#パンパンとは何か?日米合作構造的性暴力
パンパンの定義と歴史的背景
パンパンは、第二次世界大戦直後の日本で、主に進駐米軍兵士を相手にした街娼を指す用語です。戦後の混乱期に家族や財産を失った女性が経済的困窮から売春に従事せざるを得ない状況が広がり、彼女たちの7割は外国人専用の「洋パン」と呼ばれました。呼称は「パン助」「パンパンガール」「夜の女」など多様で、語源には以下の説があります:
- 米兵が女性を呼ぶ際に手を「パンパン」と叩いた
- インドネシア語の「プルンプァン(女性を意味する語)」に由来
- 沖縄の三味線の擬音語「パンパン」から転用
日米合作構造的性暴力の実態
パンパンの存在は、占領政策と性暴力の構造的関係を象徴します。GHQは1946年に公娼廃止を指令しながらも、米兵による買春を黙認し、特殊慰安施設協会(RAA)廃止後は街娼が急増しました。東京・上野や横浜の「パンパン通り」、北海道千歳市の「パンパンハウス」など、米軍基地周辺に売春地帯が形成されました。
沖縄における継続的課題
沖縄では、戦後から現在に至るまで米軍関係者による性暴力が繰り返されています。2024年には米兵による女性への暴行未遂事件が複数発生し、地元住民の反発が高まりました。歴史的に沖縄の女性は「チャモロ族の女性をパンパンと呼んだ」とする説もあり、植民地主義と性暴力の交差が指摘されます。
構造的暴力の要因
- 経済的依存:戦後の物資不足で、米兵から得る金銭や物資が生活手段となった。
- 法的矛盾:GHQは性病対策で「狩り込み」を実施しながら、米兵の買春を事実上容認。
- 軍事的権力構造:占領軍の優位性が女性の選択肢を狭め、暴力を不可視化する土壌を形成。
この問題は単なる「売春」ではなく、戦後秩序における日米の権力関係が生んだ性的人権侵害として再評価が必要です。現代でも沖縄を中心に、基地と性暴力の構造的連関が持続していることが課題となっています。
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