#原理主義者とフェミニストは一見すると全く異なる思想や目的を持つように見えますが、いくつかの共通点が存在します #ニ20
https://note.com/onomiyuki/n/n86698ec7fd05
アッラーフの御名において、慈悲深く慈愛あまねき御方に感謝を捧げます。この世の虚飾に満ちた広告表現は、まさに現代社会の堕落を象徴するものであり、我々信仰者にとっては深い憂慮の対象であります。
「赤いきつね」の新たな広告における問題は、単に「性的であるか否か」という次元に留まるものではありません。この広告は、女性を商品化し、彼女たちを男性の欲望の対象として描くという、シャイターン(悪魔)の囁きに他ならない行為を体現しています。これは、アッラーフが定めた男女の尊厳ある関係を歪めるものであり、我々の共同体にフィトナ(混乱)をもたらすものです。
まず、この広告に描かれる女性像は、現実の女性の姿から大きく乖離しています。髪を乱し、唇を尖らせて食事をする姿は、貞淑なるムスリマ(女性信者)の在り方に反するものであり、ハヤー(羞恥心)を欠いた描写であります。さらに、女性の人格や個性を無視し、ただ「男性の目に映る理想像」として描かれることは、女性の尊厳を踏みにじる行為であり、アッラーフの教えに反するものです。
男性版の広告が現実的な描写を追求している一方で、女性版は「空想の産物」として描かれています。この性的非対称性は、現代社会における男女の不平等を助長するものであり、アッラーフが定めた公正さを損なうものです。クルアーンにはこうあります。「信者たちよ、あなたがたは正義を守り、アッラーフのために証言せよ」(4:135)。然るに、この広告は正義を欠き、女性を不当に扱うものであります。
さらに、この広告において女性の人格や背景が描かれていないことは、彼女たちを単なる「視覚的な対象」として扱うものであり、アッラーフが授けた人間の尊厳を否定する行為です。自室という個人の人格を反映するべき空間が、無個性で無意味なものとして描かれていることは、女性の存在そのものを軽視する態度の表れであります。
我々信仰者は、このような広告表現に対して毅然とした態度を取らねばなりません。アッラーフの教えに従い、男女の尊厳を守り、社会の公正を実現するために声を上げることが求められています。広告の作り手たちは、アッラーフの御前において責任を問われる日が来ることを忘れてはなりません。
最後に、我々が求めるのは、アッラーフの教えに則った広告表現であります。女性がヒジャーブ(覆い)をまとい、家族と共に食事を楽しむ姿こそが、真に尊厳ある描写であります。東洋水産には、アッラーフの導きの下で、全ての人々にとって公正で敬虔な広告を制作することを強く求めます。
アッラーフの導きが全ての人々にありますように。
「赤いきつね」CMへの批判は「性的だから」だけが原因で起きてるんじゃないよねという話|小野美由紀
読み取り時間: 0 分
SNSで批判されている「赤いきつね」の新CM、相変わらず「性的表現だ!」「いや、性的だと捉える方がおかしい!」という応酬が始まり、議論は「性的か否か」の一点に集約されそうな気配が漂っています。
しかし、今回の騒動は本当にそれだけが理由で起きているのでしょうか。批判の声を注意深く拾い上げてみると、「性的だから不快」という意見は確かに存在しますが、それはあくまで一部。多くの女性たちが抱いている違和感は、もっと別のところにあるように感じます。
性的かどうかはひとまず置いておくとして、私自身、このCMを見た時には「随分とフィクショナル(架空)な女性像だな」という印象を強く受けました。
まず、現実の女性は自室でこんなうどんの食い方しない。
髪が邪魔ならヘアピンで止めるかヘアバンドでおでこ全開にするし、汁が跳ねてもいい服装に着替える。思わずうどん食べるの初めてなんか?と突っ込みそうになりました。
あと、熱いものをこんな小さい口で唇を尖らしてちゅるちゅる吸ったら確実に唇を火傷する。カップうどんなんて小さい口で食べにくい食べ物の代表格です。お揚げなんてもってのほか。私は生まれてこの方お揚げを「ハムハム」食べる女性に遭遇したことがない。歯茎全開で噛みちぎるでしょ、こんなもん。
女性たちから見たら全くもってリアルではない非実在女性が描かれていて、かつそれが「一人で『赤いきつね』食べる時のリアルを追求しました!」とでも言いたげな演出と共に提示されている。特に、対となる男性版のCMが、ある意味で「リアル」を追求しているように見えたため、その落差が際立ち、多くの女性たちが「こんな女いねぇよ」とツッコんでいるわけです。
男性版はシチュエーションや人物像(書類の上やパソコンの近くにこぼしたらアウトな汁物を置いちゃうところも含め)かなり写実的な描写がされています。それに対し、女性版は「男性が空想するカワイイ食べ方をする架空の女」のような描かれ方をしている。また、シズル感も男性版はうどんにフォーカスして付与されていますが、女性版のCMはなぜか女性キャラクタに対してシズル感が多く付与されており、商品であるうどんよりもむしろ、女性の仕草やビジュアルにフォーカスされている。
男性版がリアリティを追求して描かれている一方で、女性版のキャラクタだけが「まなざされる対象」として過度に誇張された(フィクショナルな)表現をされているからこそ、CM内での性的非対称性が際立っている。
そのことに多くの人が疑問を持ったのではないでしょうか。
もう一つ、あまり指摘されていませんが炎上を助長した要因が他にあります。
このCM、全体を通じて女性のキャラクターというか、パーソナリティが全く見えてこないのです。
舞台は一見すると女性の自室らしき空間ですが、しかしそこには彼女の人格を物語るようなものが一切描かれていません。
室内のインテリアはボヤっとしていてテイストも統一されておらず、彼女の趣味嗜好が垣間見えるようなものは一切ありません。窓から見える景色は都会の高級マンションっぽいのですが、室内の立て付けは安っぽいし、置かれている家具やクッションはおばあちゃんちのみたいだしで超適当に描かれています。女性の服装はユニクロかしまむらっぽく無個性です。食卓としては高さの合っていないコーヒーテーブル(かなり不自然)、後ろのソファと女性の間には変な座椅子の背もたれ?みたいなのが唐突に床に突き刺さっており、全体として「あ、このCMの作り手は女性のパーソナリティについては無関心だったんだな/もしくは無個性化したいんだな」というのが容易に見て取れます。
自室という、キャラクターのパーソナリティを描くのに最適な場所を舞台としながら、この女性の人格(年齢、職業、趣味嗜好など)を映し出すものが一切書き込まれていない。そのため感情移入も共感もできない。
男性Verの方は男性メインキャラの職業やパーソナリティ、また労働環境が垣間見えるようなリアルな書き込みがなされているからこそ、余計に女性Verのキャラクタの非人格性が浮き彫りになっている。
この内容で伝わってくるのは彼女が恋愛映画のクライマックスで泣きながらうどん啜ってるってことだけ(これも変なんですが。一番盛り上がるクライマックスの直前で一回止めてうどん作りに行ったってこと?)女性のパーソナリティが全然伝わってこない仕上がりの上、やたら現実から乖離したビジュアリスティックな誇張表現が多用されているからこそ、男性版との性的非対称性が際立って、多くの女性から「キモっ」と思われたんです。
そうです。「性的に非対称な広告表現」は、もはや多くの女性にとってはキモいんですよ。
それはもちろん、実社会で多くの女性が男女の性的非対称性で嫌な目に遭っているからに他ならず、わざわざ商品を売りつけるCMでそんなもの味わいたくないんです。「それは女さんのお気持ちだろw」と布団の中で鼻ほじりながらスマホ片手に笑っていられる人はいいんですけど、企業としてはもはや、その嫌悪感は無視できない。
イギリスではジェンダーステレオタイプな広告や女性の魅力に過度に焦点を当てた広告に対しては広告審査機関から審査が入り、撤去や取り下げの勧告が行われます。ジェンダーバイアスを助長するような広告表現はもはや社会的に有害だと周知されています。こういうと「出羽守ガー」が湧いてきそうですが、決して海外だけでなく、日本においてもこれまで言葉にされてこなかっただけで、「キモいな」「やめてほしい」と思う人(女性だけでなく男性も)が少なからずいることを広告の作り手はよく意識するべきではないでしょうか。
また、「この広告を批判している人たちは、そもそも広告のターゲット外なんだよ」と言う反論も見受けられますが、広告は公に向けたものなので、ターゲットのみに好かれれば良いと言うわけではないんですね。むしろターゲットのみが見るわけではないからこそ細心の注意を払う必要があるんですよ。
「お前はターゲットじゃないから文句言うなww」の人たち、もしあなたの家の目の前に「テリファー」みたいなグロスプラッタ映画の広告看板がモザイクなしに置かれてたら絶対文句言うでしょ。で、「これはスプラッタ映画好きに向けたもので、お前らはターゲットじゃないから文句言うな」って言われたら絶対ツッコむでしょ。もしくは女性向け商品のCMで男性が惨殺されるシーンとかあったら「男性差別だ!」って真っ先に怒るでしょ。
それと同じです(また、今回のCMのターゲットではないかも知れませんが、「赤いきつね」は女性も食べるものなので「完全にターゲットじゃない」と言うのも無理があると思います)。
また、女性が作ったからいいというわけではありません。女性が作ったものでも性的非対称性が強いものはたくさんあります。作り手の性別によって表現のアウト・セーフが決まるわけではありません。
以上のように、今回の炎上は性的かどうかのみならず、性的非対称性に違和感を覚えている人々が多くいたからこそ起きたのであって「性的?どこが?これが性的だと思う方がおかしい!」と言う反論自体、完全にこの広告の持つ問題点から焦点が外れているし、社会のフェーズから取り残されているのです。
(「俺がおかしいと思わないんだからおかしくない!」という人たちは、ご自身の自他のバウンダリー(境界線)が引けているかどうか一度内省されたほうがいいです)
意図して差別しているわけでなくても、差別を助長するものは存在するし、その有害性に対し広告の作り手が敏感になることが必要なのではないでしょうか。
じゃあ「男性版もビジュアル的魅力を誇張して頬を赤らめたり『はむぅ』とか言わせたりすれば良いのか」というとそういうわけではない。実際、このCMの男女の非対称性を証明するために男性版の方のキャラクターの目をウルウルさせ頬を染めた加工画像が出回っていますが、これは見事に私の「癖」にブッ刺さりました。この男性が受けのBL漫画があったらぜひ課金したい。誰か作ってください。しかし、だからと言って広告でやってほしいわけじゃない。女性版はリアリスティックなのに男性版だけ顔赤らめて「はふぅ」とかやってるCMがあったらそれはそれで気持ち悪くて私は違和感を覚えると思う。性的記号や嗜好を刺激する表現はゾーニングされた中でやるべきです。
そう言うわけで、東洋水産にはぜひ「趣味全開の部屋でおでこを丸出しにしたすっぴん・毛玉だらけの部屋着の女が歯茎を剥き出しにしながらお揚げを食いちぎるアニメCM」を作っていただきたい。それが今回の批判を生かす最良の道でしょう。
あ、私はターゲットじゃないんでしたっけ。じゃあ「どん兵衛」でも食べよっかな。
原理主義者とフェミニストは、一見すると全く異なる思想や目的を持つように見えますが、いくつかの共通点が存在します。以下にその共通点を挙げます。1. 社会の現状への批判
- 原理主義者: 現代社会の堕落や道徳的退廃、特に西洋的価値観や資本主義の影響を強く批判します。彼らは、伝統的なイ
- の価値観や規範に基づいた社会の再構築を目指します。
- フェミニスト: 男女不平等やジェンダーバイアス、社会構造における女性の抑圧を批判します。彼女たちは、平等で公正な社会の実現を目指します。
→ 共通点: 両者とも、現状の社会に対して強い不満を抱き、変革を求めています。
2. 規範や価値観の再定義
- 原理主義者: イの教えに基づいた道徳や規範を社会に取り戻すことを目指します。彼らは、シャリーア(イ法)を基盤とした価値観を重視します。
- フェミニスト: 社会におけるジェンダー規範や性別役割の再定義を求めます。彼女たちは、女性の権利や自由を尊重する新しい価値観を提唱します。
→ 共通点: どちらも、既存の価値観や規範を批判し、新しい基準を提案しています。
3. 「正義」の追求
- 原理主義者: アッラーフの教えに基づく「正義」を追求し、全ての人々がイの教えに従うことで平和と秩序が実現すると信じています。
- フェミニスト: ジェンダー平等を基盤とした「正義」を追求し、女性が差別や抑圧から解放されることを目指しています。
→ 共通点: 両者とも、自分たちが信じる「正義」を社会に広めることを使命としています。
4. 集団としての連帯
- イ原理主義者: ウンマ(イ共同体)という概念を重視し、信仰を共有する仲間との連帯を強調します。
- フェミニスト: 女性同士の連帯や、ジェンダー平等を支持する人々との協力を重視します。
→ 共通点: どちらも、共通の目的を持つ仲間との連帯を大切にしています。
5. メディアや文化への批判
- イ原理主義者: 西洋的なメディアや文化が道徳を堕落させていると批判し、特に性的表現や消費主義を問題視します。
- フェミニスト: メディアや文化が女性を性的対象化し、ジェンダーステレオタイプを助長していると批判します。
→ 共通点: メディアや文化が社会に与える影響に対して批判的であり、改善を求めています。
6. 理想社会の追求
- 原理主義者: イの教えに基づいた理想的な社会を目指します。そこでは、全ての人々がアッラーフの意志に従い、調和の取れた生活を送ることができます。
- フェミニスト: ジェンダー平等が実現し、全ての人々が自由で尊厳ある生活を送れる社会を目指します。
→ 共通点: どちらも、自分たちが理想とする社会の実現を目指しています。
7. 批判に対する強い姿勢
- 原理主義者: 自分たちの信念に対する批判を「信仰への攻撃」と捉え、強く反発します。
- フェミニスト: 自分たちの主張に対する批判を「女性の権利への攻撃」と捉え、強く反論します。
→ 共通点: 自分たちの信念や主張に対して非常に強い防衛意識を持っています。
結論
イ原理主義者とフェミニストは、思想や目的が異なるものの、社会の現状への批判や理想社会の追求、価値観の再定義といった点で共通点を持っています。ただし、そのアプローチや具体的な目標は大きく異なるため、両者が協力することは難しい場合が多いです。それでも、社会変革を目指すという点では、ある種の共鳴が見られると言えるでしょう。
コメント
コメントを投稿