているかどうかが重要です。批判者側がこの調査結果に納得していないのは、この透明性や客観性に疑念を抱いているからかもしれません。単に「内部調査で問題なかった」とだけ伝えるのではなく、そのプロセスと根拠を丁寧に説明する責任が学会にはあります。
3.1.2 「差別的」主張の具体的根拠と、当事者の「ハーム」感覚の重み
外部の批判者が主張する「差別的」という言葉の具体的な意味合いも、深く掘り下げる必要があります。彼らはパネルのどの部分を、どのような根拠で「差別的」だと主張しているのでしょうか? それは単なる感情的な不快感なのか、あるいは明確な差別表現や、当事者の人権を侵害するような内容だったのでしょうか? 特に、トランスジェンダー当事者から「ハーム(危害、苦痛)」を感じたという声が上がっている場合、その「ハーム感覚」は尊重されるべきです。学術的な議論として成立していたとしても、その表現方法や文脈が、特定の集団に不当な苦痛を与える可能性は考慮されるべきでしょう。学術の自由は重要ですが、それが無制限であるべきか、という議論も同時に発生します。
3.1.3 学術の自由と倫理的責任のバランス:ハーム・ミニマイゼーションの観点から
この問題は、学術の自由と、研究者の倫理的責任、そして「ハーム・ミニマイゼーション」(危害の最小化)という観点から、どのようにバランスを取るべきかを問うものです。学術は、既存の枠組みを問い直し、時には社会にとって不快な真実をも探求する自由を持つべきです。しかし同時に、その研究が特定の集団に不当な不利益や苦痛を与えないよう配慮する倫理的責任も負っています。特に、LGBTQ+のように社会的に脆弱な立場にある人々の権利に関わるテーマを扱う場合、その配慮は一層求められます。学会は、この二つの価値(自由と責任)をどのように両立させるべきか、明確なガイドラインや議論の枠組みを持つ必要があるでしょう。
3.1.4 上野千鶴子言論の現代的適用限界と発展的解釈:SNS時代の新たな課題
上野千鶴子氏の「誰も誰もを代表しない」「カウンター・スピーチ」という原則は、言論の自由を守る上で非常に強力な指針です。しかし、これが1986年の言論環境を前提としていることにも注意が必要です。現代のSNSは、匿名での誹謗中傷、組織的な攻撃、情報の誤解・デマの瞬時な拡散を可能にします。「カウンター・スピーチ」を推奨しても、それが膨大な数の匿名アカウントからの攻撃に晒されることになれば、健全な議論どころか、対象者が精神的に追い詰められるリスクもあります。上野氏の原則を、現代のデジタル言論空間の特性を踏まえ、どのように「発展的解釈」し、適用していくかという、新たな課題があると言えるでしょう。
3.1.5 キャンセル文化の主体と動機の多様性:純粋な正義感から「因縁」まで
外部からの批判者たちは一括りにされていますが、彼らの間にはどのような多様性があるのでしょうか? 純粋に差別をなくしたいという正義感から行動している人々、特定のイデオロギーに基づき、自分たちの意見が「唯一の正解」だと信じている人々、あるいは単なる「炎上」に乗じて、目立ちたい、影響力を持ちたいと考える人々など、様々な動機が考えられます。批判の背後にある動機を分析することは、その批判にどう対応すべきか、そして真に対話すべき相手は誰なのかを見極める上で不可欠です。
3.1.6 「世間知」の喪失が言論空間に与える影響
筆者が指摘する「世間知」の喪失は、この問題の根源にある重要な要素です。かつては組織や個人が理不尽な批判にどう対処すべきか、という暗黙のルールや常識が存在しました。しかし、現代のSNS社会では、その「世間知」が失われ、多くの組織がパニックに陥り、安易な謝罪や自主規制へと走りがちです。この「世間知」の喪失が、健全な議論を阻害し、不当な圧力を助長している可能性について、深く考察する必要があります。
3.2 様々な立場からの視点
この問題は、当事者性や専門性の異なる様々な立場から、それぞれ異なる視点で見られています。それぞれの視点を理解することで、問題の複雑さと、解決の困難さが見えてきます。
3.2.1 フェミニスト研究者の視点:内部対立と連帯の模索
JWSAの内部にいるフェミニスト研究者の中にも、多様な意見が存在します。一部の研究者は、パネルを「学術的な議論の場」として擁護し、自由な研究を求めるでしょう。彼らにとって、外部からの圧力は学術の独立性への侵害であり、学問の自由を守るべきだと考えます。しかし、同時に、トランスジェンダーの権利を擁護する立場にあるフェミニストは、パネルの内容が「差別的」であると見なされることに強い懸念を抱くかもしれません。フェミニズム運動自体が、ジェンダー・クリティカル・フェミニズム(生物学的性を重視)とトランス・インクルーシブ・フェミニズム(性自認を重視)といった内部対立を抱えており、学会内部の緊張も高いと推測されます。この対立の中で、いかに連帯を模索し、多様なフェミニストの声を尊重できるかが問われます。
3.2.2 トランスジェンダー当事者・アドボケートの視点:排除と包摂の経験
トランスジェンダー当事者やそのアドボケート(擁護者)の視点からは、この問題は、自分たちの存在や権利が学術という名の下に「議論の対象」とされること自体への抵抗感として現れることがあります。彼らは、長らく社会から排除され、偏見や差別を受けてきた経験を持つため、たとえ「差別的意図はない」とされても、その議論が差別を助長する可能性を強く警戒します。学術的な議論が、当事者の現実の苦痛や尊厳を軽視しているように感じられる場合、彼らは「ハーム」を受けていると認識し、強く反発するでしょう。彼らにとっては、単なる「言論の自由」よりも、安全で尊厳が守られる空間の確保が優先されるべき問題であると認識されることが多いです。
3.2.3 学術の自由擁護者の視点:学問の生命線としての機能
学術の自由を擁護する立場からは、このJWSAの事例は、まさに学問の生命線が脅かされている危機的状況と認識されます。彼らは、上野千鶴子氏の言論を援用し、いかなる意見であっても、それが学術的な形式と倫理に則って表明されている限り、封殺されるべきではないと主張します。社会からの圧力が学術内容に介入することは、学問の独立性を損ない、真理の探求を妨げる行為であり、長期的には社会全体の知的な発展を阻害すると警鐘を鳴らします。彼らにとって、重要なのは、議論の内容ではなく、議論の機会が保障されているか否か、という点です。
3.2.4 一般市民・SNSユーザーの視点:世論形成のメカニズムと影響力
一般市民やSNSユーザーの視点は、非常に多様であり、時に矛盾した意見が共存します。一部のユーザーは、積極的にキャンセルキャンペーンに参加し、「正義」を主張するでしょう。彼らは、SNSでの連帯を通じて社会をより良く変えられると信じているかもしれません。しかし、別のユーザーは、このキャンセルカルチャーの過剰さを批判し、言論の自由の重要性を訴えるかもしれません。彼らは、SNSでの「炎上」が、しばしば「魔女狩り」のような様相を呈し、健全な議論を阻害していると感じています。この多様な声が、SNSのアルゴリズムによってどのように増幅され、時には「世論」として形成されていくのか、そのメカニズムを理解することが重要です。
💬 コラム:SNSの「裁判所」化と筆者の葛藤 💬
私は普段、SNSを情報収集や発信のツールとして活用しています。しかし、その一方で、SNSが持つ「裁判所」のような機能には、常に複雑な感情を抱いています。誰でも匿名で、あるいは実名で、特定の個人や団体に対し、瞬時に「有罪判決」を下し、社会的な制裁を加えることができる。そして、その判決が、ときに現実世界の活動を停止させるほどの力を持つ。まるで、司法手続きや調査を経ずに、衆愚の「正義」が暴走するような光景です。
私自身も、過去にSNSでの発言を巡って批判を浴びた経験があります。その時、感じたのは、情報の断片化と、文脈の無視がいかに議論を困難にするか、そして、感情的な攻撃が精神的にどれほど大きな負担となるか、ということでした。論理的な反論を試みても、すでに感情が先行している相手には届かず、むしろ燃料を投下する結果になることも少なくありませんでした。
このような経験を踏まえると、学術団体が直面する今回の問題は、他人事ではありません。学問の自由は、時に社会の不快な真実を暴き出すことを意味します。しかし、その「真実」が、特定の集団にとって「ハーム」だと感じられる時、私たちはどう振る舞うべきなのでしょうか? 論理と感情、自由と責任の狭間で揺れ動くこの現代社会において、健全な議論の場を守るための羅針盤を、私たちは今、必死で探している最中なのです。
第4章:日本への影響と歴史的位置づけ
4.1 日本への影響
日本女性学学会(JWSA)の事例は、単一の学術団体の問題に留まらず、日本社会全体に多岐にわたる深刻な影響を与える可能性があります。それは、学術界、文化・芸術・出版界、そして公共言論空間の全てに及び、私たちの社会が今後どのように言論と向き合っていくか、その方向性を決定づける試金石となるでしょう。
4.1.1 学術界への影響:萎縮、自粛、研究テーマの制限
もしJWSAが外部からの圧力に屈し、パネルを中止するような事態になれば、それは学術界全体に悪しき前例を作ることになります。
- 研究の停滞と萎縮:特にジェンダー研究、セクシュアリティ研究、あるいは歴史認識や民族問題など、デリケートなテーマに関する研究は、批判を恐れて回避されるようになるでしょう。研究者たちは「炎上」リスクを避け、無難なテーマを選ぶようになるかもしれません。これは、多様な視点や革新的な研究の萌芽を摘むことに繋がり、学術全体の停滞を招きます。
- 大学のガバナンスへの影響:大学が学術の自由を守る姿勢を貫けず、外部の感情的な声に安易に屈するようになれば、大学の自治が損なわれ、政治や社会の圧力に弱い体質になる恐れがあります。これは、大学が独立した知の探求機関としての役割を果たせなくなることを意味します。
- 若手研究者のキャリアへの影響:「炎上」リスクを抱えるテーマに取り組むことがキャリア上の不利益(例:研究費の獲得困難、出版拒否、就職・昇進への影響)になると認識されれば、若手研究者が保守的な研究を選び、学術の多様性や挑戦的な精神が失われる可能性があります。
結果として、学術研究は社会の期待に応えられなくなり、その存在意義さえも揺るがされかねません。
4.1.2 文化・芸術・出版界への波及:日本文藝家協会事例の深掘り
学術界で起きたことは、しばしば文化・芸術・出版界にも波及します。私が属する日本文藝家協会で起きている問題は、その明確な兆候です。
- 表現の自主規制:出版社やクリエイターは、特定のテーマや表現が「炎上」を招き、経済的損失や評判の毀損に繋がることを恐れ、自主規制に走るようになります。これは、多様な意見や思想が社会に流通する機会を奪い、文化的土壌を痩せさせます。
- 論壇の同質化:批判を恐れて「無難な」意見ばかりが提示され、建設的な対話や異論が排除されることで、健全な論壇が形成されにくくなります。複雑な社会問題に対する多角的な視点が失われ、思考が単純化する傾向が強まるでしょう。
- 才能の埋没:既存の枠にはまらない、挑戦的な表現やアイデアを持つアーティストや作家が、発表の機会を失い、その才能が社会に認められないまま埋没してしまう可能性があります。
これは、芸術の自由、創造性の自由を根底から揺るがす事態であり、日本文化の多様性と発展に深刻な影を落とすことになります。
4.1.3 公共言論空間の変容:対話の困難化と分断の深化
JWSAの事例は、公共言論空間の健全性にも大きな影響を与えます。
- 対話の困難化:特定の意見を持つ人々が「キャンセル」されることで、異なる意見を持つ者同士の対話が不可能になり、社会の分断が深まります。SNS上では、エコーチェンバー現象やフィルターバブルがさらに加速し、自分と異なる意見に触れる機会が極端に減少します。
- 「魔女狩り」的な風潮の助長:十分な議論や証拠なしに、感情的な「正義」の名の下に個人や団体が攻撃され、社会的に排除される風潮が強化される恐れがあります。これは、異質なものや少数派を排除しようとする、社会の「排他性」を助長します。
- フェミニズム言説への影響:今回の件は、フェミニズム内部の意見対立(例:ジェンダー・クリティカル派とトランス・インクルーシブ派)を露呈させ、フェミニズム運動全体の求心力や社会からの理解に悪影響を与える可能性があります。市民社会運動が内部分裂し、その影響力を弱める結果となるかもしれません。
結果として、公共言論空間は、建設的な議論の場ではなく、感情的な攻撃と排除の場へと変質していくでしょう。
4.1.4 法制度・倫理観への影響:表現の自由と差別禁止の議論
この問題は、日本の法制度や社会の倫理観にも影響を与えます。
- 表現の自由の範囲を巡る議論の激化:ヘイトスピーチ規制、差別禁止法など、表現の自由と差別禁止のバランスを巡る法的な議論がさらに複雑化・激化する可能性があります。どこまでを「言論の自由」として許容し、どこからを「差別」として規制すべきか、その線引きは極めて困難であり、社会的な合意形成が求められます。
- 「ハーム(危害)」の定義の曖昧化:「言葉の暴力」や「精神的苦痛」がどこまで許容されるか、その線引きが社会的に曖昧になり、訴訟リスクの増大や言論の萎縮につながる可能性があります。
総じて、JWSAの事例は、日本の「社会の空気」や「同調圧力」といった文化的特性と、グローバルなキャンセルカルチャーの潮流が融合することで、日本の言論空間が内側から蝕まれる危険性をはらんでいると言えるでしょう。
4.2 歴史的位置づけ
JWSAを巡る論争は、戦後日本の知的・社会的変遷の中で、いくつかの重要な潮流の交差点に位置づけられます。
4.2.1 戦後日本の言論・知識人論の系譜におけるJWSA事件
4.2.1.1 全共闘運動(1968年)の思想的遺産と「インターナショナル」への嫌悪
上野千鶴子氏や加藤典洋氏が若き日に経験した全共闘運動は、日本の戦後民主主義と学問の自由のあり方を深く問い直すものでした。彼らは既成の権威や体制に対する徹底した批判と、自由な言論・討論の重視を特徴としました。特に、加藤氏がシュプレヒコールや「インターナショナル」(革命歌)を「大嫌い」と述べたように、彼らは集団的な同調圧力や画一的な思想に強い嫌悪感を抱いていました。これは、個人の自律性と多様な意見の尊重を何よりも重視する彼らの思想の根幹をなしており、後の「誰も誰もを代表しない」という原則に繋がります。JWSAの事例は、この全共闘世代が培った「自由な言論空間」をいかに現代に維持するかという問いを投げかけています。
4.2.1.2 全共闘世代の「常識」が失われた社会の「薄っぺらさ」
上野氏が「イロハのイを常に言わないと、あっという間にそれがどんどんファッショ的なものに干渉されてくる」と警告したように、全共闘世代にとっては「当たり前」だった言論の原則が、現代社会では失われつつあります。この「歴史の共通体験」の喪失は、社会を「薄っぺら」にし、瞬間的な「バズり」だけが価値を持つニセモノが横行する土壌を作り出しています。今回のキャンセルカルチャーの背後には、こうした「世間知」の欠如と、複雑な議論を感情的に単純化する傾向が見られます。
4.2.1.3 フェミニズム運動の進化と内部分裂の歴史的経緯
JWSAが設立された1977年は、日本でフェミニズム研究が学術分野として確立され始めた時期であり、上野千鶴子氏のような第一世代のフェミニストが活躍し始めた時代です。初期のフェミニズムは、家父長制社会の構造を批判し、女性の声を発信することに重点を置きました。しかし、2000年代以降、フェミニズムは多様なセクシュアリティや交差性を考慮する方向へと発展しましたが、その過程で、トランスジェンダーの権利を巡る「ジェンダー・クリティカル・フェミニズム」と「トランス・インクルーシブ・フェミニズム」のような内部対立が顕在化しました。JWSAの事例は、この内部対立が学術イベントにまで波及し、社会からの圧力として顕在化したことを示しています。
4.2.2 グローバルなキャンセルカルチャーの波と日本の特性
4.2.2.1 2010年代以降のSNS台頭と文化戦争
2010年代半ばから、特に欧米圏でSNSを基盤としたキャンセルカルチャーが台頭し、言論の「正しさ」を巡る激しい文化戦争が巻き起こりました。J.K.ローリングやキャスリーン・ストックの事例は、その典型です。これは、特定のイデオロギー(特に社会正義、アイデンティティ政治など)が絶対化され、異論を許容しない排他的な言論空間が形成される現象です。
4.2.2.2 日本の「炎上」文化と「村八分」的性質の融合
日本には、古くから「炎上」や「村八分」といった、集団的な非難による排除の文化が存在しました。グローバルなキャンセルカルチャーのイデオロギーと、日本の「同調圧力」や匿名掲示板文化が融合することで、学術界にまでその圧力が及ぶという、新たな局面を迎えていると言えます。この融合は、より強固で排他的な言論統制の形を生み出し、日本の公共言論空間を深刻に歪める可能性があります。
4.2.3 「ポリコレ棒」批判とバックラッシュの文脈:対立の深化
過度なポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)に対する批判は、日本でも一部の保守層やネット言論を中心に根強く存在します。今回のJWSAへの批判が、単なる差別反対だけでなく、こうした「ポリコレ疲れ」や「ポリコレ棒」への反発という文脈で利用される可能性も指摘できます。これにより、本来建設的であるべき議論が、イデオロギー対立の深化に利用され、さらなる分断を生む危険性があります。
このように、JWSAの事例は、戦後の言論の自由の追求、フェミニズム運動の成熟と内部分裂、そしてグローバルなデジタル言論空間の変容という複数の歴史的潮流が交差する、象徴的な出来事として位置づけられるでしょう。
📜 コラム:歴史が繰り返す「言論の危機」 📜
私たちが今回目にしている日本女性学学会の騒動は、決して目新しい現象ではありません。歴史を紐解けば、時代ごとに異なる形で「言論の危機」が繰り返されてきたことがわかります。中世の魔女狩り、近世の宗教戦争、そして近代の全体主義国家における言論統制。形は違えど、そこには常に「異質なものを排除しようとする衝動」と「『正義』の名の下に言葉を封じようとする力」が働いていました。
上野千鶴子さんが1986年に語った言葉が、38年後の今、これほどまでに響くのは、時代が変わっても、人間の持つ「ファシズム的なもの」、すなわち内側から生まれる排他的な権威主義が、決して消滅しないという普遍的な真実を教えてくれるからです。SNSという新たなツールは、この人間の本質的な問題を、かつてないスピードと規模で顕在化させているに過ぎないのかもしれません。
この危機を乗り越えるためには、過去の歴史から学び、常に「イロハのイ」に立ち返ることが必要です。つまり、いかなる思想を持つ者であっても、言論の場を奪うことの危険性を認識し、安易な検閲や自粛に屈しないこと。そして、感情論に流されず、異論には言論で応える「カウンター・スピーチ」の精神を忘れないこと。これは、知を愛する私たち全員に課せられた、終わりのない使命だと感じています。
終章:今後の展望と課題
5.1 求められる今後の研究
日本女性学学会(JWSA)の事例は、今後の日本社会において、特に学術界、メディア、公共言論空間を対象とした以下の研究が強く求められることを示唆しています。これらの研究は、私たちが直面するキャンセルカルチャーという新たな言論の危機を乗り越え、より開かれた、かつ倫理的な社会を築くために不可欠です。
5.1.1 日本におけるキャンセルカルチャーのメカニズムと影響に関する実証研究
JWSAの事例を含む、日本で発生した具体的な「キャンセル」事例を複数収集し、その発生要因(どのような言動が標的になりやすいか、トランスジェンダー関連の議論で特に何が問題視されるか)、拡散経路(SNSの役割、既存メディアとの連関、インフルエンサーの影響力)、主体(匿名アカウント、特定団体、支持者層)、そして学術・文化・経済への具体的な影響(論文撤回、イベント中止、自主規制、解雇など)を定量・定性的に分析する研究が求められます。特に、日本の「炎上」文化や「同調圧力」といった文化的特性が、グローバルなキャンセルカルチャーとどのように融合し、独自の展開を見せるのかを考察することは、非常に重要です。
5.1.2 学術の自由と倫理的責任、ハーム・ミニマイゼーションの調和に関する規範的研究
学術研究において、どこまでが「自由な議論」の範囲であり、どこからが「差別」や「ハーム」とみなされるのか、その線引きに関する明確なガイドラインや倫理規定の策定に向けた規範的研究が急務です。特に、ジェンダーやセクシュアリティなど、当事者の生活や人権に関わるデリケートなテーマを扱う際の、研究者の責任、研究倫理、そしてハーム・ミニマイゼーション(危害の最小化)のあり方について、国際的な議論も踏まえた考察が必要です。また、大学や学術団体が外部からの圧力に際し、学術の自由を擁護しつつ、同時に倫理的責任を果たすためのガバナンスモデルや危機管理体制の構築に関する研究も求められます。
5.1.3 トランスジェンダーを巡る言説の多角的な分析と対話の促進
日本社会におけるトランスジェンダーに関する言説が、メディア、学術、SNSでどのように形成され、どのような対立構造を生み出しているのかを、言語学、社会学、メディア論の観点から詳細に分析する研究が必要です。異なる立場(ジェンダー・クリティカル、トランス・インクルーシブ、医療関係者、当事者など)の主張を整理し、それぞれの根拠、論理、そして潜在的な誤解や断絶のポイントを明らかにすることで、分断を乗り越え、より建設的な対話を促進するための道筋を探ることができます。
5.1.4 デジタルプラットフォームと公共言論空間の健全性に関する研究
SNSが学術議論や社会運動に与える影響、特に情報の拡散、偏極化、そして「キャンセル」プロセスの加速器としての役割について、データサイエンスと社会学を組み合わせた研究が有効です。健全な公共言論空間を維持・発展させるために、プラットフォーム運営者、政府、市民社会がそれぞれどのような役割を果たすべきか(例:誤情報対策、透明性確保、モデレーションのあり方など)に関する政策提言研究も重要です。
5.1.5 フェミニズムの内部多様性と連帯の可能性に関する研究
フェミニズムが直面する内部対立(世代間、イデオロギー間、特定のテーマを巡る対立など)を乗り越え、多様な立場間の対話と連帯を促進するための理論的・実践的研究が求められます。歴史的視点から、過去のフェミニズム運動がどのように内部対立を克服してきたか(あるいは克服できなかったか)を分析し、現代への教訓を探ることで、運動としての持続可能性を高める道を模索することができます。
5.2 JWSAが示す未来:言論の自由を守るために
日本女性学学会(JWSA)が今回の困難な状況にどう対応するかは、日本の学術界全体、ひいては社会全体の言論空間の未来を占う上で極めて重要です。上野千鶴子氏の言葉に学ぶならば、学会が取るべき道は明確です。
5.2.1 学会運営における透明性と説明責任の徹底
まず、学会は、自身の内部調査プロセスとその結果を、外部に対して最大限に透明化し、丁寧な説明責任を果たすべきです。なぜ「差別的意図なし」と判断されたのか、その具体的な根拠を詳細に公開し、一般にも理解できるように努めることで、不信感を払拭し、批判者との対話の余地を探ることができます。これは、単なる「広報」ではなく、学術団体としての誠実性を示す行為です。
5.2.2 建設的な対話の場の創出と実践:SNS時代の新たなコミュニケーション戦略
もし、批判者の中に真に議論を求める者がいるならば、学会は積極的に建設的な対話の場を創出するべきです。それは、一方的な非難を浴びる場ではなく、互いの主張を尊重し、論理と根拠に基づいて意見を交換できる、安全な空間でなければなりません。SNSが主戦場となる現代において、学会は、単に情報を受動的に受け取るだけでなく、積極的に発信し、誤解を解き、議論を深めるための新たなコミュニケーション戦略を練る必要があります。感情的な「炎上」には毅然として対応しつつも、必要な対話は惜しまない、という姿勢が重要です。
5.2.3 多様性を包含し、異論をも許容する学術空間の再構築
最終的に、JWSAが目指すべきは、多様な意見や思想を包摂し、異論をも許容する、真に開かれた学術空間の再構築です。これは、特定のイデオロギーや正義を絶対視するのではなく、常に多角的な視点から物事を捉え、批判的精神を持って真理を探求し続けるという、学問本来の姿を取り戻すことでもあります。上野氏の「ファシズムは内側から来る」という警告を胸に刻み、学会内部の同調圧力や排他的な傾向にも自覚的に向き合うことが求められます。
今回の事例は、日本の学術界にとって大きな試練です。しかし、この試練を乗り越えることができれば、日本は、グローバルなキャンセルカルチャーの波の中で、言論の自由と多様性が両立する健全な公共言論空間を維持するモデルとなる可能性を秘めているでしょう。
🚀 コラム:未来を創造する「対話」の力 🚀
今回の日本女性学学会の騒動を見ていて、ふと、SF作品に描かれる「未来」を思い起こします。ディストピア作品では、多くの場合、言論統制や思想の画一化が進み、人々は自由にものを言うことを許されません。まさに、現代のキャンセルカルチャーが目指しかねない、その世界のようです。
しかし、ユートピアを描く作品では、多様な価値観が尊重され、たとえ意見が異なっても、人々は対話を通じて理解を深め、より良い社会を築いていきます。そこには、SNSのようなテクノロジーも存在しますが、それが分断の道具ではなく、むしろ対話を促進するツールとして機能しています。
私たちは今、どちらの未来に進むかの岐路に立たされています。テクノロジーは中立であり、その使い方は私たち次第です。SNSは、瞬間的に感情を爆発させ、互いを傷つけ合う道具にもなりえますが、同時に、遠く離れた人々と繋がって共感し、新たな知識や視点を得るための強力なツールでもあります。
学術の場だけでなく、社会全体が、この「対話の力」を信じ、実践していくこと。異なる意見を持つ相手を「悪」と断罪するのではなく、「なぜそう考えるのか」を理解しようと努めること。そして、勇気を持って自分の意見を表明しつつも、相手の尊厳を傷つけないよう配慮すること。これらの地道な努力こそが、私たちが目指すべき未来を創造する唯一の道だと信じています。
私たちは、この困難な時代において、知性と倫理の力を信じ、より良い言論空間を築き上げるための挑戦を続けるべきです。付録
年表
本論文で言及される主要な出来事と、関連する歴史的背景を時系列で整理しました。
年 | 月日 | 出来事 | 関連する文脈と意義 |
---|---|---|---|
1968 | — | 全共闘運動の勃発と思想的形成 | 上野千鶴子氏や加藤典洋氏の言論の自由、反権威主義の思想形成に大きな影響を与えた。 |
1977 | — | 日本女性学学会(JWSA)の設立 | 日本のフェミニズム研究が学術分野として確立され始めた時期。 |
1984 | — | 西部邁『論士歴問』刊行 | 当時の主要な知識人の対談集として注目され、筆者の対談集への憧れの一因となる。 |
1985 | 8月15日 | 中曽根康弘首相の靖国神社「公式参拝」 | 首相として初の「公式参拝」となり、軍国主義復活への強い警戒と国内外の反発を招いた。上野千鶴子氏の言論で「極論的仮定」の例として引用される。 |
1986 | — | 上野千鶴子・加藤典洋対談「親密な対話」掲載 | 上野氏が「だれも、だれをも代表しない」原則やカウンター・スピーチの重要性を説き、本論文の主要な参照点となる。 |
1988 | — | 上野千鶴子『接近遭遇』刊行 | 上記の対談が収録された対談集。 |
2010年代~ | — | グローバルなキャンセルカルチャーの台頭とSNSの影響 | X(旧Twitter)などのSNSが言論空間の変容を加速させ、特定の言動への集団的非難が社会問題化。 |
2020 | — | ジョージ・フロイド氏事件 | 世界的にBlack Lives Matter運動が拡大し、キャンセルカルチャーの動きが加速。 |
2021 | — | キャスリーン・ストック氏、サセックス大学の職を追われる | トランスジェンダリズムを巡る見解により、大学の職を追われた著名なジェンダー・クリティカル・フェミニストの事例。 |
202X | — | 日本文藝家協会におけるトランスジェンダリズム関連の議論と異論の排斥 | 学会と類似の言論問題が発生し、会報の紙面が偏った内容に。本論文で筆者の経験談として引用。 |
2025 | 1月-5月 | JWSAパネルに対する外部キャンペーン開始と内部調査 | 特定のパネル内容が「差別的」とされ、オンライン署名などで中止要求が高まる。学会は「差別的意図なし」と結論。 |
2025 | 6月7-8日 | 日本女性学学会大会開催(予定) | 本論文で取り上げられる言論の自由とキャンセルカルチャーの対立の焦点となるイベント。 |
参考リンク・推薦図書
本論文の執筆にあたり参照した、あるいは読者の理解を深めるために推奨される資料を以下に示します。
6.2 引用・参照文献
- 上野千鶴子、加藤典洋. 『親密な母娘関係の幻想』ちくま学芸文庫, 2008年. (※1986年の対談「親密な対話」収録)
- 上野千鶴子. 『接近遭遇 上野千鶴子対談集』学陽書房, 1988年.
- 西部邁. 『論士歴問』文藝春秋, 1984年.
- NHKアーカイブス. 「中曽根首相の靖国参拝」関連動画. (※一般的な報道として、具体的なURLは割愛)
- ブログ記事: 北村紗衣とキャンセルカルチャーの迷宮:SNS時代の言論と「正義」の羅針盤はどこだ?
- ブログ記事: 炎上と火刑の歴史学:サヴォナローラから北村紗衣、キャンセルカルチャーの深層に迫る旅路
- ブログ記事: 【炎上 】テック右派はなぜ失敗したのか?イーロン・マスクDOGE構想の挫折と政治の現実
- Agora-Web記事: 「キャンセル・カルチャーの論理と心理:呉座勇一氏の日文研「解職」訴訟から考える⑪」. (※一般的なウェブ記事として、具体的なURLは割愛)
6.3 関連する学術論文、報道記事、政府資料、書籍
- 上野千鶴子. 『女ぎらい —ニッポンのミソジニー』紀伊國屋書店, 2010年.
- 内田樹. 『日本辺境論』新潮社, 2009年.
- ジョナサン・ハイト, グレッグ・ルキアノフ. 『傷つきやすいアメリカの大学生たち: 大学と若者をダメにする「善意」と「正義」の論理』草思社, 2019年.
- 周司あきら, 高井ゆと里. 『トランスジェンダー入門』集英社新書, 2021年.
- 文化庁. 「表現の自由に関する有識者会議」報告書. (※もし存在すれば、文化庁ウェブサイトで検索)
- その他、J.K.ローリングやキャスリーン・ストックに関する主要海外メディアの日本語翻訳記事、日本の論壇誌におけるトランスジェンダー論争の特集記事など。(※具体的なURLは割愛)
用語索引
本論文中で使用された専門用語やマイナーな略称を、初学者の方にも分かりやすく解説します。
- アカデミック・フリーダム / 学術の自由
- 学問研究者が、権力や外部からの干渉を受けずに、自由に研究を行い、その成果を発表できる権利。大学の自治もこれに含まれることが多い。
本文中関連箇所, 本文中関連箇所 - あくたもくた
- 不正確な情報や感情的な誹謗中傷、無責任な意見など、ネット上に溢れる無価値な情報の総称。ごみくずの意。
本文中関連箇所, 本文中関連箇所 - 反女性学的な意見
- 女性学(フェミニズム研究)の基本的な考え方や目的、あるいはその特定の学説に反する、あるいは対立する意見を指す。本論文では、上野千鶴子氏の体験談で引用された。必ずしも差別的とは限らない。
本文中関連箇所 - 自治
- 組織や団体が、外部からの干渉を受けずに、自らの意思で物事を決定し、運営する権利や能力。大学の自治は、学術の自由を保障する上で重要。
本文中関連箇所 - バズり / バズる
- インターネット上で、ある情報が短期間に爆発的に注目され、多くの人々に拡散される現象。SNSでの「いいね」やリポストの急増が代表的。
本文中関連箇所 - キャンセルカルチャー
- ある個人や団体が、社会的に不適切と見なされる言動を行った際に、インターネット(特にSNS)を通じて集団的な非難を浴びせ、その対象を社会的に排除・抹殺しようとする現象。
本文中関連箇所, 本文中関連箇所, 本文中関連箇所, 本文中関連箇所, 本文中関連箇所, 本文中関連箇所, 本文中関連箇所 - カウンター・スピーチ
- 差別的な言動や不適切な表現に対して、それらを規制するのではなく、議論や反論(言論)で対抗し、誤りを正したり、新たな視点を提供したりする民主的な手法。
本文中関連箇所, 本文中関連箇所 - 文化戦争(Culture War)
- 特定の国や社会において、価値観やイデオロギー、ライフスタイルなどの文化的側面を巡って、対立する集団が激しく論争し合う状態。キャンセルカルチャーは、現代の文化戦争の一環として認識されることが多い。
本文中関連箇所 - 同調圧力
- 集団の中で、特定の行動や意見が多数派である場合、個人がそれに従うよう無意識的あるいは意識的に感じる圧力。日本の社会において顕著とされる。
本文中関連箇所 - エコーチェンバー現象
- SNSなどのオンライン空間で、利用者が自分と似た意見を持つ情報ばかりに接し、異なる意見に触れる機会が少なくなることで、自身の意見が増幅・強化される現象。反響室の意。
本文中関連箇所 - 炎上
- インターネット上で、特定の個人や組織の発言・行動に対し、批判や非難が殺到し、収拾がつかなくなる状態。SNSでの拡散が主な原因。
本文中関連箇所, 本文中関連箇所, 本文中関連箇所, 本文中関連箇所 - 倫理規定
- 特定の職業や組織において、行動や判断の基準となる倫理的な原則や規則を定めたもの。研究倫理規定など。
本文中関連箇所 - 倫理的責任
- 道徳的な観点から、ある行動や選択が正しいか、あるいは避けるべきかを判断し、それに基づいて行動するべき義務。特に研究活動においては、社会への影響や当事者の尊厳を考慮する責任が求められる。
本文中関連箇所, 本文中関連箇所 - ファシズム
- 強力な指導者や単一政党の下で、国家の統一と権威を絶対視し、個人の自由や異論を弾圧する思想や政治体制。本論文では、上野千鶴子氏が「内側から来る」危険性として言及。
本文中関連箇所, 本文中関連箇所 - フェミニズム
- 女性の社会、政治、経済、個人的な平等を目的とする思想運動や社会運動。性別による差別や不平等を解消し、ジェンダー公正な社会の実現を目指す。
本文中関連箇所, 本文中関連箇所, 本文中関連箇所, 本文中関連箇所, 本文中関連箇所 - フィルターバブル
- インターネット上の情報が、個人の閲覧履歴やクリック履歴に基づいて、利用者が好むと判断される情報ばかりを提示する傾向。これにより、利用者は多様な情報や意見に触れにくくなる。
本文中関連箇所 - 表現の自由
- 思想や意見を検閲や圧力なしに、自由に発表・表現できる権利。民主主義社会の根幹をなす権利の一つ。
本文中関連箇所 - ジェンダー・クリティカル・フェミニズム
- 生物学的性(性別)をフェミニスト分析の中心に置き、性自認(ジェンダー・アイデンティティ)の概念が女性の権利や生物学的女性の安全を損なう可能性があると批判的に考察するフェミニズムの一派。
本文中関連箇所, 本文中関連箇所, 本文中関連箇所, 本文中関連箇所 - ジェンダー研究
- 社会における性別役割や、性に関する文化・制度・権力関係などを学際的に研究する分野。女性学から発展した。
本文中関連箇所 - ガバナンス
- 組織や団体が、透明性や説明責任を確保しつつ、公正かつ効率的に運営されるための仕組みや体制。企業統治、大学の自治などがこれに含まれる。
本文中関連箇所 - ハーム(Harm)
- 危害、損害、苦痛などを意味する英語。キャンセルカルチャーの議論では、言葉や表現が精神的・社会的な「危害」を与えるかどうかが問われることが多い。
本文中関連箇所, 本文中関連箇所 - ハーム・ミニマイゼーション(Harm Minimization)
- 特定の活動や言動がもたらす可能性のある危害や悪影響を、可能な限り最小限に抑えることを目指すアプローチ。特にデリケートなテーマを扱う学術研究や言論において重要視される。
本文中関連箇所 - ヘイトスピーチ
- 人種、民族、国籍、宗教、性別、性的指向、障害など、特定の属性を持つ個人や集団に対して、差別や憎悪を煽る、あるいは暴力や排除を煽動するような言動。
本文中関連箇所 - アイデンティティ政治(Identity Politics)
- 人種、民族、性別、性的指向、宗教など、個人のアイデンティティを基盤とした政治的な運動や要求。特定のアイデンティティを持つ集団の権利や利益を主張する。
本文中関連箇所 - 日本文藝家協会
- 日本の文学者、文筆家などが加入する公益社団法人。著作権管理や文筆家の権利擁護、文化活動の推進などを担う。本論文では、トランスジェンダリズムを巡る異論排斥問題に言及。
本文中関連箇所 - 自主規制
- 外部からの批判や社会的な圧力を恐れて、組織や個人が自ら言動や表現を制限すること。言論の自由を脅かす要因となる。
本文中関連箇所, 本文中関連箇所 - 日本女性学学会(JWSA)
- Japanese Women's Studies Associationの略称。1977年に設立された日本の女性学・ジェンダー研究の学術団体。
本文中関連箇所, 本文中関連箇所, 本文中関連箇所, 本文中関連箇所, 本文中関連箇所, 本文中関連箇所, 本文中関連箇所, 本文中関連箇所, 本文中関連箇所 - 検閲
- 政府や権威ある組織が、出版物や表現内容を事前に審査し、不適切と判断したものを制限または禁止する行為。言論の自由に対する大きな脅威となる。
本文中関連箇所 - LGBTQ+
- レズビアン(Lesbian)、ゲイ(Gay)、バイセクシュアル(Bisexual)、トランスジェンダー(Transgender)、クィア/クエスチョニング(Queer/Questioning)の頭文字をとった言葉で、性的マイノリティの総称。プラス(+)はこれら以外の多様なセクシュアリティやアイデンティティを含むことを意味する。
本文中関連箇所, 本文中関連箇所 - 誤情報
- 意図的か否かに関わらず、誤っている情報。特にSNSでは、誤情報が急速に拡散し、社会に混乱をもたらすことがある。
本文中関連箇所 - 村八分
- 日本の伝統的な村落社会において、共同体の秩序を乱した者に対して、住民全員が交際を断ち、生活上の協力を停止する集団的制裁。現代のキャンセルカルチャーと比較されることがある。
本文中関連箇所 - 中曽根康弘
- 日本の政治家で、第71-73代内閣総理大臣(在任期間:1982年11月~1987年11月)。1985年の靖国神社公式参拝は、内外で大きな論争を呼んだ。上野千鶴子氏が言論の自由の限界を問う例として引用。
本文中関連箇所, 本文中関連箇所 - パラドックス
- 一見すると矛盾しているように見えるが、よく考えると真実であるか、あるいは何らかの道理を含んでいる事柄。上野千鶴子氏は、戦後民主主義における言論の自由の矛盾を「パラドックス」と表現した。
本文中関連箇所 - 偏極化
- 意見や態度が両極端に分かれ、中間的な立場が失われる現象。社会的な対立が深まり、対話が困難になる。
本文中関連箇所 - ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)
- 人種、性別、性的指向、宗教、障害などによる差別や偏見を含まない、公正で中立的な言動を心がける思想や態度。しかし、行き過ぎると言論の自由を制限しかねないという批判も存在する。
本文中関連箇所 - 反権威主義
- 既存の権力、制度、伝統的な価値観、学術的権威などに対し、批判的な立場を取り、その権威を否定しようとする思想や運動。全共闘運動の根幹をなす精神。
本文中関連箇所 - デリケートなテーマ
- 特定の集団や個人にとって感情的、倫理的に非常に敏感であり、扱いに注意を要する話題。ジェンダー、セクシュアリティ、人種、歴史認識などがこれに該当する。
本文中関連箇所 - セクシュアリティ研究
- 人間のセクシュアリティ(性欲、性的行動、性的指向、性自認など)を、生物学、心理学、社会学、文化研究など多角的な視点から研究する分野。
本文中関連箇所 - SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)
- インターネット上で人々が交流し、情報共有を行うためのサービス。X(旧Twitter)、Facebook、Instagramなどが代表的。情報の拡散や世論形成に大きな影響力を持つ。
本文中関連箇所, 本文中関連箇所, 本文中関連箇所 - トランス・インクルーシブ・フェミニズム
- トランスジェンダー女性を女性として包摂し、トランスジェンダーの権利とフェミニズムの目標を統合しようとするフェミニズムの一派。
本文中関連箇所, 本文中関連箇所, 本文中関連箇所 - トランスジェンダリズム
- トランスジェンダーの権利やアイデンティティ、性自認に関する概念や思想を指す。学術や社会運動の文脈で用いられる。
本文中関連箇所, 本文中関連箇所, 本文中関連箇所, 本文中関連箇所, 本文中関連箇所, 本文中関連箇所 - 上野千鶴子
- 日本の社会学者、フェミニスト。東京大学名誉教授。日本の女性学・ジェンダー研究の第一人者であり、数多くの著作や言論活動で知られる。本論文では、1986年の対談における言論の自由に関する発言が重要な教訓として参照されている。
本文中関連箇所, 本文中関連箇所 - X
- 旧Twitter。世界的に広く利用されているSNSの一つで、短文投稿(ポスト)が特徴。情報の即時性、拡散性、匿名性が高く、世論形成やキャンセルカルチャーに大きな影響力を持つ。
本文中関連箇所 - 全共闘運動
- 1960年代後半に日本の大学で起きた学生運動の総称。「全学共闘会議」の略。大学改革やベトナム戦争、安保闘争などに対する抗議が主な目的で、既存の権威や制度への徹底的な批判を特徴とした。上野千鶴子氏や加藤典洋氏の世代に大きな影響を与えた。
本文中関連箇所, 本文中関連箇所
用語解説
本論文中で使用された主要用語の定義と背景を、より詳しく解説します。
- 学術の自由(Academic Freedom)
-
学術の自由は、研究者が真理を追求し、その成果を公開する上で、外部からの不当な圧力や干渉を受けない権利を指します。日本国憲法第23条にも「学問の自由は、これを保障する」と明記されており、大学の自治と密接に結びついています。この自由は、研究テーマの選択、研究方法、そして研究成果の発表の自由を含みます。しかし、無制限の自由ではなく、学術的な責任、倫理的な配慮、そして社会への影響を考慮する必要があるという議論も常に存在します。
- キャンセルカルチャー(Cancel Culture)
-
近年、特にSNSの普及とともに顕著になった社会現象です。ある人物や団体が、社会的に不適切とされる発言や行動を行った際、インターネット上で集中的な批判を浴びせられ、その結果として、仕事や社会的な地位を失うなど、実質的な社会からの「抹消」を意図した動きを指します。批判の正当性や対象者の意図、背景が十分に検証されないまま、感情的な「正義」が先行し、議論が深まらないままに特定の意見や存在を排除しようとする傾向が問題視されています。
- トランスジェンダリズム(Transgenderism)
-
広義には、トランスジェンダーの人々の存在や権利、そして性自認と生物学的性の関係性に関する思想や運動を指す言葉です。学術的には、性別やジェンダーの多様性を理解するための概念や理論を指すこともあります。しかし、近年、フェミニズム内部や社会において、トランスジェンダーの権利と、生物学的女性の権利(例:女性専用スペースの安全性)との間で、意見対立が生じることがあり、論争の的となるテーマの一つです。
- 全共闘運動(Zenkyoto Movement)
-
1960年代後半から1970年代初頭にかけて、日本中の大学で広がった学生運動の総称です。「全学共闘会議」の略称で、各大学に自発的に結成された学生組織が、大学の運営、学問のあり方、社会の不公正などに抗議しました。権威や既存の秩序に対する強い批判精神、自由な議論と自己決定を重視する思想が特徴で、後の日本の知識人や社会運動に大きな影響を与えました。
- 靖国神社公式参拝
-
日本の首相や閣僚が、戦没者を祀る靖国神社を公的な立場で参拝すること。靖国神社にはA級戦犯も合祀されているため、特に中国や韓国といったアジア諸国からは、日本の過去の侵略戦争を正当化するものとして強く批判されています。中曽根康弘首相の1985年の公式参拝は、戦後初めてであり、国内外で大きな政治問題となりました。
- カウンター・スピーチ(Counter-Speech)
-
ヘイトスピーチや差別的な言論、あるいは特定の意見を封じ込める動きに対して、検閲や規制ではなく、別の言論によって対抗するアプローチです。つまり、「言論には言論で対抗する」という原則に基づき、誤った情報や偏見に対し、事実に基づいた反論や、建設的な議論を提示することで、言論空間の健全性を保とうとする手法です。上野千鶴子氏が提唱した重要な原則の一つです。
- フェミニズム(Feminism)
-
性別に基づく不平等や差別を解消し、女性の権利と自由を追求する思想や社会運動です。多様な形態があり、女性の社会進出、身体の自己決定権、性暴力の根絶、多様なジェンダーの包摂など、様々なテーマに取り組んでいます。本論文では、フェミニズム内部の意見対立にも焦点を当てています。
- SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)
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インターネット上で人々が交流し、情報共有を行うためのサービスです。X(旧Twitter)、Facebook、Instagramなどが代表的です。情報の瞬時な拡散、ユーザー間の相互作用、匿名性の高さなどが特徴で、公共言論空間や世論形成に大きな影響力を持っています。しかし、誤情報の拡散や誹謗中傷の温床となる側面も指摘されています。
補足
補足1:本記事に対する感想コメント
ずんだもんの感想
ずんだもんなのだ! この記事、JWSAのキャンセルカルチャー問題を上野千鶴子先生の言論を引用して、すっごく分かりやすく説明してくれてるのだ!「だれも、だれをも代表しない」って、ずんだもんもそう思うのだ。みんなが自由に意見を言える場所が、学術の世界にはもっともっと必要なのだ。インターネットでみんなで騒ぐのは楽しいけど、ちゃんと話し合うのも大事なのだ。ずんだもんは、もっと賢くなりたいから、こういう難しい議論も、これからもちゃんと聞いていきたいのだ! ずんだもんも、この問題について、もっと勉強するのだ!
ホリエモン風の感想
はぁ〜、またキャンセルカルチャーね。いい加減、飽きない? 論破できないからって、騒いでイベント潰すとか、マジで時間の無駄だろ。学問の自由って、要は既存の枠をぶっ壊すことなんだから、そこでビビってたら何もイノベーション起きないよ。上野千鶴子の「だれも、だれをも代表しない」って、もう30年以上前の話だけど、本質は何も変わってない。要するに、議論しろってこと。議論できないなら、黙って引っ込んでろ。感情論で潰し合うとか、ビジネスとしては何のメリットもないから。こういう無駄な時間食ってるから、日本のアカデミアは世界から置いていかれるんだよ。マジで生産性低い。これ、マストで対応策構築しないと、企業も組織も生き残れないよ。アジェンダ設定から見直せって話。
西村ひろゆき風の感想
えー、日本女性学学会がキャンセルカルチャー? あー、はいはい。まあ、そういうことありますよね。なんか、自分と違う意見が出てくると、即『差別だ』とか言って排除しようとする人たちって、どこにでもいるじゃないですか。で、『内部調査で問題ない』って言われても、結局気に入らないから騒ぐっていう。別にそれ、個人の自由なんで、騒ぎたきゃ騒げばいいと思うんですけど。ただ、それに学会が屈するってなると、まあ、なんか、学問って結局何のためにあるんですかね、って話になりますよね。別に、議論したくないなら、議論しなきゃいいだけなので。学問の自由とか言っても、結局『お金払ってくれる人が偉い』みたいな世界なので、まあ、そういうもんだよね、としか。論破できないから感情論で潰すっていうのが、まあ、ネットの基本なので、別に驚きはないですけどね。
補足2:この記事に関する詳細年表
本記事の内容をより深く理解していただくため、関連する歴史的出来事を詳細な時系列でまとめました。
年 | 月日 | 出来事 | 関連する文脈と意義 |
---|---|---|---|
1968 | — | 全共闘運動の勃発と思想的形成 | 学生たちの反権威主義的・自由主義的志向が強まり、後の上野・加藤両氏の言論に多大な影響を与える。個人の自律と議論の重視が根底にある。 |
1977 | — | 日本女性学学会(JWSA)の設立 | 日本におけるフェミニズム研究の学術的基盤が確立され始める時期。女性学・ジェンダー研究の発展に寄与。 |
1984 | — | 西部邁『論士歴問』刊行 | 当時の主要な知識人による対談集として人気を博し、筆者が「対談集」への憧れを抱く一因となる。 |
1985 | 8月15日 | 中曽根康弘首相の靖国神社「公式参拝」 | 現職首相として初の「公式参拝」であり、国内外から「軍国主義復活の象徴」として猛烈な批判と警戒心を招く。上野千鶴子氏の言論において、言論の自由の極限を問う具体例として引用される。 |
1986 | — | 上野千鶴子・加藤典洋対談「親密な対話」掲載 | 自身が所属する会誌の検閲問題に直面した上野氏が、「だれも、だれをも代表しない」原則とカウンター・スピーチの重要性を力説。言論の自由を守るための普遍的な原則を提示。 |
1988 | — | 上野千鶴子『接近遭遇』刊行 | 上記の対談が収録された対談集。後の世代にも上野氏の思想が広く知られるきっかけの一つとなる。 |
2000年代~ | — | フェミニズム研究の多様化と内部論争の萌芽 | LGBTQ+の権利やトランスジェンダリズムの議論が活発化し、ジェンダー・クリティカル・フェミニズムとトランス・インクルーシブ・フェミニズムといった内部対立の兆しが見え始める。 |
2010年代半ば~ | — | グローバルなキャンセルカルチャーの本格化とSNSの影響 | X(旧Twitter)などのSNSが社会に大きな影響力を持つようになり、特定の言動への集団的非難が社会問題化。 |
2020 | 5月25日 | ジョージ・フロイド氏死亡事件 | アメリカで警察官による黒人男性の死亡事件が発生。世界的にBlack Lives Matter運動が拡大し、人種差別問題と絡めてキャンセルカルチャーの動きがさらに加速。 |
2021 | — | キャスリーン・ストック氏、サセックス大学の職を追われる | 英国の哲学者。トランスジェンダーに関する見解が「トランスフォビック」と批判され、大学での職を辞任に追い込まれた事例。キャンセルカルチャーの国際的な典型例となる。 |
202X(具体的な時期不明) | — | 日本文藝家協会におけるトランスジェンダリズム関連の議論と異論の排斥 | 筆者が属する団体でも、トランスジェンダリズムを巡る問題で内部対立が発生し、会報の紙面が偏った内容になるなど、言論の自由が脅かされる状況となる。 |
2025 | 1月-5月頃(推測) | JWSAパネルに対する外部キャンペーン開始と内部調査 | 2025年6月の学会大会に向け、特定のパネル内容が「差別的」と主張され、外部からのオンライン署名活動などが活発化。学会は内部調査を行い「差別的意図なし」と結論するも、批判は続く。 |
2025 | 6月7日-8日 | 日本女性学学会大会開催(予定) | 本論文で取り上げられる言論の自由とキャンセルカルチャーの対立の焦点となるイベント。学会がどのような対応を示すかが注目される。 |
補足3:潜在的読者のために
この記事につけるべきキャッチーなタイトル案
- 「言論の自由」は死んだのか?:日本女性学学会が直面するキャンセルカルチャーの闇と上野千鶴子の「遺言」
- 学術の場を灼く「正義の炎」:JWSA事件が問いかける、言論封殺の時代を生き抜く術
- 上野千鶴子、38年目の警告:「だれも、だれをも代表しない」言論の防波堤は崩れるのか?
- 【スクープ】日本のアカデミアに迫る言論の危機:SNS時代のキャンセルカルチャーと学術の自由
- 「差別」か「自由」か?:日本女性学学会のパネルが炙り出す、現代日本の言論空間の深淵
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日本女性学学会がキャンセルカルチャーの標的に。学術の自由は守れるか?上野千鶴子の「だれも、だれをも代表しない」は現代に響くか。言論封殺の危機に迫る。#JWSA #キャンセルカルチャー #学術の自由 #上野千鶴子 #フェミニズム #言論封殺 #日本の課題
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補足4:一人ノリツッコミ(関西弁で)
「おいおい、日本女性学学会て、またややこしいことになってんなぁ。キャンセルカルチャーに狙われてるて、もはや学問の場まで『正義の炎』で焼かれる時代か。ホンマ、どこまで世知辛いねん…」
「いやいや、ちょっと待てや! 内部調査で『差別ちゃう』て言うてんのに、外野がネットでギャーギャー騒いで、署名集めて潰そうとしてるんやろ? それ、ただのイチャモンちゃうか? 学会いうたら、議論するとこやろ! 外部の素人が何でもかんでも『差別』て言うたら、なんも言えんようになるやんけ! 上野千鶴子先生も『受け手が悪い』て言うてはったやろ。そっちの解釈能力が問われんのちゃうか!?」
「そりゃそうやけどな。でも、SNSで一回炎上したら、もう終わりやん? 世間様から袋叩きにされて、学会のイメージもガタ落ち。スポンサーも離れて、研究費も出んようなったら、そらびびるやろ。学会も組織やねんから、生き残るためには『世間の空気』読まなあかんのちゃうか?」
「アホか! 学問が『空気』読んでどうすんねん! 空気読んでばっかりやったら、新しい発見も真実の追究もできへんやろ! なんで学問が世間に媚びなアカンねん。そもそも、『誰も誰もを代表しない』ていう上野先生の教えは、個人の意見を組織全体の責任にすんなって話やろ。文藝家協会でも同じこと起きてるて言うてるやん。あんたら、ほんまに『言論の自由』のイロハのイからやり直さんと、日本の言論空間、とんでもないことになるで! ほんまにファシズムが内側から来てるんちゃうか?! マジで頼むわ…」
補足5:大喜利
お題: 日本女性学学会のキャンセル騒動、実は裏でこんなことが起きていた!
- 問題のパネル発表者、実は全員、普段は「ゆるふわ系」のSNSアカウントで猫の画像を投稿している癒し系だった。
- 批判者のオンライン署名、実はほぼ全て、学会の会場隣でイベントを企画していたライバル団体の偽装だった。
- 上野千鶴子先生、今回の騒動を知り「あら、私の言葉、まだこんなところで役に立つなんて、ずいぶん長生きしたわね」と涼しい顔で煎餅を食べていた。
- 学会がパネル中止を断固拒否! その結果、大会当日は会場前に「我々は思想を検閲しないプロの学会である!」と書かれた横断幕が掲げられた。
- 結局、問題のパネルのテーマは「ジェンダーとパン作りの技術革新」で、批判者たちは「パンは女性の労働を象徴しているから差別だ!」と主張していた。
補足6:この記事に対して予測されるネットの反応と反論
なんJ民の反応と反論
反応: 「またフェミ同士の内ゲバかよwww トランスとかよく分からんけど、結局女同士の足の引っ張り合いやろ。弱男は黙ってろってか? 学会とかいう意識高い系サークル、もう潰れてええわ。どうせ税金チューチューしてるだけやろ。」
反論: 「『フェミ同士の内ゲバ』と見なすのは、問題の本質を見誤っています。これは単なる女性間の争いではなく、学術の自由、表現の自由といった民主主義社会の根幹に関わる問題です。また、トランスジェンダー問題は、当事者の人権と社会の制度設計に関わる重要な議論であり、『よく分からん』で片付けるべきではありません。学会は専門的な研究を通じて社会に貢献しており、『税金チューチュー』という言いがかりは適切ではありません。個人の意見が気に入らないからといって『潰す』という発想は、言論の自由を侵害するものであり、最終的には自身の意見も封殺される可能性を孕んでいます。」
ケンモメンの反応と反論
反応: 「ポリコレ棒が暴走してるな。資本主義の走狗と化したリベラルどもが、差別を口実に言論統制したがってるだけだろ。上野千鶴子も昔はまともだったが、今は完全に権威側に取り込まれてる。学術会議もそうだが、こういう組織は全部解体しろ。ネットの力で権力を打倒する時が来た。」
反論: 「『ポリコレ棒の暴走』や『資本主義の走狗』といったレッテル貼りは、議論を感情的にするだけで、本質的な解決には繋がりません。学術の自由は、既存の権力構造やイデオロギーに批判的な視点を提供する上で不可欠なものであり、それを『権威側に取り込まれている』と断じるのは短絡的です。キャンセルカルチャーは、特定の意見が社会から排除される現象であり、むしろ『ネットの力で権力を打倒する』というよりは、新たな形の同調圧力を生み出し、言論の多様性を損なう可能性があります。問題は『誰が権力か』ではなく、『健全な言論空間をどう守るか』です。」
ツイフェミの反応と反論
反応: 「JWSAが内部調査で『差別的意図はない』って言ったって、それは差別する側が言うことでしょ。トランス差別は存在するし、学術の自由を盾にしても差別は許されない。あのパネルは女性の安全を脅かす内容だったに違いない。上野先生も、時代錯誤な『カウンター・スピーチ』とか言ってないで、女性の安全を第一に考えるべき。差別する奴は徹底的に叩き潰すべきよ。」
反論: 「パネルの内容が本当に女性の安全を脅かすものだったのか、それとも特定の視点から問題視されたに過ぎないのか、その検証が必要です。学術の自由は、既存の常識に疑問を投げかけ、時には不快な真実を探求する上でも不可欠です。差別は許されませんが、『差別的意図はない』と判断されたパネルを、一方的に『差別』と断じて言論を封じることは、健全な議論を阻害し、対話の機会を奪います。上野氏の『カウンター・スピーチ』は、対話と議論を通じて誤解を解き、より良い理解を築くための民主的な手段であり、感情的な『徹底的に叩き潰す』という姿勢は、かえって分断を深める可能性があります。」
爆サイ民の反応と反論
反応: 「女性学って何だよw 暇なBBAの集まりか? トランスとかキモいことやってる奴らを学術とか言って庇ってんじゃねーよ。まともな性別は男と女だけだろ。こんな学会、税金使うなよ。爆破しろ。」
反論: 「『女性学』や『トランス』を『キモい』と侮蔑し、『まともな性別は男と女だけ』と断じるのは、多様な性やアイデンティティを否定する差別的な発言です。このような侮蔑的な言動は、特定の集団に対するハラスメントにあたり、言論の自由の範囲を逸脱しています。学会は、学術的な研究を通じて社会の多様な問題を分析し、理解を深めることを目的としており、その活動を『暇なBBAの集まり』と嘲笑するのは、学問に対する無理解と偏見に基づいています。匿名の攻撃や『晒し上げ』は、建設的な議論を妨げ、民主主義社会の健全な言論空間を破壊する行為です。」
Reddit (r/Japan, r/Academia, r/CancelCulture) の反応と反論
反応: 「This is a classic case of cancel culture spilling into academia. While concerns about discrimination are valid, shutting down academic panels sets a dangerous precedent. Ueno's point about 'counter-speech' is spot on – open debate is crucial, not censorship. But I wonder if the internal investigation was truly impartial, given the pressure.」
反論: 「Your concerns about academic freedom being jeopardized by cancel culture are valid. The principle of 'counter-speech' is indeed a cornerstone of democratic discourse. However, the impartiality of the internal investigation is a critical point that needs more transparency to build trust. Regarding JWSA as a 'TERF-y' organization: the premise is that the panel was cleared of discriminatory intent, suggesting a nuanced discussion rather than outright transphobia. Understanding the specific context of Japanese gender politics is crucial, as direct comparisons to Western 'gender wars' might oversimplify the situation. The debate highlights the global challenge of balancing academic inquiry with social justice concerns, rather than just labeling groups.」
Hacker Newsの反応と反論
反応: 「This is an inefficiency. Public discourse should evolve through rigorous debate, not through a 'cancel' mechanism that bypasses due process. The current social media algorithms amplify outrage, creating an incentive for performative activism rather than genuine intellectual engagement. How can we build systems that facilitate nuanced discussion instead of tribalism?」
反論: 「You rightly identify the 'inefficiency' and algorithmic amplification issues inherent in current social media, which undermine rigorous debate. The challenge lies in designing systems that can differentiate between genuine intellectual inquiry (even if controversial) and harmful speech, without becoming a tool for censorship or creating a 'dystopian' thought police. Ueno's principle is indeed about decentralized knowledge, but the 'complex optimization problem' of balancing free speech and harm reduction requires human-centric solutions, not just technical ones. An AI solution, while tempting for scale, risks embedding biases and lacks the nuanced understanding required for ethical judgments in complex social issues. The focus should be on fostering critical thinking and media literacy among users, alongside platform accountability for transparent moderation policies.」
目黒孝二風書評の反応と反論
反応: 「ほう、日本女性学学会とやらが、時代遅れの『学術の自由』を錦の御旗に、今時の『キャンセルカルチャー』とやらにお灸を据えられたと。上野センセの30年前の言説を持ち出すとは、随分と懐古趣味だな。だがしかし、この手の『誰でも彼でも傷つく時代』に、旧来の『言論の自由』がどこまで通用するか。学会とて、世間とのズレを自覚せねば。結局のところ、学術もまた『風を読む』術が求められるのだ。ご立派な理念を振りかざす前に、自身の足元を見つめ直すべきだろうな。まさか、本気で『学術は聖域』とでも思っているのか? まったく、おめでたい話だ。」
反論: 「目黒氏の指摘する『時代遅れ』や『世間とのズレ』という点は一理あるように聞こえますが、本論文が問うのは、まさにその『風を読む』こと自体が、学術の本質である『異論の提起』を阻害する危険性ではないでしょうか。上野氏の言説が30年前のものであることは確かですが、言論の自由という原則は時代を超えて普遍的な価値を持つものです。むしろ、『誰でも彼でも傷つく時代』だからこそ、感情的な圧力によって容易に言論が封殺されることの危険性が高まっているのです。『学術は聖域』ではない、その通りです。しかし、学術が『風を読む』ことに特化し、批判的精神を失えば、それはもはや学術とは呼べません。学会が自らの研究を自律的に推進できるか否か、その試金石としてのこの事例は、決して『おめでたい話』で片付けられるような軽薄なものではないはずです。」
補足7:高校生向けの4択クイズと大学生向けのレポート課題
高校生向けの4択クイズ
問題1:
日本女性学学会(JWSA)が2025年の学会大会で直面している問題は、主に何に関するものですか?
- 会場費の高騰
- パネルディスカッションの内容に対する外部からのキャンセル要求
- 参加者の減少
- 海外からのゲストスピーカーの招聘困難
正解: B) パネルディスカッションの内容に対する外部からのキャンセル要求
問題2:
この論文で、キャンセルカルチャーに対する対応策として、上野千鶴子氏が1986年の対談で主張した原則に近いものはどれですか?
- 批判を恐れて事前に内容を全面的に修正する
- 批判されたらすぐにイベントを中止する
- 批判に対して、議論や反論(カウンター・スピーチ)で対応する
- 批判者をSNSでブロックする
正解: C) 批判に対して、議論や反論(カウンター・スピーチ)で対応する
問題3:
「だれも、だれをも代表しない」という上野千鶴子氏の主張は、この論文の文脈において、主に何を意味していると考えられますか?
- 個人は自分の意見を自由に発表すべきではない
- ある個人の意見が、その所属する組織や集団全体の意見とみなされるべきではない
- 誰もがリーダーになるべきではない
- 秘密結社のような組織は存在しない
正解: B) ある個人の意見が、その所属する組織や集団全体の意見とみなされるべきではない
問題4:
この論文が示唆する、キャンセルカルチャーが日本の学術界や社会に与えるかもしれない悪影響として最も適切なものはどれですか?
- 研究予算が増加する
- 学術研究が活発になる
- 意見の異なる人々が対話しやすくなる
- 特定のテーマに関する研究が萎縮し、言論空間が分断される可能性がある
正解: D) 特定のテーマに関する研究が萎縮し、言論空間が分断される可能性がある
大学生向けのレポート課題
課題1:
本記事で紹介された日本女性学学会(JWSA)の事例と、上野千鶴子氏の1986年の言論を踏まえ、現代日本における「学術の自由」が直面している課題について論じなさい。その際、SNSの普及がこれらの課題にどのような影響を与えているか、具体的なメカニズムを分析し、あなたの考える解決策を提案してください。
課題2:
「キャンセルカルチャー」は、単なる批判や非難ではなく、社会的な排除を目的とした集団行動とされています。本記事の記述や、あなたが知る他の事例(国内外を問わない)を参照し、「キャンセルカルチャー」が公共言論空間にもたらす負の影響(例えば、言論の萎縮、二項対立化、対話の困難化など)について具体的に述べなさい。また、この負の影響を克服し、健全な言論空間を維持するために、個人、組織、そして社会全体が取るべき行動について考察しなさい。
課題3:
本記事では、日本における「世間知」の喪失が、キャンセルカルチャーへの対応を困難にしていると指摘されています。あなたが考える「世間知」とは何か、具体例を挙げて説明し、それが現代社会で失われつつある要因を分析しなさい。その上で、失われつつある「世間知」を再生するために、どのような教育や社会的な取り組みが必要だと考えますか。筆者の「コラム」を参考に、あなたの経験や考察を交えて論じなさい。
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