#いいえ、プライバシーは死んではいません。全か無かの考え方に注意してください #ニ18
https://www.privacyguides.org/articles/2025/02/17/privacy-is-not-dead/
プライバシーは依然として存在し、全てでないという考え方は注意が必要です。プライバシーを「死んでいる」と捉えるのは、有害な意味合いがあり、そのような思考に陥ると、戦いを放棄したことになり、結果的にプライバシーが消失する恐れがあります。
また、すべての人権は長い歴史の中で戦い、努力を重ねて獲得してきたものであり、失うのは容易でも、守るには絶え間ない努力が求められます。 さらに、プライバシーを完全に守ることが前提とされる考え方も問題です。純粋なプライバシーを追求することは重要ですが、現実には少しずつ改善していくアプローチが求められます。日常的にプライバシーを改善する道具や実践を進める努力も大切です。真に重要なのは完璧さではなく、リスクを減少させ、個人が持続可能なペースでプライバシーを向上させることです。
たとえば、友人がSMSからSignalに切り替えたことを祝うことは、その第一歩を示すものであり、次に新しい方法やツールの提案ができるチャンスとして捉えるべきです。人々が自分のペースでプライバシーの改善に向かうことができるように支援することが重要です。 また、特定のプライバシー製品に関する称賛がある場合、それを否定するのではなく、祝うべきです。過度の批判は、人々のプライバシー意識を萎えさせ、以前の使い慣れた手法に戻る動機付けになりかねません。このような反応は、周囲の人々が新しいツールを試す気持ちを阻害し、結果として大手テクノロジー企業の製品に留まる原因となります。
私たちはデータプライバシーに情熱を持っていますが、その焦りがかえって活動を妨げる危険性があります。政府や組織に対しては強く要求することが重要ですが、個人の交流においては、推薦を受けた人の努力や選択を尊重し、共感することが必要です。 プライバシーは私たちが使うツールだけでなく、必要な文化を育むものであり、思考や習慣が伴います。
すべての小さな成功を共に祝い、インクルーシブな文化を醸成することで、より良いプライバシーの権利を築く手助けをし、前向きなステップを踏むことこそが真の勝利であると言えるでしょう。
あなたが指摘されているように、プライバシーは決して死んでいません。そして、完璧でなくても、たとえ小さな一歩であっても、プライバシー改善に向けて前進することは非常に重要です。私も、プライバシー擁護の活動に携わる中で、まさにあなたがご指摘の 「プライバシーは死んだ」というニヒリズム と 「完璧主義」 という二つの誤った考え方が、プライバシー全体にとって非常に有害であると強く感じています。
1. 「プライバシーは死んだ」というニヒリズムの危険性
この考え方は、本当に危険です。なぜなら、私たちから戦意を喪失させ、努力を放棄することを正当化し、結果としてプライバシー保護活動そのものを弱体化させてしまうからです。「プライバシーは死んだ」と一度諦めてしまえば、まるで自己成就的予言のように、本当にプライバシーは失われたものになってしまうでしょう。
歴史を振り返れば、人権というものは決して自然に与えられたものではなく、常に多くの人々のたゆまぬ努力、苦闘、そして時には犠牲によって、少しずつ前進し、改善されてきたものです。戦いに勝利するためには、戦うことを諦めない人々の意志と行動が不可欠です。人権を失うことは容易ですが、それを守り、発展させていくためには、常に多大な努力が必要なのです。
2. 完璧主義という名の足枷
「データプライバシーに価値があるためには、100%完全にプライベートで安全である必要がある」という考え方も、一見すると正反対の考え方のように見えるかもしれませんが、実際にはニヒリズムと同様に有害であり、むしろニヒリズムを助長する側面すら持ち合わせています。
おっしゃる通り、私たちは完璧なプライバシーを達成することを目指すべきではありません。なぜなら、現実の世界において「完璧なプライバシー」など存在し得ないからです。完璧主義に囚われてしまうと、私たちは現状を悲観し、小さな改善さえも無意味なものとして切り捨ててしまい、結果的に何も行動を起こせなくなってしまうでしょう。
データプライバシーの世界には、確かに「ヘビ油」のような誇大広告や誤情報が蔓延しています。そのような欺瞞的な行為や製品に対しては、断固として批判し、暴き出す必要があります。しかし、重要なのは、完璧ではないからといって、良い製品やツール、実践方法の価値を否定することではない ということです。
漸進的な改善と小さな勝利を称賛する文化
私たちが目指すべきは、完璧なプライバシーではなく、「被害を減らし、プライバシーを少しずつ改善していく」 という現実的かつ持続可能なアプローチです。平均的な人々が無理なく、そして着実にプライバシー保護のレベルを上げていくことができるように、私たちは彼らをサポートし、励ます必要があります。
あなたが挙げられた具体的な例は、まさにこの点を明確に示しています。
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SMSからSignalへの移行: 友人がSMSからSignalに乗り換えたという事実は、プライバシー保護において大きな進歩です。Signalが完璧なツールではないかもしれませんが、SMSと比較すれば、プライバシーは大幅に向上しています。ここで重要なのは、友人の決断を心から祝福し、Signalを使うことによって得られる新たな保護を認め、励ますことです。「でも、Firefoxも使ってないじゃないか!」などと批判することは、せっかくの進歩を台無しにするだけでなく、友人のプライバシー保護への意欲を削いでしまう可能性すらあります。
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PrivacyProduct™️の推奨: 誰かが新しいPrivacyProduct™️をソーシャルメディアで推奨した場合も、同様の考え方が当てはまります。たとえその製品が完璧ではなく、IPアドレスをログに記録するような欠点があったとしても、以前よりもプライベートなツールを選んだという事実は賞賛に値します。ここで「でも、この製品はIPアドレスをログに記録する!」などと否定的なコメントをすることは、せっかくプライバシー保護に関心を持った人の熱意を冷まし、以前の状態に戻してしまうだけでなく、周囲の人々にも「どうせプライバシーなんて…」という疑念を植え付けてしまう可能性があります。
プライバシーはツールだけではない、文化である
プライバシーとは、単に特定のツールや技術を使用することだけではありません。それは、私たち一人ひとりの 考え方 や 習慣 に根ざした 文化 なのです。より良いプライバシー文化を醸成するためには、私たちは 不完全さを許容し、小さな改善を積み重ね、そして何よりも、それぞれの勝利をコミュニティ全体で祝福し、称え合う ことが重要です。
まとめ
私も、あなたのメッセージに心から賛同いたします。
- 「プライバシーは死んだ」というニヒリズムを打ち破り、諦めずに戦い続けること。
- 完璧主義に陥らず、漸進的な改善を積み重ねていくこと。
- 小さなプライバシーの勝利を祝い、コミュニティ全体で喜びを分かち合うこと。
これらのことを意識し、実践していくことこそが、より多くの人々をプライバシー擁護の輪に巻き込み、より良いプライバシーの未来を築くための鍵となると確信しています。
私たちは、それぞれの小さなプライバシーの勝利を祝福し、大声で応援することで、共に勝利を掴むことができるのです。
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