なぜニコニコ(く)は、荒れるのか?
なぜニコニコ(く)は、荒れるのか?
(く)発表会については動画みて、どうぞ。
百花繚乱人さんは初めて知ったけど、こんなあつい人がおったんやな、て。
なぜ、荒れるのか?
なんか毎回、新システムになるたび荒れてるような気がする、気がしない?
理由はいろいろありそうですが、やはり一番大きいのは、肝心な動画サービスとしての不便さを改善せず、頼んでもいないサービスを作って仕事をした気になっている点でしょう。
ニコニコにはライバルともいえるサイトがイクスカあります。動画投稿サイトのYouTubeやインターネットコンテンツでテレビになり替わろうとしているabematv・ネットフリックス。あるいはゲーム実況配信のツイッチやオープンレック。スマートフォン生放送のツイキャス・ふわっちなど。
ニコニコは黎明期こそ目新しいサービスであり、で独占的ともいえる立場を得ていました。しかし時は流れ、上記したように現在は様々なサービスが群雄割拠し時はまさに戦国時代!次第にニコニコは最先端の技術を持つ企業から、時代遅れのダサいサイトになってしまったのです。
ライバル企業がサービスの利便性を高め、ユーザーを得るために経営資源を投下するのに対して、ニコニコは動画サイトとしての魅力を高めるための投資を怠っているように見られていました。
度重なるサーバ強化や高画質化に対する要求。それが(く)によって改善されるのでは?という淡い期待がかえって火に油を注ぐ結果につながったといえるでしょう。
支払われたプレミア会員料金がユーザーの望む投資ではなく、誰が頼んだの?と疑問を感じずにはいられないような機能に浪費・蕩尽されたのであれば、その胸中もまた推して知るべし、と言わざるを得ない。
これは、財政民主主義におけるアカウンタビリティのケーススタディとしてみることもできる。
無関心とコメットメントの界面
かわいさ余って憎さ百倍
愛情の反対は、憎しみではなく無関心。といった人は誰だったか、しかしコミットメントの程度が対象に対する憎悪に代わるのは理解できるでしょう。
ニコニコ(く)の対する熱意、というか反響を鑑みると、翻って現実の政治・経済・社会への関心の薄さが際立つ。
人が対峙した事象に抵抗するとき行為としては大きく二つにわかられる。一つは、エグザイル。亡命、脱出、その場から離脱してしまうことです。二つめは、ヴォイス。声を上げることです。
ニコニコ(く)に関してはヴォイスが大きく立ち上がった。この事実が実に興味深い。
場所への愛着と渡り鳥
エグザイルではなく。ニコニコ(く)へのヴォイスが起こったという事実は、その場に愛着を抱き、己の居場所としている集団の規模を表しているといえる。
ここから現実社会を眺めると。現実の政治へのコミットメントの弱さに驚きはしないだろうか?この基底現実における政治や社会へのコミットメントの弱さは、民主政治への愛着の程度。己のアイデンティティとして、近代の理念が受肉していない事実が観測できる。
理由としては、やはりと言うか結局と言うか、戦後欧米に押し付けられたお着せの制度である。という観念が先立っている。ということが言えるだろう。
日本人は天皇に銘じられれば命を懸けることができるが。近代の理念のために手を煩わせるのはンめんどくさいと感じる。
ニコニコを己の手で育ててきたという感覚は持ち得ても。近代の理念(民主主義・人権)を己の手で勝ち得たとも、己の手で育てたとも感じていない。いっそ独裁政権下にでも生まれれば、これから革命を起こすという希望もあるだろうが。それもかなわない。
経営者として
常識的な企業であれば所有するサービスの熱烈なファンをパージするような判断は下せないだろう、する意味もないからだ。川上カバオは稀代の経営者といえる。
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